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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-09-16 この日を編集

[陸幼日記]九月十六日 火曜日 晴

今日より授業始まりたり。一日中休暇後急に鍛えたるため体がだるくありたり。体操の際続〔練〕習の交[糸+果]〔効果〕ありて懸すいが軽く五回出来たる事は我の悦とする所なり。特にきつきは此の時に於て表われたり。走ること、跳ぶこと、けんすいが運動にて最も良きものと聞く。


1942-09-16 満洲国建国慶祝行事 この日を編集

[陸幼日記]九月十六日 水 曇

日中に於て防暑衣袴にては肌寒く感ずる気候となる。
昨日満州は十載の慶祝行事を迎え其の記念日にあたりて満洲国皇帝陛下は勅語を下し給いて其の中に 天照大神の神床と 天皇陛下の保佑とに頼り云々とあり、剰え我国を明邦に非ず神邦と称したる等当然にてはあるなれど益〃共に手を握り合わん、然して大東亜の建設に向わんと決心す。
昨日の落度を考うるに一昨夜の睡眠不足其の因少しとせず。予之を挽回せんとして終日努めたり。午後は兵器検査、真剣に物事をなすことを期す。酒保行かず。我欲を止め得て喜の至なり。要するに今日終日緊張したる精神にて之を失わん如く充分努めたり。時間厳守は今の所良好と見る。


1943-09-16 この日を編集

[陸幼日記]九月十六日 木 晴

父の命日なるを心に刻み週日を過したり。夏の如く暑き日。今日より日課が変り〇五・四〇起床以下大体同にて午睡なく夕食前自習ありて二一・三〇消灯なり。ドル氏の独会話あり。積極的鍛錬をなせる日。柔道・剣術をなし其の後自習開始まで体操(鉄棒)をなす。夕食後台上にて三年に対し校長閣下の剣術に関する話を承りぬ。愉快々々に一日を過す。元気旺盛。


2009-09-16 この日を編集

[ORJ] 作成中・・・

17日中も厳しいかも知れない。18日PM6:00には発行してDLできるように努力します・・・。

残りは東熊野だけなのだけど(東熊野に時間をかけると反感を買いそうだ。まあいいか...)、終わった時点で時間をみて簡単なテの報告を入れなければいけないと思う。


2010-09-16 この日を編集

悔しさで夜半に目が覚めつらつら考えているうちにアイデアが湧き実装×2。一つは不正をやってるアカウントを突き詰めてニヤニヤするためだけの処理。発行前にやるべきだったな。今やっても泥縄にしかならない。

一つはテスト運営。ページ左上のロゴに仕込んである。?以降はカットしたほうがいいような気もするが、動的生成であれ静的生成であれ表示されれば宣伝になるのだからいいような気がする。この例のようにヘッダーに入れたら全ペーじに表示されるんであれば手間省けるしな。しかしwgetとかcurlでランダム値放り込んだら簡単に偽装できてしまうな。そういうのは集計の時に切り捨ててもいいが負荷は極力避けたほうがよいだろう。

いかん、この時間に眠い。編集会議に遅れるかも知れん。

あ。リンク先は動詞様。。2種作るか。

[独言] クエリーに対応

こういうのがもっとあってほしいものだ。いろいろ既成概念を壊される。どんな方にも気軽に買ってもらえる状況にORJはなってないし、それをUIやPC上の処理だけで解決できるものでもないことを改めて思わされる。

[独言] うむ

涼しくなってきたので蚊が出るようになった。やつらも動きやすい温度があるのだろう。

[独言] 逆の発想

バナーを貼った人のn割が1号以上購入できるように後でレートを設定したらいいんじゃまいか。そのへんのノウハウがないのに無理して設定して自爆する必要はあるまい。


2011-09-16 この日を編集

[独言] さあ,戦わないと

その前に寝る.この生物(なまものと読むのが正しい)はぎりぎりまで追い込まないとうまく機能しないからな.残り4/5だ.

[奇妙なポテンシャル] #244解答編

画像の説明今更感たっぷりな格好悪さを追求してみたい.じっと見つめていたらヒョウタンツギに見えてきた.

