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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-10-24 この日を編集

[陸幼日記]十月二十四日 金曜日 曇

午後は術科なく運動会場の準備ありたり。石灰を持ちたるが、白きため、何となく妙な感じして、しばしなすこと能わず。石灰を握ると手の皮がはげんと。夕食後は又しても酒保へ行かず。何となれば食いたくなし。眼が今日に至りて疲れをおぼえ、パチヽなし。実に眠たく困難す。永く続くと思うと暗い感せり。今日に至りて、曇りたるは二十六日は雨なるか。


1942-10-24 この日を編集

[陸幼日記]十月二十四日 土 雨

〔欄外「正取締となる。」〕

五時五十分起床。三寒となりたるか、又島原特有の気候なるか相当に冷えたり。此の時に当り、実に圃〔朱棒線〕団の有難味を感じぬ。敷圃団上を自由にころげて安眠する時の感じ目覚めたる時の感じ、共に心地よきものなり。家、我が家思えば二年前我は親の手元に我儘に過したるものなりき。思えば思う程当時より以上に孝養を尽くさんものをと感じぬ。
国民学校に七時集合。橘神社に正式参拝し続いて各個に、橘中佐興津城を詣ず。此の千々石湾を一見する景ありてこそ軍神も出でたるかと案ず。続いて中佐御生家を訪問し、御遺品・日誌・陣中日誌を拝観、特に日誌が綿密にて字〔理〕路井然とし、又名古屋幼年学校長としては生徒の事を真に思いて其が日誌上に総て表われ、又日露の役に出征しては陣中日誌(個人的の物)に部下の勲功を記す。平常此くありてこそ軍神たる人は生ずるものなり。平常悪のして、いざとの場合に努めんには之は不可能とも云うべし。要は平常の修養にあり。
 裏庭の柿に登りて千々石湾
  かくありてこそ軍神や出づ
御生家の裏に柿の大木ありて、軍神が幼少の頃よりよく登りいたりと聞き作りたる和歌なり。
 海の景 山の景色に 心の景
  橘神社のかの崇さを
山高き橘の社の境内にて作りたる歌
十一時より十四時まで雨の中の行軍し雲仙温泉地帯古湯に行く。蛇の如き道を登りたるなり。柚木崎生徒監殿の注意ありて宿につく。室に入りて急に寒さを感じぬ。海抜七百米、聞きしに勝る寒さなり。ゆかた・どてらに身を変え湯に入る。温泉なりと雖もぬるくてきたなく感じなし。十八時まで外出は許されぬ。然し大雨の為外出せず。
又予定の仁田峠、普賢岳にも登ることを得ずして残念なりき。二十時就寝す。
今日は大分教訓を得たり。軍神橘中佐の俤を偲びたる其の一なり。又雪やあられの降るに遭う。途中有明海・大村湾・橘湾を一見する絶景あり。豈偉ならずや。
稚児落滝とて硫黄の成分を相当に含める落あり。徳川の初め、切支丹信者の従わぬ者はかの高き所より抜け落としたると聞く。


2006-10-24 作業報告 この日を編集

[ORJ] 地図

 バックナンバー用に仕上げたものを見返す。05年10月号・隧道レッドデータブックにうおっちず画像を使ってたのを発見。速攻で描いて差し替え。その他、寄稿してくださった方への最終確認の準備を。

[ORJ] えらいことに気づいた→裏技で逃げる(物知らずなnagajis編)

 ちょっと技術的な話。バックナンバーCDはできるだけ多くのOS・環境でも読めるようにしたい。WindowsでもMacでも*nixでもBSD系でもBeOSでもPlan9(!)でも。なので、CDのデータフォーマットはISO9660を考えていた。が、よく考えたら小文字が使えないんですね>ISO9660。すでに小文字のファイル名でファイル間のリンクを貼ってしまっていたからさあ大変。このまま焼くとリンクが一切機能しないCDができてしまう。
 pdfはある意味テキストファイルに近い構造をしているので、スクリプトをかけてリンクのファイル名を大文字に変換することはできる。しかし、PDFの仕様書を完全に理解しているわけではないし、いつもの手抜きぷろぐらみんぐでミスをしそうな気配がムンムンだ。できれば小文字のままで進めたい。
 あれこれ調べた結果、mkisofsのオプション指定で小文字のファイル名を許可するちうものがあった。厳密にはISO9660の仕様を外れるそうだが、これでいくかも知れない。
 いまもう一度調べ直したらLevel2のISO9660なら問題ないんじゃね?と思ったり。Helios(BeOSでのmkisofsのGUIフロントエンド)で設定しても焼きあがったのは大文字になっちゃって困ってたのだが。もう一度CLIで試してみよう。

