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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2008-10-31 買って来た この日を編集

[廃道本] 買って来た

画像の説明自分の書いた本を自分で買いに行くという大変ベタな行為。これも一種の通過儀礼か。二度とないだろうしな。ちなみにnagajisは現役時代?に書いたものが載った雑誌を購入した覚えがない。買う気にもなれなかった。それに比べればニンゲンらしい進歩と思わねばならない。

そもそも「廃道本」が書店のどこに並ぶか想像がつかなかった。車・バイクコーナー? まさか自転車? いろいろ考えたが結局はこれもまた順当な配架であるアウトドアコーナーであった。廃道本コーナーとか出来てたらどうしよ、とか考えてみたりしたnagajisはあな哀れである。

そもそもどちらの廃道本も見本紙として何部かいただけることになっている。写真や情報を提供して下さった方々に送らなければならない。しかしそれ以外にも進呈したい先がある。そのための2册である。行帰りに電車を使ったりわかばを買ったりしたので地域経済にも貢献しただろう。

発送が少し遅れますのでご容赦ください>各位。


2009-10-31 終わった・・・ この日を編集

[独言] 何もかも・・・(ユラッ)

5年分吐き出してきた。予想通りトバしまくった。とりあえず終わった。むーん。

タイトルに↑のような引用ネタを使ったが、実際のところはこれからが正念場だと思うんだ。自ら築き上げてきた村田像を切り刻み解体する作業が待っている。これがいちばん大変かも知れない。

あっちで書いたみたいに現段階では政治史との絡みをほとんど考慮していない。県議会議事録大正5年版にあったクリチカルな情報の検証をしなければならぬ。原敬→堀田義次郎&井上敬之助コンビの政友会系県治に清廉潔白で鳴らした山田博愛がどの程度協力したのか。政友会勢力増強のための移籍組であり六六計画だったのか。そして村田鶴は。次回はそのへんの攻防になる。

それから、工手学校の教授陣の分析。神吉先生のご指摘の通り、工手学校の教授陣はすさまじいもので、東京大学で教鞭を執っていたような人が夜学のこの学校のためにまた教鞭を振るった。教育の質はものすごくものすごく高かったのだ。例えば当時の土木科で隧道を教えていたのは森早苗。山手線新永間高架橋の建設に携わっているような人物。建築、図画辺りの教師が誰だったのか検証しなければ。妻木頼黄だった気がする。いやあの人は主務だったか。むーん。

語り継ぐ 人もなく
吹きすさぶ 風の中で
紛れ散らばる星の名を
例え忘れても
Head-light Tail-light
旅はまだ終わらない
Head-light Tail-light
旅はまだ終わらない

[ToDo][ORJ][廃道本][廃道巡][独言][Web][KINIAS][物欲][コアダンプ] [ネタ]溜まっている

私事にかまけて他の仕事がほとんど進んでいない・・・明日から馬車馬のごとく動かねばならない。ならないのっ! めっ!

(カテゴリは必ずしも一意性を保証するものではありません)

[奇妙なポテンシャル] #127

子供を叱る時の

めっ!

というのは

この目を見よ!

ということであるらしい。口ほどにものを言うという我が目を見、怒りの感情を読み取り、自省せよ、ということ。何故怒られなければならないか、どうして怒られているのかの口頭での説明を省き、相手に読み取らせることで済ませようという、一種の手抜きである。

ならば仮に、他の器官が口ほどにものを言う人物がいたとしたら「(その器官)ッ!」といえばいいことになる。二重瞼で優しい目をしたお母さんなんかは目以外の何かで訴えたほうがいいのかも知れない。

目以外で外部に訴えかけるもの・・・。各自で想像されるとよい(<手抜き)。あ、お父さんでも可。

[コアダンプ] !やや酔!ホニユシッ!

