nagajisの日不定記。
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明治節なる故に休業なりき。
午前中はわずかなるが勉強し、午后は二月ぶりに集会所へ行き酒保へ行く。然し腹満てる故食するも、うまからずして且つ夕食も食す能わず。やはり酒保は我にとりて最もおそるべきものなりと思いたり。何なれば予の腹には糖分満ちいるならん。自習時間が長くなり一層勤むるを考え嬉し。
文字の重なり対策。TUKA氏に「物理的に無理」と言ってしまったものの、ふとアイデアが浮かんで修正してみた。nagajisは適当だ。
STATICS
・マップ一枚のピクセルサイズの1/10の2次元配列(117x150)を想定
・positionの値を(int)1/10する
・配列上の(int)(position/10)の位置+X方向に文字数分の配列を調べてチェックが入ってなければそのまま配置。該当個所とその上下の列にチェックを入れる
・チェックが入ってる=文字があればY方向に1ずらして繰り返し
上下に1列ずつマージンを取るのがミソだ。入れないとどうしても約50%かぶる可能性が残る。英数字だけの方は幅を1/2するとか何とかバッドノウハウがたっぷり。たぶん1カ月後にソース見たら忘れてる。
ついでにjavascriptでいろいろ。少しは親切になった。そんなに力入れてもアレなんだけどな。
日付けが変わってしまった。何か違うことをする。
筒井康隆の作品に「言語姦覚」というのがある。オビの文句がAmazonにあったので引用。大変的確に内容を表しているが2カ所誤字トラップがあったので書き直した。
(あのですね)誰もが日常さりげなく
(その時点で)口にする表現を
(ひとことで言って)研ぎ澄まされた
(やっぱり)言語感覚で分析し
(どうも)そこにひそむ心理を
(わたしって意外と)容赦なくあばく
(極端にいえば)恐怖の現代日本語考
(と言いたい)…
ことばは怖い、怖いはことば
日頃いかに慣用句に頼った言説を繰り返しているかを身につまされる恐ろしい本である。細かな内容はもう忘れてしまったが読んでしばらくマトモに喋られなくなった。過敏なかたは決して読んではいけない。
急にこの本を思い出したのも、近ごろラジオを通して聞くニュースのなかで「やっぱり」が連発されているのが気になったからだった。もうちょっと正確に言えばニュースで取り上げられる「町の声」や「視聴者の声」のなかで。最初は単なるリフレインとして耳に残ったことに弱いポテンシャルを感じたのだが、考えているうちにはっきりと「いやらしいものだ」と気づき、そういえばこんなアレはどこかで読んだな、と思ったら件の本(を読んだ記憶)に行き当たったのだった。ずいぶん前に手放したので内容は忘れてしまったが、取り上げられているということは定めしケチョンケチョンにされていたことだろう。
意見を求められる。答える。そこには自己主張がある。自己主張そのものである。その前置きにわざわざ「やっぱり」をつけてしまうのは何故か。
例:「やっぱりサンマは目黒に限るでしょ」
「サンマは目黒に限る」ということが一般常識としてあることが大前提となっておりそれに従ったまでである、という宣言。暗に「それが当然でしょう」と言わんがための「やっぱり」。寄らば大樹の陰的な発想が見え隠れするいやらしさはもとより、「そんな常識的意見に反論する・反対意見をもつあなたは非常識ですよ」「反対する人は私の敵ですよ」という牽制もそこには含まれている。私の意見即ち通らねばならない、あるいは受け入れられなければならないという甘えの裏返しであるとも言える。
