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2023-05-01 [長年日記]

[きたく] 甲大門西暗渠にて

長手に刻印らしい窪みを見つけて採刻しようと考えていたら通りがかりの人に話しかけられるという、昨日の北浜田暗渠@武豊線と同じシチュエーション。「煉瓦の刻印を見つけたのでどこのだろうと考えてたんです」とRDFを展開しつつ「ほら、これが」と照らした先に、さっきのとは違う、より鮮明な刻印があった。えっ。

画像の説明

うぇいおうなんでここにこれがあんねんと混乱してしまったのが運の尽きだ。話の相手をしつつ市古工場の識別印がある理由と年代の整合性を考えつつ市古工場が碧海郡いまの碧南市にあった工場で東は天竜川の辺りから西は草津駅まで使われてることを語る裏で何かを決定的に勘違していると思いつつ話し続けなければならなかった。その方が立ち去ってから違和感の根源がわかった。こいつ市古の識別印じゃねえ。「○+カナ」じゃなくて「○+かな/カナ」だ。瀬田川橋梁下で採取済みのあいつだ。湖東線で突き止められずにいるままのあれだ。甲大門西橋梁は複線分を一建立で作ってあるし、もともとM25時点ではここに煉瓦暗渠はなかったから、複線化の時に新造したとすれば瀬田川のも複線化の井筒から出てきたものということになってすべての辻褄が合うのである。複線化の時にこの付近を大掛かりに改造したことになる。乙大門西も宮東も喜内前もそうなんだ。揖斐川の東岸もそう(上江崎を除いて)。

というわけで、2023年5月1日午後4時頃甲大門西暗渠で変な人にまくしたてられた方、嘘を言ってしまった。ごめん。

RDFを張るのが下手になっている。というか喋ること自体がかも知れぬ。だから電凸をしたくなかったのだ。とにかくいろいろ下手になっている。その証拠にこの狭さだから車なんかくるめえと思って暗渠内で荷物展開して採刻していたらクラクションを鳴らされてたまげた。地元おっちゃんが軽トラックで突っ込んできたのだ。サイドミラー擦らないと抜けられないほどギリギリなのに。車にRDFが通用するとは思っていないが実際そうなってしまうとやはりなんだかなあである。ていうかやめてほしい。。。

コンビニに寄った帰りの電車出発まであと20分という時には乙大門西暗渠でも同じのを見つけ、10分以内で採刻し得た。こんなことばっかり上手くなったってなあ。

高価なものをぶっ壊して悄気げたりもしたが、北浜田暗渠がオリジナルでないらしいこととか五六川橋梁の井筒が露出しているとか市古工場の位置を絞り込めたこととかいった「情報」と「記憶」は何にも代え難い、決して失われることのない収穫なのだと思うことにして慰めている。まあそれだってnagajis惚けたら木阿弥三太郎なんだけどな。そうなる前に書き留めておかなければならない。揖斐川橋梁前後の新築暗渠が並形系列でただ一つ上江崎の北口だけ違うとか。あいつホントは堅積みなんだぜ。

画像の説明

あと甲大門西暗渠には鳥の足型のついた煉瓦が混じっている。


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