nagajisの日不定記。
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今日は未だ曾て今年になき暑き日なりき。又昨日の疲れに伴ないて授業中は意識朦朧として余りわからざりき、されど術科となりて、元気大いに出で午前の疲れいづこへかと思いたり。運動班運動は二年のみ剣術をなし約三十分を憩わず続けて八人となす。その為暑くて汗の出づること此の上なく水をかぶりて漸く止まる。十七時まで亦体操をなす。疲の中にも調子は良好。鍛錬々々なり。体力の向上が目的なり。武技の錬磨
昨夜は初めて月を眺め一面を覆う星を見る。暖き太陽の下にあるを最も好むなり。虫・蚊多くなりて夏らし。母より青島にありとの来信あり。予の鍛錬は腕力を作るにあり。毎日素振・懸垂・をなすべきこと。愈〃運動期間たり。然し我胸膜をのみ怖るゝなり。兵器検査あり。真に手入する者は必ず射撃も之に伴い上手なり。今が我に於ける発展飛進の佳時なり。努力により之をのばすべし。良好
町田生徒監殿週番なり。
今回はちょっと趣向を変えてみようと思う。全く違うシステムに。ということで作成してみた(要はオブローダー調査とおんなじ仕組み)ものの、funnyな成分が全くなくなってしまった。改善すべきか? 今回はこれで様子見にするか?
さらによく考えたら、現在の4軸は「互いに直交していない」ので平均を出す意味が全く無いことに気づく。ううむ。軸の取り方、考えないと。
やや旧聞になるが、最初のチャットに参加して下さった方を「共同編集者」にご招待。張子の虎さんも参加して下さることになり、いまは皆さんがリストを修正して下さっている。有難きことなり。アンケートが終わったら自分もかかります。
http://spreadsheets.google.com/ccc?key=pzKOvl8SX21DCrATllugBQQ
しかしやらなきゃならんことが山積みだ。。。。
9日。荷物をデポして紀見峠、蔵王峠を回る。紀見峠(旧国道)には峠直下の谷を渡るために昭和20年代に松尾橋梁が架けたワーレントラス橋がある。「こういう橋って、何ていうんだろうな」と思ったあの時。どんどん後回しになったけれど、最近はようやくそれが何なのかがわかるようになった。しかし旧国道は下らず、紀見峠集落を抜ける旧旧道を辿り、柱本を経由せずに(国道西側に)下る道を見つけてそちらを下った(はず。あれ、あの道は柱本に出たんだっけ)。そのため柱本の手堀り隧道には遭遇せず。
紀の川に出て、ぐるっと回って蔵王峠へ。麓からよく見える峠なので、登れば逆にさっき自分が登ってきたつづら折れがよく見渡せる。自転車で旅をする時に最も印象的な光景の一つ。さっきまであそこでハアハア言ってたんだぜ。よくもまあこんな所を登ってきたもんだ。荷物が重ければ重い程その感慨は深くなる。
そうはいっても、自転車で登ることを誇ったりする気にはなれない。単に峠がどんな所か見てみたい、そのための手段が自転車なだけだ。自分は峠が好きだけれどパスハンターではないと思っている。
蔵王峠はちょっと面白い構造をしている。峠とほとんど同じ高さに沢が流れていて、紀の川と大和川(石川)との分水嶺はごくごく薄い峰。しかも道はこの沢を越えもう一つのピークを越えてから下り始める。まるで2つの峠がぴったり隣接しているかのよう。
この日も河内長野で買い出し。昨日と同じ場所に泊。夜中にトノサマガエルが訪問。喋る相手がいないとこういう訪問者でさえも嬉しい。
10日。本当はここで連泊して体を休めたかったが、誰も来ないだろうと思っていたココに車が入ってきて驚いた。それもあって場所移動。千早赤阪周辺の峠を回るつもりでいたので、とりあえずそちらへ向かって走り始める。
…しかし異様に自転車が重い。日を重ねるごとに重くなっていくような気さえする。結局千早赤阪の奥までは行けず、手前のよく解らない林道の奥にて泊(どのみち奥は行き止まりなので、同じ道でまた麓まで下りなければならない)。先日に環をかけて人の来なさそうな林道。 11日。ラジオで台風が来るという情報をキャッチ。午前中はテントの中で過ごす。しかし台風はずいぶん逸れたうえ、午後には消滅してしまったので、じっとしていられず千早峠へ(もちろん荷物はそのままで)。
ひどく傾斜のきつい林道を登った記憶がある。その先にセダンが停まっていて魂消た記憶もある。しかし道の雰囲気はどんなだったか。そのかけらさえも思い出せない。平坦になったところで作業小屋。右か左か迷ったが、とりあえず行ってみた左が合っていた。茶屋でも建っていただろう、広い広場のある峠。今はダイアモンドトレイルとその案内看板ばかりが目立つ。
