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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2007-11-03 やってみた この日を編集

[web] オブローダー人口調査

文字の重なり対策。TUKA氏に「物理的に無理」と言ってしまったものの、ふとアイデアが浮かんで修正してみた。nagajisは適当だ。

STATICS

・マップ一枚のピクセルサイズの1/10の2次元配列(117x150)を想定
・positionの値を(int)1/10する
・配列上の(int)(position/10)の位置+X方向に文字数分の配列を調べてチェックが入ってなければそのまま配置。該当個所とその上下の列にチェックを入れる
・チェックが入ってる=文字があればY方向に1ずらして繰り返し

上下に1列ずつマージンを取るのがミソだ。入れないとどうしても約50%かぶる可能性が残る。英数字だけの方は幅を1/2するとか何とかバッドノウハウがたっぷり。たぶん1カ月後にソース見たら忘れてる。

ついでにjavascriptでいろいろ。少しは親切になった。そんなに力入れてもアレなんだけどな。


2008-11-03 うむ この日を編集

日付けが変わってしまった。何か違うことをする。

[独言] やっぱり

筒井康隆の作品に「言語姦覚」というのがある。オビの文句がAmazonにあったので引用。大変的確に内容を表しているが2カ所誤字トラップがあったので書き直した。

(あのですね)誰もが日常さりげなく
(その時点で)口にする表現を
(ひとことで言って)研ぎ澄まされた
(やっぱり)言語感覚で分析し
(どうも)そこにひそむ心理を
(わたしって意外と)容赦なくあばく
(極端にいえば)恐怖の現代日本語考
(と言いたい)…
ことばは怖い、怖いはことば

日頃いかに慣用句に頼った言説を繰り返しているかを身につまされる恐ろしい本である。細かな内容はもう忘れてしまったが読んでしばらくマトモに喋られなくなった。過敏なかたは決して読んではいけない。

急にこの本を思い出したのも、近ごろラジオを通して聞くニュースのなかで「やっぱり」が連発されているのが気になったからだった。もうちょっと正確に言えばニュースで取り上げられる「町の声」や「視聴者の声」のなかで。最初は単なるリフレインとして耳に残ったことに弱いポテンシャルを感じたのだが、考えているうちにはっきりと「いやらしいものだ」と気づき、そういえばこんなアレはどこかで読んだな、と思ったら件の本(を読んだ記憶)に行き当たったのだった。ずいぶん前に手放したので内容は忘れてしまったが、取り上げられているということは定めしケチョンケチョンにされていたことだろう。

意見を求められる。答える。そこには自己主張がある。自己主張そのものである。その前置きにわざわざ「やっぱり」をつけてしまうのは何故か。

例:「やっぱりサンマは目黒に限るでしょ」

「サンマは目黒に限る」ということが一般常識としてあることが大前提となっておりそれに従ったまでである、という宣言。暗に「それが当然でしょう」と言わんがための「やっぱり」。寄らば大樹の陰的な発想が見え隠れするいやらしさはもとより、「そんな常識的意見に反論する・反対意見をもつあなたは非常識ですよ」「反対する人は私の敵ですよ」という牽制もそこには含まれている。私の意見即ち通らねばならない、あるいは受け入れられなければならないという甘えの裏返しであるとも言える。

あるいは自分の意見が全国放送に乗るという緊張感から、常識的なことを言って責任を逃れようとする姿と捉えることもできる。仮にここでサンマは目黒という知識を有しつつ落ちサンマ=至宝の味だと思っている人が通りかかったとする。その恒等式はその人の意見であって誤りではない。何の非もない。そんな人は「サンマは落ちサンマに限ります」と言えばいい。のだが、世間一般を知ったる身ゆえに仕方なく「やっぱりサンマは目黒に限ります」と言わざるを得なくするような力がテレビやラジオのインタビュアーおよび向けられたマイクにはあるだろう。「サンマは落ちサンマに限ります」と言ったところでカットされてお終い。そういう諦めとしての「やっぱり」。「やっぱりサンマは落ちサンマに限ります」と発言しそれに与えられた失笑なり何なりを受け止めることを踏まえたうえで意見してこそ意見は意見として価値が発生する。そうでなければただの迎合である。