あるいは自分の意見が全国放送に乗るという緊張感から、常識的なことを言って責任を逃れようとする姿と捉えることもできる。仮にここでサンマは目黒という知識を有しつつ落ちサンマ=至宝の味だと思っている人が通りかかったとする。その恒等式はその人の意見であって誤りではない。何の非もない。そんな人は「サンマは落ちサンマに限ります」と言えばいい。のだが、世間一般を知ったる身ゆえに仕方なく「やっぱりサンマは目黒に限ります」と言わざるを得なくするような力がテレビやラジオのインタビュアーおよび向けられたマイクにはあるだろう。「サンマは落ちサンマに限ります」と言ったところでカットされてお終い。そういう諦めとしての「やっぱり」。「やっぱりサンマは落ちサンマに限ります」と発言しそれに与えられた失笑なり何なりを受け止めることを踏まえたうえで意見してこそ意見は意見として価値が発生する。そうでなければただの迎合である。
・・・といった感じの言葉批判が続く。この言を読んで納得したり笑ったりすることは簡単なのだがいざそのように納得し笑ってしまったあとで自分の言説を振り返ってみたときに愕然とするわけである。やっぱり。
ついでに、言葉と言葉のあいだの「間延び」が気になる。最近は誰もとやかく言わなくなったが、ひととき昔は舌足らずな喋り方として忌避されてたんではなかったか。
例:「やっぱりー、サンマはー、目黒にィー、限りますネ−」
それともあれか、1億6000万総舌足らず化か。最近はアナウンサーやコメンテーターまで間延びしていることがある。100%正しくあれとは言わないしそんなことができるのは(しなければならないのは)役者くらいのものだろうが、いちど気づいてしまうと気になって仕方ない。しかもきっと、自分が喋っている時もそんな遅延を起こしているに違いないのが、またいやらしいのだ。
ということを、プレゼン練習しながら思った。アーウー言って言語不明瞭なのは大平元首相のせいにしておく(なぞ
右手が痺れてきた。It's a time of throwing. 何投げる? 目の前にブナ製サジはあるが、これ投げたらコーヒー飲まれへん。 というわけで強制終了する。
木枯らしが吹き世の中のいろいろを吹き飛ばしてくれたお陰で氷のような青さの寒空が広がっている。CMYKでは決して表現できない類いの青に純白の雲。その底が冬を孕んで鈍色に光っている。そんな美しい光景を横目に私はまた具のないラーメンを作って二階堂を30cc程呷って寝るのです。ふはは。
で、また魘されるんだろ>nagajis。マスの端が微妙につながらなかったり、敷いた図のコンターと道をトレースし続けたり、何故か廃隧道を見つけたりして。つまんねえなあ。もうちょっと奥の深い夢を見ようとは、思わんのかね?
なんでここでネタ紹介したくなるのかよくわからない。「俺こんなこと知ってンだぜそのうえ無償公開する俺スゲー」とか何とか言いたいだけちゃうんか。
というわけで、奈良県が再成立するのは明治20年のことであり、道路環境整備の話もそれ以降の時代のものばかりが文章になっている(特に県側の資料では)。しかしそれ以前の堺県時代に道路改修がなかったわけではなく、例えば上田口の伊勢本街道秋霧・深霧隧道や佐倉峠辺などはこの時期の改修だ。
伊勢本街道と伊勢南街道(和歌山街道)を連絡する請取峠が改修されたのもこの頃。文献では受取新道という名前がよく使われている。そうとは知らずに2002年に越えた。あまり写真を撮っていないのが悔やまれる&新設林道が峠のすぐそばまで来ていたのが気になるところだ。そのうえ南のほうには消失区間がある。自分は太良木の辺で降りてしまった。(ここに「奈良県へは通り抜けできません」という看板が建っている。当時は「何でわざわざ?」と思ったがちゃんと意味のあることだったのだ)
陸地測量部 明治20年代測量1:20,000図 波瀬村(のはず)
ちなみに佐倉峠にも旧峠がある。明治10年代に開削された最初の峠はいまの峠の東の鞍部。現在峠にある石碑もソレ関連じゃなかったっけか。南側がえらい坂なのよね>現道南側。
高見峠が車道に改修されるのはとても遅い。木津隧道などは明治頃には出来ていたそうなのだがその先が続かなかったらしい。車道として開通するのは戦後のことで、長い間いわゆる不通県道だった。地形図を明治の初版から順に見て行くと、最初は県道表記だったものがだんだんランクダウンしていくさまが見て取れ、面白い。このへんのことは東吉野村の発行したいい資料がある。
