nagajisの日不定記。
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午前中は教室・寝室・自習室・洗面場の掃除をなす。疲れたるが、体の為なりと悦びいる。午後は校長殿内務検査あり。未だ十分に為す事を得ざりしは遺憾なり。御紋菓拝受式後行われたり。かく幸福は他に少なからん。夜は随意なり。
化学の際ラムネ製造の実験をなす。砂糖液10をとりそれに重曹達2gを混じ次にクエン酸(酒石酸)2gを混ずると炭酸ガスを生じて、ラムネとなる。然して夏休暇の際は実験に又妹等を驚かさんがめ、多分に作らんことを思いたり。今日の実験にては砂糖液の砂糖少く、酸多き故、うまくあらず酸味をおぼえたり。
午後唱歌の際は末次教官殿より、よく唱歌が即ち芸道が武人の情操にとり必要なるかをわきまえ此の二週間に一ぺんの時間を有意義に過せとの注意を受く。誠に然りと感ず。
夕食後台上の利用不可なり。
今日にて授業終了し最終日を遺憾なく過したり。午後移転にて寝室志水・藤本と寝台学友、志水と四度の学友なり。藤本とは二度目の寝台学友なり。自習室は前原・神野なり。是はいづれも委員主体となりて定めたるものなり。ついで十七時まで午睡は愉快なりき。実に昨夕も夢の連続にして疲労を物語り、且つ就寝が面白きなり。訓育班会行う。半島の人に対する考を一掃すべきこと。軍歌→サイダー瓶。良好。
さあこれから忙しくなるぜって時に。タイミングが悪いぜ。
本部録"は月末まで遅延しまくります。しまくるからな。しかし遅延はここだけだからな。ORJ次号はちゃんと8月1日に出すつもりだがらな。
版下部分は第5号の巻き道を越えた所まで作成。残りは
だから、ここまでは1日で片付けよう。むしろその後、画質の調整とアーティクルとふせんが時間がかかりそうだ。できている分はざっくりpdf化してwikiに上げた。付箋・アーティクルまで行かず。
間にルポ文章を入れたくもある。しかしそうするとまた中途半端になりそうな気もする。導入とまとめ、参加の感想は必ずいるだろうけど。
流水工の麓は60°超の急角度。離れた所からならかろうじて見える。
結局、今月末の「出」は上記日程に。いろいろとしてしまわなければならないことが多かった。次号も少し進めておかないと。
なので、沢川と旧橋をpdf化。旧橋はほぼ完了のつもり。沢川は地形図を入手するか描くかしなければならない。あの範囲をすべて描くのはまず無理で、広範囲は地形図コピーに任せて、要所2カ所を手書きになるか。
朝から雨。ハチたちはどうしてるのか見てみた。
お、チャメが一匹増えている。計4匹。雨の時はやはり巣に戻ってくるようだ。しかし巣が小さく、4匹分の笠にはならないらしくて・・・
周囲の作りかけの小部屋に頭を突っ込んで雨宿りしていた。頭隠して尻隠さずのクロメたち。ちょっと哀れな感じもする。しかしこうやって雨を凌いでいる?とは知らなかった。ちょっと賢くなった気分。知った所で暮らしが楽になるわけでもないが。
一方チャメの親玉は変わらぬ元気さだ。
伯母谷に登ってきた。帰り道。残りイベント2.5コ。思ったより長くなりそうだ...これでは山場が短くなりそうな稀瓦斯。
あっ、山場だと思っているのはnagajis基準なんでショボイです。期待しないでください。地図見ればわかります。山場のためにそれまでの章があるのではありませんですハイ。だらだら続く探索記のコブでしかありません>伯母峰以南
(と予防線を張っておく卑怯者nagajis)
寝てたら起こして九例・・・
ワケワカラン♪
別所村の煉瓦工場の変遷がはっきりしない。中播煉瓦別所工場の支配人・田中卯之松は大正煉瓦の取締役もやっているので、それだけだと中播別所工場→大正煉瓦別所工場と想像されるのだが、2つの工場が並んで載っている資料があるため別モノだと捉えなければならぬ。その後起こる播陽窯業の役員とは共通項が見いだせない。そのうえ別所窯業とかいう工場がT9頃に出現する(諸会社銀行一覧には出てこない)。最後の1つは播陽窯業の誤記だと見れないこともないのだが。
