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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2006-05-16 笹部トンネル見学会 この日を編集

無事終わりました

 予想以上の盛況で何より.根回し係頑張った甲斐ありました.詳細はおかも君に任せるとして,笹部トンネルがフランス積であった件について.

 画像の説明
家に戻って資料を繰ってみたのだけど,思っていたよりフランス積みのトンネル(鉄道トンネル)というのは少ない.橋や橋台には多いのだけど,トンネルに使われているのはたったこれだけだ.

松ノ峠トンネル(長崎本線大草駅〜本河内駅間・1898年)
長崎方の坑門のみフランス積み
旧伽羅土トンネル(旧塩江温泉鉄道伽羅土駅〜岩崎駅間・1929)
アーチの一部がフランス積み
旧芝山トンネル(関西本線河内堅上駅〜高井田駅間・1890)
出入口方の坑門ともフランス積み
亀山トンネル(嵯峨野観光鉄道トロッコ嵐山〜トロッコ保津峡駅間・1899)
京都方の坑門パラペットのみフランス積み
満水トンネル(上り線)(東海道本線l菊川駅〜掛川駅間・1889)
坑内側壁のみフランス積み
高御所トンネル(下り線)(東海道本線l掛川駅〜袋井駅間・1889)
坑内側壁のみフランス積み

 このうち坑門に使われているのは松ノ峠,旧芝山,亀山の3つ.出入口ともにフランス積みは旧芝山だけ.よって笹部は全国で2例目の両面?フランス積みトンネルということになる.

 フランス積みは一種の「化粧積み」であって,建築物の見栄えをよくするために用いられることが多かった.その反面,イギリス積みに比べて強度が劣るとされ,見栄えよりも頑丈さが求められるトンネルでは使われることが少なかったのだった.道路トンネルには多くの例があるけれども,それは人がすぐそばまで近づけるから.普通ならまじまじと見られることのない鉄道トンネルならなおさらだろう.それでもフランス積みを採用したところには,理由があるに違いない.

 笹部トンネルは大正12年,能勢電鉄が妙見口まで全通した時に作られたもの.全線中唯一のトンネルであった.延長はそれほどではないが地盤が軟弱だったため,工事はかなり難渋したようである.落磐によって殉職者も出ている.能勢電にとっては記念碑的な存在だったのだろう.

 ちなみに上記のデータは小野田氏の「鉄道と煉瓦」より.全国1500箇所の鉄道煉瓦構造物の調査(現役・廃止を問わず)によるものだから,ほぼ悉皆調査といっていい.それでも洩れていた笹部トンネル,面白いことになりそうだ.

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_ これは使える? [てすと。]


2007-05-16 [ORJ]!作業報告 この日を編集

 眼精疲労で目がしょぼしょぼ、頭クラクラの状態で作業した昨日。「もう寝るヨウワァァァァアァン」を書こうとしたところで寝落ちした。今日は何もせんで寝るぞ!と思ってそのための酒とつまみも用意したのだが、やっぱりやめ。少し進めることにする。


2008-05-16 25号雑感 この日を編集

[ORJ] うらばなし

最後の最後でドタバタとした加除があった。アンケートの項目がひとつ抜けているのはそのせいだ。ここまであたふたし、短時間のうちに決定を下さなければならなかったのは久しぶり。最後にえいやっと投げて公開した。好評であればあったで安心なのだが、一方で「そういう位置付けなのか・・・」という寂しさが募ることだろう。そういうのには慣れているつもりでも後からボディーブローのように効いてくるに違いない。

だがな! ここにおれは宣言する。G.W.OFFのすさまじい3日間は、まだ1/10も伝え切れていない。音水林鉄網報告第1回は前座も前座に過ぎんのだよ。その後に続く、第2、第3、そして戸倉と、沢川の。

自分は「煽り」をするのが苦手で、それは煽ってしまったことへの罪悪感だったり、煽り以上の何かを書けなかった場合を慮ってのことだったりするのだが、こうして書いてしまった以上、もう退路はない。そうやって自分を追い詰めてみるきっかけが本当は欲しかったのかも知れぬ。

諸般の事情で向こう4カ月間が忙しくなりそうな塩梅だ。この先生きのこるためには茸でも何でも栽培しないと駄目(突如意味不明)。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ ヨッキれん [きのこ大好き!]


2009-05-16 うー。 この日を編集

自ら首を絞めるのが得意なnagajis.困った人だ.

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ yokkiren [明日は和歌山ツアーだね。緊張してきたね。何故か俺まで緊張してる。がんばつてね。遠いところから応援しています。]

_ nagajis [心配してくれてありがとう。断じて行なえば何とかなるもんですよ(なりましたよ)]


2011-05-16 この日を編集

[ORJ] 発行した。

t/o

[独言] メモ

現在はあとで貪り喰うべくカレーを製作中である。机周りを整頓していたらメモが出てきた。CD#1を路上販売するのにも使ったやつで「どれでも1つ五〇〇えん」と書いてある。それが言いたいんではなくて、それが鐘ヶ坂の寸法計ったり金ヶ崎と春日野行ったりした時のもので、そこに煉瓦のサイズがメモってあった。忘れないうちにここへ転記しといた。こういう埋もれたメモが山のようにあるはずだ。2008年に東紀州へ行った時のは出てくるだろうか。

