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1942-10-24 [長年日記]

[陸幼日記]十月二十四日 土 雨

〔欄外「正取締となる。」〕

五時五十分起床。三寒となりたるか、又島原特有の気候なるか相当に冷えたり。此の時に当り、実に圃〔朱棒線〕団の有難味を感じぬ。敷圃団上を自由にころげて安眠する時の感じ目覚めたる時の感じ、共に心地よきものなり。家、我が家思えば二年前我は親の手元に我儘に過したるものなりき。思えば思う程当時より以上に孝養を尽くさんものをと感じぬ。
国民学校に七時集合。橘神社に正式参拝し続いて各個に、橘中佐興津城を詣ず。此の千々石湾を一見する景ありてこそ軍神も出でたるかと案ず。続いて中佐御生家を訪問し、御遺品・日誌・陣中日誌を拝観、特に日誌が綿密にて字〔理〕路井然とし、又名古屋幼年学校長としては生徒の事を真に思いて其が日誌上に総て表われ、又日露の役に出征しては陣中日誌(個人的の物)に部下の勲功を記す。平常此くありてこそ軍神たる人は生ずるものなり。平常悪のして、いざとの場合に努めんには之は不可能とも云うべし。要は平常の修養にあり。
 裏庭の柿に登りて千々石湾
  かくありてこそ軍神や出づ
御生家の裏に柿の大木ありて、軍神が幼少の頃よりよく登りいたりと聞き作りたる和歌なり。
 海の景 山の景色に 心の景
  橘神社のかの崇さを
山高き橘の社の境内にて作りたる歌
十一時より十四時まで雨の中の行軍し雲仙温泉地帯古湯に行く。蛇の如き道を登りたるなり。柚木崎生徒監殿の注意ありて宿につく。室に入りて急に寒さを感じぬ。海抜七百米、聞きしに勝る寒さなり。ゆかた・どてらに身を変え湯に入る。温泉なりと雖もぬるくてきたなく感じなし。十八時まで外出は許されぬ。然し大雨の為外出せず。
又予定の仁田峠、普賢岳にも登ることを得ずして残念なりき。二十時就寝す。
今日は大分教訓を得たり。軍神橘中佐の俤を偲びたる其の一なり。又雪やあられの降るに遭う。途中有明海・大村湾・橘湾を一見する絶景あり。豈偉ならずや。
稚児落滝とて硫黄の成分を相当に含める落あり。徳川の初め、切支丹信者の従わぬ者はかの高き所より抜け落としたると聞く。


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