中播、播陽は播煉合同と関係が深いが、大正煉瓦は播煉合同と接点を持たない。上記の田中が唯一の接点。この2大会社+個人工場群という構図か。もうちょっと細かく切れば
(大)播州煉瓦合同(中播+山陽中筋工場+播陽)+伊藤窯業 (大) 大正煉瓦+関野工場 (中)播磨煉瓦→原田工場→弘栄煉瓦 (中)和田煉瓦
てな感じか。とはいっても印南郡も煉瓦業組合を結成したらしいから啀み合う感じではなかったろうと思う。地域で分かれていたわけでもないようだし。
堺煉瓦社長・太田貞雄は南海紡織の専務取締役に。堺煉瓦本工場の跡地は長崎紡績になっているが、長崎紡績の社長は肥塚源治郎で、肥塚が南海紡織の社長だった。長続きしなかったみたいだけど>南海紡織。よって狭山村の堺煉瓦分工場>南海紡織煉瓦部ちうことらしい。
同じ頃百舌鳥村に南海鉄道の煉瓦工場が存在。南海鉄道と南海紡織はたぶん無関係。
帯解の広大池のほとり(東岸)には大和煉瓦の工場があって、以前見に行ったことがあるのだが、池の対岸(西岸)にも煉瓦工場があったという。西村氏の個人工場で本業は瓦製造業だったらしい。ただし煉瓦造りも年期は古く、明治44年頃から行なってたことになっている(恐らく大和煉瓦の影響だろう)。そうして○に末という屋号を持っていた(大日本商工録昭和6年版)。煉瓦にもその刻印を押したりしたのだろうか。
広大池の西側に広がる住宅街を北から撮影。この住宅地、結構こまごまと歩き回り、 納屋の前に角丸の異形煉瓦や手成形煉瓦が10個ほど積み上げられているのを目撃したりしたものの、刻印煉瓦は未検出に終わった。大和煉瓦も出てこなかった。まあ……大和煉瓦だってずっと「^ト」を使ってたわけじゃないみたいたしな(工場跡地で無刻印の焼損煉瓦を発見している)。
在所が果てるところの畑で、やっと痕跡に遭遇した。見事に(?)爆裂した焼損煉瓦だ。さすがにこれは重石以外に使い道がないだろう。その昔、鐘が坂隧道の北口でこんな煉瓦を拾ったことがあったので、ちょっと懐かしく思えたりもした (今は手元にない。然るべきところに然るべき資料として差し上げている)。
念のため裏表確認してみたが、刻印は押されていない模様。同じような爆裂煉瓦がもう一個あって、それも確認してみたが、ないものはないのだ。しかしどちらも爆裂面の反対側が同じように凹んでいた。これほどあからさまに炸裂すると反対側が凹むものなのだなあ、と感心したことだった。なおこの煉瓦は東京型。たぶん。
大正9年から戦後少々まで操業した煉瓦工場。県下では大和煉瓦、西村工場、小島煉瓦、吉野煉瓦に次いで古い。大正期からやってたということは刻印を使用してたんじゃないか。そう思って奈良歩きの最後に足を運んだ。
戦後の『工場通覧』にある地番を尋ねていくと、現在県営住宅になっている一角が該当する場所らしかった。広い敷地、跡地が住宅街、なんていうのは印南郡や狭山の例を連想させて期待させられたのだが……。うん、さっぱり。住宅地の中には機械成形の新しい煉瓦しかなく、その周囲の住宅街にも古煉瓦は存在せず。北を流れる地蔵院川の川辺もコンクリート護岸になっていては……。
周囲の住宅街は昭和50〜60年頃に一新されたような印象。もう1、2回り古い宅地、長屋の前に地道の通路があって、緑がわっさわっさ生えていて、古自転車やら粗大ごみやらが蔦に絡まれているようなところじゃないと、無理なようだ。
強いて成果を引き出すなら……。斎藤煉瓦では比較的早い頃に成形機械を導入してたかも知れないという仮定が立ったことくらい。手成形煉瓦が一欠片も見つからなかったというのは、機械成形が優勢だったからではないか。案外周囲で見た機械成形が斎藤煉瓦製だったかも知れない。
という苦行をしている。
・最初からUTF-8で投げられたやつならサンプルコードが有る