 嗚呼無駄な書き込み一気にここまで。

[企画] アンケート

 今号のアンケートはもちろん、PCアンケートにもたくさん記入いただいている。心から感謝! 遊んでくださって感謝! よーしパパOSに超漢字3書いちゃうぞー、などとすぐに浮かれるのがnagajisの欠点だ。そもそも超漢字はふだんお使いのOSではない。

 冷静になって分析してみる。OSがWindows2000overの方がトップというのは至極当然の結果。細かく分けたほうがよかったかな(実質的にはそう変わらないと思うけど)。画面サイズも1024×768がトップ。このへんは想像通りだ。もっと広いサイズの方も多いので、バックナンバーのおまけ壁紙はできるだけすべてをカバーするサイズを作りたい。もっとデカイの!というのも至極ごもっともです。某所の30インチCinemaDisplayで試したら1024×768なんて屁のツッパリにもならんかった。
 気になるのはpdfについての質問。pdfはHTMLより人気がないのだなあ、と改めて感じる。やっぱりみなしゃんに苦労かけとるとねー。すみません。や、pdf大好きな方ありがとうございます嬉しいですワタクシ。ってまるでAdobeの回し物みたいだな。
 現実問題、HTMLで作るほうが利点が多いことは認めなければならない。地図にしたってGoogleMapsを利用すれば権利関係など簡単にクリアできるし、いろいろと応用が効く。寄稿だって楽になるに違いない(例えば「ORJ寄稿バナー」みたいなのを自身のサイトの記事に貼ってもらう───うちなら報告書の体裁で報告書を書いて、そこにバナーを付け加える───と自動的にORJ寄稿になるとか)。いま現在のORJのボトルネックは間違いなくnagajisの作業時間だ。しかしこれ以上ペースを上げるのは不可能と先日悟った。デザイン力の無さと合わせてデュアルで凹んでいる。
 だけどやっぱりpdfでいきたい、っていったら以前某さんに言われたっけ。望んで苦労するのは愚かだ、みたいな感じで。確かに正論だ。それでもあえてpdfにこだわりたいと自分が言ったのは、pdfであることにただのwebマガジンではない何かを求めているからだった。そして、すぐには書き換えられないpdfであることによる緊張感(これは作成する側にとってだけど)。HTMLでやってたら「すぐ書き直せるや」と手を抜いて、ここまで気合いを入れてやってないような気がする。あ、今でもミス多いですけどね。その10倍くらいになりそうだ。もちろん「記事」として配布可能・環境にほとんど依存しないという利点もある。HTMLだったら能勢電さんに送り付けたりはしなかったはずだ。
 聞いといて「でも変えません」じゃ怒られるかも知れない。でも、pdfは最後の砦として守らせていただきたく思う。ただし今回のアンケート結果で自分の意識がずいぶんHTML寄りになったのは事実。あと2、3回突いたら崩れそうな脆い砦だ。

 あ、あと、「もっといいのくれ」の方、ご期待に添えるよう頑張りますがあまり期待されますとクシャミが出ますヘックション。壁紙じゃだめかなあ。あの壁紙がだめなのかなあ。

 そして最後に、「こちらからもなにかあげたい」を作ってくれた方、投票してくれた方へ。心からありがとう! お気持ちだけで十分です('-'*)。この形式にして良かったと、苦労が報われた思いがします。


2007-10-24 あるのかないのかわからない時間 この日を編集

[Web] サイトの修正

 読者登録やログインのリンクを入れる場所がなくて無理矢理タイトル横に入れていたのだけれど、やはり目次に入れなければと思って修正する。「「日本の廃道」とは」を2段リンクにして、オブローダー地図も常設アンケートに入れて。「購読の手引き」以下は「日本の廃道とは」にネストしないほうがいいかなあ・・・いかにも現金、と見られなくもない。

 ついでに旧コンテンツに「→トップページへ戻る」リンクを入れる。なんだかひどく大事なことを忘れていたように思うが。うーむ、以前はiframeで一画面に収めることが前提だったからなあ。

 その他、見栄えを統一。投書箱で真っ白現象が起こっていたのを発見し修正。

 さらに投稿企画の投稿ページを作成。だいたい動くようになった。使えるものになればいいが。

 が、よく考えたらこの投稿ページのリンクを入れる場所がねえや・・・。また相談しないと。

[企画] 投稿企画用投稿ページの作成

 Reader's voiceで「行ってきました!」とか「エクストリームBCD」とかを募集しているけれど、なかなか募集が集まらなくて悩んでいる。また、編集部から「ここを調べてきてほしい!」というお題を出して調査してもらう企画も考えている。その企画のために新しい投稿フォームを作成した。とはいえ例の「廃道81選」で使ったフォームの使い回しだ。久しぶりに見てみたら、何じゃこりゃというような画面。これじゃ投稿も集まらんわけだ・・・