[独言] 攫われた

皿を洗っていたら割れた。切った。大したこと無いと思って放置してたら流血の惨事になっててビビッ。「た」が抜けた。

[独言] 典型

最寄りのコンビニはローソン一号店なのだが、そこで典型的なおばちゃんに遭遇した。何百何十何円の買い物を小銭を並べつつひいふうみよう数えて支払っていた。あと2円が足りなくて結局5円玉を出したり、レシート受け取ってから「あれこれ2やん、2やないほうの○○はないのん?」と言って手戻りさせたり。本人はそんなつもりはないだろうが好き放題である。

レジの人も手慣れたものだ。レジを打ながらおばちゃんの世間話に応えている。相槌打つ程度じゃないのがプロ。「そういう時は体を動かして云々」と体をくねらせつつ言っている。

後ろに並んでいた2人は隣に行ってしまったが、自分は面白かったので待ち続けてみた。別に急いでいるわけでもないのだし、イライラしたからといっておばちゃんの動きが2倍速になったりするわけでもないのだから、こういう時は状況を楽しむに限る。それよりも、手提げからあめちゃんを取り出して子供に与えるおばちゃんを見た時のようなニヤニヤを噛み殺すのに苦労した。

どだいコンビニは殺伐としすぎだ。機械がやってるんじゃないんだし、たまにはこういう人らしいやりとりがあっても宜しかろう。そんなことを考えていると、レジについていたもう一人の店員さんが見かねてこっちを処理してくれた。そのさりげなさも随分慣れているように感じた。そこで千円札で支払ってしまったのは失敗だったかも知れない。私もおばちゃんを真似てひいふうみいようしなければならなかったはずだ。

[ORJ] バックヤード整理

DLページ作成ツールを修正。アンケ自動製作の一ケ所が上手く動いていなかったのを直した。先にarray()しとかなかったから変数扱いになってarray_shiftして空になると。そりゃそうだわな。

CD-R購入ページの問題も修正。送料が正しくならないことがあって、どうせCD-Rは変動するのだからと放置していたが、切羽詰まったときに大変なのでということで直す。要するに$が抜けていた。ばーかばーか>jis

そして復旧支援号作成中。


2012-05-16 この日を編集

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808575/40

[][奈良近遺調] 橋梁史年表

多分跡形もないだろう木桁橋・土橋は省いた.端駆橋も省略.

三郷町の万年橋というのは出典が間違ってる.東京青梅市の万年橋の模様.

橋名: どだん阪橋 ルビ:開通年月日: 1938-6-15 橋長(m): 36 幅員(m): 3.5 形式: 木橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 五条市 河川名: 古口川 出典:

橋名: 旭川橋 ルビ:開通年月日: 1916-8-12 橋長(m):幅員(m):形式: 吊橋 下部工:特記事項: 竣工と同時に落橋 死者5名 重軽傷者40名余 場所: 奈良県 十津川村 河川名:出典:

橋名: 衣笠橋 ルビ: きぬがさ 開通年月日: 1932- 橋長(m): 22 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=11 n=2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 下市町 河川名: 丹生川 出典:  A

橋名: 猿飼橋 ルビ: さるかい 開通年月日: 1945- 橋長(m): 131 幅員(m): 2.5 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 十津川村 河川名: 十津川 出典:

橋名: 奥香落橋 ルビ: おくこおち 開通年月日: 1937- 橋長(m): 19.2 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=9.6 n=2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 曽爾町 河川名: 山粕川 出典:  A

橋名: 翁橋 ルビ: おきな 開通年月日: 1936- 橋長(m): 65 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=22.5 n=3 下部工:特記事項:場所: 奈良県 吉野町 河川名: 高見川 出典:  A

橋名: 橿原橋 ルビ:開通年月日: 1940- 橋長(m):幅員(m): 道路 形式:下部工:特記事項:場所: 奈良県 橿原市 河川名: 飛鳥川 出典:

橋名: 兜橋 ルビ: かぶと 開通年月日: 1935- 橋長(m): 17.4 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 n=2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 曽爾村 河川名: 横和川 出典:  A

橋名: 関渕橋 ルビ: せきぶち 開通年月日: 1932- 橋長(m): 24 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=12 n=2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 下市町 河川名: 丹生川 出典:  A

橋名: 岩井橋 ルビ: いわい 開通年月日: 1933- 橋長(m): 25.7 幅員(m): 9 形式: RC桁橋 l=8.9 n=3 下部工:特記事項:場所: 奈良県 奈良市 河川名: 岩井川 出典:  A

橋名: 新妹山橋 ルビ: しんいもやま 開通年月日: 1930- 橋長(m): 35 幅員(m): 道路 形式: プレートガーダー l=34.2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 吉野町 河川名: 龍門川 出典:  A

橋名: 蟻通橋 ルビ: ありどおし 開通年月日: 1930- 橋長(m): 37.1 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=13.3 n=3 下部工:特記事項:場所: 奈良県 東吉野村 河川名: 高見川 出典:  A

橋名: 宮山橋 ルビ:開通年月日: 1939-3 橋長(m): 45 幅員(m): 1.3 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 天川村 河川名: 天ノ川 出典:

