nagajisの日不定記。
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up。内容は全然代わり映えしない。画像も変わらない。おまけ企画みたいなものだ。
とはいえ、文字の大きさと行間を調節して少し読みやすくした。
旧橋はデザインが変更になりそうな塩梅。表紙upしてなくて良かったぜ……!
チャットにコメントを貰ってたのに気づいて、参考にさせていただき、メールアドレスを実体参照にしてみた。(SPAM界に)すでに広く行き渡っているアドレスだから今すぐ効果が現れるものではないだろうが、送信される側には優しくなったと思う。
ついでに掲示板のプログラムをいじってこちらも実体参照化。
my $str=$data->[6]; utf8::decode($str); $str =~ s/(.)/''.(rand(1)<0.5 ? ''.ord($1).';' :$1).''/eg;
みたいな感じにして表示部分だけをエンティティ化。むっちゃ適当だが動いてる。さすがはperlだぜ!
今日もTOPIX・東証株価指数が変わった。いまドルレートも変わった。
書くべきことがあるだろうという突っ込みはないものと予測し奇妙なポテンシャルについて考察する。
先日、Fさんに質山峠へ連れていっていただいた帰り。デカンショ街道と√423の分岐付近で矢印だけの青看板を発見した。右上のシールの下に国道なんちゃら号と書いていたのだろうか。この場合左下に丁字の注意標識もあるわけで二重に無意味である。
で、写真を撮りながら「どこかで見た覚えがあるよなあ・・・」と思い出す。ようやくさっき、それがコレであることに気づいた。2002年の夏、母成峠の北側の旧道であったと思う。国道おにぎりと矢印だけが描かれている。
どこが奇妙なポテンシャルか問われたら、ちょっと返答に困る。どちらの写真も光量不足で似たような写真だった、というだけである。
看板撮るのがめっさ下手なnagajisである。
ネタが尽きたので工事画報に手を出す。軽い気持ちで始めたが無限の時間をかけても終わらなさそうな塩梅になってきた。しかも例のように役立たずである。単に時間をかけたという満足感または言い訳の種を得たいがための企画というべきであろう。
で、八木博士の殺人光線の件に引っ掛かった。しかも2年も前にすでに掛かったトラップだった。迂闊というか記憶力低下というか。
今月後半に奈良県の林鉄跡探索OFFを計画。索道の上なのでそこまで2時間半の薮漕ぎあり。たぶん前泊する。求む探索者。
至難の旅。
僅かな報酬。
極寒。
暗黒の長い日々。
絶えざる危険。
生還の保障なし。
成功の暁には名誉と賞賛を得るだけの、簡単なお仕事です。
東大阪市・鴻池新田会所にて。お昼から。五重塔が倒れない理由が判る講演会もあります。一般の方もそうでない方もぜひ。最寄駅はJR片町線鴻池新田駅ー。
1:50,000地形図・大台ヶ原山(明治44年測量)
現在の車道は赤線。枌尾を出たところですぐに対岸へ渡る。その後瀬戸まで川沿いの車道。
かつての道は青線のとおり。中奥の手前で中奥の高さにあがっていた。そこからゆるゆるとトラバって瀬戸へ。ちょっとわかりづらいが里道連路の牛馬ヲ通ゼズな道。ちなみに中奥から対岸山の中へ入って行く破線道は北又川流域の仕事場へ向かう道だった。神之谷が三之公を領していたのと同様、中奥は北又流域を領してた。はず。
緑線は戦後まもなくの応急修正版から。作ろうとして断念したトロ道とはこのことかも知れない。航空写真でも確認ができる。
それにしても・・・素堀のトンネルってどこやねん。
この場所にどうやったら76間+105間の隧道が穿てるのか、考えてみると面白い。
S9100、リサイズ・シャープネス一段。使いようのない写真。
今晩はラーメン2玉食べてやると決心したのに調理器具たる手鍋が行方不明で見つからず仕方なく30cmフライパンで作ったのだが量の加減が掴めずうすうすな味になってしまいその反省として水を足さずに作った2玉目が濃ゆすぎて塩辛く喉が乾き思わず傍らの薬缶に手を伸ばしたところその下からおもむろに片手鍋が現れた。畜生。なお相変わらず具はない。
ところで何で畜生が罵り言葉なんだろう。みんな生き物、仲良くしようよ<いやらしい言い方