人でなしのnagajisにはどんな器官だってあるのだ。また入金操作し忘れていた・・・。真面目に反省したい。あと、幹事会にはちゃんとすーつを着て行きましょう>nagajis

どうも、nagajisにスーツというのは孫に意匠、もとい馬子に衣装であり、ケツの穴のちいせえ人間が精一杯背伸びしてる感が漂っているようでいけない。いや、全国数千万人のスーツさんを揶揄するつもりは毛頭なくて、とことんnagajisにはスーツ似合わないだろJKとしか思えないのだ。そうなのだ。人でなしのnagajisは人でなしらしく生きなさいってこった。

なので普段着(とも言えない怪しげな格好)で登場してもどうか石を投げないでください。スーツ着て出てきたときはウンコ我慢してると思ってください。年クラスの久しぶりにスーツ着た時点で虫食いに気づいてしまったり一張羅のネクタイ洗濯したら何故か裏地がボロボロに破れてしまって朝慌てて縫ってみたりしていたnagajisなのだから。

(とはいえ、莞爾となった限りは自分だけの体面じゃあないのだしな・・・ブツブツ・・・ニッコリ笑って自分斬るか(ボソ))

[コアダンプ] うむ。

ツッコミ欄は実体参照使えませんosz


2010-10-31 この日を編集

[] 明治21〜43年奈良県:伊勢街道(奈良県統計書)

##明治21−25 数値はM25

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807309/113

伊勢街道
自上市驛 至下淵駅 1.23 通1.23 − 最広2.0 最狭2.0
自下淵駅 至五条駅 2.26 2.26 − 2.0 2.0
自五条駅 至和歌山県橋本驛 3.0 3.0 2.0 2.0

##明治26

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807310/111

伊勢街道
自和歌山県橋本 至五条 3.00 3.00 − 2.0 2.0
自五条 至下淵 2.26 2.26 − 2.0 2.0
自下淵 至上市 1.23 1.23 − 2.0 2.0
自上市 至三重県波瀬 7.20 − 7.20 2.0 1.2 

##明治29

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807313/128

伊勢街道
自和歌山県橋本 至五条 3.00 3.00 − 2.0 2.0
自五条 至下淵 2.26 2.26 − 2.0 2.0
自下淵 至上市 1.23 1.23 − 2.0 2.0
自上市 至三重県波瀬 7.20 3.35 3.21 2.0 1.2 

##明治30

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807313/128

伊勢街道

自和歌山県橋本 至五条 3.00 3.00 − 2.0 2.0
自五条 至下淵 2.26 2.26 − 2.0 2.0
自下淵 至上市 1.23 1.23 − 2.0 2.0
自上市 至三重県波瀬 7.20 7.20 − 2.0 1.2 

##明治31

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807315/173

伊勢街道
自和歌山県橋本 至五条 3.00 3.00 − 2.0 2.0
自五条 至下淵 3.04 3.04 − 2.0 2.0
自下淵 至上市 1.23 1.23 − 2.0 2.0
自上市 至三重県波瀬 7.20 7.20 − 2.0 1.2 

##明治32

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807316/201

伊勢街道
自和歌山県橋本 至五条 3.00 3.00 − 2.0 1.40
自五条 至下淵 2.26 2.26 − 2.3 1.4
自下淵 至上市 1.23 1.23 − 2.0 2.0
自上市 至三重県波瀬 7.20 7.20 − 2.0 1.2 

##明治42

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807326/178

伊勢街道
自五条町大字五条 至和歌山県橋本 距3.00 通3.00 不通− 広幅2.0 狭幅1.4
自五条町大字五条 至大淀村大字下淵 2.26 2.26 − 2.3 1.4
自大淀村大字下淵 至上市町大字上市 1.23 1.23 − 2.0 2.0
自上市町大字上市 至三重県波瀬 7.20 7.20 − 2.0 1.2