・・・といった感じの言葉批判が続く。この言を読んで納得したり笑ったりすることは簡単なのだがいざそのように納得し笑ってしまったあとで自分の言説を振り返ってみたときに愕然とするわけである。やっぱり。

ついでに、言葉と言葉のあいだの「間延び」が気になる。最近は誰もとやかく言わなくなったが、ひととき昔は舌足らずな喋り方として忌避されてたんではなかったか。

例:「やっぱりー、サンマはー、目黒にィー、限りますネ−」

それともあれか、1億6000万総舌足らず化か。最近はアナウンサーやコメンテーターまで間延びしていることがある。100%正しくあれとは言わないしそんなことができるのは(しなければならないのは)役者くらいのものだろうが、いちど気づいてしまうと気になって仕方ない。しかもきっと、自分が喋っている時もそんな遅延を起こしているに違いないのが、またいやらしいのだ。

ということを、プレゼン練習しながら思った。アーウー言って言語不明瞭なのは大平元首相のせいにしておく(なぞ

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 二枚橋 [間延びは…言語の経年劣化もとい「進化」というヤツではないかと思います。 ら抜き言葉なども同様かと。 支柱や根太の腐った構造物ミタイナ。それでもキノコの王国にとして進化発展し、やがて今の現代語は「..]

_ nagajis [その通りですね。私も違和感を感じつつ仕方ないものと諦めています(まず自分が矯正できないもの)。いまの私たちが源氏物語の頃の言葉で喋ってるわけでもありませんしね。 件の本は二重の意味で皮肉を言って..]


2009-11-03 この日を編集

[ToDo] 進捗度51%

右手が痺れてきた。It's a time of throwing. 何投げる? 目の前にブナ製サジはあるが、これ投げたらコーヒー飲まれへん。 というわけで強制終了する。

木枯らしが吹き世の中のいろいろを吹き飛ばしてくれたお陰で氷のような青さの寒空が広がっている。CMYKでは決して表現できない類いの青に純白の雲。その底が冬を孕んで鈍色に光っている。そんな美しい光景を横目に私はまた具のないラーメンを作って二階堂を30cc程呷って寝るのです。ふはは。

で、また魘されるんだろ>nagajis。マスの端が微妙につながらなかったり、敷いた図のコンターと道をトレースし続けたり、何故か廃隧道を見つけたりして。つまんねえなあ。もうちょっと奥の深い夢を見ようとは、思わんのかね?

[ネタ] 受取新道

なんでここでネタ紹介したくなるのかよくわからない。「俺こんなこと知ってンだぜそのうえ無償公開する俺スゲー」とか何とか言いたいだけちゃうんか。

というわけで、奈良県が再成立するのは明治20年のことであり、道路環境整備の話もそれ以降の時代のものばかりが文章になっている(特に県側の資料では)。しかしそれ以前の堺県時代に道路改修がなかったわけではなく、例えば上田口の伊勢本街道秋霧・深霧隧道や佐倉峠辺などはこの時期の改修だ。

画像の説明伊勢本街道と伊勢南街道(和歌山街道)を連絡する請取峠が改修されたのもこの頃。文献では受取新道という名前がよく使われている。そうとは知らずに2002年に越えた。あまり写真を撮っていないのが悔やまれる&新設林道が峠のすぐそばまで来ていたのが気になるところだ。そのうえ南のほうには消失区間がある。自分は太良木の辺で降りてしまった。(ここに「奈良県へは通り抜けできません」という看板が建っている。当時は「何でわざわざ?」と思ったがちゃんと意味のあることだったのだ)

画像の説明陸地測量部 明治20年代測量1:20,000図 波瀬村(のはず)

ちなみに佐倉峠にも旧峠がある。明治10年代に開削された最初の峠はいまの峠の東の鞍部。現在峠にある石碑もソレ関連じゃなかったっけか。南側がえらい坂なのよね>現道南側。

高見峠が車道に改修されるのはとても遅い。木津隧道などは明治頃には出来ていたそうなのだがその先が続かなかったらしい。車道として開通するのは戦後のことで、長い間いわゆる不通県道だった。地形図を明治の初版から順に見て行くと、最初は県道表記だったものがだんだんランクダウンしていくさまが見て取れ、面白い。このへんのことは東吉野村の発行したいい資料がある。