橋名: 五月橋 ルビ: さつき 開通年月日: 1928-3 橋長(m): 95.4 幅員(m): 4.6 形式: 下路単純プラットトラス橋 両側に下路単純ワーレントラス橋 l=21.4+50.6+21.4 上部工 横河橋梁 下部工:特記事項:場所: 奈良県 山添村 河川名: 名張川 出典:  A

橋名: 御蔵橋 ルビ: みくら 開通年月日: 1929- 橋長(m): 93 幅員(m): 3 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 五条市 河川名: 吉野川 出典: 橋名: 広瀬橋 ルビ: ひろせ 開通年月日: 1923-4 橋長(m): 60.8 幅員(m): 2.5 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 天川村 河川名: 天ノ川 出典:

橋名: 黒滝橋 ルビ: くろたき 開通年月日: 1930- 橋長(m): 29 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=9.5 n=3 下部工:特記事項:場所: 奈良県 黒滝村 河川名: 脇川 出典:  A 橋名: 込之上橋 ルビ: こみのうえ 開通年月日: 1921- 橋長(m): 161 幅員(m): 2 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 十津川村 河川名: 十津川 出典:

橋名: 三吉野橋(美吉野橋) ルビ:開通年月日: 1936-7-1 橋長(m): 150 幅員(m): 4.5 形式: RCカンチレバー桁橋 l=29+3@30+29 下部工:特記事項:場所: 奈良県 吉野町 河川名: 吉野川 出典:  横道 英雄 「コンクリ-ト橋」 東京 昭和47年  内務省土木試験所 「本邦道路橋輯覧」 東京 昭和3,10,14年

橋名: 志戸川橋 ルビ: しとがわ 開通年月日: 1935- 橋長(m): 16 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 n=1 下部工:特記事項:場所: 奈良県 奈良市(都祁村) 河川名: 布目川支流 出典:  A

橋名: 寺前橋 ルビ: てらまえ 開通年月日: 1930- 橋長(m): 24 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=12 n=2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 黒滝村 河川名: 脇川 出典:  A 橋名: 室生路橋 ルビ:開通年月日: 1933- 橋長(m): 44.2 幅員(m): 4.5 形式: RC連続桁橋 l=2x2@11 下部工:特記事項:場所: 奈良県 宇陀市(三本松村) 河川名:出典:  内務省土木試験所 「本邦道路橋輯覧」 東京 昭和3,10,14年

橋名: 出合橋 ルビ: であい 開通年月日: 1930- 橋長(m): 19 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=9.5 n=2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 黒滝村 河川名: 脇川 出典:  A

橋名: 小瀬橋 ルビ: おぜ 開通年月日: 1926- 橋長(m): 24 幅員(m): 道路 形式: RCπ型ラーメン橋 l=8 n=3 下部工:特記事項:場所: 奈良県 生駒市 河川名: 龍田川 出典:  A

橋名: 小倉橋 ルビ: おぐら 開通年月日: 1936- 橋長(m): 59 幅員(m): 5.4 形式: 下路単純トラス橋 l=58 下部工:特記事項:場所: 奈良県 川上村 河川名: 吉野川 出典:  日本橋梁建設協会 「年代別鋼橋一覧」 東京 昭和60年  A

橋名: 松塚橋 ルビ: まつづか 開通年月日: 1931- 橋長(m): 27.6 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=10.4 n=3 下部工:特記事項:場所: 奈良県 大和高田市 河川名: 葛城川 出典:  A

橋名: 新佐野渡橋 ルビ: しんさのわたり 開通年月日: 1940- 橋長(m): 59.2 幅員(m): 5.5 形式: RCカンチレバー桁橋 l=22.7 n=3 下部工:特記事項:場所: 奈良県 桜井市(朝倉村) 河川名: 大和川 出典:  日本道路協会 「日本道路史」 東京 昭和52年  A,代表伊藤学 『歴史的近代橋梁に関する資料の集大成とそれに基づく近代橋梁技術の確立過程の分析』平成4,5年度科学研究費補助金(総合研究A)研究成果報告書平成6年3月

橋名: 新石橋 ルビ: しんいし 開通年月日: 1941- 橋長(m): 17.3 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=8.6 n=2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 奈良市 河川名: 佐保川 出典:  A

橋名: 西の谷橋 ルビ: にしのたに 開通年月日: 1929- 橋長(m): 18 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=17.6 下部工: 特記事項: 場所: 奈良県 天川村 河川名: 西之谷川 出典: 代表新谷洋二「近代土木遺産の全国調査なら

橋名: 西貝橋 ルビ: にしがい 開通年月日: 1932- 橋長(m): 24 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=12 n=2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 下市町 河川名: 丹生川 出典:  A

橋名: 西黒橋 ルビ: にしぐろ 開通年月日: 1932- 橋長(m): 24 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=12 n=2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 下市町 河川名: 丹生川 出典:  A

橋名: 仙人橋 ルビ: せんにん 開通年月日: 1937- 橋長(m): 25 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=12,7 n=2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 宇陀市(室生村) 河川名: 室生川 出典:  A

橋名: 太古良橋 ルビ: たこら 開通年月日: 1937- 橋長(m): 16.2 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=15,6 下部工:特記事項:場所: 奈良県 宇陀市(室生村) 河川名: 室生川 出典:  A

