nagajisの日不定記。
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あれこれ書いたのに途中で落ちちまったぞい。要約すれば「残りはReaders' voiceと修正少し、アンケート」だ。
ヨッキ氏の+1原稿に対してTUKA氏が実に見事な提案をし、それをヨッキ氏が真に受けて(ええとこれは深い意味はありませぬ)実行、nagajisが胆を冷やしている間もなく直ちに原稿が届いた。実に鮮やかな連携プレイでありプロの業である。神をも恐れぬ不埒な所行無常。何を言っているのかよくわからないが、確実に言えることは、これで音水第2回も影が薄くなりそうだ、ということだ。
nagajisがあれやこれやを考えて(考えたつもりになって)粗製濫造しても効果がない。これは自虐でもなんでもなくて、1人の人間ばかりが書いてもつまらないということ。何より書いている本人がつまらない。大勢でいじり倒してごっちゃになったカオスの中から滴る一しずくが旨いのだ。うん。そういってだんだん原稿量が少なくなっていく言い訳をしておくの助。
バタバタしているうちにマフ巻さんらの別子銅山探索の日になってしまった。Bon voyage! お怪我などなさいませぬよう>皆さま。
珍しく、次号以降の「廃道を読む」のネタが決まっている。とはいえいつものように廃道からやや距離を置いたところからネチネチチマチマと外堀を埋めて行くような企画だ。
数号かけて村田鶴のことを書きたい。実を言うと、ORJを始めた理由の20%くらいはこの土木技師のことを書きたいという思いからだった※1。すべては村田鶴のことを知るための知識。隧道然り、橋然り、戦前の内務省制度然り、工手学校然り。ヨッキ氏が三島に傾倒するのと同様、いや、自分自身はそれ以上だと信じているが、ともかく自分のすべては村田への興味から始まっている。それを述べるだけの準備が整わなかっただけだ。
課長、部長クラスの人物(内務省技師)であれば、自伝や評伝があって、ある程度の業績を知れることが多い。しかし村田は生涯現場の地方技師として生き、設計した隧道(と監督した橋)以外に何も残さず去って行った。残された断片的な情報から村田像を構築していくしかなく、そういうことができるような知識が自分には備わっていないのはもちろん、土木史研究の分野でも彼のような“下っ端”の動きを追う試みはいまだないと聞いている。
真の意味でゼロからスタートし、4年かかった。今でもわからないことは多い。間違っていることもあるだろう。しかしいつまでも1人で抱えていたままでは、何も進まない。現状を提示して皆さんに教えを乞うほうがよい。
…というわけでまた、廃道そのものではない企画が続く。興味のない方はご了承いただきたい。
※1 学会発表しようものなら投稿料だけでン万円かかるからな。自分で雑誌を作ればタダで公表できるという、ただそれだけの理由であったりしなくもない。
東北のみなさま大丈夫でしょうか。かなり大きいようですね。昨晩もラジオで地震があったと聞いてたけど、その続きにこれがあるとは...
pdfはひととおりできた・・・あとはアンケートやDLページやらの細々したこと。
ダウンロードページの下書きがてらに、告知できてなかった企画を紹介。
特濃!廃道あるき外伝 華厳滝壷道 完全攻略編(by ヨッキれん)
華厳滝の滝壷に迫るかつての遊歩道と、その道を独力で開いた星野翁への思慕の念が、あらぬ方向へ昇華する! pdfの限界に迫る問題作!!!(個人的には立派な廃道歩きだと思う。39ページ目参照)
旧橋紀行(18)福島県 中丸木林道・中丸木橋(by TUKA)
林鉄線の転用林道に残る橋。なにげなく通り過ぎてしまいそうな橋が、実は明治の、しかもかなーり古いだと判明。ぜひぜひ気づいてくださいその価値に。
万世大路この5年+再貫通1年点検(by おもにヨッキれん 時おりnagajis)
過去5年間+αの写真を交え、おなじみの万世大路を大解体。直近も直近、2008年6月の姿のご報告、そして例の再貫通穴の1年後もお届けします。(すみませんnagajis出しゃばり過ぎました)