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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2009-04-05 この日を編集

[独言] フロントキャリア大破

今回の旅でフロントキャリアが大破した。

画像の説明下辺の部材が破断しているのは出発前に気づいた。穴を開けてネジ止めするつもりであったのが丁度いいネジとドリル刃とが見つからず、仕方なく針金でグルグル巻にして応急処置。確かに応力は集中しそうな場所ではあるけれども、もともとこの箇所はバッグの取り付けと支えにはあまり影響のない場所で、そうクリチカルな破損ではないと踏んでいたのだった。

画像の説明しかし、一カ所緩むと他に影響を与えるのか、中山トンネルの狭い狭い歩道でサイドバッグをぶつけたのがいけなかったのか、今度は上辺の溶接が吹っ飛んでしまった。ここが外れるとキャッリアが開いてしまうのでとても危ない。反対側の溶接もヒビが入って次に何かあったらまっ二つ状態だ。幸いなことにベースキャンプに着いた時点で発覚&翌日は荷物なしの探索&伯母谷のNさんの御厚意により針金入手、ということで事なきを得た。

画像の説明 だが、伯母谷から麓へ下ってきて、ついでに橋本まで足を伸ばして、ここで輪行しようとした時に、根元のネジ取り付け部分が割れてしまってることが発覚した。よくタイヤに巻き込まなかったものだと思う(サイドバッグがあったお陰か?)。これはもうどうしようも茄子。ちょっとやそっとでは直せない。

2002年の旅の直前に買ったもの。耐用年数6年強というのは長いのか短いのか。それ以前に使っていたもの(ミノウラの旧世代の同型)は94年から02年まで使っていて、そちらのほうがフロントの使用頻度は高かったはずだ。リアキャリアが14年持っているのと比べるとさらに短く感じられてしまう。

フロントキャリア、案外高いんだよな・・・。どうしよう。といってもないと旅に出られないしなあ。

[独言][ORJ] 東熊野街道\(^o^)/ハジマル

これ以上ないという位に探索してきた(道は一介の書物なりと信じる故に敢えて探索という言葉を使うぞおれは)。今から長篇予告しておいても恥ずかしくない規模になるだろうこと必至。そのうえもう1本の前哨戦でしかない。その前に描き尽くせるか疑問&追加でぼうだいがくへ行かねばならない=次号には多分間に合わない。ここのところ部録"をさぼりがちだが、強ちヒキコモリモードに突入しただけではないのでおじゃるよ。

あの世界に数日間身を置いて、大阪に帰ってきて、両者が同じ空の下にあるという事実が未だに飲み込めないでいる。辿っていけば道でつながっているはずなのに。日本は狭い、なんて誰が言い出したんだろうか。

[ORJ] 謎の自衛官氏寄稿、ほか次号進捗

大丈夫、次号は謎の自衛官氏の寄稿がある。ちょっと手間取ってしまったが着実に進行中。とはいえ氏謹製pdfだからnagajisの出る幕はほとんどないのだ。

そのほか、TUKA氏旧橋第2弾もほぼ完成。引用承諾も取れたし、追加部分を仕上げてしまえばすぐにでも。

nagajis担当分は久しぶりの北摂線描up済、熊野の最終回もup済、TRDBはアレかコレかが入ってくれば押し込める。廢毒はまた暫定措置としてpdbの紹介をばする(卑怯者)。必要なCGIは一通り作ってあるはずだし。

[独言] その他2、3

KINIAS方面、廃道巡方面でやらなければならないことが次々と。ダカライソガシクナルッテイッタンダ。ダンシングダンシグ。


2010-04-05 この日を編集

[独言] 引用

とうとう、僕は登り始めた。背中へ重たいやつを引っ掛けて。一進一退を繰り返して。泣きそうな顔をして。口の中で、呪文みたいに意味のないことをブツブツやって。−−−こんな、壁を登るのが必要が。それは分らない。これを上り切れば、僕に何か増しになる要素があるか、それも知らない。だけどこの旅行を始めたのは、ここまでやって来たのは、今こうしてここで目玉を凝らしてルートを探しているのは、それはみんな僕であって僕一人だ。だから、見え見え(傍点)じゃないか。大事なのは必要性などという右顧も左眄も可能な便利な概念じゃない。たった一つの、上へつながるちっぽけな足場だ。それだけだ。分ったか!