##明治43

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/973034/82

[資]奈良県令・告示 明治21〜25

[] 明治21年奈良県:土木費支弁規則・県道関連

奈良県令第十三号

土木費支弁規則左の通相定む
但従前大阪府の令達等にして本文に抵触するものは自今適応せず
明治二十一年二月二十二日
奈良県知事子爵 税所 篤

 土木費支弁規則

 第一条 左に掲る道路橋梁及堤防の修築工費は地方税を以て支弁する者とす
但道路橋梁の掃除河川の急防及樋管に関する堤防の修築は関係町村の負担とす其施工方法は別に之を定む
道路橋梁
国道
仮定県道
堤防
大和川[初瀬/佐保]両川出合より下流
吉野川吉野郡飯貝村より下流
第二条 左に掲る道路橋梁及堤防の修築工費は工事の緩急民力の堪否及工事の難易等を斟酌したる上改修と修繕との区別に拠り左の歩合に準じ地方税を以て補助す
但し本条に掲記せざる河川の堤防にして非常の天災に罹り其民力に堪えざるものは特に補助すべし
一項 改修工費の補助は総額の二分以上八分以下
二項 現形修繕工費の補助は総額の五分以下
里道及橋梁
加茂街道
添上郡奈良阪村にて国道より分岐し同村にて山城国界に至
一条街道
奈良手貝町国道より分岐し添上郡法花寺村添下郡中山村鹿ノ畑村を経て同郡高山村にて郡山街道に接す
歌姫街道
添下郡九条村奈良街道より分岐し横領村を経て同郡歌姫村にて山城国界に至
郡山街道
添下郡々山本町にて奈良街道より分岐し添下郡城村中村三碓村二名村を経て同郡高山村にて河内国界に至
清滝街道
平群郡竜田村奈良街道より分岐し小瀬村山崎村小明村添下郡上村を経て同郡南田原村にて河内国界に至
十三街道
平群郡椿井村にて清滝街道より分岐し同郡福貴畑村にて河内国界に至
富雄街道
添下郡小泉村奈良街道より分岐し万願寺を経て同郡石木村にて郡山街道に接す
九条街道
添下郡石木村郡山街道より分岐し同郡九条村添上郡杏村古市村を経て同郡鹿野園村にて名張街道に接す
月ヶ瀬街道
奈良東向日町なら街道より分岐し添上郡高畑村同郡柳生村同郡月ヶ瀬村を経て同郡石打村にて伊賀国界に至
名張街道
奈良高畑村国道より分岐し添上郡鉢伏村杣川村山辺郡小倉村を経て笠間村にて伊賀国界に至
五ヶ谷街道
添下郡外川村富雄街道より分岐し郡山添上郡三橋村今市村高樋村を経て同郡北椿尾村に至
堂ヶ谷街道
平群郡幸前村奈良街道より分岐し添下郡筒井村添上郡櫟ノ本村山辺郡福住村を経て同郡小原村にて名張街道に接す
中街道支線
平群郡八条村にて中街道より分岐し同郡馬司村を経て添下郡筒井村にて下街道に接す
笠置街道
宇陀郡福地村上街道より分岐し赤瀬村山辺村吐山村小倉村添下郡邑地村を経て同郡柳生下村にて山城国相楽郡笠置村国界に至
布留街道
平群郡法隆寺村奈良街道字並松より分岐し額田部村にて下街道に接し更に分岐し二階堂にて中街道に接し又分岐して上街道を横断し布留村を経て藺生村にて堂ヶ谷街道に接す
橘街道
高市郡平田村中街道より分岐し同郡岡村十市郡谷村に至り初瀬街道に接し大福村にて更に分岐し式上郡大泉村に至り三輪街道に接し更に式下郡蔵堂村にて又分岐し武蔵村山辺郡備前村を経て添上郡白土村にて中街道に接す
法隆寺街道
平群郡法隆寺村布留海道字並松より分岐し川合村を経て唐院村に至り下街道に接し更に分岐して屏風村を経黒田村にて三輪街道に接す
長岡街道
式上郡柳本村上街道より分岐し式下郡法貴寺村を経て同郡八尾村にて中街道に接
田原本街道
葛下郡田尻村にて下市街道より分岐し高村広瀬郡三吉村十市郡大網村を経て田原本町にて中街道に接更に式下郡大木村にて三輪街道より分岐し式上郡辻村笠村を経て小夫村にて布留街道に接
