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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-05-01 この日を編集

[陸幼日記]五月一日 木曜日 晴

今日の朝食は六時四十分なりき。七時二十五分に雄建神社前にて興亜奉公日の行事あり。勅諭勅語奉読あり。それより授業あり。二時限目の図画は国語に変更となる。昼食は粥なりき。大へんうまかりき。食後、取締の勤務の交代に行く。五時限目は町田生徒監の訓話あり。七時限目は剣術ありて「面の漸激〔傍線、「?」〕」を行う。随意運動は脚〔足〕に豆が出来ていた〔居りし〕為、行わざりき。夕食後は酒保へ行き、菓子・果物を食う。吾ながら金の用〔使〕方のひどき事に驚く。酒保は今後しばらく行かぬ〔ざる〕つもりなり。初めての取締でありたる〔なりし〕が、初の中は如何にかありたるが、夜頃には何ともなき如くなる。 〔欄外朱書:正しき文語体を用いよ〕


1942-05-01 この日を編集

[陸幼日記]五月一日 金曜日 晴

二時限より四十分授業にて十一時三十分終了。直ちに大講堂に集合し武藤閣下(陸軍中将・熊幼十期生)の訓示を聴く。其の要旨、(一)体力を集れ。勉強は出来ても体悪ければ軍人に非ず。武力戦なり。(二)精神を正しく持て。又点取虫になるな。(三)恬決なれ。抑〃熊幼の者は武運に強けれども頭は悪しと。斯くあらざるべからず。」なり。
午後は予定を変更して五時限自習、六時限体操なりき。臂立上りを習う。運動班運動にては、二・三年にて球戦をなす。以後、五月五日の体育会にそなえて、予は十二階段を練習す。門永さん・下山さんと共に。体育。二千米→精神力。共に近き将来に於て功を奏さん。


1943-05-01 この日を編集

[陸幼日記]五月一日 土 晴

五月は男の月なり。校庭には天に向える鯉幟あり。勇ましきかな。雄々しく立てる鯉幟。一日に当り此の月こそ頑張らざるべからざるを感ずるなり。夏物の被服検査あり。其の後は正に嵐の後の如し。誕生日会。我も、客分となりて祝いて貰いたり。此の会が嬉しきは馳走ある故なり。校長殿も同感の所なり。訓話は慈愛なり。剣術は軍刀の操法にて居合刀を用う。今日は楽しき然して有意義なる五月の初の日なりき。今日は相当に成果ありたり。良好なり。


2008-05-01 ちと変更 この日を編集

[ORJ] OFF

ばたばたしている。今日夜出発を諦めて明日早朝出発にする。阪急+山陽で姫路まで、そこから播磨新宮へ、8時ちょい過ぎ着。この日の行動は、実質的には影響ないはず。


2013-05-01 この日を編集

[煉瓦刻印] 中村窯業所耐火煉瓦(→中村窯業株式会社→中村窯工株式会社→テクノ窯業)

中村窯業所耐火煉瓦刻印

尼崎市潮江2丁目の住宅花壇。「NKR 耐火煉瓦」で検索するとテクノ窯業の沿革がヒット。岡山県の会社という。昭和8年設立時から略称NKRを使用し、昭和52年に中村窯工株式会社になってからは「NYK」を使ったとか。その間に作られたものと思われる。

[煉瓦刻印] 三石耐火煉瓦(高級)?

三石高級耐火煉瓦刻印

三重丸の刻印が顔を覗かせる。旧大阪府庁跡でも同じような耐火煉瓦が見つかっている。それにはマジックで「三石高級」「耐火度試験」と書かれていたそうだ。

[煉瓦刻印] 岸和田煉瓦

岸和田煉瓦刻印

見本のような太ましい×印。上がり框に立てて使われているところへ強烈な日差しが当たっていたお蔭で陰影がくっきり出た。

旧大阪府庁では「岸×泉」の配置で「商×標」というのが出土したのだそうだ。キシレンが×印を商標登録したのは明治36年5月8日。

[煉瓦刻印] 硬化煉瓦?@尼崎市

画像の説明

画像の説明厳密には刻印ではないが。大阪窯業の舗装煉瓦に似た質感の、いかにも硬そうな煉瓦。小口にピアノ線で切った円弧傷がついている。これが硬化煉瓦というやつか。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ JR三石駅長 [三重丸の刻印煉瓦は岡山県の三石高級耐火工業㈱(㈱三石ハイセラム)製の耐火煉瓦と思います。]


