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2012-10-08 そして僕は途方に暮れる [長年日記]

[独言] 一人称

そういえばいつから「僕」を使わなくなったのだっけ。小学校中学校の時は使っていた。高校の頃も若干の気恥ずかしさを伴いつつ「僕」だったような。同時にそれが「僕」とのつきあい辛さを感じ始めた最初ではなかったか。

大学の頃はあいまいに濁して回避していた気がする。いうなれば無人称。「おれ」は似合わないように思えてあえて使わなかった。自分にとっての「おれ」は筒井康隆の描く主人公であって星新一のエヌ氏みたいなものだった。さあていつになったら「おれ」が使えるようになるだろうなあと漠然と考えたことがあったはず。

そうそう、「じぶん」という便利な一人称を覚えたのだ。部で。どうしても一人称しなければならない時は「じぶん」を使った。この言葉、二人称にも使えるので便利だった。珍しく落ち込んでいるやつに「じぶん今日どうしてん?」とか。

完全に「わたし」に移行したのは卒研発表の頃だったと思う。練習で他の発表者が「ぼく」を使ってひどく笑われ、「わたし」でなければならないと教えられたのが決定打になった。ああこの年では「わたし」を使うべきなんだなと。そうしてやはり少々の気恥ずかしさを伴いつつ「わたし」を連発した。その気恥ずかしさはかすかに覚えているが、忽ちのうちに慣れてしまったことも思い出せる。そうしてTPOに合わせて「おれ」「わたし」を使い分けられるようになった。まちがいなく「おれ」のほうが後だ。

それからもう十何年も経過して、社会から乖離した生活をするようになり、人付き合いも途絶えて、自分を一人称で呼ぶ機会も稀になった。一人称の使い方を忘れてしまった。「おっちゃん」という自虐はずいぶん古くから使っていた気がするが、それが定着することもなさそうだし、そろそろそれが面白くない言葉になりつつある。かといって「わし」も早かろう。それを使わなければならない時期は、「わたし」同様、その時になってみないとわからないに違いない。

「わたし」を意識することはないものの、自分自身を思うことはもちろんあるのだが、そもそも身の回りに自分しかいない環境ゆえ、考えることはすべて自分に関係することであって、いちいち人称を認識する必要がないのだった。「腹減った」とは思うけれども「私は腹減った」とは思わない、そんな感覚がすべてを支配している。楽と言えば楽だし、非人間的と言われても反論できない。ただ生きているだけのようにも思われてくるが、それでいいに違いあるまい。

考えてみると、その点女性は有利だ。常に「わたし」でいいからな。

「自分のことしか考えていない」という言葉があるが、考えてみれば自分という人間が考えていることはすべて自分に関係することであって、自分(に関係する)のことしか考えられないものなのかも知れない、と考えてみる。どのように書けば喜んで読んでもらえるか、伝えたいことが伝わるのか、頭を巡らせるのも、その評価が自分に関わることだから、できるだけ上手くやろうと考えて頭を捻るのではないか。隣のギシアンに苛々するのもそういう機会のない自分の不甲斐なさを思い知るからではないか。公園の子供たちの歓声を微笑ましく思うのも、そういう平和な世界に自分がいることを認識してほっとするからではないか。どんなことも自分を基準にしてしか/自分にかかわることしか考えられないものなのではないか。

資料から情報を拾い、理論を組み立てている時だけは、ちょっと違う感覚があるような気がする。熱中しているうちに自分の存在が薄れていって、いかに矛盾のない心理を、落としどころを見いだすか、しか考えられなくなる時があって、そんな時は自分から離れることができている。自分自身の存在を忘れることができる。滅多にできない感覚だから、それをまた経験したくて資料に傾倒していくのかも知れない。


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