nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
五・三〇臨時外出にて入江・川野・手塚・品田・志水と共に武蔵塚へ行き、田舎の田舎を歩きて気を一新したり。十一時十五分帰校し町田生徒監殿宅へ遊びに行く。戦争ごっこに興味を持つ。裕典の愛嬌は一層御宅訪問を愉快ならしめたり。十九時半軍歌演習あり。春の日山野を抜渉し或は午後を団欒に用い休暇を充分に活用し得たり。元気溌剌有終の美を飾らん。良好なり。
勝手に謹慎,勝手に終了.ORJはいつも通りに出す予定.
次号発行したらどこかに出かけたい.いい加減長殿のモヤモヤを片付けたい.
久しぶりに文庫本で発見した全集に所収.民俗学の視点から日本という国の来し方を見つめてきた翁が,その延長線上にある明治大正の激動期を記述した一編.着想点の面白さとそれが結論につながっていくまでの無駄のなさ(=説得力)に引き込まれるようにして読んでいる.全部読んでしまうのが勿体無く思えるくらい.翁の真骨頂の一つと思われる.こういういい文章を読んでいると何か書くのが恥ずかしくなってしまうからいけない.
この中に以前書いた直線の話が出ていた.あれ,あれは柳田先生の教えだったか.
いわゆる、鉄の文化の宏大なる業績を、ただ無差別に殺風景と評し去ることは、多数民衆の感覚を無視した話である。たとえば鉄道のごとき平板でまた低調な、あらゆる地物を突き退けてすすもうとしているものでも、遠くこれを望んで特殊の壮快が味わい得るのみならず、土地の人たちの無邪気なる者も、ともどもにこの平和の攪乱者、煤と騒音の放散者に対して、感嘆の声を惜しまなかったのである。これが再び見慣れてしまうと、またどういう気持に変わるかは期しがたいが、とにかくにこの島国では処々の大川を除くのほか、こういう見霞むような一線の光をもって、果てもなく人の想像を導いて行くものはなかったのである。木曽の水力電気はこの谷の年久しき伝統を破ってあるいは山霊を泣かしめているかも知れぬが、これが平野の経済活動の、また一つの水源になっているという意識は、どれだけ奥在所の人々に心強い印象を与えたか知れぬのである。今まで何一つこの類の変化を受けなかった土地と比べて、どちらがより多く満足しているかということは、改めて聞いてみる必要もないくらいである。
人々がどのように暮らしてきたかを明らめるため,幾重にも重なった縷々転変を解きほぐし,埋もれたあれこれを掘り返さんとする学問,民俗学.それを興した張本人である割に,柳田国男は「変化」に寛容だった.新しいものを歓迎した.それによって人々の暮らしが良くなったことを何よりも尊んだからだ.この編のほかのところでも,風景は人の手で美しくできることを説き,その例として街の灯によって夜景が美しくなったことを挙げている.天然に対して人が為し得た唯一の恩返しだとさえ書いている.ただの懐古主義者では決してなかったのだ.
人は自分の信じる所に従って自分の主義を通すために主張するのであって,自我を認めてもらうために主張するのではない.そのへんがきちんと切り分けられていないから主張を受けれられないこと即ち人格総否定みたいに受け止めがち(受け止められがち).日本人がディベート下手だとかいうのはそんな勘違いに根ざしたものである.みたいなことをどっかで読んだ気がする.自分が理解出来ないもの・嫌なものをただ排除していては糸の切れた風船と同様だ.自由を得て高く遠く飛んで行くことはできるだろうが,それで何になるだろう.行方知れずになって終わりだ.
ちゃっくふるおーぷんでローソンに行ってしまったnagajisは痴呆である(主張)
検索できても該当日記を開けないという不具合を修正.だからデータフォルダ変えたって言ってんだろ>ngajis.