ひどくどうでもよいことだが、2002年に請取峠道で取ったこの2枚組写真、I氏の受けが良かった。こんなん撮ってるんだったら峠道撮っとけと。
つまりはこういうこと。
大正福井県史より。土木費支弁法が頻繁に改正されているのが、意外なようでもあるし、実際にはどの県でもこの程度改正されていたのかもしれない。DAで見たと言っても収録されている年度は限られているからな。
明治35年に郡費支弁里道の制度が明文化されているらしい。こういうのは初めて遭遇した(原文がねえ!@DA)。近畿圏周辺では希なことではなかろうか。
出典:福井県史。 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960758/188
しかし明治36年統計書では15の街道しか載ってないのだよな・・・。県道以外に悉皆支弁な里道が多数あったということか。これもちょっと近畿風でない。
北陸街道、大野街道、勝山街道、三国街道、金津街道、小牧街道、丸岡街道、梅浦街道、禅師王子街道、粟田部街道、丹後街道、西近江街道、刀根越街道、塩津街道、若狭街道
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788709/184
では 北陸道、美濃道、勝見道、勝山道、三国道、小牧道、芦原道、敦賀道、粟田部道、西田中道、河野道、西近江道、塩津道、丹後道、若狭道、丹波道(24年改正で牛首、国富、蒲生、武生、丸岡追加)になってる。
昨年の今日、足を怪我してドツボにはまったわけだけれども、それから1年経った現在、全く元通りになったというわけでない。多少ひねった程度では痛まないけれども長く歩くとまず右足が痛くなる。翌日は足首がガクガクになる。ついでに右膝も痛む。変な歩き方になっていて、それで膝にも影響が出ているらしい。注意一秒怪我一生やな、ほんと。
でもまあ。以前よりは格段に良くなって、日常生活には何ら支障がないし、自転車で旅に出ることもできるほどになった。梅地下を歩く速度も以前並みになった。もう少し爪先立ち的歩き方を心がけて足首の筋と筋肉を使えばも少し良くなると思う。
んでこの一年間を振り返ってみて、思った以上にいろんなことをしているなと思った。カレンダー作って杖突いて発送しに行った12月。廃道をゆく3書いたり三重県の道路行政をほじくり返したりKINIAS学会誌作ったりした春。安治トン資料を追究した5月。67月はこれといったことができんかったな。8910は久しぶりにあちこちへ行ったうえに原稿書きまくった。総じてそんなに悪くなかったような気がする。まだしなきゃいかんことがあるみたいだしな。
絵葉書集めだしたのも怪我以降か。古物市で一枚100えんのを中心に漁ってる。根気よく探しているといろいろ面白い発見があっていい。例えば函嶺洞門。外観がよくわかる一枚。
別のところで内部の絵葉書を見つけた。昔は2車線じゃなかったんだなとか砂利道だったとか(道はどこでもそうだったろうが)わかって面白い。あと、基本的に著作権を意識しないで使えるのが楽。
以前の続き。もう一方の遠景。
上で満足していたらこんなのもあった。南口?のアップ+彩色。この彩色は綺麗なほう。ついでに北口?の引きもあったが購入はやめておいた。そこまで縁があるわけじゃない。なお北口の20mほど手前から左山手へ越えていく道が写っていた。隧道以前の道だったか、近くの寺社仏閣?に向かうものか。
今朝は屁で目が覚めた。
尋常ならざる屁であった。30秒近くぶーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと出続けたのだ。屁が。虚ろな頭で「時計見て何秒続くか確認しようか」と思ったものの、その時点ですでに十秒近く続いていて今更測定しても厳密な値が得られるわけでなし、近くに置いて寝た覚えもないのでやめにしたのだが、その時点からさらに続いて屁が出続けた。どんだけガスが溜まってるんだ、とか、麹菌による醸しと同様に寝てる=静置してると発酵が促進されて云々、とか思ってもやはり出続けた。止まったあと布団を剥ぐのが怖かったほどだ。