 仕組みはほとんどそのまま流用して、レイアウトを修正して、動くようにはなった。編集部MLに投げ中。

 要は「投稿者一人ひとりに画像掲示板を用意」という感じのもの。投稿内容は編集部か投稿者だけしか見ることができない。かわりに編集部(といってもnagajisが主に)が投稿へコメントをするようにした。投稿のごとにメールを受けるようにしたから漏らすことはあるまい。

[ORJ] 購読登録

ぼちぼちと登録をいただいているところ。すでに入金をして下さった旨連絡下さった方も。感謝です−。確認し次第メールします(受付が)。


2008-10-24 どいつもこいつも馬鹿にしやがって この日を編集

[独言] どくげん

送られてくるSPAMは読まずに瞬殺する。それでも溜まってしまうことがあり、Subjectが「Breaking News」なんたらかんたらというのが混じっていることは知っている。最近そこへ「Breakfast News」とかゆうのが混じり始めた。お前らおれを馬鹿にしてるだろ。絶対読んでやらないからな。

[ORJ] 【タイトル】東紀州の自転車旅【未定】

いかにも生半可な小見出しである。8月の尾鷲行きについて書きはじめる。ネタ的な濃さはないのでどういう切り口にするか悩んでいたが、ふと「自転車旅行」で切ればいいんじゃね?と思い付いて即実行する。我ながら明暗だガハハ。

その通り、書き始めてから「徳川道」辺りと大差ないことに気づいた。今の書き方(起こった出来事を時系列で追うだけ)では冗長過ぎる。自転車旅なんて得てしてそんなものなのだが、それを誌面で再現しても誰も喜びはしない。後のほうはカスカス飛ばして、とりあえず1日目の前半だけ終え、2巡めに入って書き直しを先行することにした。結構時間がかかるかも知れない&出来事を思い出すのに四苦八苦している。自転車で走っている間は注意力散漫なのだから仕方ないと言えば仕方ないが。すぐに煮詰まるだろう。というかもう煮詰まっている。

自身が飽きなければこんな感じで細かく区切るといいかも知れない。

第一回:出発〜荷坂峠

第二回:紀伊長島〜榛峠

第三回:榛峠、三浦隧道、夜

第四回:三浦隧道〜旧橋〜尾鷲+坂下?

第五回:相賀林鉄、隧道、尾鷲隧道、猪鼻水平道

第六回;矢の川峠

第七回;矢の川〜木本

第八回:帰阪

長過ぎ(汗 2、3回は合わせてもよい。水増しは仕方ないとしても、あまり冗長になり過ぎない程度にしとけよ>nagajis

そもそもこの旅では日記を書かなかった。旅日記をつけなくなってどれだけ経つのだろう。たぶん近代土木遺産巡りが中心になって、撮ってきた写真を穴があくまで眺めることが日課ならぬ旅課になったなった辺りからだろうと思う。もうずいぶんと昔の話である。

[奇妙なポテンシャル] #67

サイヤ人A:「2万・・・2万5千・・・に、2万9千・・・!!!」

サイヤ人B:「何という注意力だ! こっ こんな人間がいたとは・・・!!!」

注意力散漫となりスカウターBOM。

そんなことを考えていた幼い頃。なおドラゴンボールを原作で読んだり アニメを欠かさず見たということははない。いつだって聞き齧り半可通で生きてきたnagajisである。

[ORJ] 更新

tDiaryからpingを送るプラグインを利用しthe-orj.orgにpingを送って空ファイルを作成しその更新時間から更新の有無をチェックするという本末転倒七転八倒な仕組みをでっち上げる。rubyはわからんちん。明日辺りからうまく機能するはず。

[ORJ] 東紀州

ひととおり角。表紙が思い付かない。大人しく地図にしとけ>nagajis


2009-10-24 OUCH! この日を編集

ちょっと実験失敗・・・the-orj.orgに繋がらなくなっています(汗

つながらない場合はしばしお待ち下さい。

多分直りました@AM0:00

メールが届かないのはTXTレコードが正しく書けてないせいなのではないかと気づく。いろいろテスト中。間違ってたら突っ込んでください。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ とと [実験失敗と聞くと、どうしても 爆発→チリヂリ頭→口からゴホッと煙 を連想する…。]


2012-10-24 この日を編集

[独言][奈良近遺調] おーいえ!