ひどくどうでもよいことだが、2002年に請取峠道で取ったこの2枚組写真、I氏の受けが良かった。こんなん撮ってるんだったら峠道撮っとけと。
画像の説明画像の説明

[奇妙なポテンシャル] #128

つまりはこういうこと。画像の説明

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ nagajis [冷えますねえ。ご自愛ください。]

_ TUKA [擬傷行動ってやつでしょうか。 意味深いですな・・・。]

_ nagajis [それです、その言葉が思い出せませんでした。 擬傷行動やと思います>件の鳥]


2010-11-03 この日を編集

[] 明治〜大正福井県:土木年表

大正福井県史より。土木費支弁法が頻繁に改正されているのが、意外なようでもあるし、実際にはどの県でもこの程度改正されていたのかもしれない。DAで見たと言っても収録されている年度は限られているからな。

明治35年に郡費支弁里道の制度が明文化されているらしい。こういうのは初めて遭遇した(原文がねえ!@DA)。近畿圏周辺では希なことではなかろうか。

出典:福井県史。 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960758/188

置県〜明治6
道路の修築・橋梁の新設・道路の改修を民間に委託、賃取を許可
明治6年(敦賀県時代)
北陸往還日野川筋白川橋架設
6年6月架設許可/11月落成、1100余円向こう4ヶ年の橋賃徴収
新保道安居川筋海老助橋架設
6年10月架設許可、7年4月落成、1200余円、5ヶ年
三国道九頭竜川筋中角橋架設
7年9月架設許可、8年6月竣工、2300余円、5ヵ年)
春日野新道
南条郡四郎丸村より同郡河野浦に達する。5年11月許可、7年5月落成、9700余円、9年より向こう48年の道銭徴収
粟田部街道
武生−粟田部間。7年1月許可、10月落成、1200余円、向こう7ヵ年)
北陸新道の開削・修繕
丸岡より牛ノ谷峠を経て加賀国大聖寺に達する。丸岡町民長田四郎らの願、8年5月許可、3年を費やして完成
いずれも民間の手による。他に三方郡南前川村の島津五郎太夫が自費で街道筋120〜130間を修繕
明治6年8月
道路等級制。 明治7年5月(敦賀県)
民費賦課規則を定める
一等道路
北陸街道
二等道路
若狭道、大野道、勝山道、丸岡道、坂井道、四箇浦道、春日野道、熊川道、疋田道
99橋を大橋に、11橋を中橋に指定。大橋と一等道路小橋梁修繕費を官費支弁、中橋と二等道路小橋梁の修繕費を六官四民とする。道路掃除は自費だが閑散地では一戸七間に限定、残りは郡の補助。
明治8年9月
九頭竜川の舟橋を廃し木橋に 明治9年6月
国県里道制。
国道
北陸街道(旧一等道路)
県道
旧二等道路
里道
その他の諸道
敦賀より杉津に至る海岸道の開削。阿曽隧道。
若狭道の本坂・海老坂の切下げ。
四箇浦道の二個所切下げ。
明治11年
明治天皇北陸巡幸にあわせ石川滋賀両県と協定して北陸街道、西近江、春日野、坂井、丸岡の各支道、福井−坂井港間の支道を修繕。
北陸新道に大修繕を加え車道に。本街道廃れる。
この年滋賀県が敦賀−木ノ芽嶺、麻生口経由柳ヶ瀬に至る道、麻生口より新堂野越(新道野)を経て塩津に達する道を修繕、車馬の通行を便にする。
明治13年
若狭道の改修
福井−大野間の道路改修。内山七郎右衛門らの献金をもって花山峠を開削、足羽川左岸に沿って捷路をなす。16年竣工。
明治17年
勝山道九頭竜川渡船場に舟橋架設、橋銭にて工費償却の出願。小舟渡船橋。
丹後道三方郡内岩出峠の開削、椿峠の平夷に着手、明治19年竣工。
明治18年2月
国道表。北陸道の福井県庁以南を第18号路線、以北を第19号に。
明治18年4月
若狭近江両国に達する新道(いわゆる春日野新道)の改修計画。18年度より3ヵ年、春日野新道と丹後街道岩出・椿・須賀美・吉坂の四坂開削が決まる。須賀美坂以外は完成。小浜町と大飯郡和田村間を除いて南北に車両が通じる。
明治19年
京都府と連携して吉坂峠の改修。
天爵大神による永平寺道恋坂の改修。明治21年竣工。
明治21年3月