という感じで、記憶のうちでは切れ目なく止めどなく長々と屁をこいたように思っているのだが、実際はそうでなかったのかも知れない。この事象が目覚めの瞬間を跨いでいるからだ。最後は確実に目が覚めていて屁をこいていることを知覚していたのだが、始まりが睡眠中というか夢の中というか、そういうところから始まっている。人が睡眠中に感じる「時間の長さ」はとてもあいまいであると聞いたことがある。長い尋問と弾劾的裁判の末に斬首刑になる夢を見て、首を斬られた瞬間に目が覚め、と同時に外れて落ちてきたベッドの部品が首に当たった、という体験談by心理学者があるそうだ(確か宮城音弥「夢」)。首にものが当たった感触から逆算的に長い夢を再構成する、あたかも長い夢を見た末に首を切られたかのような錯覚に陥るようなことがある、ということらしい。ということは先述の屁も覚醒後の少々長い屁から超長屁を時間軸後ろ向きに延伸させただけなのかも知れない。そう考えたほうが辻褄が合う。恐る恐る嗅いだ布団はそれほど臭くもなかったからだ。
受け軸にガタが来ていたらしく突然ギュルギュル飯田市て困っていたノートPCのファンを交換したった。適当なファンが手に入れば…と思ってポンバシへ行ってみると同じメーカーの一つ新しいモデルでヒンジ割れ・液晶キーボードメモリHDDなしという超ジャンク¥480を発見。この値段でファンを買うのだと思えば安いものだ。んで入れ替えたったら、おお、こんなに静かだったのかと感心することしきり。ついでにバッテリーが生きていてちょっと得した気分。
懸案だった電源も購入した。いただいた直後に電源が死んでしまいお蔵入り状態になっていたものがあるのだ。¥680かと思っていたら¥880でちょっと悄気、帰って接続しようとすると4pinが一つ足りなくてさらに悄気たが、8pinオスを4pinメスに無理矢理差して完工。やはり速い@_@。余りに速いのでカシミール3Dでフルトレーシングして遊んでみたり。動画はやらないのでちょっと勿体無いスペックではある。これでも画像処理はfreq.約半分のMacのほうが速い不思議。PhotoshopとGIMPを比べたらあかんのやろうな。
以上、珍しく外れのなかったポンバシ徘徊の話おわり。帰りの電車であの屁はどう考えても長すぎたよなと納得し夢だったんだという結論に達した。古本屋で購入し鞄に入れたままになっていた『滋賀県誌』¥300を読んでいると、見知らぬおっちゃんに「なんや難しそうな本読んどるな〜どこぞのセンセイか〜」と話しかけられたりした。「いやいや大した本やおまへん、おっちゃんらが若いころとか子供の頃とかに見て知ってるようなことが書いとるだけですわあはは」と答えておいた。大阪は面白い街である。
滋賀県高等学校社会科教育委研究会地理部会編・地人書房刊・昭和49年初版発行。大津、湖西、湖東、湖北のそれぞれについて略史や風土、産業なんかが完結にまとめられていて、そうかと思うと地場産業の発達史が細かく書かれてたりもし、「滋賀県とはなんぞや」を把握したい向きにおすすめな一冊。特に地域の産業史に関しては戦後から昭和50年ころにかけての話が多いので、ちょうど自分が抜けている辺りが補えるのが有り難かった。厚さの割に結構網羅的に書かれてあるのもお買い得感を増長する。内容が覚えられるかどうかはさておき。
あんまり手が入れられなかったのは最初のデキが良かったからでも投げやりになったからでもないと思う。今までにない新しい感覚だ。どうも脳が悪くなってきたらしい。いや元からずいぶんひどいんだけどね。おかしいことに気づけなくなったのかも知れぬ。