2016-05-01 この日を編集

[ph.] 猫

画像の説明

なぜ猫はそんな不審そうな目ができるのか。

[企画]

しまった、今日が抽選日であった。まあいいや。

[独言]

画像の説明50th祝賀会の葉書がいまごろ出てきた。期限過ぎてるけど出したれ。

[橋梁] 今日の阿振川橋問題

思いもしないところから本丸への直通パスが通った!!! とうとう魔法を使うようになったかnagajis。爾後魔法少女nagajisと呼ぶことを許可するぞ(誰に向かって言っているのか)。


2018-05-01 この日を編集

[独言][煉瓦] 元の木阿弥に戻った

中川煉瓦で平の筋の成因を教わった!やった!とかなんとかほざいてしまったが、後日電話で再確認した結果、私が早とちりしていただけであったことが判明した。なんということだ……。お互いなまじっか知っているだけにちょっとした言葉尻にも反応して論理回路をショートさせやすくなっているのがよろしくないのかもしれぬ。もしあの通りであるのなら由良要塞の笠石の濡れ縁はすべて長手積みになっていなければならないが、微塵もそんなことはなかったのだった。

もうちょっともちつけ。而して懲りずに続けるつもりでいる。次に聞くならあそこしかあるめえ。


2019-05-01 この日を編集

[独言] どくげん

私にとって平成は「現実」だった。夢も希望もない、望みのとおりにはならない、抗えない「現実」。昭和にはもう少し何かあった気がする。

令和にはもう少し夢を見たい。 一日経ったからって新しい時代が始まるとは思えないけど、希望くらいは持ちたい。が、その前にこの語を単語登録するところから始めないといけないようだ。

[独言] 夢は、あったよ。

画像の説明

[煉瓦][独言] GW3休目

M30の古新聞読み2回目として府立中央へ。前回拾い切れなかった3月末を見た段階で大和煉瓦の操業開始広告に遭遇し「山ト」の社章を得た。工場跡で採取済みだし分布もそのように言っている刻印だから今更感はぬぐえないが、駄菓子可視文献による裏付けがあるのとないのとでは雲泥の差であるだろう。これで探索をCLOSEDできるというのも心安くていい。淡路のあの工場のことは棚に上げてそう思う。

予想通り津守の認可告示が見つかったが社章はなかった。もう少し後かも知れぬ。かわりに中河内煉瓦の社章を得た。工場が稼働していたかどうか(刻印に使ったかどうか)はわからないが・・・。なにしろM30は前年6月からこの6月まで20幾つも煉瓦会社が出来上がったという年。継続して操業したのはそのうちの半分もない。

この、明治30年のパンデミックは、ずっと日清戦争の影響かと思っていたけれども、大阪毎日の記事は大阪築港との関連を指摘している。どうやらそれが正しいようだ。

その後東大阪の旧村を歩いてみることにする。東大阪は明治年間を通して広大な耕作地帯だった。そのなかに砂漠におけるオアシス、あるいは宇宙のなかの銀河星団のごとくにぽつりぽつりと村落があった。その村落を繋いで歩いてみることにしたのだ。そうして確かにそんな旧村落のエリアには古煉瓦がある。

画像の説明

菱江ではこんなのを見た。見慣れた日本煉瓦の花形刻印……と思いきや花形が線描になっている。通常は花形全体が陰刻で、その底にさらに英数字やら漢数字やらが陰刻されている。そうでないパターンは初めて見た。