画像の説明こいつの正体がわかった。日本発送電の社章だ。昭和14~26年に使われていたやつだ。 丸にノコギリだと思っていたがそうではない。電気をイメージした稲妻、しかも若干右肩上がりだ。

おかげでいろいろ説明できる。村に払い下げられる契約がどこかへ行ってしまったことや、先日見てきたあれやこれやを。

[絵葉書] 山陽水電・帝釈峡の発電所

画像の説明

いつだったか3枚100円の数合わせに購入した一枚。いくら近遺調中とはいえ他県の発電所の絵葉書まで手を出すとは・・・。nagajis哀れ。しかし「 この世のどこかにはこれを必要としている人がいるかも知れない」という思いがあったのも事実である。奈良のこういうのがあれば私は喜ぶもの。

必要な方、いたらご自由にどうぞ。もっと大きなサイズのものや実物が必要であればご相談ください。

ほんとは旧大塔村役場で撮った看板に言及しようと思ったのだが、よく考えたらネタに使えるのな、ということで中止した。同じものを川上村かどこかの廃道で見た記憶がある。錆び錆びでよく読めなかったがあれと同じものだったはずだ。

[独言][未消化] 西吉野というところ

天辻峠を越えて十津川流域に入るたび、毎度毎度飽きもせず、臆面もなく、「よくもこんな場所に人が住んでいるな」、と思う。大塔などはつい数年前まで独立した村だった。そんな村が約100年も存続していた。暮らしていくだけでも大変だろうに、そのうえ村の機能を維持していたのだから、驚くべきというか、敬意を覚えるというか。

昔は自給自足で暮らしていけたのだし、そういう暮らしが日本の山村の「普通」であって、全国どこでも見られたものだ、と頭ではわかっているつもりでいる。けれどもそれを現実のものとして見せつけられ、目の前に延べられると混乱をする。実感が理解を上書き消去してしまう。あの電光型のつづら折れを登り詰めた先の一軒屋は、いったいどうやって暮らしているのだろう。毎日の食事の食材はどこで入手し、どうやって運び上げているのだろう。車があるとしても(いや、あるに違いないのだが)そのたびごとにあの電光石火を登り降りするのか。今はともかく、家を建てる時はどうしたのか。建材や家財道具はどうやって上げたのだろうか。村の寄り合いのたび、いやいやゴミ出しのたび散歩のたびにあの坂道を行ったり来たりしていたはずで、よくそんな暮らしが永続したものだと思う。道があるからにはそうしているに違いないのだが。

見かける人はみな顔に深い皺を刻んで屈託がない。それはまだ元気なうちだとしても、年老いて足腰が立たなくなったときはどうするのだろう。集落があるということは、大昔から暮らしが続いていたということで、数え切れない代数を重ねているに違いなく、その連綿を思うだけで茫とする。昔は家族の構成人数も多く、看取ってくれる後達も事欠かなかっただろうが、若者が出ていき、集落に老人ばかり残されている今日、 冷たい言い方かも知れないが最後の一人も残るまいと思う。

舟ノ川流域は特にその感が強い。沼田原。中井傍示。惣谷。そして篠原。互いに何kmも離れていて、隣在所まで歩くだけで30分~1時間は費やされる。アスファルト舗装であってもだ。車道以前の細道だった頃はどんなに大変だったか想像もつかない。もしくは逆に、石ころ一つ、枯れ枝一本落ちていない、学校のグラウンドの表土のような地道が延々と延びていたのだろうか。

幹線街道が通っていたわけでもないはずなのに住民は多かった。各在所に一つずつ小学校があり、惣谷のは中学校も兼ねていた。 最盛期の篠原には100軒近い家があったとも聞いたし、実際篠原の小学校だけは二階建ての立派な木造校舎だ。いまの在所の住人を一部屋に集めても満たせないだろう。

これといった産業があったわけではない。昔は木杓子の生産が盛んだったというけれども、それだけで村が成り立っていたわけでもあるまい。林業が最大の支えだったに違いない。しかしその産業が衰退してしまった今、ただただ衰えていくばかりだ。どこもそうだ。惣谷はまだ人の暮らしの気配がしたけれども、中井傍示は村のコミュニティバスすらデマンド方式になっている。連絡がない限りバスが来ることもない。

定期運行のコミュニティバスは、昔の大塔村役場(いまの五條市大塔支所)の前を出て、標高1300mの高野辻を越え、篠原を経由して惣谷まで行く。舟ノ川沿いの県道が深層崩壊の危険ありといって 惣谷~中井傍示間で通行止めにされているため、コミュニティバスも惣谷で折り返していく。また1300mを登らなければならない。標高差でいえば600m、それだけでも一仕事なうえに15%の勾配が続くとんでもない道。冬になれば峠に雪が降り、融雪剤も効かない厚さに積もる。そんな道で篠原や惣谷の暮らしは維持されている。気管にチューブを突っ込まれた喉頭ガン患者の如し。