五条市側は草まみれ。だが道を見失うことはなかった。下れば金剛トンネルのある国道310号。トンネルは比較的新しいものの旧道を見つけることはできず。登山道クラスだったのだろうか。下って千早トンネルから千早に戻る。旧隧道の千早洞にはこの時に邂逅している。
写真はほとんど無関係なナナフシ。どこでくっついてきたのか、千早の後で写真に収めている。体が細いためピントが合わなくて苦労した。なお、この旅の時のカメラはFinepix6900z。旅行中は壊れることなく頑張り通してくれた(先にノーパソがイケなくなった)。かなり苛酷な条件だったはずだが。
10MBを超えてしまって、現状分だけでも70MBを超えてしまった。うーむ。2つに分けるか。
今回、北摂線描は休みにする。ルポが多いしね。期待されていた方ごめんなさい。なくても充分楽しめますよ今号。なんてったってXXXが○○○するんだから。<−ヤラシイ書き方。
昨晩と今晩、Distillerでガリガリ蒸留している間にブラウザを読みに行って、なぜかPPPoEが切断されたうえに小一時間つながらないという事態が立続けに発生している。ルーターを再起動させてもつながらない。昨日などは料金未払いで切られたか、と焦ってしまった。
ルーターとMacの相性か、ルーターの故障かと思っていたら、ここのところ故障が立続けに起こっているようだ>ふれっつ。発行間際に故障しないでほしいところだが、こればかりはどうにもならない。何かあったらNTT西日本のせいで煩悶しているnagajisを想像して石を投げていただきたい。
不調といえばWindowsマシンも不調だ。発熱多過で落ちてしまう。SLOT1のPen3二つのうち、1つはマシンの冷却システムに合ったフィンがついているが、もう一つはふつうのファンがついたやつで、しかもファンは回してない。以前は全然平気だったんだが・・・暑くなったせい+経年劣化があるのだろう。
電源コネクタから引張るコネクタを買っておいたはずなのだがすぐには見つからぬ。ううむ。探してる暇もないってばよ。
根本のほうでわしわし育って土が見透かせないくらいになった.ちょっと密度が高すぎじゃね.君ら窒息しちまうよ.そんなことを考えなら傍観している.
根本近くからするすると一本の枝が伸び始め,頭ひとつ抜きん出たところで葉を拡げつつある.これを個々の枝の生存競争と考えるのも面白いし,単なる偶然,樹が生き残るためのモンテカルロの一過程と捉えてもよい.どんな大木も最初はこうやって伸びたり枯れたりしたんだろうと思う.
早いものでもう一週間。みなさまはいかが過ごされましたでしょうか。私は(略)ばかり食べております。そのうち白くてヒョロヒョロしたものになってしまうにちがいありません。しかもニンニク臭い。最近よく屁が出るのはニンニクのせいだと信じて疑わない昨今でございます。
部屋にゴキブリが大繁殖しているのである。昨晩夜中に目が覚めてなんかカサカサ音がすると思ったらでっかいやつがうろついている。1匹くらいならまあよくあるが部屋の対面では2匹連れもて歩いてやがる。この間からよく見るなと思っていたらそんなに潜んでおったのか。
んでそこから大殺戮大会が始まってしまい小一時間のうちに大小合わせて5、6匹退治たのだがまだ潜んでおるようだ。普段から汚い部屋だと認識しているがゴキブリが繁殖するほどとは思っていなかった。油断した。
そういうわけでゴキブリ退治餌を買ってきてあちこち設置したのだが、果たして効果があるんだろうか。ゴキブリホイホイのほうが良かったな。隠れて隅のほうで死なれてもいやだ。誰がいつ片付けるというのか。だいいちそんな餌食うよりもレンセイ製菓のロシアケーキの屑とか折れたパスタの欠片とか食えるものは幾らでも落ちているはずなのだ。
このモヤモヤとした感じも文字にしてしまえば無味乾燥脱臭済みになってどこにも伝わらぬ。ゴキブリの存在感がTCP/IPに乗って伝送されたりなどしない。したらしたで嫌だけどな。
ふっきゅうとふぁっきゅーって似てるよね、というだけのタイトルである。べつに誰かに腹を立てているわけではない。
日曜日は終日外出していて、夜遅くに帰ってきて、明日の客人を迎えるべく大掃除に取り掛かったのだが、無論一晩で終わるようなものでもないわけで。翌朝起きしなから片付けを再開し、なんとか目処がついたところでコーヒーを買いに出たところで、大家さんと鉢合わせになった。「昨日は出かけとったんかいな」と仰るのでそうだと答えると「実は昨日工事の人が来てな、直していきよってん」云々と仰る。へ? 点検は月曜日にと申し込んだのに???
