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1943-02-11 ソロモン島・ガダルカナル島撤退 [長年日記]

[陸幼日記]二月十一日 木曜日 晴

紀元節にして九時より儀式ありて 天皇皇后両陛下に対し奉り最敬礼及び万歳を三唱、後校長殿の訓示ありて式を閉ず。うららかなる此の日、建国の此の祭執り行われ、我等一同二千六百三年の昔を懐古して、広告臣民たるの喜を感ずると共に一層の奮発を決したり。それは又次の事柄により益〃心に深く刻み込まれたり。町田生徒監殿休まれ柚木崎生徒監殿の話に曰く、今や我が陸海軍はソロモン ガダルカナル島より完全に撤退したり。昨年八月以来今日まで死守したと見せかけ実は占領地を治める可く、敵を此に牽制していたり、然し我が軍は交通全く絶たれ餓死する者々多く、一万七千の軍全滅に瀕したり。いわゞ敗戦なり。彼のガダルカナルに於て食わんにも糧なく悪戦苦闘している事を考うれば我儘は言えぬものなり。幼年学校にて余りあまゆること勿れ。と。我は此の時正に興憤〔奮〕していたり。南方第一線を思えばなり。発表以上の撃戦の行わている事を思うべし。後専ら休養に努めたるも遂に午睡の時機を逸したり。十六時半運動班にて写真をとる。食前軍歌演習を行わず運動班長川野さんの話あり。何となれば川野さんは入院され卒業まで会う機会無きかも知れぬとの事なる故なり。日夕点呼後酒保に関して約三十分学年切磋会を行う。感激に満てる一日なりき。頗る良好なり。

〔nagajis:大本営発表は「転進」。本当の戦況が伝えられたのはこの時が初めてではないか〕


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