多武峰街道
十市郡桜井村初瀬街道より分岐し同郡八井内町鹿路村吉野郡佐々羅村に至龍門街道に接
小夫街道
式上郡初瀬村上街道より分岐し瀧倉村を経て小夫村にて布留街道に接
古市場街道
宇陀郡松山町県道松山街道より継続岩清水村を経て同郡岩崎村にて萩原街道に接
上市街道
宇陀郡萩原村萩原街道より分岐し野依村に至り松山街道に接拾生村にて更に分岐し関戸村吉野郡栗野村北大野村を経て同郡窪垣内村にて伊勢街道に接
萩原街道
宇陀郡萩原村伊勢本街道より分岐し同郡古市場を経て吉野郡鷲家村にて伊勢街道に接
伊勢本街道
宇陀郡萩原村上街道より分岐し同郡内牧村山粕村掛村を経て同郡神末村にて伊勢国一志郡杉平村国界に至
曽爾街道
宇陀郡桃俣村伊勢本街道より分岐し同郡伊賀見村にて伊賀国名張郡布生村国界に至
針道街道
宇陀郡内牧村伊勢本街道より分岐し三宮寺村調子村を経て松山上新町にて松山街道に接更に大蔵村にて上市街道より分岐し宮奥村十市郡針道村を経て多武峰に至
八木街道
高市郡小房村中街道より分岐し同郡岡村及吉野郡千股村を経て上市村に至り伊勢街道に接す
高田街道
葛上郡戸毛村中街道より分岐し葛下郡三倉堂村にて初瀬街道に接す
当麻街道
葛下郡高田村新街道より分岐し同郡当麻村に達す
穴虫街道
葛下郡瓦口村新街道より分岐し磯壁村に至り下市街道に接し更に穴虫村にて分岐し同村にて河内国界に至る
水越街道
葛下郡池ノ内村下市街道より分岐し同郡名柄村にて河内国界に至る
高野街道
忍海郡南花内村下市街道より分岐し葛下郡西寺村にて水越街道に接す
芦原街道
高市郡観覚寺村中街道より分岐し土佐町を経て吉野郡桧垣本村にて伊勢街道に接す
東熊野街道
吉野郡宮滝村伊勢街道より分岐し大滝村柏木村白川村を経て同郡上桑原村にて紀伊国界に至
丹生街道
吉野郡下市村下市街道より四村広橋村を経て丹生村に至
十日市街道
吉野郡下市村下市街道より汗入村城戸村を経て同郡永谷村にて熊野街道に接す
熊野街道支線
宇智郡二見村伊勢街道より分岐し同郡火打村を経て紀伊国富貴村を貫通吉野郡坂本村にて熊野街道に接す
熊野街道
宇智郡五條村伊勢街道より分岐し吉野郡和田村永谷村坂本村永谷村平谷村を経て同郡七色村に至り紀伊国界に至
大沢街道
宇智郡五條村伊勢街道より分岐し中ノ村上ノ村を経て大沢村に至り河内国界に至
紀伊見街道
宇智郡二見村にて伊勢街道より分岐し木ノ原村にて紀伊国界に至
山上街道
吉野郡広橋村にて丹生街道を分岐し洞川村を経て坂本村に至り熊野街道に接す
龍門街道
吉野郡河原屋村家街道を分岐し同郡柳村北大野村等を経て同郡鷲家村に至り伊勢街道に接す
吉野街道
吉野郡北六田村伊勢街道より分岐し六田村を経て吉野山に至
丹波市街道
山辺郡田村上街道より分岐し東井戸堂村を経て嘉幡村にて中街道に接し更に庵治村にて分岐し式下郡結崎村に至り法隆寺街道に接す
久度街道
広瀬郡川合村法隆寺街道より分岐し大輪田村を経て葛下郡王寺村字久度に至り奈良街道に接す
御所街道
高市郡八木村中街道より分岐し今非町を経て葛上郡御所町に至
堤防
葛城川 葛上郡小殿村下流
曽我川 葛上郡戸毛村下流
寺川 式上郡川合村下流
初瀬川 式上郡初瀬村下流
宇陀川 宇陀郡下井足村吉野郡合流所下流
佐保川 添上郡法蓮寺村下流
富雄川 添下郡二名村下流
葛下川 葛下郡高村下流
芳野川 宇陀郡松井村宇賀志川合流所下流
竜田川 平群郡下垣内村下流
飛島川 高市郡田中村下流
高田川 葛下郡柿本村下流
水越川 葛上郡森脇村下流
岩井川 添上郡鹿野園村下流
善堤山川 添上郡蔵ノ庄村下流
秋篠川 添上郡五條村下流