町村費負担の道路修繕標準を定める。
美濃道荒島山麓を改修、九頭竜川に琴洞橋架設。
明治22年3月
土木費支出規則を改正。
若狭道熊川村より近江国未谷村間の大改修。
明治23年1月
土木費支出規則改正。地方税支弁道16、五分補助道56線。
明治25年
北陸道湯尾峠を避け山麓に新車道を開削。
勝山、吉崎、丸岡、西近江、梅浦、蒲生の諸道改修。
明治26年
県内各道の大改修。26年度から30年度まで五箇年継続事業で、勝山道ほか29道の改修、九頭竜川堤、笙ノ河・児屋河予防工、三方郡嵯峨隧道修築。県費21万9500円。
美濃道改修。真名川に君ヶ代橋を架し、油坂嶺に隧道を開削。
粟田部道日野川の万代橋架換。
西田中道は翌年にわたって改修、車両を通じるように成る。
明治27年3月
土木費支出規則の改正。北陸道以下37道、及び架設の橋梁、その他主要路の橋梁を県費支弁に、美濃道以下71道を五分補助とする。
美濃道下山-河合間4300余間の開削。福井・面谷間の車道開通。
小牧道の幅員拡張。
勝山道の一部を改修。
粟田部道武生町−北新庄村間に新路。
明治28年8月
土木費支出規則を改正。県費支弁道54路線、五分補助92線。
粟田部道の改修続行。流失した万代橋を位置を変えて架設。
明治29年
敦賀道笙橋架換。
武生−鯖江停車場道を開削。ほか。
勝山道長淵−勝山町間水害で破損、線路を変更。
美濃道五箇村に隧道を穿つほか小改修。
明治31年
今庄−板取間の改修竣工。北陸道は板取以北すべて車両通行可能に。
丹後道関峠の開削、湯岡橋の架換竣工。
勝山道下荒井−大野町間の改修竣工。27年度より続いていた難工事。これで勝山−福井間に車両通行。
丸岡道金津町−鳴鹿間の拡張。三国より鳴鹿舟橋まで車道となる。
新保道改修。
浅水道改修。大土呂停車場より東郷二箇迄車道に。
織田道武生町より西方海岸に車両を通じる。
大野郡仙翁道は真名川左岸山裾を開き、大野町より上若王子に車道を開く。
その他牛首、坂谷、鮎川、坂本、川上、和田、新庄の諸道各改修を官僚、予定計画を完了するも、丹後道・丹波道に未改修の部分を残す。
10月土木費支出規則を改正。県費支弁道路73、諸橋梁五分補助を142線に。
明治32年
丹波道に谷田部坂を除き改修を加え、丹後道また前年の残工事を終え、敦賀以西丹後舞鶴迄車両を通じる。
泥原新保村−三国村間に新保橋架設。県下第一の長橋。
明治33年
九頭竜川改修にともなう権衡工事問題。実施に至らず。 明治35年3月
土木費支出規則を改正、36年度より施行、郡費をもって主要なる里道を経営し得べき事とす
福井停車場前城堀を埋め立て八間幅の新道を開設。
明治37年3月
敦賀道、丹後道が国道53号線となる。
明治38年
福井市幸橋架換。
明治39年
美濃道下穴馬村にて路線変更。
10月土木費支出規則改正。県費支弁橋梁22橋。
明治41年
敦賀停車場移転に伴い新道開削。
明治42年3月
県費支弁道・同橋梁を追加
明治43年
石田橋架換。
明治44年
美濃道上穴馬村地係を改修。
北陸道筋加賀口橋を鉄筋コンクリート造に改修。本県嚆矢。
大正元年
勝山橋の架設に着手。
粟田部道万代橋架換。
勝山道下荒井船橋を鉄線吊橋に改修。
11月、土木費支出規則改正。補助歩合など変更、2年4月より実施。
美濃道、池田道の改修。
大正3年
丸岡道鳴鹿船橋の鉄線吊橋化。
丹波道中井橋の鉄線吊橋化、金津町市姫橋の鉄工桁橋化(本県嚆矢)。
勝山橋竣工、県下初の鉄鋼吊橋。
大正4年
県費支弁道に改正
池田道小宇坂地内に隧道、持越橋の架換。
蒲生道の大改修。久喜津橋架設、志津川橋架換。
大正5年
池田、鯖江、大桐停車場、常宮、丹後の諸道改修、橋梁架替など。
大正6年
池田、常宮道などの改修続行。石田橋の架換など。
大正7年
池田、吉崎、美濃、砂小坂道などの改修。
小浜停車場道の開通。
長畝橋、三重橋の架換。
坂井郡布施田橋(6年1月起工)落成。
池田、織田道の改修、7年度より11年度まで継続事業。
小舟渡橋7年-9年の継続で架換。
11月、<b>仮定県道・県費支弁道路の追加。
大正8年4月
県費支弁道路橋梁河川中より板垣橋ほか16橋を削除
美濃道・池田道の改修。
河原市停車場道の開削。
道路法の公布。