直しても仕方ないかなと思った場面はいくらでもあるのだ。それを直したところで何という反応もないことも予期したりもしたし。そういうものだというテイカン? うん、テイカンかも知れない。
新しい言葉が欲しいなあ。今回はいくつか得られたような気もする。漠然と。そんな感じなのだな。遅い。
というか考えたら新規のが殆どないんだった今回。そりゃーそうだ。道理で速いわけだ。
ふと「アナルコ・サンジカリズム」というワードが頭をよぎって検索したら大杉栄だった。大杉氏元気にしているだろうか。 もう何ヵ月も人に会っていないような気がしている。
子供の頃の思い出話をして下さる(思い出話ができる)古老は偉いと思う。自分なんかまだ30数年前のことなのに忘れている。太田電気の脇のドブに落ちたのはいつだっけか。暗渠の下で蛆の沸いた犬死体を見たのはいつだっけか。石田ビルが緑色に塗り直されたのは。何月何日は無理としても、何年の出来事だったか、とっさに答えられる自信がない。
何のために生きるのか、ではなくて、何をして生きるのか、かも知れないなあ。生きるために何かする方が大変なことであって、それを何とかしながらみんな生きてるんじゃないかなあ。それが人間、世の中っちゅうもんなんじゃないかなあ。 そこに余裕ができない限り、新しいこととか鋭利な思想とか 高尚な目標は生まれないんじゃないかなあ。貧すれば鈍す。赤い貧乏も結構だが他の色も試してみてはどうか>nagajis。
なんだったかひどく面白かった奇妙なポテンシャルがあった気がするのだが思い出せない。今朝も何かの夢を見た気がするがこれもやはり[D]にできぬ。曰く疲労しているのだと思う。それほど神経をすり減らしているようには思えず見えずのnagajisだが。実際こうやって毎夜毎夜クソ垂れ流してもなお眠れないのだからそうなんじゃないかしらん。秋がのしかかってきてふりほどけないから熱いコーヒーが飲みたくなるのだろう。そうだろう?
感じていた奇妙なポテンシャルを思い出した。商店街のはずれにある通称ゾウさん公園で、バザーか何かの準備なのだろう、白線で区画割りを引いているのを見たのだった。その区画割りに、奇ポテを感じたのだ。
┏━┳━┳━┳━┳━┓
┃E┃D┃C┃B┃A┃
妙な心地悪さを感じないだろうか。この一ブロックだけだろうかと思ったが、そうでもなく、十数ある区画がすべてこのような振られ方をしていたのだった。
そのおかしさに突っ込みたくなったのではなく、なぜ心地悪さを感じたのかを考えた。アルファベットは左書きなのだから、左から右に並んでいるのが自然であって、それに反した不自然状態であるから心地悪く感じたのは間違いない。負のエントロピーを生成しているように見えて実は正という熱力学法則に悖る行為であるから「・・・」を感じたのだろう。けれども、じゃあどうしたら良かったのか。アルファベットのかわりに数字を使っても解決しない。そもそも左から振るヨロシな案は却下である。左からA、B、Cと振れない不可避な理由があったからこそこうなったんだろう。作っている本人らも不格好を承知しつつしぶしぶ書いているのだろう。
あ、い、う、・・・、もしくはイ、ロ、ハ、・・・であったら良かったのかも知れない。日本語なら右書きの存在が許容してくれる。「まあ、それもありだよね」と包容してくれる。何なら一文字ずつ5行と考えてもいい。「ね」のようなややこしい文字とか「シ」「ツ」区別とかを白線で書ける保証はない、18も区画があったかどうかは見てないけれども、とりあえずそれを結論にした。
そういやeNL来てねえなあと思い,確認したら,ちゃんと送信できてなかったらしい・・・.う○こブラウザのせいだ.くそ.3日遅れでとにかく再発行した.
どうも最近,KINIAS方面で失敗が多い.Macと同じでちゃんと思いを向けとかないとうまく回らないものなのかも知れない.他のパソコンに浮気すると途端に機嫌が悪くなるというアレだ.
げらげら。げらげらげらげら。瞠目。瞠目瞠目 。げらげらげらげらげらげら 。ほろり。 げらげらげら!