画像の説明

同所の岸煉刻印も地味に興味深い。手成形煉瓦裏面の筋の部分にでかい×印が押されている。筋がついた上から押してある、つまりは作業の前後関係が読み取れる刻印である。

岩田町は思いのほか古く広かった。最近は三津浜煉瓦と認識しつつある大型の三本線刻印。小口幅が10cmを下回る小さめの煉瓦だった。

そこからさらに西の方へ歩いて行ったら、いつのまにか司馬さんちの辺りに到達して、そこで岸×泉に出会うことができた。旧版地形図の頃からある集落ということだけを目印にして歩いて行ったら偶然に遭遇したのだった。

下小阪では”○ウ”も検出。大阪城本丸、桜ノ宮駅に続いて三例目、ということでカテゴリーを新設しておくことにする。


2022-05-01 この日を編集

[煉瓦] 粉末の不思議

グラインダーで削った煉瓦の粉は赤い。煉瓦色の粉になる。しかし#2000くらいの目の細かい紙やすりで磨いた時の粉は白い。なんでだろう。

x60~x120の携帯顕微鏡で観察すると、グラインダーの粉はたしかに粗い。ものさしの線の太さよりも小さい粒子。その粒子が赤かったり、白い粒子の周辺に赤いのが付着している。それと同等ぐらいの量の白い粒子や透明な粒子がある。後者は長石とか石英とかの粒なんだろうと思う。 #2000のほうは拡大しても粉末にしか見えない。長石石英まで粉状になった結果白くなったのだろうかと思ったりもしたが、じゃあグラインダ粉に見えている赤い成分はどこへ行ってしまったのだろう。

粘土の組成はケイ素と酸素からなる四面体シートとアルミ酸素からなる八面体シートでできていると聞いた。して八面体シートのアルミの一部が三価の鉄と置き換わっていることがあったり、シートの間に挟まる希土類元素イオンの種類だとか挟まれる水分子の量だとかシートの向きとかでいろんな粘土になる。雲母と緑泥岩とカオリン粘土が同種の構造だというのはちょっと理解しがたい。

赤いのは三価の鉄イオン(Fe2O3)によるものと聞いているけれど、そうすると八面体シートになっていることだということだと思うのだが、細かくすりつぶしたところで鉄イオンがシートから分離するほど小さくなるとは思えない。そもそも微細な粉末にしたら光が均等に散乱して白くなってしまうような気もする。まことによくわからない。

[煉瓦][] 第日本窯業協会雑誌 No.370 近藤清治「普通煉瓦の組織」(T12.6.)