[絵葉書][] 栃木白雲洞

画像の説明

数少ない手持ちの隧道絵葉書の一つ.隧道かどうかもわからないような遠景の一枚を見つけて,キャプションに○×洞とあるからには隧道なんだろうと思って確保していた一枚があり,その後これをゲットしたという経緯がある.しかし馴染みがない土地なので使いでがない.今はもうオープンカットされてしまったらしい.三島謹製というから万世大路の飯坂の小隧道(名前忘れた)も当時はこんな感じだったんだろう.で最初の一枚をスキャンし忘れてる・・・どこいった.

キャプションの英訳,“HAKUUN GORGE”というのがいい.確かに素掘りの隧道をゴルジュと見るのも間違いじゃない.両側が絶壁になった峡谷といういつもの意味のほかに, (川・通路などをふさぐ)集積物,のど,なんていう意味があるらしい.素掘りのごつごつした感じと「ごるじゅ」という語感もマッチしている.これからこれ使おうかしらん.したり顔で.

[] 昇華

自分で書いといて素晴らしくイケてる一文ができた。涙を流しながらげらげら笑っている。

規定量に若干届かなかったがまあこんなものか.書けば書くほど密度が上がっていくのが自分でもわかる.今回はそんなに詰め込まなくていい.あとでほぐそう.水増しでない程度にゆったり書けばよろし.

一文のなかに詰め込み過ぎて密度が激濃になる傾向がある.いかに短く端的なブンショー書いて文字数を節約するかが使命だったころの糞みたいな名残だ.あと,できるだけ打鍵数を減らして楽したいという怠惰の情.どっちもおさらばしたい.いくら日本語が膠着が許される言語だからといって読者に読解の労苦を負わせるのは宜しくなく何より後で見返した時の見辛さ汚さが半端でないから独りで勝手に居たたまれなくなる.蹴って捨てたくなる.

[奇妙なポテンシャル] #252

気分転換に乗った阪急電車にて.石橋駅に差し掛かったところでアナウンス.

「次は石橋〜 石橋 です」

という,いつもの聞き慣れた案内である.しかし今日の車掌さんは声が嗄れていた.おまけにLINE INが大き過ぎるのかスピーカーの音が割れていた.結果,

「次はビシバシ〜 ビシバシ です」

と聞こえてしまった.ビシバシ.次はビシバシ.名詞どころか形容動詞.イシバシビシバシ.一人で何度も呟いて笑ってしまった.乗客がまばらだったのが幸いだったが余りに笑って上の空になってしまい豊中で下車しそうになったのは頂けないことである.

この線には10年以上乗っていて,何百回何千回と聞いた駅名であるはずなのだが,石橋をビシバシと聞き違えたことなど一度もなかった.なのに何故今更このような空耳が聞こえたのか.わからない.何故なのかわからない.ただ単に疲れていただけかも知れないが,どうせならもっと他の原因がいい.死期が近いからとか,nagajis確変突入新ステージ開始<ルビ:スタート>したからとか.

あと,私の与り知らぬ所で既にそういうネタがやり取りされた過去があるに違いないと思う.それでもいい.大事なのは何も無い頭にそれが湧いてきて奇妙なポテンシャルを感じたことなのだ.それをこんな場でさも大発見そうに書く阿呆らしさを追求したいのだ.

本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ kzm [先輩、あれは親戚です。]

_ nagajis [残念!!かずまくんは普通の人生を歩むことができません!観念してください。]

_ kzm [やっぱり...orz  道理で会社の中では廃道も地下道も見つからないのか。。]


2012-09-16 この日を編集

[][奈良近遺調] 奈良県下発電所変遷

『関西地方電気事業百年史』年表から。加筆・修正あり。

種別 名称 M36.12現在 M44.12現在 T8.12現在 T15.5現在 S7.9現在 S14.3現在 S17.4現在 S26.3現在 S61現在  
奈良町発電所 奈良電灯 M27.10
40kW
→M38.12関西水電へ
→M40.9廃止
                 
白砂発電所   関西水力電気 M40.9
200kW
関西水力電気
200kW
→T10.10関西電気
→東邦電力
東邦電力
470kW
合同電気
470kW
→S12.3東邦電力へ
東邦電力
470kW
→S17.4関西配電へ
関西配電
600kW
関西配電
600kW
関西電気
600kW
S42.1廃止
奈良県奈良市狭川
初瀬発電所   (初瀬水力電気 M43.11
 