高校の時に大枚をはたいて買った本が入荷した。厚さ5cmを超えているうえ100円にもならないような値崩れ本なんでBO行き確実とみて回収してしまった。こんな大巻読む暇あるんだろうかと思いつつ、げらげら笑いながら読み続けてしまい、もう1/3も消費してしまった。勿体ねえ。
それにしてもこんな面白い本だったかなあと思うこと数百度。あらすじもほとんど覚えていなくてすごく新鮮な気持ちで読むことができた。高校ン時のは読んだうちに入らんなぁ。「なんて冗長な本なんだ」と思ってしまったのは仕方あるめえ。作者は計算してわざとそう書いている。 最適なスピードなのだ。主人公古橋の異常な移り気も三文作家ぶりを実にうまく想像させてくれる。
関西すら解明できてねーっつうのに東のほうへ手を出したのは要するに褒められたいからである。卑しい魂胆である。故にそのことを言明しておく。小さい人間なのである。
(たぶん同じ人間が同じ感覚で作らないと工場通覧のメタメタな表記揺れはまとめられない。どうせ誤差が出るなら一個人の判定誤差で統一的に誤差したらよからんずらん)
そうしてここから先が大変。工場通覧のS10頃のとか戦後のとか、諸会社役員表とか、工業名鑑とか、各府県の統計書とかみないかん。そのうえ東京や埼玉栃木や北海道や神奈川はM30代以前がキモになるはずで、しかしそのへんのデータがうまく手に入るとは限らない。試みに東京府の統計書を触ってみたが最初から数値統計だけで工場名一覧はござ覧のだ。どうしたものか。そうしてもう次号の作成期間に突入しているのだ。
先月の独言に突っ込みをいただいたのだが、確かにそうかも知れないと思う。販売目的でガッツリ運ばれてきたというよりも帰りの空荷を埋めるために煉瓦を積んで帰ったと考えられなくもない。
煉瓦の商圏?についてはいろいろ思うことがあり、書き始めると長くなりそうなのでここにだらだらと書くことにする。 時期にもよると思う。大阪で煉瓦生産が最盛期を迎えていた大正中期には遠くから持ってくるより地場産煉瓦を地場で消費するほうが手っ取り早かっただろうから他地方>大阪の輸入はそれほどなかったと思われる。しかし大正8年以降煉瓦生産が斜陽化し関東大震災でトドメを刺されてからは大阪府下で生産される煉瓦も激減した。堺・丹治・津守は大正末までに廃業しているし大阪窯業も貼付煉瓦とか耐火煉瓦とかセメント製造とかに軸足を移してく。岸和田煉瓦も綿業に手を出して二足草鞋で延命した。結果府下で生産される煉瓦の量は激減し、しかし建物基礎とか水回りとかいった特定用途の需要はあり続けたので、地「産」の減少の穴を埋めるようにして周辺地域から煉瓦が さかんに流れ込んでくるようになったように見える。大阪市街や豊中市で見られる他地域の煉瓦刻印は大半が大正〜昭和期の会社のものだ(松本煉瓦とか)。
MOWチョット現みつなことは、ってすげえ変換だな、もうちょっと厳密なことは鉄道輸送の統計とか港湾の輸出入とかで確認できるかもしれない。例えば大正末頃の鉄道貨物の状況は鉄道省「重要貨物調査」http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/984219/30で知ることができる。この時代には大阪駅やその前後に到着する煉瓦はさほど多くない。ただしこの統計の数値には耐火煉瓦も混じっているようなので工場密集地帯に着荷が多いのはチト吟味せねばならない。港湾はどうだろ、どっかに統計があった気がする。
ババ眠くなってきたので落ちる。
_ 二枚橋 [間延びは…言語の経年劣化もとい「進化」というヤツではないかと思います。 ら抜き言葉なども同様かと。 支柱や根太の腐った構造物ミタイナ。それでもキノコの王国にとして進化発展し、やがて今の現代語は「..]
_ nagajis [その通りですね。私も違和感を感じつつ仕方ないものと諦めています(まず自分が矯正できないもの)。いまの私たちが源氏物語の頃の言葉で喋ってるわけでもありませんしね。 件の本は二重の意味で皮肉を言って..]