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2013-09-16 [長年日記]

[独言] 次号

今号は概略テキストを用意していたのと最後に無理に突っ込まなかったことが幸いして期限中に仕上げることができた。次号は何も用意していないからもう少し苦労する筈。ネタもねえしな。

しなければならないこと第一は寄稿を整理すること。それが済んで余力があれば川津大橋か羽淵橋で旧橋。西熊野街道は終わってからじっくりやりたい気がしている。忘れそうだけど何しろ道半ばだ。

西熊野街道を東熊野街道Odysseyみたいなやり方で行くかそうでないかで思案中。前者だととうてい時間が足りないし、くどくどしいのには自分も飽きている。全編ミニたんさくでゆく位の(書く方も読む方も疲れない)軽いものにしたい気がしている。その一方でめったにないネタの拡がりが期待されるからOdysseyみたいなやり方のほうが相応しいのではないかとも思う。

ま、要するに取らぬ狸の皮算用だ。受けぬnagajisの推敲、とかいう新ことわざを作っても可。そして「要するに」を多用すると馬鹿っぽく見えるのが面白くて多用している。

[奈良近遺調] 2600年、道路変遷

素材を集め、 構成を練るばかりで着手できていない。今週中に何とかなるだろうか。いや今週中に何とかしなければならない。これが最後のご奉公と思ってキーをペチペチする作業に取り掛かるんだ>nagajis。

S8の貴族院議会で百会長が言い出したタイミングには、S6の満州事変、翌年の国際連盟脱退で世界的に孤立し軍国主義化が進行しつつあったことがバックグラウンドとして存在する。どうにもならない貧困を抱えながら衛星を打ち上げたりブラフを繰り返したりする北朝鮮の現況と根は一緒である。その文脈の中で捉えれば最初からカーキ色であったと言えるだろう。あと橿原神宮の始まりが2550年で、その50周年というのに気づいてなかったが、どれだけ脈絡があるものか見極めきれてない。たぶんそんなに関係ない。

日本文化大鑑はS17に第一巻歴史編が出ただけで終了。国史館は当初予定していたものとは違うものになったが、結果的に橿原考古学研究所を輩出?するという功績があった。そのへんは一通り抑えておくこと。道路変遷は竹之内峠と唐古鍵遺跡と国道15号を忘れないよう。

[独言] 言いたいこと

ここに書く時間がなくなったが、だからといって書きたいことが溜まっている感じもなく、書いてないことへの焦りもない。このま本当に誰もアクセスしないページになればいいと思う。誰もが言いたいことを言い放題に言っているこの世界に自分の言いたいことを突っ込んでもエントロピーが増えるだけだ。

画像の説明

小南峠隧道の扁額の一部が見つかったこととか「ひところは日本で一番長かった」三弦トラスの川津大橋のこととか、三里越とか川津越とか、書かなければならないことはあるが、書いても誰も読まないのじゃあ割いた労力がまるまる無駄だ。その無駄を惜しむつもりはないけれども「何のために書いたのか」が報われないのはつらい。無駄を承知で、それを肯定して8年間書いてきたが限界に達している。

ならばどうするか、がわからないから次の足を踏み出しあぐねている。わからないというのは適当でないな。わかろうとしない、もしくはわかるのを拒否している。廃道人気など存在しない砂上楼閣蜃気楼だという事実(あるのは[禁則事項です]だけだ)を踏まえたうえで、歪んでいない認知でもって「次、何するか」を考えないと。

今はその時間がたっぷりある。そのうえ客観視するための視点場や、視界良好の眼鏡も望遠鏡も与えられている。何かいい解決策が見つかりそうな気がしている。 成果を急いで慌てたり、高望みしたりしなければね。


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