詳しく聞けば同じマンションの別の部屋でも光回線に不具合が生じていて、その人が呼んだ点検が日曜日にあったのだという。そうしてその点検で故障個所が特定され、呼んだ部屋のネットは復旧したとのことだった。マンションタイプなので電信柱から屋内の分配器まで共用なのだけれども、その共用部分で故障していたらしい。ていうことは、うちの部屋も治っている可能性が高い……。まさかそんなことになっていたとは思ってもいなかったから、昨日帰宅してからネットチェックはしていなかったのだ(ターミナルすら見ていない。何しろ数日前に完全死亡確認by王大人であったので電源ごと落としてあったのだ。勝手に治るとも思ってなかったし)。
んで、部屋に戻って電源プラグを刺してみると、何事もなかったかのように動き始めるマイレボリューションターミナル。ネットもちゃんと繋がった。
この日の点検のために貴重な休日を潰して待機していた私の立場は……orz
大家さん曰く、別室で光回線を契約していることは知っていたけれども、そこで同じ障害が起きていること、点検が来ることは聞かされていなかったそうだ。そりゃそうだ、聞いてたら教えてくれるだろう。んで昨日も工事の人に「(nagajis室)でも繋がらんと言っとったから、一応声掛けたってくれ」といってくれたそうだ。ただ私は終日留守にしていたので応対できず、そして規定通りに月曜日の点検ということで帰って行かはったのだった。
同じマンションで点検があるんだったらこっちにも連絡入れてくれりゃいいのに>カスタマーサポート、と思わないでもなかった。わざわざSMS使って工事予定日と時間を通知してくるくらいなんだし(いや、それは今度の切替工事のか?)、少なくとも連絡先として携帯番号を伝えてるんだから気を回してくれてもいいんじゃね? と。まあでも、気を回してくれたところで留守は既定路線であったろうし、インフラサービスにそこまで求めるのも酷な気もする。点検が来るという前提であったから部屋を片付けることが出来たわけでもあり、失くしたと思っていたレインウェアの収納袋や探していた「加太友ヶ島」と「日本の要塞」を掘り起こすこともできたのだ。まあよしとしようじゃないか。ただし机を移動させるためにPCのコンセントを抜いてしまってスリープ運用していたPCで作りかけてた旧橋紀行が吹っ飛んでしまった。実質的な損害はそれだけだしnagajisがちゃんと保存してなかったのがそもそも悪い。
定時に点検の人が来て、回線のチェックとターミナル交換をしてくれた。リーダーらしき人が助手役に交換手順を説明しつつ作業していた。「これは古い型やから××がちゃうんよ」とか何とか宣っているのが耳に入って、確かにそうだな、2003年にこの部屋に越してきた時から使ってるやつだからな、と思った。「だから13年くらい前のやつですわな」と言ってみて、改めてその長さに呆れたりもした。13年間か……。思えばいろいろあったものだ。ORJとかORJとかORJとか。よく働いてくれたもんだと思う。その間電源入れっぱなし、メンテナンスもなしで問題なく動き続けてきたのは、考えてみれば偉いことじゃないかしらん(問題はおしなべて回線ケーブルのほうにあり、ターミナルは問題なく稼働していたのだ。ただ「せっかくですので」といって新しいものに交換していってくれたのだった)。
そうやって交換してくれたターミナルも、日曜日の切替工事でまた別のものに交換しなければならないという。光回線のターミナルとはそういうものーーーBフレッツとかフレッツNEXT隼とかいったサービスによって変わるものであるらしい。せっかく入れ替えてくれたのにたった数日しか働けないのはちと可哀想に思ったが、Bフレッツ自体がObsoleteになるんだったらそれ専用ターミナルも無用品になってしまうわけで、一度も働かずに破棄されるよりは良かったのかも知れないと思ったりもする。前のターミナルも13年勤続の末にFIBERエラーとかSTATUS赤ランプとかまで経験することができたんだから本望に違いない。
