nagajisの日不定記。
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幾何・独語あり。特に戦況なし。午後は十三時より宣戦の勅・陸海軍人にたまわりたる勅語奉読式あり。日本は米が日本の言に従わす故に宣戦したるなり。英・米・蘭印・加奈だ・壕州今日宣戦布告。雨降りは陰気にて何事もなす感せず湿気ありて、なんといやな日ならん。
〔「壕州」→豪州。加奈だは「加奈多」を訂正して。珍しく筆跡乱れた日記〕
今日は晴なりと雖も白雲彼処に散在せり。近日の共通せる気候よりして熊本の地は大陸性に近き事は言うに及ばず、あたかも北陸の如き天候なり。即ち朝は晴れいるも次第に雲を増して遂には雨を霽らす等之なり。地理の四十分間に亘る考査あり。午後は工作にして相当ラジオの実物をいじりて知識を得たり。今日懸垂を試み、三十回なす。今日は平凡なる一日なりと雖も責務は充分はたしたり。頗る良好。
ひたすら作業。ようやくTUKA氏岩城6と自分の長いのを3点up。今回は旧橋TRDBを後回しにして書き始めたので余計に調子が良くないのかも知れない。いつもであれば最初に旧橋をひょろりーんと書くことでペースを掴む感じだったけれど、OFFから書き始めて重々しくなってしまった。体調不良で頭回って無い時間が長くなり過ぎたというのもある。
OFFはひととおりupしてチェック回し中。よく考えたらOFF報告でなくなってるような気もする(とはいえG.W.OFFもそうだっただろ>nagajis)。
北摂ははらがたわ峠。「廃道をゆく」でも取り上げているけれど、再訪+新情報1つということで。内容はふつう。どこぞで書いたのとあまり変わらずなので1/9を埋めるためのものとお考えなせえ。OFF、北摂はORJ初のカシミール使用。
熊野2は…。結構時間を食った挙げ句にまだ1日目が終わってないよウワァァァァン。これ以上入れるとパンクするのでここまで。
そうやって埋め草ばかりが育っていくnagajisの庭。廃道ぽくていいかも知れない。道じゃないけれど。不要な方は第2部DLしなくてもいいんだし、と思えば気が楽だむはは。
何か独言書いておきたい気もする睡眠前。
隠密行動だったつもりなのだが。どこから漏れたんだろう?
資料コネー!!!ので阪学大に実力行使に出ようとした矢先、出掛けに覗いたポストに入ってた。先月末には注文してたのに何ということだ。慌てて行き先を変更、電車の中で熟読した結果、予想通りのことになっていたが、これを入れ込むのは時間的にも能力的にも難しい。書いても中途半端なものになりそうだ。
というわけでOFF報告次号掲載は諦めるかも知れない。そもそもそれ以外が全然進んで無いし。あひたくないのでも忘れたいわけでも決してないのです。むしろその逆、モノにしないと申し訳が立たぬとの思いで断念する可能性大。無関係な方々はそのままのスタンスで、OFF参加者は残念な面持ちで生温かく見守ってやってください。どうせ読んで下さるんはOFF参加者の皆様くらいなものでしょうから。ひとつでじゅうぶんですよ。
以降これ以上ないという位に沈黙・沈降します。bye
かつての公共物を対象にしている限り&欲を出さずにいればそれほど厄介なことになることはない.歩いて楽しむとか写真を撮るとか.馬鹿な行ないをして若さを自慢してみるのもいいだろう(あとで虚しくなるだろうが).一方,それだけじゃつまらないと思っている.その道が作られたor廃止された社会背景だとか関連産業だとかに首を突っ込んでみる面白さがある.そういうのを踏まえて包括的に道を見ることで得られるいろいろがある.個人的にはそちらのほうが好きだし,広めたいと思う.しかしそれを追究していると古川機械金属のような問題に行き当たる.行政だってどこもそんなに協力的なわけじゃない.安治川隧道がらみの大阪市役所の対応はまだいいほうで,今の御時世それどころじゃない所も多い.