・しかし元データとしてSJISのCSVが不動
・これをUTF-8なphpでなんとかしようとしている
時点でダメダメ。いらおうとしてmb_convert_encodingした時点でアウト。コード情報が失われて「?」になっちまう。
fgetcsvで読み込んだ直後に\x\xで置換したらいいんじゃね、と思ったら余計なところまで置換されてしまうのだった。三島郡島本町が三?莉」)S島本町になったり福島県福島市が福?莉」)ァ福島市になったり。故にmb_regex_encodingとか使って、そのうえ(株)の株をコード記述せにゃならんかったり。
自身の覚書として汚いコードのまま載せとく。㊤とか荒巻胚⑬とかは無視。
function ill_letter($in1)
{
//おまえら環境依存なんじゃぼけー
mb_regex_encoding('sjis-win');
$arr = array(
"\x87\x54" => 'I',
"\x87\x55" => 'II',
"\x87\x56" => 'III',
"\x87\x57" => 'IV',
"\x87\x58" => 'V',
"\x87\x59" => 'VI',
"\x87\x5a" => 'VII',
"\x87\x5b" => 'VIII',
"\x87\x5c" => 'IX',
"\x87\x8a" => "(\x8a\x94)",
"\x87\x8b" => "(\x97\x4d)",
"\x87\x8c" => "(\x91\xd5)",
"\x87\x83" => "K.K.",
"\x87\x41" => "(1)",
"\x87\x42" => "(2)",
"\x87\x43" => "(3)",
"\x87\x44" => "(4)",
"\x87\x45" => "(5)",
"\x87\x46" => "(6)",
"\x87\x47" => "(7)",
"\x87\x48" => "(8)",
"\x87\x49" => "(9)",
"\x87\x4a" => "(10)"
);
foreach(array_keys($arr) as $t)
{
$in1=mb_ereg_replace( $t, $arr[$t], $in1);
}
mb_regex_encoding('utf-8');
return $in1;
}
あと番地のハイフンを半角に揃えたいのだが何故か置換がうまくいかない。ハイフンに間違われやすい記号が山のようにあるせいか。-―‐-全部やってるつもりなんだけどな。
鶴見区の保育園の掲示板に掲げられていた絵画。大変素晴らしいと思った。近代絵画とかアヴァンギャルドとかいうカテゴライズ以前の、原始的な欲求の純粋な表現である。何を書こうとしたのか察しようとするのは無粋である。年少さんの彼にとってはこれがおやつであり、「おやつ!」と思って書いたものだということを鵜呑みにして味わうべきものであるだろう。こういうのこそ芸術というべきだ、と掛け値なし皮肉なしに思ったことだった。
しかも、大人がいうところの抽象画としてこれを見ても遜色ない。大胆にして迷いのない白い線。そこに添えられた二本の赤。色の取り合わせがいい。赤と白の配分がいい。赤だけまっすぐ明瞭に書かれていて白の方はよくわからないぐちゃぐちゃ気味の何か、しかし力強い線の構成美があって掠れの一本一本まで覗き込んでしまいたくなる。
重ねていうが、赤白の組み合わせ=ショートケーキ?などと類推してはいけない。この色彩の組み合わせと白のぎざぎざと赤のまっすぐがおやつだったのだ。その思いを観察者の側も純粋に受け取ることができるのは、考えてみれば幸せなことである。絵を通して感覚を共有することができる。彼がこれをおやつだと思って書いたこと自体には共感できないにしても、そう思って書いたという取捨選択のシナプスの経路を知ることができ人の子の発想というものをストレートに知れる(適当に書いたものに適当におやつという題をつけたものであったとしても、その適当を組み合わせた微かなひらめきを見ているわけだから同じだろう)。