明治23年県令第50号 戸毛街道追加

明治24年5月県令第○?5号 国?見街道、善根寺街道、宇陀街道追加

明治24年県令第31号 曽爾街道支線追加

明治25県令第57号 田戸街道、?街道追加 3川追加

奈良県告示第二十号

左の道路を仮定県道とす
 明治二十一年二月二十五日
 奈良県知事子爵 税所 篤

仮定県道
奈良街道
奈良橋本町元標より起り葛下郡藤井村に至り河内国界に達す
上街道
奈良樽井町国道線より分岐し山辺郡三本松村に至り伊賀国界に達す
中街道
奈良木辻村にて奈良街道より分岐し宇智郡三在村に至り伊勢街道に接す
伊勢街道
吉野郡杉谷村にて伊勢国界より起り下淵五條を経て宇智郡上野村に至り紀伊国界に達す
初瀬街道
葛下郡竹ノ内村にて河内国界より起り式上郡慈恩寺村に至り上街道に接す
下市街道
吉野郡下市村より起り御所長尾を経て平野村に至り河内国界に達す
闇越奈良街道
奈良角振町奈良街道より分岐し添下郡中村を経て平群郡西畑村にて河内国界に達す
三輪街道
式上郡三輪村にて上街道より分岐し田原本箸尾を経て葛下郡王寺村に至り奈良街道に接す
古堤街道
添下郡中村にて闇越奈良街道より分岐し椚峠を経て平群郡俵口村に至り河内国界に達す
新街道
葛下郡高田村にて下街道より分岐し同郡畠田村に至り三輪街道に接す
下街道
添下郡々山柳町奈良街道より分岐し高田御所を経て宇智郡住川村にて中街道に接す
土佐街道
葛上郡三輪村にて上街道より分岐し桜井にて初瀬街道に接し更に式上郡慈恩寺村にて分岐し粟原麻生田野依を経て宇陀郡松山町に達す

奈良県告示第十二号

左記線路二十三年度より仮定県道に編入す  明治廿三年一月廿七日
奈良県知事 小牧昌業
仮定県道下市街道支線
県道下市街道葛下郡二上村大字磯壁村より分岐し同郡五位堂村に達す

奈良県告示第二十七号

仮定県道中街道支線の内左の通変更す
高市郡白橿村大字畝傍神武天皇御陵前より同村大字大久保にて仮定県道中街道に接する間仮定県道の名称を廃し更に同村大字御防橿原神宮を経て同村大字見瀬にて仮定県道中街道に接するの間を仮定県道に編入す
明治二十四年三月二十七日 奈良県知事小牧昌業

奈良県告示第二十八号

左の街道を明治二十四年度より仮定県道に編入す
伊勢本街道
宇陀郡榛原より起り大字内牧山粕を経て土屋原に至り分岐し三重県飯高郡波瀬村に達する線路中国界に至る間
明治二十四年三月二十七日
奈良県知事 小牧昌業

奈良県告示第六十号

左記の線路二十四年度より仮定県道に編入す
 明治二十三年七月二十四日
 奈良県知事小牧昌業
京阪街道
葛下郡王寺村大字王寺所在仮定県道三輪街道より分岐し広瀬郡川合村大字薬井を経て葛下郡上牧村大字下牧にて三輪街道に接す
郡山街道
添下郡郡山奈良街道より分岐同郡都跡村大字尼ヶ辻佐紀及平城村大字歌姫を経て山城国相楽郡に至り京都府下県道に接す

奈良県告示第八十七号

左の街道を明治二十五年度より仮定県道に編入す
 明治二十四年十二月二十六日  奈良県知事 小牧昌業
多武峰街道
十市郡多武峰村より起り同郡桜井町にて初瀬街道に接する間
広瀬街道
広瀬郡河合村にて三輪街道より分岐し平群郡法隆寺村にて奈良街道に接する間

2011-10-31 この日を編集

[独言][橋梁] 滋賀県・金丸橋、安曇川大橋、家棟川水路橋

画像の説明

滋賀県で見つけた橋梁3題。一つ目は高島市(旧安曇川町)の金丸橋。プラットトラスの手本のような鋼トラス2連。一見して古いトラス橋だとわかるのだけれども、親柱も銘版もなく、竣工年が不明だった(旧橋の親柱らしいものが一つ転がっていただけ)。帰って橋梁史年表で調べると1930(昭和5)竣工とのことだ。