どこかに落とし所を見つける必要があるのか.そうでないのか.まあ,今絞り込む必要はないのだろうな.私は私の方面で尖っていればいい.
いちばんよいのは,そこに住んでいる人の得になる−金銭的でもいいし精神的にでもいい−ことか.ハイフン内前者はすでにビジネスとしてあるんだから後者を追究するといいのかも知れぬ.金にもならない戯れた夢で,nagajisにはお似合いだ.
右に左にブレているように見せかけて収束していきたい.exp(αx)・sin(π/2・x),α<1.いや別にαのx乗でもいいんだけど.
日本語に翻訳しておく.やがて行き止まりに至ることを承知でその道を進んだっていいじゃないか,ということ.それが廃道探索ってもんだろうし,そういう道には獣道なり旧旧道なり,どこかにエスケープが存在するものだ.行ってみなきゃわからないじゃないか.
バンレンさんのご協力を得て戦後の播州煉瓦合同で手成型をやっておられたという方に話を伺った。長年の疑問が解決し、その1.2倍くらいの疑問が生まれ、そして帰りの電車の中で0.4倍くらいになった。結論としては、裏が表になって、元裏のほうがきれいに筋がつき、そして最初に表だった面に太筋がつくのは確かなようだ。その筋がつくタイミングは抜きの作業の時とその翌日の作業なのだが、抜きをしていた方は思い当たる節がないと仰る。しかし最後の面の裏側に、作業者の気がつかないうちにつけば、気が付かれることはない。おそらく叩きつけてつくのではなく、元裏面を撫でることでつくのではないか。作業台(まな板)の幅が枠の幅の2倍では足りない。2.5倍でも厳しいかも知れぬ。ひっくり返す向き、およびどのようにひっくり返すのか(木枠だけを持ち上げてひっくり返すのか、まな板ごとひっくり返すのか)。ただ一度横にしたら動かさないわけだから。
型枠は横向き。それを小口からコビキで削る。撫でる。ひっくり返す。撫でる。優しくコトコトして外す。激しくやると歪んでしまうほど粘土はヤワい。しかしヤワすぎると餅のようにひしゃげてしまう。5個取る板のうえで。それほどまでにヤワめな粘土。
後に生まれた者が積極的に出かけていって尋ねなければならなかった。我々のような者が。怠惰と責められても仕方ないのである。
Knついにコンプリート。元西神吉村岸の播州煉瓦合同跡地?弘栄煉瓦工場跡地?にて。恐らく前者と思わる。
宝殿の南側ではK3、細K、刻印K、そしてB.C>△H.J.を発見した(!!!)。
帰りに立ち寄った弘栄煉瓦跡近くの不思議空間では機械成型の細Kを多数。長屋状になった家々の基礎が悉く細Kであった。そのうえKnシリーズの番号なしという奇妙なものにも遭遇した。
さらには・・・聞き取り調査でこの空間が播州煉瓦合同の社宅であったとの証言を得た。弘栄煉瓦ではなくて!
考えられるシナリオ。もとは弘栄煉瓦岸工場の社宅として作られた→弘栄廃業後に播州煉瓦合同が取得→今に至る。ではないか。なにしろ播州合同煉瓦(S25以降)は今のバンレンと同じ三本線を煉瓦に押していたことは証言が得られている。もし播州合同煉瓦が播州合同煉瓦の社宅として築いたのなら三本線刻印煉瓦が使われていておかしくない。しかし一帯は機械成型+Kが最も多いのだ。弘栄:最初は手成型無刻印→Knの使用→Kn廃止→Kの部分だけを流用(Koueiだからな)→細Kの使用、とかいうシナリオが最も矛盾しない。Knじたいを弘栄と考えることも可能かも知らぬが、それだと構造物でn一定の謎が説明しにくい。作業が家ごとで、日に1000本も抜いたとしたら、小さな構造物ならたまたま一家ロットになることもあるだろうが!! !