大人が書いた芸術作品は不純な要素が排除し切れない。観察者のほうが不純要素を付け加えて見てしまいがちだからだ。仮にこれと同じものを大人が書いたとしよう。「おやつ!」という意識をカンバスにぶつけた結果がこうなったとしよう。それを観察者は色眼鏡なしでは見ることができない。「この人は何でこれをおやつだと思ったんだろう」「赤い線の意味はなんだろう」「近代ゲージュツは難しいよね」「ロシアンアヴァンギャルドのほうがいいな」「こんなんでお金になるんやからええよね」云々と、作品や作者に勝手に意味とか動機とかを求めてしまう。あるいは批評を加えてしまう。「意味などない」と言われたら承知しないか「そういうもんだよねぇ」とわかったふりをしてしまう。そういうの一切なしにこの絵は鑑賞できる。様々なことを思い、考えることができる。
掲示板にこれ一枚だけが飾られていたのは、たぶん園のみなさんもこの絵に非凡なものを感じるところがあったからだろうと思う。しかしこの絵を褒めたり書いた子供に過度な期待をしたりしないでほしいと思った。こういう純な意思表現は、書き手がひとたび意識するとそれきり不可能になってしまう。今度はもっといいのを書いてやろうとかいった欲が出てしまう。「いいね!」を貰うためにFacebookを書くようなもので、それでは純な思いの発露ではなくなってしまい、どこにでもある平々凡々な拙絵になってしまう。
こんなの。いや、悪くはないと思うんだ。すごい直接的で効きそうだとは思うんだ。でもこのポーズはどうしても犬神家の一族を連想させずにはいない。作者もそれを意識して書いたのだとわかってしまう。右足膝の曲がり具合とかさ(あれ、右でよかったっけ?)。
「あぶない」という直球の警告は効きそうでいい。あぶないから遊んではいけませんとか書かれるよりもあぶなさ及びその警告の強度が身にしみて伝わると思う。残念なのはその文字によくありがちな血の滴りのような飾りがつけてあることだ。そうやって余計に不安感を煽ろうとしているところにわざとらしさを感じてしまいかえってコミカルを誘う。糸をひくような細い明朝体でさらっと書いたほうが効果があがる気がするんだ。
あと・・・寝屋川にはこんな刺さり方はせんと思うのね。ドブーンと全身沈み込むか、刺さっても川底のヘドロにであって、足見えないんじゃないかな。いやまて佐武だって刺さってたわけじゃないのか。
浅間山荘事件をリアルタイムで見たという記憶があって、どうもおかしい。自分が生まれる3年も前の事件なのに。
膠着状態の現場を一日中報道していたこととか、鉄球が思いの外活躍しなくて(もっとどかどか毀れていくものだとばかり思っていたがそんなことはなく)まどろっこしい感じがしたこととか、妙に覚えている気がするのだが。子供の頃流行していた「決定的瞬間」テレビ系でやっていたのを生放送として偽記憶に刷り込んだのだろうか。
地下鉄サリン事件の時は寮だったうそつけ、阪神淡路の年じゃねーか。どこか対岸の火事という印象で淡くしか覚えていない。それよりもSanta feが発売されたことのほうが大騒動だった気がする。先輩が新聞広告を掲げて行進していた。
雲仙普賢岳が噴火したのは修学旅行の帰りがけ。帰宅後に知ったが妙に恐ろしかった。
阪神大震災は炬燵の中だった。炬燵の中で寝ていたら激震に見舞われ飲みかけのみそ汁がひっくり返り本棚が倒れしっちゃかめっちゃかになった。建物に押しつぶされることはなかった。それより歯が痛くてどうしようもなかった気がする。
東日本大震災は三重の熊野街道ねじりまんぽ橋を調査中に。帰りの車でラジオを聞きながら帰ったが被害の大きさに呆然としたのか誰も終始無言であった。
そういう大事件の記憶と同列に浅間山荘事件がある不思議。