橋名: 泰原橋 ルビ: たいばら 開通年月日: 1937- 橋長(m): 24 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=15 n=3 下部工:特記事項:場所: 奈良県 御杖村 河川名: 菅野川 出典:  A

橋名: 大座本橋 ルビ: おざもと 開通年月日: 1937- 橋長(m):幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 下北山村 河川名: 西ノ川 出典:  A

橋名: 大野出合橋 ルビ:開通年月日: 1944- 橋長(m): 84 幅員(m): 1.5 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 十津川村 河川名:出典:

橋名: 丹生橋 ルビ: にゅう 開通年月日: 1933- 橋長(m): 22 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=13 n=2 下部工:特記事項:場所: 奈良県 下市町 河川名: 丹生川 出典:  A

橋名: 地蔵院川橋 ルビ:開通年月日: 1933- 橋長(m):幅員(m): 8,7 形式: RCT桁橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 原和村 河川名:出典: 橋名: 池穴橋 ルビ: いけあな 開通年月日: 1931- 橋長(m): 118 幅員(m): 1.8 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 十津川村 河川名: 十津川 出典:

橋名: 中井傍示橋 ルビ:開通年月日: 1940- 橋長(m): 39.1 幅員(m): 1.3 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 十津川村 河川名:出典:

橋名: 中越橋 ルビ:開通年月日: 1915-3 橋長(m): 34 幅員(m): 2.2 形式: 鉄線吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 天川村 河川名: 天ノ川 出典:

橋名: 天保橋 ルビ:開通年月日: 1937-3 橋長(m): 20 幅員(m): 1 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 天川村 河川名: 天ノ川 出典:

橋名: 湯の原橋 ルビ: ゆのはら 開通年月日: 1934- 橋長(m): 113 幅員(m): 1.5 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 十津川村 河川名: 十津川 出典:

橋名: 湯の平橋 ルビ: ゆのひら 開通年月日: 1942- 橋長(m): 82 幅員(m): 2.5 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 十津川村 河川名: 十津川 出典:

橋名: 栃尾橋 ルビ:開通年月日: 1924- 橋長(m): 31 幅員(m): 1.2 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 十津川村 河川名:出典:

橋名: 二津野大橋 ルビ: ふたつのおお 開通年月日: 1925- 橋長(m): 193 幅員(m): 1.8 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 十津川村 河川名: 十津川 出典:

橋名: 八尾大橋 ルビ: やおおお 開通年月日: 1933- 橋長(m): 41.8 幅員(m): 道路 形式: プレートガーダー l=14.5 n=4 下部工:特記事項:場所: 奈良県 田原本町 河川名: 寺川 出典:  A

橋名: 磐余橋 ルビ: いわれ 開通年月日: 1937- 橋長(m): 27.9 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=9.3 n=3 下部工:特記事項:場所: 奈良県 桜井市 河川名: 寺川 出典:  A,代表伊藤学 『歴史的近代橋梁に関する資料の集大成とそれに基づく近代橋梁技術の確立過程の分析』平成4,5年度科学研究費補助金(総合研究A)研究成果報告書平成6年3月

橋名: 磐余橋 ルビ: いわれ 開通年月日: 1937- 橋長(m):   幅員(m): 道路 形式: 単純活荷重合成プレートガーダー 下部工:特記事項:場所: 奈良県 大和高田市 河川名:   出典:

橋名: 飛鳥川橋 ルビ:開通年月日: 1939- 橋長(m): 11.9 幅員(m): 9 形式: RC桁橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 橿原市 河川名: 飛鳥川 出典:

橋名: 法蓮橋 ルビ: ほうれん 開通年月日: 1940- 橋長(m): 15.7 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=5.3 n=3 下部工:特記事項:場所: 奈良県 奈良市 河川名: 佐保川 出典:  A

橋名: 万年橋 ルビ:開通年月日: 1943- 橋長(m): 89.1 幅員(m):形式: RCアーチ橋 l=75.8 下部工:特記事項:場所: 奈良県 三郷町 河川名:出典:  紅林他「東京奥多摩町・青梅街道の昭和前期における橋梁の進展に関する研究」土木史研究論文集25号2006年99頁

橋名: 明治橋 ルビ:開通年月日: 1935- 橋長(m): 150.4 幅員(m): 5.5 形式: カンチレバープレートガーダー l=3@21.4 n=7 下部工:特記事項: これ迄は明治時代後半に架設の木造トラス.1986年架替え L=151.1 b=6.5+2@2 連続プレートガーダー l=46.5+56.5+46.5 場所: 奈良県 王寺町 河川名: 大和川 出典:  三浦 七郎 「鋼橋(上巻)(中巻)(下巻)」 東京 1934年1935年 昭和17年

橋名: 茂吉橋 ルビ:開通年月日: 1929- 橋長(m):幅員(m): 道路 形式: RC橋 下部工:特記事項: 明治初年吉村 茂吉が私財で架設 場所: 奈良県 田原本町 河川名: 用水路 出典:

橋名: 弥助橋 ルビ: やすけ 開通年月日: 1929- 橋長(m): 27 幅員(m): 道路 形式: RC桁橋 l=13.5 下部工:特記事項:場所: 奈良県 天川村 河川名: 九尾谷川 出典:  A