あーーーーー。わかるようでわからないこのモヤモヤ。そのうえB.C.△H.J.が宝殿にある理由とか、考え始めるとさらに意識が雲散霧消する。
いやそうか、あの方に社宅はどこだったか尋ねるんがいちばんはやいのか。
量が多くて尻込みしたが温泉の変遷という新鮮な話題ゆえ大層面白がりながら作り通す。TUKAさんの記事は余裕があって拡がる余地があるように思われるのがうらやましい。あんだけ調べるの大変だったろうと思うのだけども表面的にはそれが感じられないのだよね。対してnagajisのは必死に詰め込んだこととか汲々として書いたことがバレバレだ。誤読の隙すら与えまいと必死なくせにその努力のベクトルが明後日の方を向いている。だから疲れるだけなんだよ、読む方も書く方も。うん。
当たり前なことだがどんなことにも歴史がある。過去の事実が連綿と繋がっている。手繰って行けば様々なものが芋づる式に手に入るのだけども大抵それは無色透明だったりすっごい細かったりぐっちゃぐちゃに絡まっていたりする。明々白々な一筋の縄ではないのである。それにキレたりせずに、丁寧に、地道に、じっくりほどいてやる根気があれば、もしくはそういうのをときほぐすことのおもしろさにきづくことができれば、世の中というものが生きるに値する面白い世界だとわかるのだけれども、そういう見地に立つことができるようになった頃にはもうどうしようもなく年老いているのが常なのであった。
自分という一個の人間の知っている世間なんて狭いもんだ。セレブスターの暮らしも宮中の日常も平均的社会人の平均的労働も下層社会の生死与奪も知らぬ。世の中について知らないことが多すぎる。知ってどうするという思いもある。幾ら知ったところで世の中における自分の立ち位置占める位置は変わらないのである。ただ少しものの見方がかわるというだけだ。
原稿書きの合間に大日本帝国商工信用録を見ていていくつか気付かされることがあった。これなどは件の大和高田の刻印に近い。他の屋号でヤマだけ+右側にチョンが入ったものがあったから、それが両チョンになって●に被さる形もありなのかも知れない。
めくっていくうちにこんな屋号に出会ったりした。丹治煉瓦の丸丹とまったく同じだ。これは確か第24版だったかで見たもので、福井県と大阪府、運送業と煉瓦製造という違いがあるし、そもそもこの頃丹治煉瓦は合資会社として横ずれ〓を掲げていた(同書にもそれが載っている)。被ることはまあなかっただろうけれども、電略○タンだったりするのはちょっと混乱したかも知れぬ。
それよりもこいつが問題か。敦賀の運送会社も三ツ輪社章を使っていたようだ。さらには石川の共同運輸会社とか何とかも三ツ輪マーク。社章・屋号のコリジョン問題は一度深く考えなければならない。左記2会社は同業種だから経営者が同じだったりするのかも知れぬし、その理論で言えば石黒商店も同系列であって云々という可能性も微レ存になってしまう。そもそも三ツ輪なんてそんなに珍しい屋号じゃなかっただろうし、実際愛知の工場なんか結構コリジョンしまくっている。
帝国商工信用録は1400コマ近くあるのに目次が整備されていないうえ業種の並びが非常に恣意的で法則性に乏しいという拷問のような本である。ひたすらペラペラめくっていくと脊髄が白化していくのがよくわかる。基本的に商業会社や商家の一覧なので煉瓦工場で小売も行ったようなところしか載っていない、すなわち煉瓦工場の社章なり屋号なりに出会う確率は非常に低く、それでも見ないではいられないという、そんな試練な本である。しかし今回でざらっと目を通して大マスの会社は拾い終えた。屋号社章もそんなに多くはない数抑えてある。どのみち大日本商工録のほうがこの点では十二分に役を果たしている。あとは関西の「京阪神商工録」に相当するような地域版を探すだけだがそんなに数は多くないようだ。
_ F [いつの間にか写真が。 株式会社樫野の342ページに次のような文章がありました。「昭和13年1月、樫野商店は、兵庫県印南郡曽根町に曽根支店を設置した。大正5年5月に樫野商店が資本出資して設立された..]