ここ数日PCでネットを見ることができなかったわけだが、普段当たり前のようにやっていたことができなくなるとやはり、フラストレーションが半端ない。スマホ+データ通信SIMを導入していたお陰でネットから隔離されることはなかったとはいえ、ニュースを閲覧するだとかデータをアップorダウンロードするだとかメールの返事を打つだとかをスマホの小さな画面でやるのは苦行以外の何者でもなかった。コピペのしにくいことなんかはイライラの極致だ。textarea内でやろうもんならカーソルが飛ぶわ謎インサートするわ「あ」を打つ度に勝手に変換確定されるわとともかくまともに動かなくて参った(これは使っているブラウザがタコだからだろうが)。こんな不便なものをメインに使っている人の神経とパソコンばかり使っている私のようなオールドタイプの神経は違うふうに鋭敏化しているはずで、互いに相容れないのも尤もだと思ったことだった。
しかし復旧したらしたで、PCでやることといえばニュース閲覧とデータアップと[禁則事項です]くらいなもんで、別に光回線の速度とレイテンシでなければならないものでもないのだった。さしずめhash-tag「#nagajisのくせになまいきだ」をつけるべき贅沢である。それでもこの速さのお陰でndl.kindai.go.jpが苦もなく読めるのであって、それで得られる情報は何物にも変え難い有り難いものである。それだけのために光回線を利用し続けているといっても過言ではない。最近はそれにjacar.archive.or.jpが加わってますます有り難く感じている。
ところで、光回線と菱垣廻船って似てるよね。0.4とレイテンシは相似形だよ。クラムボンはぷかぷか笑ったよ。
東洋組の顛末を端的にまとめた一文。国貞知事の死去後に愛知県知事となった勝間田稔知事がM18.5.の臨時県会に諮問したもので、未回収の貸下金を略同額の旧公債証書で回収するという内容。
東洋組の貸金たるや最初該社長齋藤実堯なる者三河地方に於て煉瓦に適する土質を発見し陸軍省砲台用煉瓦製造方を命ぜられたるを以て東京に於て株主を募集し西尾刈谷等に製造場を創設し該地の士族をして其業に従事せしめたる処株金回送方遅延し為めに資本金の運転に差支たる趣を以て拝借金願出しにより右株金回送次第返納の約をなし一時貸渡置きしに期限に至るも回金せざる等の事故申立返納残金一万八千円再三延期延期出願せり折柄客年本会建議の次第も有之尚一層厳重督責中七月に至り 皇居御造営用煉瓦製造方該組受負申付られたるを以て同局より代価総計三万二千余円の内半額前金を以県庁交付製品積送りの際半金東京着荷の上半金下渡方委託し来れり依て製品回漕の都度後半金を以貸金の方へ返納其余は本年一月中完納の筈にて内金千八百余円返納の処御造営局に於て積送り煉瓦の内巨多寸法違いのものを発見除却せられ為めに該代価は県庁より下渡さるるを以て終に流用運転金に差支[門+山]製造に従事するを得ず殆んど休業の場合に立至り旁以返納の途も閉塞せし趣なり抑該社失敗の原因を探知するに同業者と相拮抗し偏に声価を博取せんと欲し資本の多寡収利の如何を顧みず只管事業を拡張し不当の廉価を以製品を販売し或は濫りに瓦窰を築き製造方を試験せし等徒労に属するもの少しとせず是巨(以下一行不明)失し二には声価を得し工業を廃絶するを遺憾とし別に一社を設けて事業を継続するの協議に及び旧公債を以て返納方華族南部家の保証書を副え願出し付属官をして現場に就き検査せしめしに実に其失敗の景況聞く処に倍従せり依て今此負債を新設会社に負担せしめんとするときは事業廃絶の外なかるべし果し然らば旧公債を以て返納の計画も画餅に帰せんと必竟之れが処分法を推究するに旧公債を以て返納を許可するか又は之を法衙に訟んか有限の会社にして数万の株金は既に消費し僅か二千円許の地所及工場を有するも概ね他の負債主へ抵当となしたれば恐くは得る所なからん寧ろ旧公債を以て返納を許可するの愈れるに若すとす是独損失の少なきのみならず多数の士族をして其産業を失わしめざるの益あればなり然れども此損失も亦少なからざれば尚実堯へ厳達するに現金に対する不足額完納の方法を立つるを以てせしに更に三ヶ年置据四ヶ年目より向う十ヶ年賦返納の儀追願せり然りと雖も抵当品及保証人もあらざれば固より確実の方法とは視認し難しと雖も目下の現況到底完全を求むるに由なければ是亦併せて許可せんと欲す但未納利子の如きは悉皆棄損するの積なり