→M44.3関西水電へ)
関西水力電気
200kW
関西水力電気
200kW
東邦電力
200KW
合同電気
200kW
S12.3東邦電力へ(廃止)
        奈良県磯城郡初瀬町
迫発電所     大和電気 T1.8
640kW
→T10.10宇治電へ
宇治電
640kW
宇治電
640kW
宇治電
640kW
→S17.4関西配電へ
関西配電
640kW
関西配電
640kW
関西電気
640kW →
S60.2廃止
奈良県吉野郡川上村
天川発電所     大和電気 T1
640kW
→T10.10宇治電へ
宇治電
640kW
宇治電
640kW
宇治電
640kW →S16.10日発へ
日発
640kW
日発
640kW
S19.9廃止
  奈良県吉野郡天川村
八木町発電所     関西水電 T2.5
300kW
→T10.10関西電気
 →東邦電力
東邦電力 畝傍(八木町)
300kW
合同電気 畝傍
300kW
S13廃止
        奈良県吉野郡八木町
筑波峰発電所     吉野水電 T3.2
45kW
吉野水電
45kW
吉野水電
45kW
吉野水電
45kW
吉野水電
45kW
→S18.4関西配電へ
関西配電
45kW
関西電気
45kW
S38.3廃止
奈良県吉野郡東吉野村小
大谷発電所     折立電務所 T3.7
5kW
折立電務所
5kW
折立電務所
12kW
折立電務所
12kW
折立電務所
12kW
→S18.4関西配電へ
関西配電
(12kW)
S21.1廃止
  奈良県吉野郡十津川村
伏見発電所     葛城水力電気 T7.12
23kW
葛城水力電気
19kW
葛城水力電気
昭和廃止
        奈良県葛城市伏見
室生発電所     (大和電炉 T年間
 →T8.6関西水電へ)
関西水力電気
195kW
→T10.10関西電気
 →東邦電力
東邦電力
195kW
合同電気
195kW →S12.3東邦電力へ
東邦電力
190kW
→S17.4関西配電へ
関西配電
190kW
関西配電
190kW
関西電力
190kW
奈良県宇陀市三本松
中戸発電所     黒滝村 T10.5
48kW
黒滝村
48kW
黒滝村
48kW
黒滝村
48kW →S17.10関西配電へ
関西配電
(48kW)
S24.4廃止
  奈良県吉野郡黒滝村
白川発電所       宇治電 T10.10 2414kW 宇治電
2414kW
宇治電
3100kW
→S16.10日発へ
日発
3100kW
日発
3100kW
関西電力
2900kW
S39.4廃止
奈良県吉野郡上北山村
吉野発電所     (T8大正水力→T11宇治電) 宇治電 T11.12
1661kW
宇治電
1661kW
宇治電
1661kW
→S17.4関西配電へ
関西配電
2330kW
関西配電
2330kW
関西電力
2330kW
奈良県吉野郡吉野町中荘
樫尾発電所     (T8大正水力→T11宇治電) 宇治電 T12.5
2365kW
宇治電
2365kW
宇治電
3440kW
→S17.4関西配電へ
関西配電
3440kW
関西配電
3440kW
関西電力
3440kW
奈良県吉野郡吉野町樫尾
関屋発電所         葛城水力電気 S4頃
43kW
→S12.8宇治電へ
宇治電
43kW
→S17.4関西配電へ
関西配電
43kW
関西配電
43kW
関西電気
43kW
S38.3廃止
奈良県葛城市関屋
桑畑発電所         平谷電気 S5.4 10kW 平谷電気
10kW
平谷電気
10kW
→S18.4関西配電へ
関西配電
(10kW)
S21.1廃止
  奈良県吉野郡十津川村
摺子発電所     (T8大正水力→T11宇治電)   宇治電 S7.1
7740kW
宇治電
7740kW
→S16.10日発へ
日発
7740kW
日発
7740kW
関西電気
7740kW →
S39.4廃止
奈良県吉野郡下北山村
和田発電所           宇治電 S12.9
2000kW
→S16.10日発へ
日発
2000kW
日発
2000kW
関西電力
2000kW
奈良県吉野郡天川村
長殿発電所           宇治電 S12.12
15000kW
→S16.10日発へ
日発
15000kW
日発
15000kW
関西電力
15000kW
奈良県吉野郡十津川村
川合発電所             (宇治電 S15.11
 →S16.10日発へ)
日発
7000kW
日発
7000kW
関西電力
7000kW
奈良県吉野郡天川村
弥山発電所             (宇治電 S15.9
 →S16.10日発へ)
日発
420kW
日発
420kW
関西電力
420kW
奈良県吉野郡天川村
本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 田中 耕作 [筑波峯発電所計画した人は推論ですが地元の資産家阪本仙次さんでは? 理由は使用発電機が京都奥村電機だから、わけは親戚。あくまで私の推測です。阪本さんは吉野鉄道、吉野林業銀行(現南都銀行)社長地元の名..]