しかし明治36年統計書では15の街道しか載ってないのだよな・・・。県道以外に悉皆支弁な里道が多数あったということか。これもちょっと近畿風でない。

北陸街道、大野街道、勝山街道、三国街道、金津街道、小牧街道、丸岡街道、梅浦街道、禅師王子街道、粟田部街道、丹後街道、西近江街道、刀根越街道、塩津街道、若狭街道

[] 明治23年福井県:土木費支出規則

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788709/184

では 北陸道、美濃道、勝見道、勝山道、三国道、小牧道、芦原道、敦賀道、粟田部道、西田中道、河野道、西近江道、塩津道、丹後道、若狭道、丹波道(24年改正で牛首、国富、蒲生、武生、丸岡追加)になってる。


2011-11-03 1年経った この日を編集

昨年の今日、足を怪我してドツボにはまったわけだけれども、それから1年経った現在、全く元通りになったというわけでない。多少ひねった程度では痛まないけれども長く歩くとまず右足が痛くなる。翌日は足首がガクガクになる。ついでに右膝も痛む。変な歩き方になっていて、それで膝にも影響が出ているらしい。注意一秒怪我一生やな、ほんと。

でもまあ。以前よりは格段に良くなって、日常生活には何ら支障がないし、自転車で旅に出ることもできるほどになった。梅地下を歩く速度も以前並みになった。もう少し爪先立ち的歩き方を心がけて足首の筋と筋肉を使えばも少し良くなると思う。

んでこの一年間を振り返ってみて、思った以上にいろんなことをしているなと思った。カレンダー作って杖突いて発送しに行った12月。廃道をゆく3書いたり三重県の道路行政をほじくり返したりKINIAS学会誌作ったりした春。安治トン資料を追究した5月。67月はこれといったことができんかったな。8910は久しぶりにあちこちへ行ったうえに原稿書きまくった。総じてそんなに悪くなかったような気がする。まだしなきゃいかんことがあるみたいだしな。

[絵葉書][] 隧:神奈川県・函嶺洞門

画像の説明

絵葉書集めだしたのも怪我以降か。古物市で一枚100えんのを中心に漁ってる。根気よく探しているといろいろ面白い発見があっていい。例えば函嶺洞門。外観がよくわかる一枚。

画像の説明

別のところで内部の絵葉書を見つけた。昔は2車線じゃなかったんだなとか砂利道だったとか(道はどこでもそうだったろうが)わかって面白い。あと、基本的に著作権を意識しないで使えるのが楽。

[絵葉書][] 栃木:白雲洞

画像の説明以前の続き。もう一方の遠景。

画像の説明上で満足していたらこんなのもあった。南口?のアップ+彩色。この彩色は綺麗なほう。ついでに北口?の引きもあったが購入はやめておいた。そこまで縁があるわけじゃない。なお北口の20mほど手前から左山手へ越えていく道が写っていた。隧道以前の道だったか、近くの寺社仏閣?に向かうものか。

[奇妙なポテンシャル] #259

今朝は屁で目が覚めた。

尋常ならざる屁であった。30秒近くぶーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと出続けたのだ。屁が。虚ろな頭で「時計見て何秒続くか確認しようか」と思ったものの、その時点ですでに十秒近く続いていて今更測定しても厳密な値が得られるわけでなし、近くに置いて寝た覚えもないのでやめにしたのだが、その時点からさらに続いて屁が出続けた。どんだけガスが溜まってるんだ、とか、麹菌による醸しと同様に寝てる=静置してると発酵が促進されて云々、とか思ってもやはり出続けた。止まったあと布団を剥ぐのが怖かったほどだ。