T12.6. 「大阪の原料は堺市付近に産する〔火偏に石〕器粘土或は之に近き壌土及び海砂」(p.283) 煉瓦片の鏡検中著量のラディオラリア硅石(Radiolaria quartzite)を発見、追加で以下原料を取り寄せ (一)大阪府泉北郡葛の葉産粘土 酸化鉄にて汚染せられたる粘土、石英、正長石等の他に微量乃至少量の斜長石、角閃石及び微斜長石を認む。角閃石の内には双晶を為せるものあり (二)同郡深井村産粘土 赤色の粘土、石英、正長石等の他、微量乃至少量の黒雲霧、ラディオラリア硅石、斜長石、微斜長石、ジルコン等を含有。なお角閃石らしきものをも認めたり。 (三)同府堺市付近産海砂 花崗岩の分解に因基せる砂にして石英及び正長石の他、少量の斜長石及び角閃石を含む完全に一致するものはなかった 大阪煉瓦 (一)薄片の外観 東京煉瓦に比して鉱物の粒子粗大なり。亀裂及び気孔の状態は東京煉瓦に同じ。 (二)鉱物の種類 薄片は暗褐黄色の不純粘土中に極めて多量の石英、少量乃至極めて多量の玻璃、著量の正長石及びラディオラリア硅石、少量の斜長石並に微量の微斜長石、斜方輝石、角閃石及び黒雲母を包含し、並焼三、二等以外の煉瓦には著量の硅線石を認む。此の内粘土、玻璃及び硅線石以外の鉱物は、何れも鉱物の風化に依りて生じたる酸化鉄が其亀裂に侵入して汚埃せらる。 石英 石英の粒子にはヂルコン其他の包裏物を含有するものあり。少数の粒子はモゼーイック・ストラクチュアを示す。亀裂は焼度と共に増し、焼過品に於ては殆ど悉く微粒化せり。既に並焼一等に於て周辺の微かに熔融せるものあり。焼過三等に至りては大半熔解して唯だ小さき核心を残せるものあり。 正長石 少数の粒子はモゼーイック・ストラクチュアを示す。亀裂は焼度と共に増し、焼過三等の如きは悉く微粒化せり。周辺の熔融も焼度に比例し、焼過三等の薄片中には大半熔融せるものと認む。 微斜長石 罅裂は焼度と共に進み、多少微粒化せるものあり、周辺の熔融も焼度に比例し、焼過三等に至りては其輪郭明瞭ならず。 斜長石 幅広き集片双晶を成すもの多く、其周辺は酸化鉄と化合して凸凹を生じ且暗褐色を呈せり。亀裂は焼度と共に進み、微粒化せるものあり。熔融の程度も同様にして焼過二、三等の薄片中に之を認めざるは恐らく悉く熔解したるが爲ならん。 斜方輝石 幅広き淡褐色の小片にして多色性強く包裹物なし。 角閃石 淡黄色の小片にして多色性強し、 並燒三等を除きては何れも周辺熔融し、 燒過三等に至りては周辺の熔解著しく、 酸化鉄の侵蝕によりて暗褐色を呈せり。 黒雲母 黄綠色の小片にして其周辺は酸化鉄によりて汚さる。 ラディオラリア硅岩 此硅岩中にはモゼーイック・ストラクチュアを有するものあり。 玻璃 燒度低き煉瓦の玻璃は淡褐色にして透明度低く亀裂及び気泡多し。 燒度の進むに従いて其量を増し、別に石英粒の周囲に亀裂多き無色透明の玻璃を生ず。燒度の最も高きものは此種の玻璃多く、薄片中の間隙らしきものは悉く之を以て埋没せらる。また石英が大方熔融して無色透明の玻璃に化せるものあり。此他亀裂多くして真珠光沢を有する無色透明の玻璃を生ぜり。 硅線石 以上は一二〇-一四〇倍に拡大して鏡検したる結果なるが、著者は長石の熔融せる薄片には或は硬質磁器中に存する硅線石(Sillimanite)か生ぜるならんと思い、四〇〇又は七七五倍に拡大して検したるに果して明瞭に之を認むるを得たり。即ち大阪煉瓦の並燒一等以上には多量の硅線石あり。東京煉瓦の撰燒造及び縮燒過に於ては、長石及び斜方輝石の周囲に赤褐色の針晶を認めたるも如何なる鉱物なるかを確むるを得ざりき。硅線石は主として長石の内周に密集せるものと、長石粒が全く其集合体に変化せるものと、長石の熔融によりて生じたるが如く思はるる微黄透明の玻璃中に比較的疎らに発生せるものとに区別する事を得。長石の内周に密集せる硅線石は輪廓に略ぼ垂直に互に並行して発育せるもの少からず。 硅線石の大さは焼過三等の薄片に於ても長さ〇・〇五粍、幅〇・〇〇一五粍を超えず。従って其性質を確むる事困難なり。然れども此結晶は光学上正にして主軸に対して略直消光をなし、且つ其発生の状態は磁器中に於けるものと全く同一なるを以て、之を硅線石と推定して差支なかるべし。


2023-05-01 この日を編集

[きたく] 甲大門西暗渠にて

長手に刻印らしい窪みを見つけて採刻しようと考えていたら通りがかりの人に話しかけられるという、昨日の北浜田暗渠@武豊線と同じシチュエーション。「煉瓦の刻印を見つけたのでどこのだろうと考えてたんです」とRDFを展開しつつ「ほら、これが」と照らした先に、さっきのとは違う、より鮮明な刻印があった。えっ。