画像の説明門構の隅の仕上げが独特。この設えは湖北の福橋、川合橋と一緒だ。

こちらが福橋。高時川架設のRC桁+プラットトラス3連。2005年に撮った時はずいぶんさびていた。金丸橋は結構よく手入れされていて、昭和63年に旧橋化したとはいえ、まだまだ持ちそうな感じだった。画像の説明

画像の説明

2つ目は安曇川の本流にかかる安曇川大橋。銘板で昭和8年竣工と知る(親柱には平成3年竣工とある)。曲弦のワーレントラス2連。こちらは「滋賀県土木百年年表」にも記録があって山本広次設計となっている。接続する陸橋・安曇川小橋はアーチ風の複連RC桁橋だったが、これも当時からそうだったようだ。

「日本の近代土木遺産」「滋賀県の近代化遺産調査報告書」には非掲載。近代化遺産調査の一次調査のリストには入っている。県下に残る戦前の鋼橋としては大形なほう。

画像の説明
轢かれそうになりながら撮影した橋梁銘板。昭和八年、汽車製造株式会社製作。路線としては県道大津今津線になるはずなので、昭和6年の「六六計画」によるものと思われる。次の水路橋工事もその絡みか。

画像の説明

最後に家棟川水路橋。「滋賀県土木百年年表」に写真があったやつだ。県道木戸・小松道路改良工事とだけしか書かれてなかったので場所がわからなかったが、かつての西近江路、大正県道大津今津線、要するに現県道161号の北小松の辺りだった。

画像の説明水路橋以前のようす。天井川を越えていく道を写したもので、写真左端に「陸閘」と書かれている。いざという時に道路を塞ぐ閘門のようなものがあったらしい。現地にはこの写真と同じようにして越えていく道が残っていて、それだと気づかずに通り抜けてしまった。いかにも天井川らしい風化花崗岩の白砂利の目立つ道だった。もっと撮ってくるべきだったな……小雨が降っていて自在に撮ることができなかった。

画像の説明竣工直後の水路橋。前掲の写真とは写した方向が逆のようだ。

改良工事は昭和11年7月1日から始まって昭和12年9月30日竣工となっている。橋梁工事は請負、他は滋賀県直営事業。


2014-10-31 この日を編集

[独言] うむ

さんざん悩んで試行錯誤を重ねた結果、実質的には何も起こっていなかったということを確認しただけだった……。どういうことだ。削除したのがまた上がっているという認識が間違っているのではないか。だいたいあのフォーマットであげてもフィールドがあってないからacceptされるはずないじゃん。なのにAmazonは31万件処理したとか宣う。チェックの意味ないぞ。

というわけで処理が遅れてます。すみません>各位 特に小学校の先生へ。明日発送しますのでお待ちください(とここを見ていないに違いない人に向けてのメッセージを書くなと何遍言ったらわかるのか)。

[独言] そーゆーことか

一台だけ動きがめっさ遅いパソコンがあって、そいつにメインが動いているもんだから、他のパソコンの作業にも影響を及ぼしていた。プロパティ見たら2G載ってるくせにアプリ2つ動かした状態でオーバーしかけてた。どっちもJavaなんで余計にメモリ喰いなんだと思う。これでは動くもんも動かんだろ。

ということで、Sさんを唆して4GBに換装したのだけれども・・・32bitなWindows7だから3GBちょっとしか使えないのな。いまだにXpな自分はそうなることを知らなかったものだから「1GBどこいったん?」と悩んでしまった。オンボードビデオに持ってかれたかと思った(んなわけあるか。だいいちノートじゃないじゃん)。

とりあえず物理メモリ3GBでPF2GBちょいだからまともにはなった。それにしてもWindowsのメモリ管理は頭いいんだから悪いんだか・・・重くなったら途端に重くなってアプリ落とすのもできなくなるからなー。MacOS9はその点ちゃきちゃき終わらせられて回復できるからありがたい。でも開放されないメモリが多数。どこいっちゃってるんだろうな、あれ。