2013-09-16 この日を編集

[独言] 次号

今号は概略テキストを用意していたのと最後に無理に突っ込まなかったことが幸いして期限中に仕上げることができた。次号は何も用意していないからもう少し苦労する筈。ネタもねえしな。

しなければならないこと第一は寄稿を整理すること。それが済んで余力があれば川津大橋か羽淵橋で旧橋。西熊野街道は終わってからじっくりやりたい気がしている。忘れそうだけど何しろ道半ばだ。

西熊野街道を東熊野街道Odysseyみたいなやり方で行くかそうでないかで思案中。前者だととうてい時間が足りないし、くどくどしいのには自分も飽きている。全編ミニたんさくでゆく位の(書く方も読む方も疲れない)軽いものにしたい気がしている。その一方でめったにないネタの拡がりが期待されるからOdysseyみたいなやり方のほうが相応しいのではないかとも思う。

ま、要するに取らぬ狸の皮算用だ。受けぬnagajisの推敲、とかいう新ことわざを作っても可。そして「要するに」を多用すると馬鹿っぽく見えるのが面白くて多用している。

[奈良近遺調] 2600年、道路変遷

素材を集め、 構成を練るばかりで着手できていない。今週中に何とかなるだろうか。いや今週中に何とかしなければならない。これが最後のご奉公と思ってキーをペチペチする作業に取り掛かるんだ>nagajis。

S8の貴族院議会で百会長が言い出したタイミングには、S6の満州事変、翌年の国際連盟脱退で世界的に孤立し軍国主義化が進行しつつあったことがバックグラウンドとして存在する。どうにもならない貧困を抱えながら衛星を打ち上げたりブラフを繰り返したりする北朝鮮の現況と根は一緒である。その文脈の中で捉えれば最初からカーキ色であったと言えるだろう。あと橿原神宮の始まりが2550年で、その50周年というのに気づいてなかったが、どれだけ脈絡があるものか見極めきれてない。たぶんそんなに関係ない。

日本文化大鑑はS17に第一巻歴史編が出ただけで終了。国史館は当初予定していたものとは違うものになったが、結果的に橿原考古学研究所を輩出?するという功績があった。そのへんは一通り抑えておくこと。道路変遷は竹之内峠と唐古鍵遺跡と国道15号を忘れないよう。

[独言] 言いたいこと

ここに書く時間がなくなったが、だからといって書きたいことが溜まっている感じもなく、書いてないことへの焦りもない。このま本当に誰もアクセスしないページになればいいと思う。誰もが言いたいことを言い放題に言っているこの世界に自分の言いたいことを突っ込んでもエントロピーが増えるだけだ。

画像の説明

小南峠隧道の扁額の一部が見つかったこととか「ひところは日本で一番長かった」三弦トラスの川津大橋のこととか、三里越とか川津越とか、書かなければならないことはあるが、書いても誰も読まないのじゃあ割いた労力がまるまる無駄だ。その無駄を惜しむつもりはないけれども「何のために書いたのか」が報われないのはつらい。無駄を承知で、それを肯定して8年間書いてきたが限界に達している。

ならばどうするか、がわからないから次の足を踏み出しあぐねている。わからないというのは適当でないな。わかろうとしない、もしくはわかるのを拒否している。廃道人気など存在しない砂上楼閣蜃気楼だという事実(あるのは[禁則事項です]だけだ)を踏まえたうえで、歪んでいない認知でもって「次、何するか」を考えないと。

今はその時間がたっぷりある。そのうえ客観視するための視点場や、視界良好の眼鏡も望遠鏡も与えられている。何かいい解決策が見つかりそうな気がしている。 成果を急いで慌てたり、高望みしたりしなければね。