橋名: 和平橋 ルビ: わだいら 開通年月日: 1942- 橋長(m): 33 幅員(m): 1.5 形式: 吊橋 下部工:特記事項:場所: 奈良県 十津川村 河川名:出典:

橋名: 櫟原橋 ルビ:開通年月日: 1938- 橋長(m):幅員(m): 道路 形式:下部工:特記事項:場所: 奈良県 平群村 河川名:出典:

出典A:代表新谷洋二「近代土木遺産の全国調査ならびに歴史的構造物の体系化と評価」平成7年度科学研究補助金総合研究(A)研究成果報告書


2013-05-16 この日を編集

[][煉瓦] 工業門 大阪毎日新聞堺周報(明治34.11.10)抜粋

堺市煉瓦の盛衰

我国における煉瓦は目下各地到る処に於いて製造をなし居れども其原料は堺市及び其付近より算出のものに優るものなく故に我国に於いて製造したるも亦同市を以て嚆矢とす而して同市における製造の始は明治元年三月にして同市接続の舳松村丹治利右衛門氏なるが同氏は其当時大阪造幣局及び神阪間鉄道工事の注文を受けて製造したるものにて尓来製造に従事し次で明治四年に至り生野銀山の鉱業用として同市住吉橋通り二丁目に官業として煉瓦製造所を設け同所において盛んに煉瓦製造をなしたるも丹治氏は屈する色なく共に其製造に従事し居りしも当時は其需用者極めて少く私人の需用としては殆んど皆無の姿なりき斯くて官業たる煉瓦製造も其用を満したるを以て明治七年に至り同製造所を同市の原口忠太郎氏に払下げたるを以て尓来丹治原口二氏にも各別に製造をなし居たれども尚お需用者極めて少く僅かに官衙の建築用として供給する位に止まりしが明治十五六年頃より稍々私人の需用者あるに至り続いて十七八年に至り鉄道敷設工事及び紡績会社其他諸会社の勃興するものありて官私共に大に需用を増加したるを以て以来煉瓦製造者も次第に増加し二十一年には九ヶ所の製造所を見るに至れり而して各製造等は個人の業とするもの稀にして多くは会社若しくは組合組織を以て成れり而して製造の窯は最初は達磨窯と唱うるものを使用し来りしが其結果甚だ面白からざるを以て明治四年に至り土樋焼法に基きて窯の改良を加えたるに稍々好結果を得暫く之によって製造したるも其後更に改良を加えて上り窯及び丸窯を使用するに至り昨今においては一二会社を除くの外総て丸窯を使用するに至れり斯くて二十一年には煉瓦の盛況を極めたるを以て製造業者も増加したるが二十二年末より稍々衰微の傾きあり尓後次第に衰えて二十四年には尤も其極度に達し製造所も六ヶ所に減じ就業せるもの僅かに一二ヶ所にして外は休業するに至りしが二十五年末より稍々回復の兆ありて各製造所も次第に就業するに至り二十七年に至り日清戦争の起るや新に会社を組織するもの多く隨って煉瓦の需用者大いに増加して再び製造所は八ヶ所に増加し堺煉瓦の全盛を極めたるは正しく同年間にありしが今各年における生産高を挙ぐれば左の如し 年次 生産高 価格 二十四年以前 一五、〇〇〇、〇〇〇 八七一、〇〇〇円 二十五年 九、三八六、二六七 四五、八六四 二十六年 一〇、八二七、三六八 六五、三六三 二十七年 一五、九九二五、三二七 一三五、七八〇 二十八年 一四、九八三、四七一 八九、六七六 二十九年 一一、六五一、八六三 六二、三二七 三十年 三二、九五四、八二九 三七〇、八五二 三十一年 九六八二、〇〇〇 七八、二八〇 三十二年 四四七三、〇〇〇 三六、五一四 三十三年 二一、二七三、〇〇〇 一八一、五一八 以上の如くなるが昨今に至り稍々回復の傾向あるよし而して又目下における同地の煉瓦会社は旭煉瓦、山本煉瓦、堺煉瓦、日本窯業(注:大阪窯業の誤りか)、日本煉瓦、丹治煉瓦の六会社にして何れも就業し居れるが職工は男女共使用し一二の会社は囚人を使用せるものあれども其他は総て普通の職工を使用し居れり而して現今就業の諸会社中尤も新式の器機によりて製造をなし居るものは大阪窯業会社なるが窯は丸窯に稍々改良を加えて専売権を得煉瓦は蒸気器機にて製作するをもって職工の少き割合には製造高非常に多きよしなるが元来我国に於いて器機を以て煉瓦を製造するは去る二十二年初めて中仙道深谷において日本煉瓦会社が据附けたるが始めにて次は東京府下南葛飾郡の釜町煉瓦会社、千住の東京煉瓦会社と大阪窯業の四ヶ所にて外は何れも手抜煉瓦なるが大阪窯業会社の器機を据え附けて製作に従事したるは一昨年なりき而して今手抜き煉瓦と器械煉瓦との製造高を聞くに手抜は職工一人に付一日約四百個位に止まれるも器械製は一分間七十二個を製造するを得べしと又価格においては普通煉瓦に比し一割方高価なれど品質頗る優れるよしにて目下海軍省より五百万個の注文を受け製作しつつなりと云う (完結)

