nagajisの日不定記。
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雨は午後に至りて益〃悪化す故に午後の体操を取止めて相撲なりき〔「撲」字朱訂正〕。即ち裸体にて雨中を土俵に行き元気になしたり。十五時より接種あり。〇・六瓦なりき。雨の為以後今まで自習室に過す。門松は感冒のため就寝許可となる。
終日雨なりき。招により京町の多田大尉殿宅を訪問したり。我が記憶は十二才の頃の士官学校卒業時の姿なり。昔話・近代の情勢が主な話にして、午後は囲基をなす。御馳走になり十六時辞す。なつかしき佐倉が思わるゝなり。父は偉しと誰も語るなり。恥じざるべからず。立派なる父を持ちし我、方々の御期待にそうべく勉励するを思いたり。良好なり。
熱烈ファンの方には申し訳ないが、ワールドカップをやっているらしい。
自分は他のスポーツ(除く担ぎ)と同じくらいにサッカー好きだけれど、「祭典に熱狂」するほどではない。けれどもふっと、ニュースの見出しがワールドカップ一色になり、日本の勝敗に一喜一憂しているのに気づいて、4年前のワールドカップの頃を思い出した。
そうそう、ちょうどこの頃、野宿旅に出てたんだ。
することがない夜、ラジオをつけてサッカー中継を聞いていた。粉河のグラウンドの隅で、奈良の津風呂ダムの展望所で、御杖村の林道の奥で。選手の動きなど全くわからないまま、アナウンサーの絶叫でゴールを知る毎日。自分が唯一社会との接点を有していたのが、ラジオから聞こえてくるワールドカップ中継だった。
なかなかに熱い展開だった(らしい)4年前のワールドカップ。今年は緒戦から落としたという。なぜか自分のことのように寂しく感じる。
いろいろ煮詰まった時は逃避逃避。ORJ用原稿を打ち込む。すみませんねぇ>各位。何かすっきりすることをしたいが、どれもちまちまとしか進まない作業だ。
アンケート。軸の取り方、アイデア。
Tシャツ。
近世以前リスト続き。
7月1日向け資料作成。吹田図書館に行った方が早い。
各方面メール。
CD販売準備。
つるしまばし。千石橋。
これはあれか、身辺整理させない為のセルフ罠か。
そんな課題や葛藤とは無縁な5年前の自分は久留野峠を越えて五条へ。千早側は千早峠とそっくりな印象。峠もそうだ。五条側は千早峠よりも荒れていたが半分程乗れた。麓まで降りて振り返れば、どこを通ってきたのかさっぱりわからない、金剛山のどっしりとした山容。
風の森峠まで登って一休みする。ここら一体は面白い地形。紀の川流域と大和川を分ける分水嶺の峠なのに、辺りは峠とも思えないなだらかな丘陵地帯だ。対岸が霞むくらいの広い谷(その奥は低い峰が凹凸と連なっていて、谷というには少しイメージが異なるけれど)を水田と畑と森、そして民家が埋めている。「風の森」という優しい響きの名前もいい。紀の川と和泉山脈に沿って吹き登ってきた風が、金剛山を巻いて向きを変え、この峠を吹き抜けていくのだ。国道の西側に小さな祠があって、ここに吉村虎太郎ら天誅組が集結した。吉野の代官所は峠を下ってすぐの所だ。
たまたま見つけた移動弁当屋で昼飯を買い、風の森峠を見下ろしながら食う。そうして伏見峠で再び金剛山越え。交通路としての命脈ははほとんど尽きた感のあるルートだが、それでもかつては多くの行き来があったのだろう、「こうや」「よしの」と刻まれた立派な道標が残されていて印象に残っている。山腹には町石や経塚もある。なかなか風情のある道だったが、頂上は金剛山山頂への車道になっていて、最後の最後に少し興を削がれた。
この日の晩は何を食ったっけか・・・食い終わった鍋をテントの外に置いていたら翌朝カタツムリが入っていたのは覚えている。特に何とも感じなかった。野宿旅をしていると意識がどんどん自然界側に傾いていく。
公威・・・あんたってやつは・・・。県知事も県知事だ、なぜ止めるッ! やらせとけば今ごろ川上村にオブローダーの聖地がッ!!!
縦にするか横にするか…縦しかないか.頭落としを削除.改行位置はママイキで試してみる.写真をどうやって入れるか.大小でメリハリをつけるか….ちいとすかすかな感じになるかも知れないが,裏をかえせばストレスなく読めるわけで,まあ大丈夫だろう.
冒頭2枚は縦書き.縦イチで縦書き.インパクトがなければA4横に縦に収めますかな.
時間がなければ14日にnagajisが徹夜をすればいいよ・・・
昨年の今頃北海道に行くとか何とか抜かしてたな.結局は予想通りの展開で行くことなどできなかったが.これを逃せばもう2度と行く機会がないだろうという予想も当たりだ.