2014-09-16 この日を編集

[独言][pdf] なんという罠

アンケ。個別版の時点ではちゃんと機能しているのに、統合版にすると番号が狂気の沙汰になっているという罠に嵌っていた。そりゃ個別版だけチェックしてたらわからんわ・・・久しぶりにorz記号を使って悄気を表明しておく。

原因はこう。MacとWindowsでばらばら作るようになった→WindowsのほうがAcrobatのバージョンが高い(透過はこちらでないといらえない&画像解像度を調整する便利なオプションがある)+Macでアンケートフォームを作ることが多い(そのほうが作業が早いので)→Windowsで作ったpdfはMacで統合できない(フォントが競合するとか何とかいいやがる)→Windowsで統合版をつくるはめになる→この時にフォームのnameとvalueがわけわかめに再構成される。対策は統合する時のダイアログの選択を誤らないこと。「重複するので何とか」と文句を言われるのだが、この次でミスるとえらいことになる。

本来はkijiやsendも各記事ごとにユニークな名前をつけなければならないのだろう。今号はWinで作成した記事がなかったから大丈夫のはずなんだが。確認したが大丈夫だった。

ていうか、いい加減15日まで作業するのヤメレ>nagajis。くそう。次回は14日に片付けて15日0時に発行したる。きっとだ。9月が1日少ないとか言う言い訳は許さん。1カ月で13記事作れるなら、たった数記事くらい片付くだろ。

http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/21-11-0166.pdf

[橋梁] 鯨三十三本の漂着及鯨橋

元禄年中に,大鯨三十三頭,小鯨類十本,一夜の中に,白銀村の磯辺に寄せ付き,身体自由を得ず,近村迄の獲物となり,一村を富ますのみならず,八戸地方,皆栄えたりしに依り,同村に一社を建立して,三嶋神社を祭りし由,当社二枚の棟札にあり,故に其の骨を以て,三島川の橋を架せしことありしや,今は土橋なるも,白銀村鯨橋とて上国迄聞え居りしと

中里忠香『向鶴』

八戸市のpdfによると,天和元年(1681)に鯨36頭が寄り付き,その骨を使って白銀村の小流に骨で橋を架けたとある.思いつくことは一緒なのだなあ.


2016-09-16 この日を編集

[独言] そうはいうが

人類資金も終戦のローレライも某国の盾も内容を知らない。なんでそんな妙ちきりんな分冊なんだと思うばかり。あれだ、新田次郎の武田信玄単行本みたいな感じだ。

文庫本に落とす時にQ数大きくして2分冊にするのは卑怯以外の何物でもないと思っている。出版社と著者の都合でしかないと信じている。売れねえから文庫本にするんだろ。そこでまた金稼ぐのかよ。みたいな。だからといって出版文化が廃れてもらっても困るわけだが。要は主婦の井戸端会議の愚痴みたいなものでいちいち聞き入れていたら身動き取れなくなる文句である。無視されたい。

大岡昇平『堺港攘夷始末』を読んでいる。「歴史を文学に昇華させた」っていうオビ文句は的はずれなんじゃないか。徹頭徹尾な歴史考証・文献考証だ。ここまで念入りにしないと文学にならないのだったらみんな困ると思う。ガガガとか野いちごとか。この緻密な考察に例え瑕疵があったとしても私には見つけられない。そんなことを思いつつ半分ほど読んだところ。これなんか今再版したら3分冊くらいになるんじゃないかしらん。

書くという行為に責任が附随していた時代の作品は何を読んでも感心させられる。感心じゃ足りないが、あとは感服敬服平伏畏怖戦慄くらいしか語彙がない。

[独言] ファッ?!