早いこと県道を復旧してもらいたいものだが、県道上何百mかの山腹に亀裂が入っているとかで、対処のしようもないようだった(実際そのような未崩壊を何とかする方法なんて、ないんじゃないだろうか)。ガードマンを置いて時間制限をかけて通すしかないね、いずれそういうふうになるだろうね、とコミュニティバスの運転手さんは仰っていたけれども、抜本的な解決であるはずもなく、かといって他に良案もないという、八方塞がりな状況に、相づちを打つこともできなかった。市町村合併で市の一部になってしまったことや過疎進行中であることも考えると4πrの全立体角が塞がっているといってもいいかも知れない。

過疎に悩む村。もう何十年も前から懸念され、いろいろな対策が取られてきたにも関わらず、それを克服した村があるとは聞かない。社会の摂理として仕方ないことなのだろうか。現代が現代であり続けるために必要な犠牲なんだろうか。道が整備されたら改善されるというわけでもないし。

天辻峠を越えて数十分も行けば五條の市街があり、安くて豊富な品揃えのAEONがあり、ガストやすき家やマクドの明かりが不夜城を成している。これも解せない。その賑わいの数十分の一でも天辻を越えたなら十津川流域はもっと暮らしやすくなるだろうにと思うけれども、そういう機運がこれっぽっちもないのは言わずもがなで、相対的評価で言えばかつて秘境と呼ばれていた頃と同じかそれ以上に差が開いているのではないだろうか。他所のそういう不便な地域をたくさん見知っているわけではないけれども、例えば四国の山の中や、中国産地の奥、奥羽山脈の麓でもここほどの寂しさを感じたことはない。どんなに小さくても、売り物の賞味期限が切れていようとも、食事のできる店もしくは商店の一軒もないような在所は見かけなかった気がする。ここは自販機すらも存在しないのだ。

東熊野街道の沿道がそれほど寂しくないように思えるのは、沿道に在所が集中しているからだろう。国道169号から見えている範囲が村の暮らしのほぼ全てであり、民家の数も多い。まだ暮らしが成り立っているなと思うことができ、自分がそこに移り住んでいる姿を想像することもできる。天辻以南はそれさえ叶わない。

いろいろ感じるがそれをうまく表現できず、答えも見いだせないゆえに未消化。

[D] 10/22?

久しぶりに心地よい夢を見た。なぜかパルクールのようなことをしていた。壁を蹴って一回転してみたり、普段以上の高さにジャンプしたり。夢の中での動きはまどろっこしいことのほうが多いのだが、(しらふの今思っても夢の中の感覚でも)夢だとは思えないような軽やかな動きに独りで自惚れていた。パルクールというジャンルの存在理由がわかったような気がしたものだが、無論現実世界ではそんなことのできない鈍重者である。靴の紐を踏んでこけそうになるような運動音痴である。

自転車に乗れることと運動センスとは関係がない、と思っている。自転車なんて漕いでりゃ進むんだ。同じ動作を繰り返す退屈さにどれだけ耐えられるかっていうだけで、むしろ忍耐力のほうが要求され・・・と書いたところでそれすら持ち合わせてないんじゃね? と思ったりもした。

閑話休題(たぶん2度目)。壁を蹴って二倍以上にジャンプするのは高校時代にやったことがある。それでバスケのダンクシュートができた。折り畳み式のゴールなのでそれで届いたのだ。

[独言] 眠れねえ

つかれているはずなのにねむくねえ。下界に降りてきたのが嬉しくてコーヒーがぶのみしたからか。3日分の鬱憤が溜まっているのか。王将で食べたおすすめセット(ちゃんこ風チャンポン+焼き飯)が想像以上にボリューム大で苦しめられたからか。テントの中ではすっと眠れたのにな、珍しく。

寒冷前線の通過で雷が鳴るという予報通り、0時過ぎに雨が降り出し(その音で一度目が覚めた)、4時頃大きな雷で目覚めた。しかし雷はそれともう一度鳴ったきりだった。あとは遠かったな。山の中だからよほど近くないと音が響かない。実家は盆地だったからその違いがよくわかった。たまに大きな音がすると心底びっくりしたものだ。それが大阪に来てレアケースだったんじゃなかったことを知ったのだった。