ネットに繋がっていない状態でも変換ができるようになり、キーボードショートカットも使えるようになった。しばらくこれで行くことにする。日本語キーボートforTabletだと地名や漢数字がたっぷり入るテキストを入力しなければならなくなった時のフラストレーションが半端ないからなあ(この間の告示みたいな)。
「すいどう」で隧道が変換できる有難さ伝山頭火と思ったら前から単語登録してたのな。しかし変換の仕方はATOKとほとんど同じなのでATOK買ったほうが素直だし素直だろう。G日は時々変換がおかしくなる。頭だけ勝手に確定したり。ブラウザでなんかシテイル時は特に。
頑張ってみたが前号より1記事少ないな。物欲はHS30で原稿を書いてたんだけど写真を撮る暇がなかった。昨日今日と雨だし。月報を半月分にしたこともあり全体的に分量少なめだ。2月は28日までしかなかったのだから、それを考えれば妥当なラインなのかも。
最近のTRDBはこねくり回してどこまで圧縮できるかで遊んでいる。近頃出来たてふzip代替アルゴリズムみたい。旧橋は気が楽だしネタもまだいくつかあることを思い出したので安泰だ。しかしもうちょっとテイストの違うのを作らないと気分転換にならない。そろそろなんか考えないと。廃道探索ネタ入れないと。
ヒョウタンツギ氏にも指摘されいい加減何とかしたほうがいいのかなあと思い初めて見に行ったが確かに酷い。書いてもない本の筆者になっているのは自分はともかく出版社に失礼だろう。
決めた。禁を破って自分で自分のページを編集することにする。そのうち修正する。ようは検証可能でありさえすればいいんだろ。二次ソースがありゃいいんだろ。自分だけしか確認が取りようのない情報を自分が書いておっぺらぽーんと発行したORJでもこの世に存在してて 今でも入手可能な限りはそこに書かれてるかどうかの検証くらいには使えるだろ。あることないこと書き加えてぐっちゃぐちゃにして役に立たなくしてやる。
・築堤状の道路。幅10m。
・そのうち6mをコンクリート舗装。2車線幅。
・道路が伸びる方向には10mおきに、道路を横断する方向には車線と車線の間に目地を設ける。
以下数行書いてたのに反映されてねえ。結論は「nagajisはチキン」。
沈んだら自分で持ち上げるしかないよなあ。それが意味あるかどうか考えたらだめだ。
土木遺産、近代化遺産、世界遺産、機械遺産、化学遺産、鉄道記念物、情報処理遺産、理容遺産、街角遺産そのたいろいろな遺産があるのに敢えて道路遺産というものを考えてみようと考えている。飛び飛びバラバラに骨子を検討する。要するにメモである。「ぼくのかんがえたさいきょうのどうろいさん」みたいな。
認定された物件で過去にORJで紹介されたものは無料公開するようにしてもいいな。それがその物件の背景解説(詳説)の原典になればよい。ふむ。最初はその候補としてORJで取り上げた物件一覧を作っては如何。
Oh一つ重要なことを書いてない。誰でも自由に好きなものを推薦できるようにしないと(それが採択されるかどうかは脇において)。どの「遺産」も会員とか関係者とかからしか推薦受け付けてないからな。あがってきた物件を判定する段階には識者判断要るだろうが、ネタを持ち出すところには必要ない。自分達よりも地元の人のほうがモノを知ってるわけで。
こういう並べ方に遭遇するのは。こうなった経緯を想像してみたが、各説を後でなぞると「何でそうなるんだnagajis」と思わずにおれない。
1.最初に縦に
下捨ゴ
さてミ
いなを
い
で
と書いたあと「入居者以外」を追加した、とする説。よう考えたらゴミ捨て場に「ゴミ捨てるな」って書くわけないよな。
2.最初から
入居者以外
ゴミを
捨てないで
下さい
と書こうとしたが3行目が一文字足りなくなることに気づき縦三行にしたとする説。んなわけないだろ、「捨てないで」は5文字だ。
3.2.の発展説。5マスあることは確認していたが、よく見ると5マス目が付け柱的ブロック壁にわずかに侵食されているため右利きの筆者は書くことができないことを「入居者以外」まで書いたところで気づいた、というもの。それはいくら何でも穿ち過ぎだろう。筆者が右利きとは限らないし。
