nagajisの日不定記。
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いわゆる青春時代を体育会系自転車部という世間一般の常識の斜め上を行く組織に所属して過ごしていたせいだろうか、ある事象なりアイデアなりを表現しようとした時に咄嗟に出てくる表現が、一般常識と乖離したところに由来するものが多く、困っている。
例えば今日、「土木史フォーラム」のバックナンバーを読んでいて
ああ、おれは「跳ねる係」をやればいいんだな
と思った。
自分としてはひどく適切な比喩表現だと思うのだがそれは恐らく他の誰にも伝わらない。大分弁の「よだきい」を説明しなければならなくなった時と同じようなもどかしさがあり、かといって代替となる一般的表現もすぐには思い浮かばない。これこそ奇妙なポテンシャルでありその真骨頂であると言える。
これを読者に解説するためには数段のステップを踏まねばならない。解説しなければ伝わらない言葉ほど無益なものはないが何しろここは奇妙なポテンシャルに関する考察の場である。しないでいられない訳がない。
我が自転車部には「イノコ」という風習があった。
図1.イノコの動作模式図
イノコ イノコ イノコ餅ついて 繁盛せい 繁盛せい
察せられる通り、イノコは関西地方に伝わる「亥の子突き」(亥の子祭)と関連があるらしい。陰暦10月の上の亥の日、藁を束ねて結わえた棒や、石を藁苞に入れたもの−−−これらを亥の子槌と呼ぶ地方もある−−−で地面を叩き五穀豊穣を願うという、古式床しい行事である。つまりイノコは被祝者を亥の子槌に見立てて振り回している訳である(しかも祝いのベクトルが微妙にずれているという可笑しみがそこにある。なお何故餅なのかは不明)。両者を区別するため「イノコ」というカナ書きを採用しておくが、ともかく我が部にはイノコがあった。裏イノコ捻りイノコ乗りイノコ等のヴァリエーションも存在しそれ相応の作法さえあったがここでは割愛する。結婚式の披露宴で突如乱入した後輩達によりイノコされ参列者の度胆を抜いたという逸話もあるがやはり割愛する。
それでようやくスタート地点に戻ってきた。イノコには非公式ながら「跳ねる係」というものが存在した。何しろイノコに直接参加できるのは被祝者を除いて4人までである。何故ならば人間には手足が4つしかないからだ。ゆえに祭りに参加したくともあぶれてしまうものが大勢出てしまう。そういう時、跳ねる係が登場する。
図2.跳ねる係が加わったイノコの動作模式図
イノコ イノコ イノコ餅ついて 繁盛せい 繁盛せい
何のことは無い、被祝者の上下動に合わせて跳ねるだけである。
さあ、ここまで丁寧に説明したのだ、なぜ「土木史フォーラム」を読んで跳ねる係の必要性を感じたか。判っていただけたことと思う。
OFF会の本編は一通り完成。pdf化してふせん等を入れる作業は今日中に終わるだろう。
あの囃しことばがエンドレスで聞こえ始めました。ああっ。
やはりありましたかっ!!!