資料出典は堺史料類纉。 年 度による盛衰は大阪府誌にある通り(のはず)。生野銀山のために官製工場が作られたというのは初耳だ。堺の官営工場は造幣寮建設のためにじゃなかったか。それとも造幣寮の関連施設として生野が出てくるのか。 旭商社の名前は工場一覧等でみかけたが「山本煉瓦」ってどこだろう?「山」刻印の出所がここなのかも知れない。

機械式のほうが高く売れたという話は面白い。今の感覚からすると機械式のほうが労力を省けて安く上がるように思いがち。機械式のほうが質が良かったから割高でも売れたのだろうし、その質が買われて横浜水道局や鉄道局に納入したりもしたのだ(機械式がさほど普及していなかった頃、鉄道省は機械式煉瓦であることを入札条件にしていた。そのため遠方の鉄道工事に大阪窯業の煉瓦が採用されたり、大阪窯業を指名入札したりしたこともあった。『大阪窯業五十年史』)


2014-05-16 この日を編集

[独言] ていたらく

ゆうさんにはこの日にいただいていたのだが形にするのに時間がかかった。支承の高さ調べるだけでこんなに時間がかかるとは。いくら死に体だからっていっても限度があるぞ>nagajis


2016-05-16 この日を編集

[絵葉書] たぶん38式野砲っていうやつ

画像の説明

軍道を行き来したモノのイメージとして使うつもりだったのだけど、その機会を逸した。手前に砲車、次に砲弾なんかを積んだ車があって、それを馬6頭で曳いている。

こんな感じの一団が行動するため国道幅決定の時に軍が物言いをつけた。幅が狭いと転回できひんやろがボケェと。赤松山堡塁交通路の広い展開場もこれをイメージするとわかりやすい。写真のこれが通る予定ではなかったけれども想定されていた砲の規模なり構成なりはほとんど同じだ。

[独言] 12×10

headlineを書きつつふと気がついて旱害に頭垢ってしまった。糞も積み上げれば聳え立つ糞になる。10数年間やっていなければ手元には糞すら残っていなかったわけで、そんな空虚は想像するだに恐ろしい。その間の労苦を別の方面に振り向けていれば、というような思考は愚であり無意味である。他に何か出来たとも思えぬ。

ORJの号数はtop.pdfを作る段階にならないと正確な数字がわからない。あといくつ練ると120号みたいな指折りもほとんどしたことがない。しかし113号くらいからこのかたは随分長かった気がする。今回118号だよなと思っていたら117号だったりするようなことが何度もあって、先に作っていたpdfのプロパティを全書き直しするはめになったりとか(キーワードに号数と発行年月を記入するようにしている。多分誰にも、何の恩恵もない)。

ただひたすら書くだけで後ろを振り向くこともない。発行した号は発行した傍から忘れてしまう。だから過去記事に言及しなければならなくなった時に困る。「以前書いたあの記事はどこだっけ?」と探し回ることになる。index_number_yymm.pdfは自分のために作っているようなものだ。

そのindex_number_yymm.pdfもそろそろ作り足さないといけないな。Macで作ってたやつだからデータ移行からしなきゃいけない。あれだけMacで作り続けるという選択肢もないわけではないけど。どっちにしても面倒だ。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [昨夜より、MLも直メールも跳ね返されてます。 ORJ関連全てエラーで、今になってなんとかここだけ閲覧できたのでカキコ。]

_ TKAZ [the-orj.org のドメインステータスが clientHold になってしまっているのが原因ですね・・・。手続き忘れ?]


2017-05-16 おそろしいつなわたり この日を編集

[ORJ] 恐ろしい

以前にゆうさんから頂いていた外付けHDDがおかしくなってしまった。シャットダウンしようとしたらランプがチカチカして一向に落ちない。やっと落ちたと思ったら今度は立ち上がらぬ。起きる前のういーー↑ーー↑ーー↑ーんが最初の一回あたりでこけている。カッコンじじじじじまで届かない。やべえ。これにここ数年分の写真とかORJの元データとか入れてるのに。読めなくなったら氏ねる。

という状況を出社前に確認してしまい、そこから何もできないまま業務した。業務しながら考えた。そういえば最近HDDの立ち上がりにこけることが多かった。一回目スイッチオンであがらないからもう一回スイッチを入れ直してやってたっけ。んで、どうも中のHDDが4台とも立ち上がっておらぬ(4台ひとまとめにして1TBに認識されるようになっているのである。故に取り出してパソコンに繋げば済む話でもない)。ともかくひとつだけが飛んで起動不能になっているわけではあるまい。

要するに電源がヘタって定格出力が出なくなっているのではないか。

ということは代わりのハコを入手すれば復帰する可能性がある。しかしゆうさんからの戴き物ゆえメーカーも型番も存じ上げぬ(というか帰ってハコを確認したがメーカー名も型番も書かれていなかった・・・)。うろ覚えでいろいろ検索してみた結果、NOVACの4台はい~るシリーズであるらしいことがわかった。SATAじゃなくIDE時代のものだ。