昨日は一日中の雨。八木まで帰ってきた頃ようやく上がった。そのおかげで八木町元標と真菅村のを楽に探せたのだ。うんうん。誰も聞いちゃいない一人語り。

[独言][料理] 芯飯の発生原因を突き止めた

昨日朝に炊いた飯が見事なまでの芯飯で途方に暮れた。あそこまでの芯飯は久しぶり。記憶をまさぐってもすぐに出てこない位の昔の話だ。

原因はすぐにわかった。その前の日の晩に飯を研ぎ、適量もしくはそれよりも多いくらいの水を入れて一晩寝かせておいたのだが(夜中に雨が降ることがわかっていたので、朝やると川の水が濁っているだろうという判断から)、それをそのまま炊いてしまったのだ。中を確認して水を足さなければいけなかったのだ。水分を吸ってふやけた分、水を足さなければならなかったのだ。のだ三連発したくなるほど目から鱗の気付きだったのだ。

前日の晩から米を用意するのは合宿でよくやった。出発時間を早くする工夫だ。けれども一人旅では、 朝はのんびり出発したい質なのでほとんどしたことがない。珍しくやるとこんなヘマをする。&合宿で何度か食った芯飯もそうやって産み出されたに違いない。と十数年を経てようやく気がついたわけで、そのへんに書いてみたくなる要素があることを推し図っていただきたい。

いつもなら我慢して食うところだが、外は雨で出たくないし、昼過ぎのバスに乗れば良かったし、さほど腹も減ってないしだったので、禁断の「二度炊き」に挑戦した。ご飯をほぐして全体が濡れる程度+アルファの水をかけ、再度炊いて、ぱりぱり言い出したところでストップ。そのまま放置したところ、昼食った時には芯がなくなっていた。うんうんいけると調子に乗って食い過ぎたほど普通の仕上がりだった。ついでに芯飯の復旧方法まで会得したわけだ。ハラショー。オーチンハラショー。しかしこれは・・・使えそうな使えなさそうな技だな。昼缶用飯にはいいかも知れないが本来いますぐ食べるために炊いておるのだ。自分の場合は。

なお、自分の米の炊き方はセオリー通りではない。最初から最後まで同じ火力でぐつぐつ煮るような感じ。よほど吹きこぼれない限り火を弱めない。 パリパリ音がし始めたら炊き上がり。若干汁が浮いて坊主を形成していてもOK。蒸らすことでほどよくなる。なおこの炊き方は愛用している携帯ガスコンロか家の一口コンロでしか通用しない。普通の火器で同じことをやったらベチャ飯になるか炭化米を作ってE氏を悦ばせてしまう結果になる自信がある。


2014-10-24 この日を編集

[道路元標] 大阪市道路元標訂正

以前ここで大阪市道路元標のことを書いたけれど、ちょっと認識が間違っていた。昭和57以前の道路元標も現元標と同じく梅新交差点の北西角にあった。

画像の説明

第1ビル建設が始まった頃のダイアモンド街。梅新交差点の南東角のビルから写したものだと思われる。手前の富士銀行が現第3ビルの角、左奥に建設中の第1ビルがある。区画整備が再開される以前はこんな感じで不法占拠の木造家屋が密集していた(そんなところによくこんなでかいビル建てられたな、富士銀行)

画像の説明

してその富士銀行の前に旧道路元標らしいものが建っている。頭の丸い所だとか、台座が縦縞模様に見えるところなんかは以前掲げた写真にそっくりだ。

ただし、上の俯瞰写真を拡大すると下のになるというわけではない。上は第3ビルが出来る前で、下のup写真には第3ビルが写っている。時間的にちょいとばかり隔たりがある。なおかつ碑の位置が変わっている感じ。碑と第三ビルの間が結構離れているから第三ビル工事の際に交差点角に移されたんじゃないかと思う(そのせいで前回道路の南側と勘違いしていた)。

画像の説明第4ビルまで完成したあとで国道2号が拡張されている(昭和54~)。その時第3ビルのある区画が少し切り取られて国道2号の一部になった。上の図はダイアモンド街の上水道の図だが、○つき1点鎖線が区画整理対象区画を示す線で、それが国道側にはみ出しているのがわかる。最初このような形に区画整備されていて、そこに第1・第2ビルと南辺ラインを合せる形で第3ビルが建てられていた。区画の南辺~南東角が余る格好だ。そこに旧元標があったものだから、撤去して新しいものを置いたという次第のよう。

以上、大阪市都市整備局『大阪駅前市街地改造事業史』+nagajisの想像より。写真も同書から引用した(旧標up写真除く。それもこの本に載ってる)。

[独言] HDDいただく&飲ませていただく

久しぶりにアルコールを摂取したのでふらふらしながら帰った。まだドーチカ辺にいるつもりになっていて、目の前の道路を渡ったのだが、違う違う、それは梅田新道だ。地下街を通って行っても良かったのだが、そんな成り行きと酔いざましのために地表を歩いていくことにした。

