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2021-10-08 [長年日記]

[独言][未消化] 風景論

風景論の本を読んでいろいろ思うところがあったのだが、いざ書こうとすると躊躇のほうが先に立つ。書いて何の意味があるかとか、過去に誰かが言っているはずだとか、うろ覚えに覚えていることがらを礎にして書く危うさとか、その他いろいろの原因に因る。

読んでいてしきりに思ったことは「いい風景ってなんだろう」ということ。風景論を書いたものは明示にせよ暗黙にせよ「いい風景」があることを大前提にして書かれてある。「いい風景」の定義を頑張って書いてあるのもある。でも、それがしっくり来た試しがほとんどない。なんでだろうと思う。

「いい風景だなあ」と思う風景は確かにあるけれども、それをなぜ良いと思ったか突き詰めて考えていくと、結局は個人の美的感覚善感覚によってそう判断していることが多いようで、一般化しにくいと思う。読んだ本では自然と調和した農村の風景を良しとしていたがそれが万人に通用するかというと多分そうでない。自分がいいと思う風景例えば廃道とか煉瓦の転がる路地裏だとかは間違いなく一般化できない。

好ましいとされる風景は、結局のところ、自分の幼少時代の原風景みたようなものに近しい風景でしかないことが多い。とすると、戦前生まれの人が良いと思う風景と、戦後生まれの人の良い風景、現代に生まれた子どもが大人になって良いと思う風景は変わってくることになる。地方都市の郊外のチェーン店街だって懐かしく思われるようになる時代が来るかも知れない。そして人は見たことがない風景を懐かしいもの良いものと思うことはできない。上ツ道中ツ道下ツ道が幅数十メートルの直線道路であった時代の大和盆地を良い風景と言える人は恐らくいない。護岸されていない葦草茂る土土手の川を、良い風景と見る人と、水害の恐れ不衛生の懸念で見る人とがいる。

調和の取れた町並みは美しいと言われる。その感じはもちろんわからないではないが、それは逆に変化に乏しい単調な町と見れないこともない。発展を止め生気を失った町並みにいたたまれない感情を抱く。街道宿の町並み保存は結構だが、古い作りの日本家屋は住めば不便だろうと思うし、元の使い方をされていない建物もあって、良い風景を維持するためにどれだけ不便を忍んでいるだろうかと思わざるを得なくなることもある。何のために保存しているかといえば結局は観光のためだったりする。作られた風景を見に行く観光にいかほどの価値があるか。と思ってみた一方で、そういう取り組みがなされている現代という時代の有り様を実は保存している町並みなのかも知れず、それを見に行く意味はあるのかも知れぬと思い直してみたりもする。

列車やバスに鮨詰めになって運ばれ、目的地で降ろされてその土地をつまみ食いしてわあわあ騒いで東京音頭でも踊って帰っていく寺田センセを悩ませたような団体旅行が観光だった時代はもう二度と帰って来なくてよい。その時代に「よい風景」はあり得ただろうか。日常で見ない風景にははっとさせられるかも知れないが、そういうのでよければ何も景勝地に行かなくてもよいわけで。逆に「いい風景」で客を誘致していた時代が間違っていて、今もまだその余韻を引きずっているところがあるような気がしてならない。「よい風景」を求めすぎて---ありもしない「よい風景」をでっちあげるための風景論だったりはしないかと思う。そこまで言ってしまうと身も蓋もないが。

見慣れない外国の風景---うまく例が出てくるかわからないが、例えば香港の夜景だとか、マンハッタンの摩天楼街だとか、ナポリの港町でもいいか、何か一定の調和のある街並みに「よい」を思うことがある。多くの風景論者もそういうのを念頭に置いている様子。日本の街並み(特に都市の街並み)には調和がないという。外国の街並みはなぜ調和が取れているように見え、日本はそうでないのだろうと思った時、住む人が街を「自分のものだ」と思っているか否かの違いがこう現れているんではないかと思った。自分の街を自分のもののように思い、誇りを持っているから、街をよい風景にしたいという思いがあるから、制約に甘んじて我慢したり、良くする工夫をしたりする。パリとかロンドンとか建物の増改築に厳しい制限があると聞いた。そういうのを甘んじで受けてでも住みたいと思う人の集まった街ならそりゃそういう方向に向かうだろうと思う。日本人は都市=公共のもの、自分の所有しないものと思うのではないか。自分の住む街を好きだと言っても街を自分のもののようには思わないと思う。公共のものは汚してもいい壊してもいいとさえ思っている層もある。公園にゴミが絶えた日があるだろうか。東京に行っていちばんショックを受けたのはゴミだらけの線路だったしホームから平気でゴミを放る人だった。そういう人に限って部屋は小綺麗に違いないのだ。要するに自分の住む場所、周囲数メートル十数メートルの範囲さえきれいでありさえすればよいという人ばかりなために風景は「汚い」。調和などないごちゃとした街並みになる。しかしそういうごちゃとした街並みを見慣れ安心する層だって少なくはないだろう。

昔の日本の街並みをよいと思う思いの半分以上は焦点のあやふやなノスタルジーなんじゃないかと思う。仮に思い切って古くして藁葺き屋根の民家が点在する山麓集落とか、板葺き民家の立ち並ぶ土道の街道筋とかを思い描いてみたとしても、それは意図してそう作り上げたものではなくて、質素倹約を強いたお触れとか簡単にはひっくり返せない村落内ヒエラルキーとか隣近所の目だとかいった様々な制約があった結果そうなったに過ぎない。意図して街を美しくしようとは思わなかったものと思う。だけどもかえってそんな無作為だから自然であり心落ち着くということもあるだろうと思う。丸の内のオフィス街に秩序はあっても心落ち着く感じはしない。強烈に作為的だから。

つまるところ「良い風景」を論じ具体例を挙げるのは容易いけれども、そしてそれに共感を得ることはある程度できるとしても、あらゆる層あらゆる人に共通する良さはあり得ないんじゃないか。美しい風景きれいな街並みで人を呼び集めることは不可能なんじゃないか。特にそれを観光に結びつけ、未来永劫守っていこうとするのは本質的に無理があるように思う。

あと、風景を享受する側にも問題がある。風景を見る側に深い洞察のできる眼がなく、うわべだけしか摂取できないと、自分も相手も悲しい思いをする。真の意味の観光---国の光を観るというあの語のような観光が根付かなかったのは見る側の準備不足というか技術不足というか、そもそもそれが必要だという認識からして欠如していたからではあるまいか。他所の土地での風習を自分とことは違うと認識することは大事だが、その認識を受けてのDoが無駄な卑下だったり嘲笑だったり単なる感動で終止だったりして「じゃあなぜ違うのか」と洞察する方向には中々進まなかった。このへん東海道中膝栗毛とか芭蕉翁とかに幾分かは責を負ってほしく思う。守貞漫稿とか甲子夜話でもいいけれど。

良い風景と実験(経験)とは不可分。自分の足でその場に行き、その場に立って見たからこその風景。絵葉書やグーグルアースでは行った気になれたとしても自分の中に残らない。体験した風景、あとで何度か思い出す風景ほどいい風景、と思ってみてすぐ、なんだ当たり前のことじゃないかと思ったりもした。何度も思い出すから記憶に残るのだ。見た数秒後に忘れるような、二度と思い出さない風景なら「良い風景」と認識するはずもない。


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