で、全く同じものはすでに入手できなくなってる。Amazonにもも楽天にもヨドバシにもヤフオクにさえもない。SATAバージョンはいくらでもあるが、たとえ電源だけが必要なのだとしてもIDE時代のやつでないとだめだ。ジャンクでも手に入らんとなると困ったことになる。

で、さらに考えた。出力不足で立ち上がらんのなら、他所からHDDの馬力だけ持ってきたらいいのではないか

会社の余剰パソコンを借りることも考えたのだが、思い出せばはるか昔にメインマシンにしていたDELL Preciion420がまだ取ってあった。ワークステーションタワーだから電源コネクタはアホほどついてる。あいつを引っ張り出してきて、電源コネクタだけ外付けHDDのHDDにぶっ刺して起動させれば、いいのではないか。

これなら行けるかもしれんと思い、急いで帰宅しようとしてあやうく歯医者をすっぽかすところだったが、それを乗り越えて今に至っている。Just I think, 彼は無事立ち上がってくれた。そうして他の空いている外付けHDDにバックアップ中である。すべて完了しているわけではないが、このままなんとか持ってくれそうな塩梅だ。半分移すのに残り112分……今夜はこれで潰れるな。

問題はこれからどうするか……。同じ型の外付けHDDハコが見つかるまで外付け×2で我慢するのか、いっそのこと新しい外付けHDDを買って移すか。いつまでも戴き物に頼っていてはダメだと思う一方、せっかくの戴き物を無碍に廃してしまうのも道義的でないと思ったりもする。それに今月は会場代で懐が抉られるのだ。散財は控えておかねばならない時期なのだ。。。


2018-05-16 この日を編集

[古レール][] Moss Bay Hematite Iron and Steel Co

出典:https://www.gracesguide.co.uk/Moss_Bay_Hematite_Iron_and_Steel_Co

Uk、カンバーランド(Cumberland)、ワーキントンに所在。現在の地名でいえばイギリス:イングランド北西部:カンブリア県北西部:アラーデール地区

1873
ウィーン万国博覧会で褒章授与(Medal of Merit)。
1881頃
Bessemer鋼、Siemens鋼を製造する工場のリストに記載(ページ脚注)
1891
3月25日会社登録(company was registered on 25 March)
1909
Workington Iron Co、Harrington Iron and Coal Co、Cammell Laird and CoのCumberland の資産(propaties)が自発的に合併してWorkington Iron and Steel Coとなる。この工場は1927年頃まで操業(https://www.gracesguide.co.uk/Harrington_Iron_and_Coal_Co)。
Cammell Laird and CoのCumberland propatiesは Solway Works(1870年創業、以前は Beckermet Mining Co Ltd の所有で1896年にCharles Cammell and Coへ売却された)。

なるほど、そういうことか。麗流氏のいうとおり。

[古レール][] Blaenavon Co

出典:https://www.gracesguide.co.uk/Blaenavon_Co

ウェールズの小さな炭鉱・鉄・鋼製造会社のひとつ。

1836
James Ashwell がBlaenavon Iron and Coal Worksに関する報告を求められる。彼は会社設立をアシストし社長に指名された。
1837
Blaenavon Ironworksの設計。
1837
Blaenavon Iron and Coal Worksを買収した Robert William Kennardの主導で(headed by)Blaenavon Iron and Coal Coが設立される。
1840
会社は資金不足に陥る。James Ashwell辞任。
1841
ロンドンや他の地域の企業家(Robert William Kennard含む)により買収される。
1864
すべての資産がMr C Waringに買収され、Blaenavon Worksを管理する会社としてBlaenavon Iron Coが設立される。
1870
旧Blaenavon Iron Coが新Blaenavon Iron and Steel Coに売却。
1879
Blaenavon Companyによって引き継がれたBlaenavon Iron and Steel Coが清算される。
1880
1月22日、Blaenavon Company登記。
1881
この年の広告に1851年ロンドン万博、1855年パリ万博で受賞との記録(1862 and Paris 1855).
1909
製鉄・製鋼所&underlying minerals。近代的な高炉×2、新しい40トンシーメンス・マーチン平炉(Siemens Martin open hearth)×3を所有。 高炉は「最新設計」, シーメンス・マーチン平炉、均熱炉(soaking pits)、 再熱炉(reheating furnaces)、 分塊圧延機(cogging mill), 仕上圧延機(finishing mill)とボイラーs。鋼車輪製造工場、採石場(quarry)、3つの炭鉱を所有。
1911
コークス炉(coke oven)と副産物工場の建設を行なって拡張
1911
コークス炉(coke oven)と副産物工場の建設を行なって拡張
WWI
鋼殻(shell steel)を製造。日本語で鋼殻というとシールド工法のトンネルの支保工に使うやつらしいんだけど。時期的にはあり得るか。単純に装甲板みたいなやつのことかもなあ
1937-41
稠密鋼車輪・車軸(solid steel wheel and axle)の工場を建設。
WWII
航空機用アルミニウム・マグネシウム合金製造プラントを開設

その他機関車を4台作ったみたいだけど日付不明だって。

1875のBlaenavonの場所を秘匿してはる理由が私にはわからない。貴重なものであるなら遍くその価値を知らしめるべきなんではないかしら。1875のBlaenavonは同志社大クラーク記念館の鉄骨でも見つかってて錬鉄製とわかっている。上記Grace's Guideでも1875頃は鋼製造とゆうてない。