梅新交差点の歩道橋からダイアモンド街を見渡し、上記のことを思い出し、そして地下街のことを想像した。足元にあるはずの巨大な空間のことを。自分が今日経験してきたような飲み食いが、完成から今日に至るまで毎日毎日飽きもせず繰り返されているはずのその空間。快活な笑いやら深刻な話やら罵倒やらゲロやらが30数年間絶えることなく撒き散らされてきたのだろうなと思い、それが大阪の核心の一つなんだなと思うと、妙に愉快な気分になった。大阪ばんざい。混沌ばんざい。と。

そんなウメチカを通って行っても良かったのである。だが敢えて地上を歩きたい気分だった。地下街を体感することなく、あの区画は昭和50年代、この区画は梅田地下センター第一期工事の産物、と、隅々までお見通しなのだぞというつもりになって歩いていった。

何のことはねえ、薬師寺五重塔を敢えて無視して歩いた司馬遼氏の真似だ。そうして結局曽根崎警察署の角からノースモールに入っていったnagajis。

昨日はばたんきゅーで検証できなかったが今日接続して無事動くことを確認した。ぽこぽこぶつけたから心配だったのだ。これで空き容量を気にせずORJ作り続けられる。有難いことである感謝である。

[看板] @舞鶴

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受付撮。いろいろなところに鑑賞のポイントがある。例えば冒頭の「ウェーデング」。「ィ」がねえよ!と笑うのは下衆である。左下の囲みの中では「ウエーディング」になっていることに注意せねばならない。作者はちゃんとわかっているのだ。Weddingであることを。むしろ当時はどちらでも良かったのだ、そんな細かいことを気にするようなやつはバカだ、結婚式の晴れ着のことを書いていることが伝わればよいのだし読み手もそういうものだと汲みとるリテラシーがあるのだと認識したうえで「ィ」を省略しているのだと読まねばならない。省略した理由はただ一つ。左上のスペースに収まりきらなかったから。あと「ィ」まで入れると左8文字右3文字になってあまりにバランスが悪い。

「エレガンス」というそのまんまな店の名?商品名?はまあいいのではないだろうか。形容詞「エレガント」を間違えて使うよりはるかによい。

が、右囲みで喪服の仕立ての宣伝をやっているのはちょっといただけない。この囲み空間だけが異質なものになっている。しかも喪服で個性出しちゃいかんだろ。そればっかりは過去のある時期の一傾向とも思われないし思いたくもない。

あと、冒頭の「ウェーデング」のカッティングが風化つつあってちょっとこわい感じになっているのがいたたまれない。この文字を切り貼りしてものを吐くカットに貼り付けても違和感がないだろうと思う。

[奇妙なポテンシャル] @那智

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那智大社の駐車場の辺りにある看板。無駄にでかい画像なのはご容赦を乞う。道路の法面にこれだけがぽつんとある状況を伝えるにはこうするほかなかった。

場所が場所ゆえに「滝」が那智の大滝を指していることはすぐにわかる。くだくだしい説明を省いた秀逸な省略と思えた。けれどもよく考えてみるとまったく用をなしていない。那智の滝(滝坪近くにある飛瀧神社; 一般に滝へ行くといえばこの神社へ行くことを指している)は駐車場から下ったところにあって、それは看板のぎざぎざの矢印が指し示すとおりなのだが、目標の滝は下にあるわけで、となると看板の「滝」の文字は矢印の下になければならないだろう。看板通りに取れば滝から下へ階段で降りていくことになってしまう。

それでもこれが那智大滝への道を示しているのだと直感的に理解し、ツボを突いたよい看板だと思ってしまったところにポテンシャルを感じる。滝という文字や矢印の配置はどうでもよくて、ただその2つがありさえすれば脳内で勝手に翻訳してくれるものなのかも知れない。例えば右上の離れた所に「滝」の文字があっても事足りるのではないか。

「滝」の文字が階段を降りていくように見えなくもない。ひょっとしたら「滝」は私自身かも知れない。「滝に行こう、滝に行こう、滝滝滝」と滝のことで頭がいっぱいな、あるいは空っぽの中に滝のことのみ入っている状態の観光客の表現としての「滝」なのかも知れない。あ、滝って書いてある。階段状の線と矢印が書いてある。降りていけばいいのだな。的な。

いずれにしろ今一つな感じが拭えない。これだったら島唄の歌詞の可視化のほうがはるかに写実的で正確だ。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ゆうさん [遅くまで飲んで仕事に差し支えるのは 素人だとかつて上司にいわれたことがあります。 でも、なんについての素人呼ばわりしたのでしょう? 酒飲み素人だといいたかったのでしょうかね。]