[] かいてる

地味にひととおり書いている。pdfにするのがまだ。たぶん前の書き方に戻っているので面白く無い。

[] Amazonが国立国会図書館デジタルライブラリー蔵書を100円で販売

一瞬「おっ」と思ったけれども、どうせ著名本とか絵的に面白いものとかばっかりなんだろ。自分が見たい統計書とか郵便路線図とかがあがってくるのは百年後な。だいいち元データからして腐ってるやつを直してくれたりはしないんだろ。うんこめ。

あと、Amazonに紐付けされるんだったら自分でpdf連結してつくったほうが精神衛生上よろしい。

[奇妙なポテンシャル]

「まんぎょんぼん」という言葉が頭から離れない。何かにつけて「まんぎょんぼん」と呟いてしまう。ひと仕事終えてふうとため息をついたあと「まんぎょんぼん…」といってしまったり、さあ寝るぞというウキウキした心情が言葉になってでてきた時に「「まんぎょんぼん!」だったりする。時既に末期である。

まんぎょんぼん。これは間違いなく強い言葉だ。オタフクソースは弱い言葉。オリバーソースは中くらいに強い。最強はハグルマソース。そんなヒエラルキーのかなり頂上付近にいると思う>万景峰

ああそうか。いま気づいた。町中で韓国語が耳につくのは強い系の言葉や語尾がおおいせいだ。アンニヨンハシムニダ。これは間違いなく強い。北朝鮮の国営放送がよい例だ。一方中国語は若干弱い。ニーハオなんてずいぶんじゃないか。


2017-10-31 この日を編集

[独言] さいきん気づいたこと

並型煉瓦の長さはこきりこの丈といっしょ。

[煉瓦展] 会場見取図

画像の説明


2018-10-31 この日を編集

[煉瓦工場] 拡げる

まったくふじゅんなどうきからかくちょうをはじめる。わはは。そういう動機でもなければやらんだろ。やらんかったら中途半端で終わるだろ。

[独言][産業遺産] 勝山市 はたや記念館 ゆめおーれ勝山

先日勝山市を通った時に出会った記念館。もと羽二重織の工場だった建物を再生して勝山の織物工業の歴史を教えてくれる施設になっている。

2階のこの展示が素晴らしい。糸繰り機や整経機などが動態展示されている。糸はさすがにループで回してあるけれども、これだけ各種の機械が律儀に動いている姿はなかなか見られるもんじゃない。何よりステキなのが、当時のやりかたと全く同じ方法で動力を取っているところ。ひとつのモーターの回転を、革ベルトとプーリーを介して各機械に伝達するという、当時のやり方をそのまま再現している。この機械たちはたった一つのモーターで動いておるのだ。それが昔の工場の極普通であって、今じゃまず見ることのできない仕業なのである。素晴らしい。ああ素晴らしい。オーチンハラショー。

奥にある羽二重の織機も動かして下さった。樋を左右に飛ばす仕組みがどうしてもわからなかったのだが---要するにピンボールのフリッパーではたくような感じで左から右、右から左と飛ばすのだけれども、それに動作を与えているらしい回転が2回転したところで1度樋が飛ぶ。どういうタイミングの取り方をしてるんだろう---、樋を受け・飛ばす構造体とそれを動かすバーとを接続するのに厚い刺子の布を使ってあるのは意味がわかった。樋を受けた時のショックをそこで吸収しているのだ。刺子布は樋受け部についてる棒に半分巻き付くような形で取り付けられていて、それをグイと引っ張ることで樋を飛ばす。逆に樋を受ける場合はその布と棒の摩擦&厚い刺子織りが曲がることで衝撃を吸収する。もし樋受けと機構がリンク構造かなんかで結ばれていたら樋受けにあたった瞬間に跳ね返ってしまって送り返せないだろう。どこかにショックを吸収する機構を入れればリンクでもいいんだろうけど、たぶんすごく煩雑になる。そのへんのややこしいところを刺子布一枚で処理しているところに感動を覚えたことだった。

[料理][独言] チキンラーメンをくう

夜食にチキンラーメンをしばいたろうと思い立った時に常温保存かつ1週間ほど賞味期限が切れていた卵が出てきたのだが何の躊躇いもなく食べてしまえたところに生命讃歌を聴いた気がした。あちこちガタが来ているくせに胃袋と外因に対する免疫力だけは衰え知らずなようである。なにしろ金と食うものに困って2週間前の常温放置のサンドイッチを食っても何事も起らなかったような胃袋だからな。とはいえ症状が出るとしたら明日の朝とか今晩就寝中だろうからここで結果をご報告することができないのは残念である。