関西館って日祝閉館なんや……。無能無能アンド無能(今まで調べもしなかったnagajisに対して)。

[独言] 肉を食う

食欲がなくて何も買わずに帰宅したものの夜遅くになって当り前田に腹が減り何か食うものはないかと思って冷蔵庫を漁ってみたら貯蔵期間が確実に1年を超えているはずの冷凍豚肉が出てきた。他に食うものもなく米を炊く余熱で解凍して焼いて食った。豚ロースとは思えないパッサパサな塊は牛ステーキと言い張ってもバレないかもしれないと思った。


2017-09-16 この日を編集

ふう。。

[ORJ] 起こった出来事を書く

13日夜

作成したpdfをアップする時、そういえば数日前にあげていた大鉄のアップロード通知が来てなかったと気づく。アップロードCGIから編集部MLに自動でメールが行くようにしてた。同じlibを使っている他の通知(直接自分に届く分)は動いていたので、MLがおかしいらしいと思う。それより以前、9/3にレンサバのアップグレードがあってあちこち不具合を起こしていた。ここが表示されないとか。その余波かと思う。

それでレンサバの提供するメーリングリストを修正したりしてみたのだが、ここで間違って「www.the-orj.orgドメインでメーリングリストを作成」してしまう。本来ならサブドメインを作成してそれに対してMLを設定しなければならない。上記のようにしてしまうとwww.the-orj.orgでアクセスした時にMLプログラムの設定にアクセスを取られて「Mailman」とだけ表示される状態になる。

これは最初にML作った時も嵌った罠なんだが、今回はその設定を消去しても元に戻らなかった。あれこれやっても埒があかない。ので、サポートに泣きつく。

MLのほうは何故か復旧。

14日

全然反応がないので「チャットサポート」を試してみる。しかし「対応部署に連絡します」という紋切り対応。食い下がっても仕方ないので諦める。

15日昼

全然進展せず。泣きながらpdfを作る。

今日が金曜日だと思い出す。今日直らなかったら来週頭までだめじゃん。きっと土日休んでるだろうし。仕方なく自分で出来る範囲であれこれする。www.the-orj.orgが駄目ならwww2.the-orj.orgとかでも、と思ったらログインの時にss1.coressl.jpを噛ましているのが引っかかって不可能だった。DNS書き換えとか,htaccessでリダイレクトも無理(ユーザー設定の上位にMailmanの設定があるらしい)。www.the-orj.orgをサブドメイン運用するとかも考えたがコピーで済むものか不安だし時間がかかりすぎる・・・。

あれこれした挙句、最初の操作をもう一度やってみることにした。www.the-orj.orgドメインでMLを作成し、もう一度削除したんだ。最初のML作成・削除はサーバが移転した時にできた新しいコンパネから行なったんだけれども、どうも挙動が怪しい。旧コンパネでやってみたらどうだろうと思い、試してみる。

それをやっても戻らないので、策尽きたと思って「だめだこりゃ」メールをMLに投げた直後に復旧した。ちゃんと繋がるようになっていたのだ。この時点で。www.the-orj.orgで。無論サポートの返事はないまま。

くそっ、余計なことで時間を食った、と思い、まずはMailmanでつながらなかったことを詫びるHeadlineを出したのが17:55。

復活後、pdf作成の続きをやって、ちょっと吉牛で労うか……と1時間ほど席を外して戻ってきたら、また繋がらなくなっていた……。もうわけがわかんねえ。

MLのプログラムはサーバ的に動いているものみたいで、その設定はコンパネ経由でしかできない。設定といっても作るか消すかMLの初期設定くらい。根源のところには触れない。どうしろというのだ状態。

それでまた、サブドメイン作ったり消したり、DNS書き直してみたり、あれこれ2時間。

今度こそ鬱だ氏のうになって、アカウントのMain運用を空にしてwww.the-orj.orgをサブドメインに設定→できたフォルダを削除→再度Main運用に指定しなおしたら、Mailman表示が消えてくれた。これが大体10時半過ぎ。 この動作で復旧した理由もよくわからないが、ともかくwww.the-orj.orgにくっついているMailmanの設定を剥がせたんだとおもう。

そこから統合版作ったりDLページを作ったりしていたら、今度はDLページが軒並みInternal Server Errorを吐いているのを知る。なんでやねん、今まで動いとったろうが。突然こんな事態になったのではなく、9/3のアップグレード後からだったのに全然気がつかなかった。体たらくもいいところだ。

あれこれ手をつけて、.htaccessの書き方に問題があるらしいと気づいたのは30分後。BASIC認証のAuthName、AuthType他が個々のファイルに対して指定されていないとエラーになることを発見するまでまた30分。以前は外に出していた。

原因はわかったけれども、これを135号分するのは相当な手間だ。と見限って11時半には白旗をあげた。間に合わせるのを諦めてとにかくpdf作成をする。出来上がったのは16日1時。そこから.htaccess書き直し。最後のは以前作っていたツールを発見してまとめて書きなおすことができた。