_ nagajis [まさしく私のことですね! (仕事には差し支えませんでしたが(笑))]


2018-10-24 この日を編集

[きたく] きたく

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2019-10-24 この日を編集

[煉瓦展] 赤煉瓦ネットワーク 泉州×岸和田大会

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ポスター画像をいただいたので宣伝目的で貼り付ける。岸和田煉瓦創業パンフを彷彿とさせるデザインである。

「永冨コレクション」は自分から言い出したものではないのでそこのところどうかご了承いただきたく。んな大げさな収集のつもりでないし。

それよりもこの期に及んで展示煉瓦を追加したく思い始めたりしてドツボもいいところである。せんだっての別子銅山の成果を入れ込んだほうがよいのではないかと思い始めている。少なくとも東延の掻き目煉瓦は意味がある、松葉菱サレもレアケースとして面白かろうと思う。けれどももう、差し替えのできる煉瓦が存在しない。絞りに絞って119個+1個にしたのだ。これ以上絞り込みようがない。

うんうん唸って諦めて、パンフ写真載せておこうと思ってこれを書き始めたら、そうかアレって愛媛で採取したものであって関西地方のじゃねえんだと思ったりもした。じゃあなくてもいいか。とりあえず持って行くだけ持ってくか。。

[煉瓦] うーん。

http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20190929#p01

大高表があてにならないとわかっていても、そこに立ち戻って考えてしまうことが止められない。並形が7.4×3.5寸というのは実際を表していないんだ。でも厚1.75寸=2-1/8 inch の切りの良さに近寄りたくなってしまう。実物をインチメジャーで測った時などは特に。かといってそれを幅や長に押し広げるとますますドツボにはまる。7.2~7.7寸も変化するって滝さんゆうてるやん。

建築で実際に重視されたのは長幅厚のどれなのか。やはり厚だろか(それで東京形並形山陽形としているし)。

いや、もし『建築学講義録』が間違っていたら…? ベストセラーになったというこの記述を延々引用した結果だったりしたら?

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2627880/41

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/760893/37

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780104/41


2021-10-24 この日を編集

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さらに死が身近なものになった。

本や資料の置き場が尽きたので抜本的な増改築を施すことにした。

初期条件:
h1=180cmのスチールラック本棚
h2=150cm、h3=120cmの汎用スチールラック

方針:

汎用スチールラックh3を切断してh2に継ぎ足し最大限に高くする。→h2'=211cm

新たにh4=150cmを購入、h3の残りを継ぎ足す→h4'=約180cm

スチールラック本棚h1の上段を片付けて大型本置き場にする

汎用スチールラックは側面に1×6材を30cm長に切ったやつをはめ込む(横に落ちないようにするため)

結果:

1×6材を4本も買う羽目になった。

必要度重要度ごとに分けていた棚がバランバランになった。

ファイル・フォルダ棚に空きができすぎた。それよりも普通サイズの単行本を置く棚が必要なのだが。ファイルフォルダも要不要で分類して一棚開けるべきかも知らぬが高さが無駄になるな。

この棚の下に毎日寝ている。寝ている間に大きな地震が来て棚が倒れるようなことがあったら確実に死ねる。一応、h2'が天井に支えて倒れにくくしているつもりだが(これとh4'はボルトで連結してある)、阪神淡路クラスのが来て支柱が座屈したら終わりである。あるいはh4'の上に積んである大阪府誌全7巻と丹南町史上下巻と角川地名大辞典4冊がスコーンと飛んできて落下すればちょうど頭にあたる。

この棚の向かいにも本がみっちり詰まったh5=約180cmの木の棚がある。一応ゴムによる免震装置(笑)をつけているが、倒れれば直撃する。左右から本棚に折り重ねられて押しつぶされる未来図しか描けない。

棚の隣にあるごちゃごちゃした箱は早く何とかしたい。でないと奥の押し入れが開かない。

片付けの際に播煉での聞き取り調査のメモが出てきた。非常にありがたい。時間が経つにつれて大筋の記憶さえ曖昧になってきているので、直後に書いたこのメモが較正紙になる。それから紛失したと思っていた赤煉瓦産地診断報告書のファイルが出てきた。B4Eのフォルダに綴じていたとはな……。


2022-10-24 この日を編集

[煉瓦]異形煉瓦に翻弄されているnagajis

画像の説明 滋賀には江州煉瓦の○Gしかないといったな。あれは嘘だ。訂正する。○Gと異形煉瓦しかねえ。

しかもこれ、小楕円形ウエルの丙じゃねえんだぜ。などと書いても現代日本にこの意味が理解できる人間は誰一人いないだろう(nagajisは人でなしなのでカウント外)。


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