この諮問は第一号諮問案(貸下金損失を地方税で補填する案)とともに県会で否決されるがーーー東洋組の出した損失を愛知県民が穴埋めすることになるわけで、そりゃ反対するだろうーーー、参事院の裁定により諮問通り実行されることになる(第一号諮問については参事院の裁定の原本がアジ歴にあり)。
同年11月に朝山頼誉が旧公債証書を収め、これによって東洋組貸下げ金問題は一息ついたけれども、以上のやりとりを通じて県会と知事との間に軋轢が生まれ、県会運営に後々まで影響を及ぼすことになる。なお東洋組と同じ時に警察署建設に係る貸下金とその未済の問題もあり(請負人田中某に対する貸下金)それと東洋組の貸下金問題のことが『愛知県議会史』第一巻の記述ではごっちゃにされているため意味不明になってしまっている。
旧公債証書は江戸幕府の負債を整理するために明治政府が発行した公債で、現金化するには年一回実施される払い戻しを待たなければならず、その払い戻し額も定額であり一度にすべてを現金化することはできなかった。ゆえにその価値は額面よりも低い。日本銀行金融研究所アーカイブの旧公債証書の画像はかなり拡大できるので地味にありがたい。
皇居造営用の煉瓦が寸法違いで多く除却されたのにその前の砲台建築ではそのようなことはなかったらしいところに興味をもつ。皇居造営用煉瓦が具体的に何に使われたか不明だが、土木構造物ではなく建物か何かに使われたのかも知れぬ。造家が要求する煉瓦寸法あるいは精度と砲台建築のような土木構造物的建造物のそれはやはり違っただろうと思う。あるいは寸法そのものが違ったのかも知れない。東京ではM10の銀座煉瓦街建設の時にはすでに東京形煉瓦のもととなる煉瓦規格ができていた。それに準じて皇居造営も行なわれて、それに則らない煉瓦を提出してしまったものかと想像する一方、皇居造営ほどの事業なら必要とする煉瓦の仕方書が作られていてもおかしくないだろうから、単純に東西煉瓦の不一致というところに押し込んでみるのはよくないだろう。
M15頃の皇居造営については中村達太郎述『皇居御造営の頃』かhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/aijsaxx/174/0/174_KJ00003749686/_pdf/-char/jaでも嫁。できあがったのは紅葉山下宮内省庁舎。M20竣工。ちょうど納入の頃に計画が二転三転しているので寸法云々は方便なのかも知れない。いずれにしても政府の方針転換に振り回されたことになりその道を選んでしまったこと自体が悲運であったと言えるんかも知らん。
ああそうか、粟生重寔が借りたのはその後で、M19.6.26付で農商務省の十九年度士族勧業資本金乙から三千円。鉄道省受注の後。https://www.digital.archives.go.jp/img/2481649
朝山が負担したのは「地方税借入金」16000余円、粟生は「賦金借入金」5900円(M20内務県治局長照会の返答案)。賦金は齋藤が旧公債証書で払うといっていた分で、それは東洋組が借りていた額の未納分22050円弱から朝山返納分を差し引いた額、とみられる。
_ ハイチオールC [道東に伊勢ワンニャン道を飛躍的に伸ばす方策! 弱者ビジネス同士(をい……)仲良くやってください(笑)。 ちなみに梅干しとSPAMは喰い合わせがいいらしいですよ。梅干し喰ってSPAMってフレーズを..]