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2005-11-22 ・・・ [長年日記]

というところまで書いたところで寝落ちした一昨日.

続きをぼちぼち書きながら今日も(今から)寝落ちする予定.

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それより最初に目が行ったのは,ポータル裏側の亀裂がL字鋼+ボルトで固定されていたことだ.ひびを跨ぐようにして何本もL字鋼を渡し,それをボルトで煉瓦壁に固定している.何だかブラックジャックの顔の瑕のようで痛々しかったが,実際問題として廃隧道のポータルを補強しようとするならこれ以外に方法がないように思われる.もしくは西側のコンクリート補修のようにポータルの外側から「つっかえ棒」でもするしかない.そしてそれは景観を台無しにする最悪の方法だ.ポータル裏のこのヒビは山から外側に向かう土圧が原因だから,いったんポータル裏側の土砂を取り除いて圧力を減じ,ヒビを埋めたうえで,クッション材になりそうな素材で埋め戻すか,付近の岩盤から土砂留めをたちあげてポータルとの間に壁を造ってやるしかないだろう.みたようなことを,低くなった扁額を見上げながら思った.

嵩上げされたことにはあまり反感を覚えない.開通当初の高さに戻ったのだから,言ってみればこれが元の姿.見づらかった扁額も鶴の彫刻もちょうど良い具合の角度で見られるし,隧道脇の寄付金者名碑も目の高さになった.以前はちょっとした崖の上にあって,上に登らなければ間近に見ることができなかったが,路面が嵩上げされたお蔭で誰もがこの石版に目をやることができる.この日は熱心にメモを取る人の姿もあり,長いこと放置されてきた碑にとって良い供養?になったと思う.

一つだけ,この嵩上げによって昭和の掘り下げの記録・記憶が薄れてしまわないことを願う.最近になって,土木工事はその改修の積み重ねもまた価値があるのではないかと思うようになった.例えば鋼橋などは鉄道用から道路用へ,歩道へと転用されて何度も使われている.ダムや堰堤も決して造り捨てではない.築数十年で取り壊されるビルの一過性に比べれば,もっと長い目で造り続けられ,手を加えられ続けていくことが土木というものの本質なのではないか.門外漢が何を言うか状態ではあるが,そんなことを思う.

煉瓦アーチ+側壁という離散構造体を載せたまま路面を掘り下げる.考えてみればなかなか難しいことである.ちょっとでもバランスを崩したら,掘り下げた足元が緩んだりしたら,アーチは崩れ落ちてしまうだろう.どうやってこの掘り下げを成し得たのか長い間の疑問だったが,先号の廃道を読むを書きながら,いわゆる「逆巻き法」と同じことをやったのだろうと気付いた.櫛の歯のように数mおきに路面を掘り下げ,そこから側壁下を掘ってコンクリートで壁を造り,煉瓦を支える.それが乾いたら残りの区間も掘り出して同様に壁を造る.交互に壁を造るのだ.確証はないけれども他に妥当な工法もなさそうである.

入口が高くなったアーチ.それを実現するための薄い煉瓦の層.この日通った人のどれだけが気付いただろうか.否,気付かないほうが設計者の意図に叶っているのかも知れない.自分はそれを知っていながら,自然にトンネル内へと吸い込まれていき,不思議と「低くなった」という感じがしなかった.そうして出口が見える頃,外が大きく明るく見えることで安心感を覚えた.向こうに「世界」が広がっている.おおげさに言えばそんな感動だ.理屈で解っているのと体感するのとでは雲泥の差だということを実感した.


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