こういうのをやろうと思いつく神経がわからない。明日は我が身かも知れないっていう想像ができないんだろう。
みたいな感じであげつらうのは簡単なのよね。自分より見下せる人間、あるいは叩いても無傷であろう大きな存在に対しては徹底的にアラを探して叩く人々。別の口では上から目線なんてゆう言葉を発しつつ。そういうのは人間同士でやるといいよ。
この間忘れてて思い出せなかったことは「末端であれ」ということではなかったか。アメーバの手足のごとく先鋭化し突出して拡がることのできる範囲を探る役割。斜上の発想を繰り返すことで界面活性化する役割。実験的手探り的模索の繰り返し自体に価値があって。安定はつまらない。君子になるつもりはないが危うきに遊んでもいいじゃないかという。
と、言葉にしてみるとごくごくありきたりなことだなあ。
分単位削除
欠落
曽爾街道
断片その1。綺麗に折り畳まれたバンダナが 引き出しの中に納められているシーン。オレンジ、緑、赤、青系都市迷彩という柄は実際に所有しているもので、納められている藤製引き出しも現実のもの。そうして折り畳んで収納していたことも事実。妙に現実的で、そうだと錯覚し引き出しを開けようとしたほどだ。最近は洗濯すらまともに出来ていず、畳んで収納など夢のまた夢である。
断片その2も現実的だったがコードに引っ掛かるので省略する。
どこに行くあてもなくなった日曜日、ふと思い出して禁野火薬庫跡へ行き、在りもしない煉瓦を探して右往左往した上に藪漕ぎしたりもした末に何ら発見がなかった。明らかに火薬庫時代のやつだろうという煉瓦の塊を見つけはしたが住宅街の片隅にあって無碍に割るわけにも行かず。もともとそんな都合よく残っているわけがないと覚悟して行ったのだから予想通りといえば予想通りで予定調和的当然之帰結であった。せっかくの晴天の休日が無駄になってしまったがこれでもう「かもしれない」を胸にモヤモヤした夜を過ごすことが無くなるわけだから全くの無駄足だと嘆く必要はあるまい。
帰りがけに久しぶりにぱらいそに寄ってみたが波打ち際の幅50cmしか見て回れなかった。2014年6月末日の訪問が丁度いい具合に干潮に当っていたのだろう。
試みに気象庁サイトで潮位変化を調べてみた。上は2016年10月30日と前後1日、下はぱらいそ初見時の2014年6月29日±1日。訪れたのはどちらも午後の3時頃である。
いまごろの最大干潮は夜中の12時頃。昼12時にも引き潮があるがそこから満ちていく頃なのでどんどん溺れていくことになる。初見時は昼過ぎに最大干潮があってちょうどその頃に行き合わせたわけだ。あの時は毛馬橋下の突堤状の陸に向かって飛び石渡しで渡って行くことができるほど引いていた。それくらいでなければ煉瓦の潮干狩りはできないわけだ。
2016.10.30には「四十」と岸煉×と「NIPPON」なんちゃらと刻印された耐火煉瓦の断片を見たのみ。京橋駅から桜ノ宮駅まで住宅街を歩いてみたがそこには何も見つけられなかった。無闇矢鱈に歩きまわるだけじゃやっぱりだめだ。
ダメすぎる、このプロフィール・・・
自分のやってきたこと、おもっていること、を客観的に記述するのはとてもむずかしい。主観的に書くのだったら幾らでも好き放題に有る事無い事書けるのかも知れぬ。面の皮が厚ければ何も感じずに書き散らせるに違いない。そういうふうな皮になっていないnagajisだからただ気苦労するばかりなのである。
何で煉瓦集めてるんだろうね……。コレクションのつもりではないと言いつつ、始まりにその気がなかったわけではないのだし、蓄積中にそれを意識しなかったわけでもない。だがコレクションという言葉にまつわるヤなイメージとは距離を置きたい。集めたものを披瀝して自慢したりするようなことはしたくない。誰かの役には立って欲しい、特定人物でなくても、そうさね、集合知の構成要素的な。そんなことを思う意識の根底には条件付きで翼が欲しいというのと似たような虫の良さがある。
記憶に残る夢を立て続けに。ひとつは女性の尻を触ってアフンと言わせる夢。前後が欠落しているため何でそんなことになったのか及びその後どうなったのかさっぱり解らぬ。一つだけ覚えているのは、濡れた手で不意に尻の割れ目を撫でてしまった時のゾクッとする感触を相手に味わわせようとしたものらしく、何とも禁則事項な話である。
