nagajisの日不定記。
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本日製作会社にマスターデータを送付。注文が遅くなったため、今年中に完成するかどうかわかりません。ごめんなさい。あ、悲しい思いをするのは自分だけか。まあいいや。ちゃんとできるだろうか。
12号のアンケート、作らなきゃ。次のネタをまだ考えられていない。15日頃完成を目処に頑張ります。
昨日からパンツのゴムが緩くて困っている。
月末は(勝手に)追い込みで忙しい。Macの前に一日中座っていて、それだけで終わってしまう日曜日も多い。家に洗濯機がないため近くのコインランドリーが頼りの綱なのだが、さすがに夜9時には閉まってしまうので、24時帰宅がデフォルトにされてしまっている自分にとっては日曜日の洗濯が全てである。しかしそれもできずに終わる日曜日が多いことも事実だ。
そんな昨今、ついに洗濯したパンツが底をついた。焦りながら引出しを漁ったところ、ゴムの伸び切ったパンツが出てきた。しかもケツが半分以上破れている。いつのパンツだ、と思ったら、確かこれは3年前の自転車旅行の時に履いていたパンツだ。大阪から秋田まで3カ月かけて移動したパンツ。その後正反対の大分まで移動して今、大阪にいる自分の目の前にある。捨てるのも忍びなくて取っておいた思い出のパンツだと思う。
どうしようか悩んだのだが、結局そのパンツを履いて行った。何だかんだ言いながら結局のところ社会道義的な何かを失うのが恐いのだろうと思う。まだまだ修行が足りないnagajisだ。
それにしても、ゴムの伸び切ったパンツほど始末に負えないものはない。どれくらい始末に負えないか子細に描写することはちょっと憚られるが、ともかく前も後ろも半ケツ状態である、と言葉を濁しておく。Gパンを履いているとはいえその布一枚の下はちょっとどうかという状態。実はそんな恰好で会社の中をうろついていたなんて口が裂けても言えない。言えないのでここに書く(というのは2回目だな確か)。今ちょっと鼻風邪気味なのもこのパンツのせいかも知れない、などと八当たりしてみたりもする。
改めて考えてみると、パンツというものはなかなか玄妙な衣類である。誰かが咎めるという訳でもないに関わらず、履いていないと恐ろしく居心地が悪い。これが靴下だったりしたらまあ無くても気になりはしないが、パンツだとそうはいかない。まろび出そうなあれを思って何をするにつけても心がざわめいてしまう。所詮はうすっぺらい布一枚、機能的にアレやコレやを漏らさないためのものでは決してなく、もし万が一その事態に陥ってしまったとしても何ら防護の役割を果たさないことは自明だ。なのに履かなければ心ざわめくパンツ。それはまさに道徳的強迫観念によって着用を義務づけられているだけの衣類だ。いわば文明の象徴と言ってもいい。そんな気づきまでさせてくれるパンツ。
手洗いに入ってはパンツをずり上げ、またズレては手洗いへ、という一日。直しながらパンツのゴムと人生は似ていると思った。その心は、緩んで困るのは自分だけ。
さすがにこのまま2日目に突入する訳にもいかず、100円ショップで新しいパンツを買ってきた。が、ここでまた一つの発見があった。100円ショップでパンツを買うのはいささか屈辱的だ、ということだ。食品や文房具ならともかく、パンツを100円ショップで買うことには屈辱感が伴う。何がどう悔しいとい明確に挙げることができないのがもどかしいが、悔しかった。みなさんは、そんなことありませんか。
パンツパンツ言うな? ごもっともですがそれくらいパンツのことが頭から離れなかった一日なのです。