nagajisの日不定記。
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右手が痺れてきた。It's a time of throwing. 何投げる? 目の前にブナ製サジはあるが、これ投げたらコーヒー飲まれへん。 というわけで強制終了する。
木枯らしが吹き世の中のいろいろを吹き飛ばしてくれたお陰で氷のような青さの寒空が広がっている。CMYKでは決して表現できない類いの青に純白の雲。その底が冬を孕んで鈍色に光っている。そんな美しい光景を横目に私はまた具のないラーメンを作って二階堂を30cc程呷って寝るのです。ふはは。
で、また魘されるんだろ>nagajis。マスの端が微妙につながらなかったり、敷いた図のコンターと道をトレースし続けたり、何故か廃隧道を見つけたりして。つまんねえなあ。もうちょっと奥の深い夢を見ようとは、思わんのかね?
なんでここでネタ紹介したくなるのかよくわからない。「俺こんなこと知ってンだぜそのうえ無償公開する俺スゲー」とか何とか言いたいだけちゃうんか。
というわけで、奈良県が再成立するのは明治20年のことであり、道路環境整備の話もそれ以降の時代のものばかりが文章になっている(特に県側の資料では)。しかしそれ以前の堺県時代に道路改修がなかったわけではなく、例えば上田口の伊勢本街道秋霧・深霧隧道や佐倉峠辺などはこの時期の改修だ。
伊勢本街道と伊勢南街道(和歌山街道)を連絡する請取峠が改修されたのもこの頃。文献では受取新道という名前がよく使われている。そうとは知らずに2002年に越えた。あまり写真を撮っていないのが悔やまれる&新設林道が峠のすぐそばまで来ていたのが気になるところだ。そのうえ南のほうには消失区間がある。自分は太良木の辺で降りてしまった。(ここに「奈良県へは通り抜けできません」という看板が建っている。当時は「何でわざわざ?」と思ったがちゃんと意味のあることだったのだ)
陸地測量部 明治20年代測量1:20,000図 波瀬村(のはず)
ちなみに佐倉峠にも旧峠がある。明治10年代に開削された最初の峠はいまの峠の東の鞍部。現在峠にある石碑もソレ関連じゃなかったっけか。南側がえらい坂なのよね>現道南側。
高見峠が車道に改修されるのはとても遅い。木津隧道などは明治頃には出来ていたそうなのだがその先が続かなかったらしい。車道として開通するのは戦後のことで、長い間いわゆる不通県道だった。地形図を明治の初版から順に見て行くと、最初は県道表記だったものがだんだんランクダウンしていくさまが見て取れ、面白い。このへんのことは東吉野村の発行したいい資料がある。
ひどくどうでもよいことだが、2002年に請取峠道で取ったこの2枚組写真、I氏の受けが良かった。こんなん撮ってるんだったら峠道撮っとけと。
つまりはこういうこと。
こちらは既に氷点下。ブルブル。
冷えますねえ。ご自愛ください。
擬傷行動ってやつでしょうか。<br>意味深いですな・・・。
それです、その言葉が思い出せませんでした。 擬傷行動やと思います>件の鳥