もう一つは古本屋の夢。初めて訪れた店で妙に店主と意気投合してしまい、何も買わずに出るのもアレだなあと思って、本やらCDやらをいくつか購入することにした。そうしたら「これは絶版だから値札の二倍増しね」とサラッと言われてしまう。思っていた価格の三倍だということだ。焦って丼暗算してみると数万円の出費になりそうな塩梅。しかし抗議することもできず、その額をニコニコ顔のままで承諾するnagajis(だが払ったかどうかは覚えていない。そのへんで目が覚めた気がする)。
以上の夢をミーティングで(かなりソフトに翻訳して)話したのだが、話してみた結果、夢の中でもnagajisは気弱だということに改めて気付かされ、さらに落ち込んだ。なんでそこで強く出れないのか。夢の中くらい、腹を立てたり怒鳴ったりしてみてもいいじゃないか。
ま、過去に一度そんな夢を見て、夢の中で自己嫌悪になったりしたくらいだから、土台無理な話なのだけれども。いやなやつをぶん殴って蹴り飛ばして腹の底からすっきりするような夢を、一度くらいは見てみたいものである。
をうまく説明するための練習書き。文献調査?の結果、大高表が現実に即していない可能性が高いとわかりーーーこの現実というのは煉瓦規格に固定の寸法が付随していなかったこと、言い換えれば並型は何寸何分というようなコンセンサスがあったわけではなく多少の誤差が許容されて実用されていたということである。それを敢えて並型7寸4分みたいに限定してしまったところに若干の罪がある。そのサイズ自体は変動の範囲内にあるけれど、その寸法が平均値あるいは中央値のようなものであったかどうかについては疑義が残る。作業局形の厚さなんかは達の寸法とも違うけれど、それはインチ規格を尺寸で表そうとしたことに伴う避けられない変換誤差ではあっただろうーーー、現物の測定結果を大高表に寄せて規格を推定するのはあまり意味がないということになった( 東京形以外はね。あれだけはかなり初期からサイズが固まっていて大高表でもその数値が掲げられている) 。そうすると問題は現物の測定結果をどう活用したらいいのかという話になる。けれどもそれも、焼成時の寸法変動が大きすぎて、結果から素地の寸法を推定するのも難しい。長7寸2、3分〜長7寸7分も変わられたらどうしようもないのではないか。
焼けば焼くほど縮小したものらしく、焼過煉瓦を赤煉瓦より小さな寸法で購買した例もある。葦谷砲台の煉瓦なんかは好例。焼過煉瓦は並型くらいまで縮んでいる。そこまで行かない比較的赤い奴も小さいのが集中している一角があったりした。
もし、建築や土木工事の仕方書で購入煉瓦の規格が定められていて、その規格が厳密に護られていたとすれば、現物の測定結果は仕方書の規格になっているはず。 仕方書規格で濾した結果を見ていることになりそのフィルターの目の寸法を知れるわけである。けれども葦谷砲台や北吸隧道のように異なるサイズの煉瓦がにべもなく使われている場合は(うんこれは全くの誤用である)どう考えたらいいのか。
役立つデータにするための策。ひとつは、煉瓦各個の長幅厚をセットで測定し、その比率を見ること。長手列で長手を10箇所計測し、小口列で小口を測り、その平均値を出すんじゃなくて、一個の煉瓦の長手幅小口の測定結果を10個集める必要がありはしないか。煉瓦が等方的に縮むのであれば結果は似たような比率になるはず。とはいえ、そんな測定ができる状況は非常に限られてくる。生石山砲台くらいに破壊された構造物でないと個々測定なんて無理な話だ。
あるいは、厚さに だけ 注目して規格に寄せていくほうが現実的か。どの文献でも並形<作業局形<東京形<山陽形という関係になっている。長手や幅は文献によってまちまちだ。だから例えば1,8寸より小さいなら並形、その前後なら作業局形と推定していくほうが現実に即しているかも知れない。ただそのやり方では並形と作業局形の区別がつかないかも知れない。そもそも規格がわかったところでそれ以上議論を発展させにくいところがある(鉄道構造物に作業局形が使われていたとして、それが新旧の指標にできるかと言われれば、現時点ではたぶん無理。達がM24にできていたとしてもそれ以前に作業局形がなかったということにはならんからな)。