という感じで、記憶のうちでは切れ目なく止めどなく長々と屁をこいたように思っているのだが、実際はそうでなかったのかも知れない。この事象が目覚めの瞬間を跨いでいるからだ。最後は確実に目が覚めていて屁をこいていることを知覚していたのだが、始まりが睡眠中というか夢の中というか、そういうところから始まっている。人が睡眠中に感じる「時間の長さ」はとてもあいまいであると聞いたことがある。長い尋問と弾劾的裁判の末に斬首刑になる夢を見て、首を斬られた瞬間に目が覚め、と同時に外れて落ちてきたベッドの部品が首に当たった、という体験談by心理学者があるそうだ(確か宮城音弥「夢」)。首にものが当たった感触から逆算的に長い夢を再構成する、あたかも長い夢を見た末に首を切られたかのような錯覚に陥るようなことがある、ということらしい。ということは先述の屁も覚醒後の少々長い屁から超長屁を時間軸後ろ向きに延伸させただけなのかも知れない。そう考えたほうが辻褄が合う。恐る恐る嗅いだ布団はそれほど臭くもなかったからだ。

[独言] 色々復活

受け軸にガタが来ていたらしく突然ギュルギュル飯田市て困っていたノートPCのファンを交換したった。適当なファンが手に入れば…と思ってポンバシへ行ってみると同じメーカーの一つ新しいモデルでヒンジ割れ・液晶キーボードメモリHDDなしという超ジャンク¥480を発見。この値段でファンを買うのだと思えば安いものだ。んで入れ替えたったら、おお、こんなに静かだったのかと感心することしきり。ついでにバッテリーが生きていてちょっと得した気分。

懸案だった電源も購入した。いただいた直後に電源が死んでしまいお蔵入り状態になっていたものがあるのだ。¥680かと思っていたら¥880でちょっと悄気、帰って接続しようとすると4pinが一つ足りなくてさらに悄気たが、8pinオスを4pinメスに無理矢理差して完工。やはり速い@_@。余りに速いのでカシミール3Dでフルトレーシングして遊んでみたり。動画はやらないのでちょっと勿体無いスペックではある。これでも画像処理はfreq.約半分のMacのほうが速い不思議。PhotoshopとGIMPを比べたらあかんのやろうな。

以上、珍しく外れのなかったポンバシ徘徊の話おわり。帰りの電車であの屁はどう考えても長すぎたよなと納得し夢だったんだという結論に達した。古本屋で購入し鞄に入れたままになっていた『滋賀県誌』¥300を読んでいると、見知らぬおっちゃんに「なんや難しそうな本読んどるな〜どこぞのセンセイか〜」と話しかけられたりした。「いやいや大した本やおまへん、おっちゃんらが若いころとか子供の頃とかに見て知ってるようなことが書いとるだけですわあはは」と答えておいた。大阪は面白い街である。

[] 滋賀県誌

滋賀県高等学校社会科教育委研究会地理部会編・地人書房刊・昭和49年初版発行。大津、湖西、湖東、湖北のそれぞれについて略史や風土、産業なんかが完結にまとめられていて、そうかと思うと地場産業の発達史が細かく書かれてたりもし、「滋賀県とはなんぞや」を把握したい向きにおすすめな一冊。特に地域の産業史に関しては戦後から昭和50年ころにかけての話が多いので、ちょうど自分が抜けている辺りが補えるのが有り難かった。厚さの割に結構網羅的に書かれてあるのもお買い得感を増長する。内容が覚えられるかどうかはさておき。


2012-11-03 \(^o^)/ この日を編集

[独言] コアダンプに限りなく近い独言

あんまり手が入れられなかったのは最初のデキが良かったからでも投げやりになったからでもないと思う。今までにない新しい感覚だ。どうも脳が悪くなってきたらしい。いや元からずいぶんひどいんだけどね。おかしいことに気づけなくなったのかも知れぬ。