よみきりさざえさんでないとおこられそうなあんばいなのでそうしようとしているのだがかなりむりがあることをおもいしらされている。ぴーでぃーえふにするのもくろうする。きのうのごじからはじめてじゅうにじかんかかってまだおわらない。というかごまんじもだれがよむのか。ながじすにはようきゅうされてないだろ。てきとうにきりあげてしまえ。もういっこのほうおわらせろ。ぽげむたぴげなみょーん。
いや、いろいろ間違っているのはわかっている。膨らませられるところは切り出して別記事にすればいい。小出しにするという意味ではなく一つ一つを大切にするという意味でそうすべき。現状ではどうあがいても浅広にしかならず、無理に濃くしてただ脂っこいだけの塊になっている。 これでまたネタゼロになり首を占めるのも明らかなのだ。 そりゃわかってる。わかってるが。
一つネタでとことん引っ張るのは何度かやったからな。それ以外をやってみるのもいいんじゃね>nagajis。失敗だと思うことをやってみてどう失敗したかを確認するのだってありだろうさ。
一週間前に借りた本を返しに行き、かわりに別の一冊を借りてきた。「読んでもらわないと( 資料が)可哀想だから」と仰る。すてき。
これで戦後~高度経済成長期の橋梁一覧が揃ったことになる。けれども八郎橋が見つからないままだ。一体どこに記されているというのだろう。本文にちょろっと出てくるのだろうか。そこまで読み込む時間は今のところない。今号終わってからじっくりと。
圧電式でなかなか点かないという話はずいぶん以前に書いた。昨年暮れの大掃除でキレイにしたら点火の確率があがったのだが、今でも点きにくいことに変わりはない。ガチャガチャと数回回して点かないのでライターを発掘してきてそのライターを持った手で捻ったら一発点火したりする。同じ手に持っていることが必要なのか。
乾燥パスタの麺をひっくり返して落としてしまった時の絶望感ったらない。鳥の巣を枝一本も折らずに解体撤去する作業に神経が衰弱する。
ここまで来ると半ば義務感、半ば中毒である。昼飯が遅く、また珍しく大量に食してしまったうえにレンセイ製菓のロシアケーキを2つほど食ってしまっていたせいもあり勃起した陰茎束は無理であった。その1/2ほどで妥協する。
そういや徳島産生ニンニクというものを買ってきていたな。袋から出さないとまずいんじゃないかあれ。
何とか終わりまで持っていったが冒頭にずいぶん書き足さなければならなかったはずだ。そこが懸念材料。中くらいのを2つって長いの一つ書くより大変だ。んであとで読んでみるとしょぼくてゲンメツするという遣る瀬無い終わり。
元町アーケードだったかセンター街だったかの東の端に大きなのがあった気がするのだけど、あれはもうずいぶん前に無くなってしまったんだろうか。ずいぶん探したのに見つけられなかった。
センター街の中ほどのお店は見つかった。あそこは良い物が納得いく価格で置いてあることが多い。「大阪の橋」があったので(喫緊に要するものではないが)回収しておいた。
元町アーケードの古本倶楽部はいろんな本が雑然と置いてあってワクワクするのだが必要としている本を見つけたい時には苦行である。せめて各ブース?の中だけでも整理してほしいものだ。「十津川」5000えんは今回はパス。杉森久栄「天才と狂人の間」500えんかあ。あの頃のは軒並高いからなあ。
その前にはモトコーで時間をかけて探して回る。見つかるとは限らないのにある気がして、しかしやっぱり見つからない。一度逃がした魚なので(いや釣り糸垂らしてもいなかったのだが)余計にざんねんだ。「兵庫の街道」800えんを贖ったのみ。
前半が。おかしい。5万文字を半分にしたはずなのに54820文字もある。ってそうか、表の文字まで含んでおるのだな。そうしてページ数はいうほど伸びていず内容はヘラジカの角の如くである。でかくて複雑でその迫力だけがウリ。そんなこといったらヘラジカに失礼か・・・
タイミングとしては6/17しかないのである。ついでに六甲に登ってくるのもアリだがその日のうちに帰ってこれるんだろうか。後者はやめておこう・・・
ふと我に返ってこれだけ頑張って何になるのだろうと思ったりしないでもないわけで、しかしそんな「醒め」を今まで幾度となく繰り返したにもかかわらず続けているのは何でなんだぜとメタ醒めしながらなお書いているのは、哀れも呆れも通り越してなんだかよくわからない境地である。それしかできないのだから困っている。書いて書いて書いて書いて 書いて 書いて 書いて 書いて 藻書き続けた上で死ね。ざまあみろnagajis、と言った時に見るべき様もないくらいに無意味な人生を送ってみている。
これ終わったら長浜み〜なのを書かなきゃ。そしてやましろのをあげなきゃ。息もつけない七転八倒(って何だか神坂一のラノベのタイトルみてえだな)の末に待ち構えているものは一体何だ。自己満足か。え。自己満足か。それだけか。それすらいらないか。
ORJ始めてからこれまでにいったい何文字書いたんだろうと思い調べてみたくなる衝動に駆られることが多々あったりするのだけれども実際にそれを数えるのは大変なことだし数えたところで価値のない文字に価値はないのであって仮に数えてみたところでその比較対象とすべきものさし例えば東京ドームの如きものがなく例え新聞紙○枚分と換算してみたところで新聞1枚を作成する手間を知っているわけでも知られているわけでもないのだから結局は無駄。
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