よほど限定的な、特異な状況下では、役に立つことがあるかも知れんのだが。
そうじゃなくて「規格」そのものから情報を読み取るようにしてみてはどうか。なぜその規格が生まれ、定着したのか。どこから縁って来たるものなのか。 民俗学の昔話や方言に対する態度と同じような心持ちで煉瓦規格に対峙してみたほうが(測定結果ではなく規格に対してだ)、有益な情報が引き出せそうな気がするのだ。 煉瓦寸法にではなく、規格の存在それ自体に意味を見出そうと言う訳。
うん、全然すっきりしねえ。
胸踊るような発見はナシ。眠くて眠くて参った。
M18.6.に大洪水。旋回橋だった頃の安治川橋が爆破されたやつ。同じ頃安治川口の雑居地の拡張が始まっている。M19、20頃の煉瓦業流行のきっかけがこの辺りにあるのかも知れないと思ったりしたが、直接には大阪周辺での紡績業の勃興であるはずなので、まあ県恐怖会であるだろう。
スマホのグーグル日本語入力は牽強附会が一発変換できないのか。やだな。
行き帰り含め5時間で3ケ月分。読み終えるのはいつのことか。そもそも読み終えられるのか。しかし今もっとも読みたいものがこれであるかもしれない。明治初期から中期にかけての日本の(大阪の)空気感を感じていたい。しかしあれだな、M18から読み始めたのは失敗かも知れぬ。M19、20頃であればまだ煉瓦絡みの話が多かったに違いない。M18は景気の谷の底だったようで景気のいい話はほとんど出て来ない。阪堺鉄道が着工した程度。いや、加太に要塞を建設するという報道を見つけたのと、藤田組の皮靴工場が難波新地六番町にあったのを確認できたのは収穫か。それをbdbに追記しようとしたら何をトチ狂ったか大阪鉄道湊駅と書いてあった。こっそり訂正しておく。
パンチがすぐに見つかった時にはバインダーが底をついていた。バインダーを買ってきたら今度はパンチが見つからない。新手の嫌がらせであるか。
東経135度49分49秒81、北緯35度4分5秒34、標高734mの地点に、ノートパソコンが落ちていた。
詳しくは確認しなかったが厚さ4cmくらいあるFM-V BIBLOだった。ハードディスクが破壊的に取り外されていて、そのことが一番意味不明である。処分に困った人間が不法投棄しに来るような場所ではないし、HDDを処理しているのならわざわざ山中に棄てずとも良かろう。そのへんの電柱の脇にでも放っておけばいい。而してこの斜面に落ちていた人工物はこれだけだったというのがまた謎である。
HDDがなかったのはかえって良かったかも知れない。変に残っていたりするとなおさら犯罪の匂いがキツくなる。
逢魔ヶ時に、してやられた。まさかこう来るとは。
追記:前河原避溢橋のネズミ男のビンタの如きビビビ列にも痺れたが---Iさんはこの橋梁のことを言っていたのだろうか。3年前の煉瓦展示の時に「有名な3連の煉瓦アーチ」に刻印を見つけたという話をされていて、しかしその写真がカメラロールから発掘できず、その場限りの話で終わっていたーーーなおその足で田村の先まで歩き通して煉瓦橋梁をみてきたが「ビ」が見られるのはここだけだった---、最後の最後、鯉川橋梁で「まさか向川暗渠みたいなことは起きないよな」と思ってめくった葛の下に「キ」があってぶったまげた。んじゃあさっき見た海サンバ川のアーチにもあったりしたら嫌だなあと再度立ち寄ってみれば”○シ”を見つけ出して。結局日暮れまでうろつくことになった。
海サンバ川の小口に”○+カナ”が出現したことで、京阪神地域で見ていた”○+カナ”が”○+英字”に繋がっていく可能性が出てきた。もしかしたらそれが”キ””メ”にも続いてさらには石部の無名暗渠のカナ印とも繋がっていったりするのか。前河原以北の肉厚アーチ群は一応小口も見たつもりではいるのだけれども、そのつもりでいた海サンバ川や鯉川で小口印を見過ごすところだったことを考えるとちょっと怪しい。愛知川の北の2つなんか大丈夫だろうか。
京阪神地域の”○+カナ”とはサイズ感が違うと思っていたけれど、も手元の”○ホ”の型を取って同じ条件で比較する必要がある。一連の刻印は型取材ですべて採取してある。
_ 絹路 [日時が合えば、行きますヨ。]
_ nagajis [23、24の連休辺りはいかがでしょか?]
_ 絹路 [自分はOKですが、他には...誰もおらんの? 現地まで輪行で?]