直しても仕方ないかなと思った場面はいくらでもあるのだ。それを直したところで何という反応もないことも予期したりもしたし。そういうものだというテイカン? うん、テイカンかも知れない。

新しい言葉が欲しいなあ。今回はいくつか得られたような気もする。漠然と。そんな感じなのだな。遅い。

というか考えたら新規のが殆どないんだった今回。そりゃーそうだ。道理で速いわけだ。

ふと「アナルコ・サンジカリズム」というワードが頭をよぎって検索したら大杉栄だった。大杉氏元気にしているだろうか。 もう何ヵ月も人に会っていないような気がしている。

子供の頃の思い出話をして下さる(思い出話ができる)古老は偉いと思う。自分なんかまだ30数年前のことなのに忘れている。太田電気の脇のドブに落ちたのはいつだっけか。暗渠の下で蛆の沸いた犬死体を見たのはいつだっけか。石田ビルが緑色に塗り直されたのは。何月何日は無理としても、何年の出来事だったか、とっさに答えられる自信がない。

何のために生きるのか、ではなくて、何をして生きるのか、かも知れないなあ。生きるために何かする方が大変なことであって、それを何とかしながらみんな生きてるんじゃないかなあ。それが人間、世の中っちゅうもんなんじゃないかなあ。 そこに余裕ができない限り、新しいこととか鋭利な思想とか 高尚な目標は生まれないんじゃないかなあ。貧すれば鈍す。赤い貧乏も結構だが他の色も試してみてはどうか>nagajis。

なんだったかひどく面白かった奇妙なポテンシャルがあった気がするのだが思い出せない。今朝も何かの夢を見た気がするがこれもやはり[D]にできぬ。曰く疲労しているのだと思う。それほど神経をすり減らしているようには思えず見えずのnagajisだが。実際こうやって毎夜毎夜クソ垂れ流してもなお眠れないのだからそうなんじゃないかしらん。秋がのしかかってきてふりほどけないから熱いコーヒーが飲みたくなるのだろう。そうだろう?

[奇妙なポテンシャル] #290

感じていた奇妙なポテンシャルを思い出した。商店街のはずれにある通称ゾウさん公園で、バザーか何かの準備なのだろう、白線で区画割りを引いているのを見たのだった。その区画割りに、奇ポテを感じたのだ。

┏━┳━┳━┳━┳━┓
┃E┃D┃C┃B┃A┃

妙な心地悪さを感じないだろうか。この一ブロックだけだろうかと思ったが、そうでもなく、十数ある区画がすべてこのような振られ方をしていたのだった。

そのおかしさに突っ込みたくなったのではなく、なぜ心地悪さを感じたのかを考えた。アルファベットは左書きなのだから、左から右に並んでいるのが自然であって、それに反した不自然状態であるから心地悪く感じたのは間違いない。負のエントロピーを生成しているように見えて実は正という熱力学法則に悖る行為であるから「・・・」を感じたのだろう。けれども、じゃあどうしたら良かったのか。アルファベットのかわりに数字を使っても解決しない。そもそも左から振るヨロシな案は却下である。左からA、B、Cと振れない不可避な理由があったからこそこうなったんだろう。作っている本人らも不格好を承知しつつしぶしぶ書いているのだろう。

あ、い、う、・・・、もしくはイ、ロ、ハ、・・・であったら良かったのかも知れない。日本語なら右書きの存在が許容してくれる。「まあ、それもありだよね」と包容してくれる。何なら一文字ずつ5行と考えてもいい。「ね」のようなややこしい文字とか「シ」「ツ」区別とかを白線で書ける保証はない、18も区画があったかどうかは見てないけれども、とりあえずそれを結論にした。

[KINIAS] わあおう

そういやeNL来てねえなあと思い,確認したら,ちゃんと送信できてなかったらしい・・・.う○こブラウザのせいだ.くそ.3日遅れでとにかく再発行した.

どうも最近,KINIAS方面で失敗が多い.Macと同じでちゃんと思いを向けとかないとうまく回らないものなのかも知れない.他のパソコンに浮気すると途端に機嫌が悪くなるというアレだ.


2014-11-03 この日を編集

[] 井上ひさし「吉里吉里人」

げらげら。げらげらげらげら。瞠目。瞠目瞠目 。げらげらげらげらげらげら 。ほろり。 げらげらげら!