(綿貫益弘「津軽から江差へ」。60°/15mの磯崖を自転車を担いで登りながら)


2018-04-05 この日を編集

[古レール] こういうことがしたい

画像の説明

訪問者の迷惑など考えずに貼っつける(つーか自分も見れない。ブラウザの表示倍率を変えて何とか全貌が分かる程度)。どうしてもこうなるよな。長尾山第二隧道前柵なんかこの三倍幅が要る。

何とも馬鹿なことを始めたものである。そして馬鹿にのめり込んでいる。せんだってなどは仕事上がりの足で夜の武田尾第2柵へ向かった。雨のそぼ降る真っ暗闇の中、レールの数を数え、銘を読み、§切りをやり直して、都合三度目の訪問にしてやっと銘整理が完了した。終わったのは夜中の十時半であった。手ぬぐいを失くすという代償まで払った。全く馬鹿な仕業である。

そこまで頑張ってみたところで誰も褒めちゃあくれないのである。世が求めている仕事でもないのである。そうじゃない。褒められも役立ちもしないことだとわかっているからこそ、なのだ。自分自身がこの柵を完全把握したいのだ。単にDARLINGTON 70見つけたと言いたいだけならそうすれば済む。どの柵にあれとこれとそれがあると言えば済む。しかしそれじゃあそれだけでお終いになる気がする。ふーん、あそこにあるんかい、で終わってしまう気がする。異国の地でチビるまでこき使われたうえに本来用途でない用途に回されその格好で百年以上放置されてきた彼らなのだ、もうちょっと注目してあげないと可哀想じゃないか。少なくともその存在に気づいてしまった本人くらいは。

[独言] 割れ窓理論の最初の一石

画像の説明

先日福知山線へ行った時、探索中に缶コーヒーを飲んで、あとで回収して帰るつもりでガードレールの上に置いていった。30分ほどして戻ってきたら、その上にデカビタCの空き缶が載せてあった。誰か別の人間が捨てていった缶だ。全くもって典型的な割れ窓理論の発現で心底呆れたことだった。ゴミが捨ててある場所ならゴミを捨ててもいいと考える幼稚で浅墓な思想は唾棄すべきである。実行者は恥じて顔を洗って出直してきて右斜め後ろの隠しカメラに向かって尻振り百回してもらいたい。その上で同じことを繰り返してもらいたい。

2003年の長旅で茨川の我がテントの前にゴミを置いて去っていったRVを思い出さずにはいられない(言っておくが未だに根に持っている)。まあ最初に置いたのは自分だし、別にそれに「あとで回収するから一寸置かせてチョーダイ」と張り紙をしていたわけでもないからな。同罪だ。

[古レール] DARLINGTON IRON CO LD 77? IRJ

画像の説明

7の次がはっきりしなくて撮ってあったものだが、あとで見なおした時にCO LIMDでもCO LIMTDでもないことに気づいた。どう読んでもCO LD。そうして7の次は「7」っぽい。即ち1877製。同じレールの別部位にも77に見える痕跡があった。

Tさんにいただいた資料を見ていたら、三越からもCO LD 77 が見つかっているとのことだった。superscriptなのも一緒。鮮明な先行事例があることの有り難さを噛みしめる今日このごろである。

年代だけで判断すると京都~大津間あたりに使われたということになるのだが、だとすると1890のCAMMELLはなんなんだということになる。構内側線を追加するとか傷んだ個所を補修するためとかで追加で買ったのがあったのかも知れない。魚梁瀬林鉄だって久木越えの最急勾配区間に使われていたレールは数ヶ月でダメになったと聞いている。大阪~大津間にそこまで急な区間はなかったはずだしひっくり返すという手もあるのだけれども柔らかい錬鉄製だとどうだったろうかだし曲げちゃったやつはひっくり返すの大変だろうし。うん、わからんことだらけである。


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