トップ «前の日記(2009-05-17) 最新 次の日記(2009-05-23)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉化 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2009-05-19 ツアー終了 [長年日記]

[廃道巡] ひとまず終了

画像の説明画像の説明反省すればきりがないのだけれど、とにかく無事終わってほっとしている。参加者は自分も含め11人、少数精鋭の廃道巡り。

てるてる坊主の効果は確かにあって(感謝!)、柱本と旧池田に行っている間は本降りになることはなかった。一瞬パラパラと降った程度だ。さすがに市街へ戻ってきた頃には激しくなったけれども、ズブ濡れになるようなことはなく、ただしその雨のせいで駆け足になってしまった感じは否めない。まあ、仕方ない。隧道入れば雨凌げるしね。

自分の廃道ツアーは隧道を鑑賞するというところにウェイトを持っていった企画だったので、解説することに徹したわけなのだけど、それで良かったのかなあという反省はある。みんなでワイワイやるタイプでもないしなぁ。そのへんはヨッキ氏のツアーに任せようかと思ってみたりしている。

個人的には旧池田が見違えるほど整備されていたのには驚いた。北側の道は踏み跡がつけられてるし(お陰で脚立が楽に運べた)、南側も遊歩道的なものが作られてるし、隧道周辺の草木もきれいに刈られててて、写真の構図に困るようなこともない。5年前、初めて出会った時から別物かと思うくらいにきれいになっている。それはそれでとてもいいことだと思う。これくらいの価値のある廃隧道は、多くの人の目に触れてこそ真価を発揮するだろう。

画像の説明もう一つ、隧道の真上に峠があって、そこに経塚があったことも驚きだった。ずっと松峠(だったか志野峠だったか)にあるものが6番経塚だと思っていたのだが、そうではないらしい。帰りにその経塚への案内標識が(最近新しく)つけられていることにも気づいた。(新説)とあるので定説のものではない=経塚自体が最近見つかったものなのかも知れない。やはり1度行っただけじゃ見過ごすものが多すぎる。何度も足を運んでこその廃道。

商業的には決して成功とは言えなかった第一回なのだけれど、注目度としてはそこそこ良かったそうだ。やはり中途半端に都市部に近かったことと、行けばあることがはっきりしている(行き方もはっきりしてる)ところばかりを持ってきたのがネックになったみたい。ほらそこ、nagajisだからって言っちゃだめ!アタリなんだからっ!

あとは参加された方がどれだけ満足してくれたかだよなあ。廃隧道を見て何を感じたか。ただの廃物件だと思われただろうか。それとも唯一無二の良いものと、思ってもらえたか。

そうだった、写真置き場を作ろうと思って忘れている。こういうのにメールを使っても大丈夫なんですかね? 規約読み直さなきゃ。

ともかく、最大の仕事が終わって、肩の荷が降りた感じで、気が抜けている。次回は梅雨明け。まだやるつもりかって? もちろん! 今度は一泊二日で計画しちゃる。とっておきの廃隧道+廃林鉄を一気に陥れるからッ!

[企画] リベンジOFF?

今回のツアーの反省の意味も込めて、今月末、彦根の佐和山隧道でOFF会をしようかと思っている。日の目を見なかった第一案を実行するのだ。自分は扁額の拓本採りたい。現段階では5/31(日)、雨天順延。土曜日のほうがいいかな?

[独言] GW

帰ってきてから37号、終わってすぐさま廃道巡と、息つく暇がなかったのだけれども、地味にGWの収穫が凄かった。上谷上道は奇跡の里道だし、土倉道はアンクロワイアブルだし抜け抜けだし、隠し玉は炸裂するし郡道だし。大杉谷林鉄はヘタレてほとんど行けなかった。水越線だけ行ってきた。レールのジョイントパーツを片手にタイムアタックしてきた。余った時間で再訪した荷坂峠も明治道だった。何ということだ。これ抱えたまま東熊野街道進めろというのは拷問だ。

本当はもっと死ねる計画だったのだが、やはり無理なものは無理なのだ。軽いテントとコンパクトなシュラフがないと駄目なのだ>大杉谷林鉄

さらに国東。廃隧道ツアーと銘打つならこちらのほうが相応しい。OFFとはこうでなければならないと学んだうえ、それ以上をすることが不可能というのを見せつけられて17日だからなあ。参りましたホント・・・。

[奇妙なポテンシャル] #101

画像の説明ゆえにポテンシャルもやや低め。道の駅かみきたにて。何のためらいもなく捨てることができたのは缶コーヒーを買ったからだった。500mlペットボトルを買ってたりしたら途方に暮れただろうと思う。

なんとなく、同じ間違いをしそうな気がする>自分。この間違いが気づかれていないだろうこともうすうすわかる。

[独言] 書かなきゃいけないことが蓄積している

六甲OFF、東熊野街道、廃道巡ツアー、GW、・・・。ORJもそうだがKINIASも進めないといけない。GW中泊めていただいたお礼とか。書かなきゃいけないこと・しなきゃならんことが溜まっている。

そういう時ほどココに書くことが減る傾向にある、と書こうとして「本当にそうか?」と思ったり。ここ1カ月ばかり重圧でうんともすんとも言わなかった分だらだら書いてしまいそうでもある。事実そうしてダラダラ書いている。金にならないことを$$と書いてる。それがいちばん気楽でいい。

いまのうちにガッツリ書きためておくのがいいんだろうなあ・・・いやこれはORJの話。昨年のG.W.OFFもそんな感じだった。5月末にはもう戸倉書いてたものな。しかし今回ばかりはちょっと量が多くて書きはじめるのもためらわれる。東熊野街道だってルポはまだ構想段階だ。全部出し尽すにはマジで年末までかかるだろう。それ(ネタ)が読者的に面白いかどうかはさておき。

写真だけは何度も見直して反芻している。このヌケはどのラインを取ったか、次のカーブは何だったか、倒木の右と左と、どちらを通ったか。ちゃんと覚えていられるだろうか。飽きずに読んでもらえるものが書けるだろうか。不安と同時にワクワクでもある。

昨年の今ごろ、GW前なんかは特に、全くもって不安しかなかった。ネタが尽きるんじゃないかという不安。飢えで体が持たないんじゃないかという不安。しかし奇跡のG.W.OFFに助けられ、廃道本に助けられ、今年は今年で廃道ツアーに助けられでまだ生きている。幸せなことだと思う。どれもこれも、本当にみなさんのおかげだ。こっそり秘密裏に陰で何気なく感謝してますから。その分働きますから。最後まで。


トップ «前の日記(2009-05-17) 最新 次の日記(2009-05-23)» 編集