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2023-06-12 [長年日記]

[][煉瓦] 県第弐号諮問案

東洋組の顛末を端的にまとめた一文。国貞知事の死去後に愛知県知事となった勝間田稔知事がM18.5.の臨時県会に諮問したもので、未回収の貸下金を略同額の旧公債証書で回収するという内容。

東洋組の貸金たるや最初該社長齋藤実堯なる者三河地方に於て煉瓦に適する土質を発見し陸軍省砲台用煉瓦製造方を命ぜられたるを以て東京に於て株主を募集し西尾刈谷等に製造場を創設し該地の士族をして其業に従事せしめたる処株金回送方遅延し為めに資本金の運転に差支たる趣を以て拝借金願出しにより右株金回送次第返納の約をなし一時貸渡置きしに期限に至るも回金せざる等の事故申立返納残金一万八千円再三延期延期出願せり折柄客年本会建議の次第も有之尚一層厳重督責中七月に至り 皇居御造営用煉瓦製造方該組受負申付られたるを以て同局より代価総計三万二千余円の内半額前金を以県庁交付製品積送りの際半金東京着荷の上半金下渡方委託し来れり依て製品回漕の都度後半金を以貸金の方へ返納其余は本年一月中完納の筈にて内金千八百余円返納の処御造営局に於て積送り煉瓦の内巨多寸法違いのものを発見除却せられ為めに該代価は県庁より下渡さるるを以て終に流用運転金に差支[門+山]製造に従事するを得ず殆んど休業の場合に立至り旁以返納の途も閉塞せし趣なり抑該社失敗の原因を探知するに同業者と相拮抗し偏に声価を博取せんと欲し資本の多寡収利の如何を顧みず只管事業を拡張し不当の廉価を以製品を販売し或は濫りに瓦窰を築き製造方を試験せし等徒労に属するもの少しとせず是巨(以下一行不明)失し二には声価を得し工業を廃絶するを遺憾とし別に一社を設けて事業を継続するの協議に及び旧公債を以て返納方華族南部家の保証書を副え願出し付属官をして現場に就き検査せしめしに実に其失敗の景況聞く処に倍従せり依て今此負債を新設会社に負担せしめんとするときは事業廃絶の外なかるべし果し然らば旧公債を以て返納の計画も画餅に帰せんと必竟之れが処分法を推究するに旧公債を以て返納を許可するか又は之を法衙に訟んか有限の会社にして数万の株金は既に消費し僅か二千円許の地所及工場を有するも概ね他の負債主へ抵当となしたれば恐くは得る所なからん寧ろ旧公債を以て返納を許可するの愈れるに若すとす是独損失の少なきのみならず多数の士族をして其産業を失わしめざるの益あればなり然れども此損失も亦少なからざれば尚実堯へ厳達するに現金に対する不足額完納の方法を立つるを以てせしに更に三ヶ年置据四ヶ年目より向う十ヶ年賦返納の儀追願せり然りと雖も抵当品及保証人もあらざれば固より確実の方法とは視認し難しと雖も目下の現況到底完全を求むるに由なければ是亦併せて許可せんと欲す但未納利子の如きは悉皆棄損するの積なり

この諮問は第一号諮問案(貸下金損失を地方税で補填する案)とともに県会で否決されるがーーー東洋組の出した損失を愛知県民が穴埋めすることになるわけで、そりゃ反対するだろうーーー、参事院の裁定により諮問通り実行されることになる(第一号諮問については参事院の裁定の原本がアジ歴にあり)。

同年11月に朝山頼誉が旧公債証書を収め、これによって東洋組貸下げ金問題は一息ついたけれども、以上のやりとりを通じて県会と知事との間に軋轢が生まれ、県会運営に後々まで影響を及ぼすことになる。なお東洋組と同じ時に警察署建設に係る貸下金とその未済の問題もあり(請負人田中某に対する貸下金)それと東洋組の貸下金問題のことが『愛知県議会史』第一巻の記述ではごっちゃにされているため意味不明になってしまっている。

旧公債証書は江戸幕府の負債を整理するために明治政府が発行した公債で、現金化するには年一回実施される払い戻しを待たなければならず、その払い戻し額も定額であり一度にすべてを現金化することはできなかった。ゆえにその価値は額面よりも低い。日本銀行金融研究所アーカイブの旧公債証書の画像はかなり拡大できるので地味にありがたい。

皇居造営用の煉瓦が寸法違いで多く除却されたのにその前の砲台建築ではそのようなことはなかったらしいところに興味をもつ。皇居造営用煉瓦が具体的に何に使われたか不明だが、土木構造物ではなく建物か何かに使われたのかも知れぬ。造家が要求する煉瓦寸法あるいは精度と砲台建築のような土木構造物的建造物のそれはやはり違っただろうと思う。あるいは寸法そのものが違ったのかも知れない。東京ではM10の銀座煉瓦街建設の時にはすでに東京形煉瓦のもととなる煉瓦規格ができていた。それに準じて皇居造営も行なわれて、それに則らない煉瓦を提出してしまったものかと想像する一方、皇居造営ほどの事業なら必要とする煉瓦の仕方書が作られていてもおかしくないだろうから、単純に東西煉瓦の不一致というところに押し込んでみるのはよくないだろう。

M15頃の皇居造営については中村達太郎述『皇居御造営の頃』かhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/aijsaxx/174/0/174_KJ00003749686/_pdf/-char/jaでも嫁。できあがったのは紅葉山下宮内省庁舎。M20竣工。ちょうど納入の頃に計画が二転三転しているので寸法云々は方便なのかも知れない。いずれにしても政府の方針転換に振り回されたことになりその道を選んでしまったこと自体が悲運であったと言えるんかも知らん。

ああそうか、粟生重寔が借りたのはその後で、M19.6.26付で農商務省の十九年度士族勧業資本金乙から三千円。鉄道省受注の後。https://www.digital.archives.go.jp/img/2481649

朝山が負担したのは「地方税借入金」16000余円、粟生は「賦金借入金」5900円(M20内務県治局長照会の返答案)。賦金は齋藤が旧公債証書で払うといっていた分で、それは東洋組が借りていた額の未納分22050円弱から朝山返納分を差し引いた額、とみられる。


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