nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
より大きな地図で 奈良県下の鉄道計画線 を表示
腐ってやがる...
計画線は非常におおまか.誰か修正を加えてくれ.というか路線よりも却下になった理由を考えるべき.内申参照のこと.
寝ようと思って最後に手をつけた北山鉄道にしてやられた.明治40年に小口~賀田間の申請,翌年小口~新鹿の競合路線申請,協議の結果合同となりM42に免許.そのままフェードアウト.せっかく免許もらったんだから完遂しろ!
今日の天満堀川跡辿りは親柱やら銘板やら色々見つかって面白かったが,なかでも一番の発見?といえるもの?がこのガーダー.JR環状線の天満駅のすぐ東,堀川橋梁という名前で,橋台にS7.8.竣工というプレートがあった.
いま橋の下は道路になっていて,橋下へ潜り込んでいくような線形になっているが,本来は天満堀川を跨ぐために架けられたものだ.手前の道路の高さが堀川脇を通っていた道の本来の高さということになる.
船が往来する堀川だったから桁高を増やせず,フランジ補強するほかなかったのだろう.堀川跡だと知ったうえでシャローガーダーと見抜かなければならないというかなりハイレベルな物件だ.
現橋の親柱は昭和のものを流用しているらしい.これも今日初めて気がついた.
人柱伝説,戦災被害,よくて浜中津橋の桁の出所として取り上げられるのが関の山の長柄橋.昭和10年に改築された時に可動堰兼用となっているはずなのだが,その話が出てくることはほとんどなく,自分の記憶違いかと思ってしまう.そんなことはないよと自分に言い聞かせるためのリンク.
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/12-01/12-01-2270.pdf
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/11-10/11-10-2219.pdf