あれこれ考えてみたが、結局whyは突き止められず。そのうち凸ブロックを落とすべきところに横棒を落として蓋してしまったようにも見えてきて絶望を感じたことだった。
一日置くと味が落ちるなあ。やっぱり揚げたて作りたててないとだめだ。
短くしようと思えばできる記事。水増しと取られて泣けばいいよ>nagajis。しかしまあこれでまたnagajisの悪行リストに一つ二つ追加されることになるんだろうな。通報したければ編集部住所でもwhoisでも調べるといい。
とか書いておきながら今度はサンポールとタワシを持っていくつもりでいる。
自分から開示していかないと人間関係なんて構築できない。受け身だから進まない。それに気づいてくれるかどうか。それは自分を大きく見せるためだったり優位に立つためにやるんじゃないのよ。開示していくことで相手も変わってくれるんよ。相手がどう思おうと構わないのよ。2度3度でめげるからいかんのよ。ということを集中訓練で学んだ。うっとうしがられてもいいから仕掛けていかないといかんなぁ。
MさんもYくんも元気にしているだろうか。会いに行こうと思えば行けるのだろうけれども、終わったことだから懐かしく良い思い出として思い出せるのだろうとも思う。頑張っていること信じ、遠くで思うほうがよいように思っている。
問い合わせで判明した書籍、どう検索しても見つからぬ。電話を通じていただいた情報はそれはそれで充分に充分なのだが、それ以外に書かれていることが非常に重要なもののような気がしてきた。今後道を追いかけていくにあたっては、特に。
考えてみれば今回は閏月を挟んでたのだな。その割にはよく頑張ったと思う。この調子で次号も頑張ろう(と終わる前から次のことを考えておくと結構進むことを学んだ昨今)。
次号は蓮根峠の下。他の峠は補遺でいいかなと思った。少し間が開くだろうし。モノは特に出てこないので工夫が要る。なくてもよいかも知れない。その時は廃毒でどちらかをやる。煉瓦は再来月(再々来月?)だとちょうど一年でいいのかも知れないが密度足りんと思う。サブは七三峠を片付けておきたい。ホントは今月がちょうどよかったのだが資料を読み込む暇がなかった。もう4年も前?の資料だもの、すっかり忘れている。
そろそろ定点観測を始めてもよい気がした。H氏と2つ行っている。もう一回行くし。これはサブサブくらいの扱いでよい。
3月か4月には一度西熊野街道へ行っておきたいな。可能だろうか。行かなくてもあと2回書けると思うが。5月は水無谷か大塔行きたいです>masaさん。
今だに結果がどうなったのか知らないが、いざとなったらあれでもいいのだなあ。そう考えると結構安泰だなあ。問題は自分が当時のことを覚えているかどうかだ。
今回のスケッチで津越野周辺の写真を出し尽くしたつもりになってたが、ひとつ忘れ物があった。川津の国道県道分岐点にあったこの標柱。「道路工手」とある。「工手」というと技術職のあの工手を思い出すけれども、戦前まで遡るような古いものじゃないことは確かなC製だ。
たったいまこの写真を見て思い出し、戦前の職制がいまのようになったのはいつのことだろう、と思って調べてみたら、そうじゃねえ、奈良県ではいまも道路工手という職が存在する。服務規程が現行であるなら職もそうだろう。
というわけで一件落着。奈良県は時折そういう古いのが残っててびっくりさせられる。件の道路愛護規定とか。
桃が流れてきたのを不審に思い、川を遡っていって、桃の花咲き乱れる素敵な世界を見つけたから
桃源郷
とはいう。
もしその発見が、今の時期のことだったら。梅の花が流れてきて、それで見つかった、というストーリーがあり得るだろう。透き通った青い淵に、せせらぎに、梅の花が一輪二輪、くるくると廻りつつ流れ来る。まだ薄ら寒い銛の木陰に幽かに薫ってくる梅の香。なかなか様になるシチュエーションじゃないだろうか。
という想像はよかったのだが、その結果できる熟語が
ばいげんきょう
だということに気づいて一気にワヤになった。なんだろうこの残念な響きは。嘘だと思ったら2、3度つぶやいてみるといい。ちっとも心地よい印象がしないから。
_ ゆり本調子っ! [じぇら?]
_ オッキライ [揺れました?]
_ nagajis [こちらは揺れてませんです]