こんな胃袋でも貝類の毒には正しく反応するようで冷凍庫に一年間近く入れっぱなしになっていたホタテを食った時にはさすがに胃が痛くなった。偉いものだと思う。


2022-10-31 この日を編集

[独言][煉瓦刻印] ○カナ、○英字をめぐる独言

海サンバ川の○カナと一連の○英数字は同じ径。刻印の作りもすごく似ている。縁の○などはすごく鋭く尖った感じ。これと大阪城○ホは明らかにサイズが異なる。うえにエッジも鈍い。

シ・・・42文字目 メ・・・40文字目 キ・・・38文字目。イロハの最後の方。使い切って英字? 英字もB、C、D、F、Iとはじめのほうばかり見つかっておる。

○英字は特徴的な摩耗をしている。印中央から左右にかけて摩耗していて、これはまっすぐ押すのが難しいからだろう。小口面が体の正面に縦にある状態で小口に印を押すと印の上下を平行にすることは見ずに感覚的にできるが、それが右や左に傾いているかどうかまではわからない。やってみるといい。印を寝かしすぎたり立てたりする。その打刻の繰り返しで印の右左が先に摩耗する。

○ホと”B"添印とが同じ大きさなのは、5分というキリの良さによる普遍性もあるだろうが。その前に”B”添印が「た」くさいのが気になる。同じセットで検出したのは「タ」だった。「タ」か「た」という共通性は偶然かどうか。識別印なら他のがあっていいし(それが○ホであったりするかも知れないが)。

瀬田の田中煉瓦の存在。工場通覧ではさほど頻繁には出て来ないが工場主田中宇兵衛(卯兵衛)は京都煉瓦製造の社長であった。京都煉瓦製造はM28~31、それが廃業した頃大萱田中煉瓦を興している(@滋賀県統計書M32。その時にはM14~17創業といってる。これはもしや逢坂山トンネル工場と関係が?)。ふむ。宇治火薬製造所はM28頃だから○カナを京都煉瓦製造と推定してみてはどうか。その京都煉瓦製造が解散したあと大萱で製造を続け、それが○タ○たをなんとなーく使ってM33の瀬田川橋梁複線化に供給(草津-膳所間複線化はM33.6.7.)。その余りを自分はみているという可能性。初代はたぶん湖東組。その余りが前河原でビビビ。大阪京都間は堺の影響力大だし逢坂山越えが大変。料金もかかるんじゃねえか。

○カナを京都煉瓦製造と見れば大阪でめったに見ないのもわかる。宇治は当然近い。三高に煉瓦提供。京都煉瓦製造業組合。あと例の公文書。大阪城も陸軍関係と見れば。

見つけたものが多い上に、それぞれがあてはまるべき場所があって、なんかもうすごいことになってきた。残るは○英字・カナセットだがこいつはちょっと散ってる範囲が広すぎて困る。近江にgradA=0を求めれば半場川は中京工事の最東端でそこまでの線路はできている。直江津線も長浜陸揚げ敦賀へ送って船送でいい。もちろん中京のどこかでも構わないが、中京から湖東線の各現場に送るのは手間だ(湖東線ができあがってないから)。長浜から最寄りの港と考えられなくもないけれどだったら湖東組に任せりゃいいじゃん。結局のところこれも湖東組の所為にしてしまえたら非常にすっきりするのであるがしかし近江八幡市街では見なかったのだよ数年前の話だけれど。天竜川へ豊田町方面から向かってしまったことがつくづく悔やまれる悔やまれる。

https://lab.ndl.go.jp/dl/book/780094?keyword=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%85%89%E7%93%A6&page=430

https://lab.ndl.go.jp/dl/book/949488?keyword=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%8D%AF%E5%85%B5%E8%A1%9B&page=185

https://lab.ndl.go.jp/dl/book/801934?keyword=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%8D%AF%E5%85%B5%E8%A1%9B&page=149


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