Blaenavon製鉄所のサイトは2000年に世界遺産登録。いーなー橋発掘とか。

[古レール][] Bolckow, Vaughan and Co(BV&Co)

出典:https://www.gracesguide.co.uk/Bolckow,_Vaughan_and_Co

South Bank, Middlesbroughのironfounder(直訳すると鋳鉄製造家になる)。Cleveland Iron and Steel Worksを所有。

1841
Middlesbroughの石炭輸出港・Teesで製鉄・工作工場を開いていた ヘンリー・ボルコウ(Henry Bolckow)とジョン・ボーン(John Vaughan)が共同で事業開始。
1846
2人はダラムのWitton Parkで溶鉱炉を始める。
1850
VaughanはMiddlesbrough近郊で鉄鉱山の開発を始める。exploitなので単に利用ではないはず 彼らは炭鉱やライムストーン採石場、追加の鉄鉱石採取と煉瓦製造所も獲得
By 1855
パートナーは(2人は?)Tees近辺に製鉄高炉をたくさん所有(原文:By 1855 the partners had a dozen blast furnaces making iron on Teesside. 12の高炉でいいのかもしれん)
1864
会社名をBolckow and VaughanからBolckow, Vaughan and Co.に変更。この会社は同名の製鉄所・炭鉱を獲得するために設立された。
1864
↑有限会社として設立(Incorporated as a limited company)。
1866
この頃Estonに9、Middlesbroughに4、Witton Parkに4基の溶鉱炉を所有。あれ、Witton ParkだけTeesideやないんや。
1879
Thomas VaughanからSouthbank Ironworksを購入した(元々Bernhard Samuelsonによって1853年に設立された工場)
1879
Sidney Gilchrist Thomasは Bolckow, Vaughan and Co'の工場のマネージャである E. W. Richardsに対し、彼と彼の息子 Percy Gilchristが発明したプロセス-ベッセマー転炉で製造された鋳鉄塊に含まれる燐を調整し(dealing with)鋼を商業生産する-を試すよう説得。
1888
蒸気機関車をいくつか製造開始
1889
CabryとKinch'sによるrailway sleeperの改良
1900
Sir Bernhard SamuelsonのClay Lane Worksを取得。
1900
John L. Stevensonがチーフエンジニアから引退。顧問技師に就任するため(to take up practice of consulting engineer)。
1914
この頃の会社。Ironmasters, steel manufacturers and colliery owners. 生産品目: クリーブランド銑鉄(Cleveland pig iron)、 赤鉄鉱(hematite)、 マンガン鉄合金とスピーゲル(鏡鉄)鋼製レール・プレート(ferro-manganese and spiegeleisen steel rails and plates), 市電レール(tramrails),鉄鉱石(ironstone),石炭 、コークス、硫安・ベンゼン・トルエン・キシレン・ゾル・ナフサ・ガソリンなどの副生成品, b耐火煉瓦、板煉瓦(plate bricks)、ground annealed slag、加工石。 製鋼はベッセマー法(酸性)・シーメンス法(塩基性)どっちも採用。18,000人を雇用。
Early 1920s
Darlington Rolling Mills Coを買収
1923
Bolckow、Vaughan and Coは、生成鋼の販売先を確実にするために in order to secure an outlet for finished steel[10].完成鋼の出口を確保するためにロンドン、マンチェスター、エジンバラ、グラスゴーで建築鋼材を製造していたRedpath、Brown and Coに"重大な関心"を示した(同社を合併。)
1926
Roland D. Kitsonが社長.[11]
1929
Dorman, Long and Co.の傘下に。

ちゅーかhttps://www.gracesguide.co.uk/The_Basic_Industries_of_Great_Britain_by_Aberconway:_Chapter_XIIIを見ればよかったのね・・・。 ニューカッスルで穀物取引で成功した帰化人ボルコウと 1850年にクリーブランド鉱山の主脈・エストン鉱脈を発見することになるボーンが共同で開始。ミドルスブラの可能性に感銘を受けて鉄鉱石鉱山と圧延工場を始め、そうして石炭探脈の過程でみっけたエストン鉱脈を利用するためウィットンに高炉を建設する。云々。まあ大会社だわ。

[独言] えー

すでに持ってはったんだ……。大変失礼いたしました。そりゃそうだよな~あんなズバリな資料は~。はは。

ここで一生懸命ダボな翻訳を試みるよりアレをテキスト化したほうがはるかに有益かも知らん。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020043/282

[古レール][] これこれ!

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1916720/98

ヨカッタ……幻覚を見てたんじゃなかったんだ。。。

[古レール][] 鹵獲レールふろむ露

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03027568600?IS_KIND=MetaSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E9%9C%B2%20%E8%BB%8C%E6%9D%A1&

これしか見つけられなかった。しかも軽レール。うーん。


2019-05-16 この日を編集

[ToDo][pdb]うん。

Postgresqlのバージョンがあがってlatlngをtextにしとったのがはねられるようになってた。むりくり型変換してなんとか動かす。

コントロール系の設定はガン無視。tdbデータも反映させられるはずなのだがこれも無視。そうしてindexとviewで手続きがバラバラになってしまってわけわらんくなりつつある。viewのやり方をindexにもってきたほうがよい。


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