nagajisの日不定記。
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明日二次調査だというのに雨が降るとはどういうことだ。くそ。絶対晴れにしてやる。絶対にだ。
琵琶湖疏水の流れ行く末を訪ねて京都市動物園やら平安神宮神苑やらを見て回る見学会。大変地味だが意外な発見が多く、得るものが多かったように思う。玄人好みな見学会だったと総括しておこう。なお写真はアカショウビンである。京都市動物園のイメージ画像のつもり。
午前中に単独行動で琵琶湖疏水の隧道群や本邦最初鉄筋混凝土橋を見て来れたのも満足。第二隧道吐口をそれなりに満足いく角度で撮れた。ここだけ視点場がないのが惜しまれる。公園の脇から降りていける小道つけたらええのに。あと第二呑口も意外に素晴らしいものであることを知った。
京都市左京区日ノ岡の車石。大津と京都を結ぶこの道には江戸時代に車石というものが敷設されていた。荷車が登りやすいように溝を刻んだ石を轍の幅に敷き詰めたもので、日本最初の車道舗装と見ることができる。度重なる改修で姿を変え、特に昭和初期の京津国道改修ですべて撤去された。無数にあった車石の一部は京津国道改修記念碑や日ノ岡の道の擁壁などに再利用されている。写真はその擁壁の一部。荷車の往来で深い溝が刻まれた車石をうまく使って擁壁兼記念碑にしている。「旧舗石 車石」という扁額までわざわざ作られている。
この物件は道路史上のマイルストーンとして貴重なことが理解してもらいやすいと思うが、日ノ岡越えそのものは車のエンジン音喧しい4車線舗装になっており、その道の姿には価値を見出してもらいにくいだろうと思う。かといって車石の存在を捨て置くことはできない。故に道とは別個にこういうものを「遺産」と認定すべきなんじゃないかと思うわけである。
車石についてはそれ専門のシンポジウムが開かれているほど研究が進んでいる。「車石」で検索されるとよい。
(2)帯解町の四ツ辻の角、川のそばの上にあったが、道路が拡張されたためとられ、今はどこかに行っているが、たしか五ヶ谷街道の道路標であろうと思う。