画像の説明

うぇいおうなんでここにこれがあんねんと混乱してしまったのが運の尽きだ。話の相手をしつつ市古工場の識別印がある理由と年代の整合性を考えつつ市古工場が碧海郡いまの碧南市にあった工場で東は天竜川の辺りから西は草津駅まで使われてることを語る裏で何かを決定的に勘違していると思いつつ話し続けなければならなかった。その方が立ち去ってから違和感の根源がわかった。こいつ市古の識別印じゃねえ。「○+カナ」じゃなくて「○+かな/カナ」だ。瀬田川橋梁下で採取済みのあいつだ。湖東線で突き止められずにいるままのあれだ。甲大門西橋梁は複線分を一建立で作ってあるし、もともとM25時点ではここに煉瓦暗渠はなかったから、複線化の時に新造したとすれば瀬田川のも複線化の井筒から出てきたものということになってすべての辻褄が合うのである。複線化の時にこの付近を大掛かりに改造したことになる。乙大門西も宮東も喜内前もそうなんだ。揖斐川の東岸もそう(上江崎を除いて)。

というわけで、2023年5月1日午後4時頃甲大門西暗渠で変な人にまくしたてられた方、嘘を言ってしまった。ごめん。

RDFを張るのが下手になっている。というか喋ること自体がかも知れぬ。だから電凸をしたくなかったのだ。とにかくいろいろ下手になっている。その証拠にこの狭さだから車なんかくるめえと思って暗渠内で荷物展開して採刻していたらクラクションを鳴らされてたまげた。地元おっちゃんが軽トラックで突っ込んできたのだ。サイドミラー擦らないと抜けられないほどギリギリなのに。車にRDFが通用するとは思っていないが実際そうなってしまうとやはりなんだかなあである。ていうかやめてほしい。。。

コンビニに寄った帰りの電車出発まであと20分という時には乙大門西暗渠でも同じのを見つけ、10分以内で採刻し得た。こんなことばっかり上手くなったってなあ。

高価なものをぶっ壊して悄気げたりもしたが、北浜田暗渠がオリジナルでないらしいこととか五六川橋梁の井筒が露出しているとか市古工場の位置を絞り込めたこととかいった「情報」と「記憶」は何にも代え難い、決して失われることのない収穫なのだと思うことにして慰めている。まあそれだってnagajis惚けたら木阿弥三太郎なんだけどな。そうなる前に書き留めておかなければならない。揖斐川橋梁前後の新築暗渠が並形系列でただ一つ上江崎の北口だけ違うとか。あいつホントは堅積みなんだぜ。

画像の説明

あと甲大門西暗渠には鳥の足型のついた煉瓦が混じっている。


2024-05-01 この日を編集

[NDL]1907(M40)

官報 1907年05月09日

>登記:近江煉化合資会社 N40.4.19 清算結了 5.2登記

官報 1907年06月18日 https://dl.ndl.go.jp/pid/2950535/1/15

登記:花又煉化製造合資会社 設立

官報 1907年07月08日 https://dl.ndl.go.jp/pid/2950552/1/9

登記:花又煉化 目的 清涼なる粘土及其他の原料を購求し之れを煉化に製造して販売するを以て目的とす と変更 M40.6.22

官報 1907年08月26日 https://dl.ndl.go.jp/pid/2950594/1/15

登記:名古屋煉化合資会社 設立 M40.8.1

官報 1907年12月02日 https://dl.ndl.go.jp/pid/2950676/1/14

登記;東豊煉化石製造合名会社 北豊島郡 設立 M40.11.25

[NDL]1911(M44)

官報 1911年12月28日 https://dl.ndl.go.jp/pid/2951915/1/35

登記:合資会社四日市煉化製造所 

目的 煉化を製造し之を販売するを以て目的とし 且瓦及土管の製造販売を為し所有地に借家を作り賃貸を為すを以て兼業とす 設立:M44.12.20


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