高校の時に大枚をはたいて買った本が入荷した。厚さ5cmを超えているうえ100円にもならないような値崩れ本なんでBO行き確実とみて回収してしまった。こんな大巻読む暇あるんだろうかと思いつつ、げらげら笑いながら読み続けてしまい、もう1/3も消費してしまった。勿体ねえ。

それにしてもこんな面白い本だったかなあと思うこと数百度。あらすじもほとんど覚えていなくてすごく新鮮な気持ちで読むことができた。高校ン時のは読んだうちに入らんなぁ。「なんて冗長な本なんだ」と思ってしまったのは仕方あるめえ。作者は計算してわざとそう書いている。 最適なスピードなのだ。主人公古橋の異常な移り気も三文作家ぶりを実にうまく想像させてくれる。

[橋梁] 難波橋

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難波橋の橋上に建つこの飾り柱・・・

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側面に刻まれている模様がお茶の水博士に見えて仕方ない。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [布団の中で「日本の分水嶺」を読んでいたら、 「永冨謙」って名前が出てきて、飛び起きちまっただよ。]

_ nagajis [むがしこのごとなんしぁわすれぇすもたっけもぉ。]

_ ゆうさん [僕も最近読んで、オオッとなったよ。]


2018-11-03 この日を編集

[煉瓦工場] 中部・関東以北

関西すら解明できてねーっつうのに東のほうへ手を出したのは要するに褒められたいからである。卑しい魂胆である。故にそのことを言明しておく。小さい人間なのである。

(たぶん同じ人間が同じ感覚で作らないと工場通覧のメタメタな表記揺れはまとめられない。どうせ誤差が出るなら一個人の判定誤差で統一的に誤差したらよからんずらん)

そうしてここから先が大変。工場通覧のS10頃のとか戦後のとか、諸会社役員表とか、工業名鑑とか、各府県の統計書とかみないかん。そのうえ東京や埼玉栃木や北海道や神奈川はM30代以前がキモになるはずで、しかしそのへんのデータがうまく手に入るとは限らない。試みに東京府の統計書を触ってみたが最初から数値統計だけで工場名一覧はござ覧のだ。どうしたものか。そうしてもう次号の作成期間に突入しているのだ。

[独言] 中国地方>大阪の煉瓦

先月の独言に突っ込みをいただいたのだが、確かにそうかも知れないと思う。販売目的でガッツリ運ばれてきたというよりも帰りの空荷を埋めるために煉瓦を積んで帰ったと考えられなくもない。

煉瓦の商圏?についてはいろいろ思うことがあり、書き始めると長くなりそうなのでここにだらだらと書くことにする。 時期にもよると思う。大阪で煉瓦生産が最盛期を迎えていた大正中期には遠くから持ってくるより地場産煉瓦を地場で消費するほうが手っ取り早かっただろうから他地方>大阪の輸入はそれほどなかったと思われる。しかし大正8年以降煉瓦生産が斜陽化し関東大震災でトドメを刺されてからは大阪府下で生産される煉瓦も激減した。堺・丹治・津守は大正末までに廃業しているし大阪窯業も貼付煉瓦とか耐火煉瓦とかセメント製造とかに軸足を移してく。岸和田煉瓦も綿業に手を出して二足草鞋で延命した。結果府下で生産される煉瓦の量は激減し、しかし建物基礎とか水回りとかいった特定用途の需要はあり続けたので、地「産」の減少の穴を埋めるようにして周辺地域から煉瓦が さかんに流れ込んでくるようになったように見える。大阪市街や豊中市で見られる他地域の煉瓦刻印は大半が大正〜昭和期の会社のものだ(松本煉瓦とか)。

MOWチョット現みつなことは、ってすげえ変換だな、もうちょっと厳密なことは鉄道輸送の統計とか港湾の輸出入とかで確認できるかもしれない。例えば大正末頃の鉄道貨物の状況は鉄道省「重要貨物調査」http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/984219/30で知ることができる。この時代には大阪駅やその前後に到着する煉瓦はさほど多くない。ただしこの統計の数値には耐火煉瓦も混じっているようなので工場密集地帯に着荷が多いのはチト吟味せねばならない。港湾はどうだろ、どっかに統計があった気がする。

ババ眠くなってきたので落ちる。


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