世の変化についていけなくなっている。泥縄式の対応しかできない。熱意が冷めたんじゃない。大事に思っていることがどんどん失われていって精神力を削られている。もう何も残っていない。


2018-09-16 この日を編集

[D] 9/15

鄙びた街に来ている。探索ではなく純粋な旅?とでもいうべきの、街歩きを楽しむために来ているようである。現実の土地とはリンクしていないが、いま思い返してみたときのイメージは木之本とか長浜とかいった北国街道沿いの宿場町が近い。南北に商店街の本通り=旧街道筋が通っていて、それが時代に取り残され、シャッター街になりかけている、というような街である(木之本や長浜がそうだというわけではない)。

画像の説明商店街の本通りからひとつ裏の筋へ入っていこうと、商店街と直交する脇道に入っていくと、商店街に面した商店らの裏側は空き地が目立つ寂しい空間で、その空き地に煉瓦が無造作に積み上げられているのを見つけた。震災後の神戸の空き地のごとく、慌てて取り壊して基礎やら壁やらがまだ幾許も残っている所にぺんぺん草が生えているような哀れの情を催すような空き地。解体屑として生じた煉瓦をとりあえず邪魔にならないよう隅に寄せて積み上げてある。それを見て、急にこの土地には煉瓦工場があったはずだと思うようになる。

積み上げられた煉瓦を確認してみれば、確かに初見の煉瓦刻印が。長手に大きく「雨宮製造」という判が押されてある。左書き二段の文字が凹みの底に刻まれている。判が大きいのに無造作に押してあるため、長手からはみ出てしまっていたりする。 画像の説明

画像の説明
画像の説明他のはどうだろうと思い、隣の山を見てみると、積み上げられた煉瓦の中ほどに似たような判を見つけた。しかしその判の右下の文字は「井」であって、さっきのとはちょっと違う。とっさに「雨井製造」が縦書き二段で刻まれてあるのだろうと想像された。雨宮工場→雨井工場と変わったのだ。刻印全形を確かめたかったのだけれども、刻印のある煉瓦の上に煉瓦が覆い被さっていて、上の二文字を確認することができない。上の煉瓦をどかせば済む話だが民家の裏なのでゴソゴソするのが憚られる。

画像の説明

ここはひとつ、家の人に断りを入れて調べさせてもらおう。そう思って民家の表に回ってみる。 街道筋の一つ隣の筋に面して店棚が設けられていて、和菓子か何かを商っている店のようであった。雰囲気的に観光客向けの商売をしている店ではないように見え、少しためらわれたけれども、せっかくなので何か一つ買っていこう、そのついでに裏の煉瓦の件を切り出そうと意を決した。

一昔も二昔も前の駄菓子屋をちょっとだけ上品にしたような古ぼけた店内である。売っているものはごく少なく、レジ近くに置かれてある陳列ケースがほとんど唯一。今時珍しい木枠+ガラスの平台である。

そこに並んでいる菓子のひとつに、なんと煉瓦刻印を打刻したお菓子があった。クラッシュケーキ?とでもいうのだろうか、かなりでこぼこした柔らかそげな姿形をしていて、濃緑色基調の色合いから抹茶味だろうと想像された(粉砂糖がかかっていたように記憶するがフォトショで再現する能力がなかったため省略する)。うん、これにしよう。

いくつかあるそのお菓子のなかからできるだけ刻印が明瞭なのを探す。お菓子ゆえにベタベタ触ることができないので上から覗き込んで半ば当て推量である。これにしようかな、これにしようかな……うん、これ、これください。

店のおばあちゃんは最前から目の前にいて私の選択をじっと見つめている。私がコレと決めて伝えると、しかし「おやまあそれでいいのかい?」と尋ね返されてしまう。うーん、じゃあこっちにしようかな、と選べば「だめだめ、そおれは売れないねぇ」などと宣ったりする。優柔不断な私はいつまでも迷い続ける。さっきの煉瓦のことなどすっかり忘れて。否、忘れたわけではないのかも知れぬ。このお菓子で拓本取れるからいいか、などと考え始めている。


ついに夢の中でまで煉瓦を探し始めたnagajis。あな哀れである。長手に大型印を押したものは実際には見たことがないし「雨宮」「雨井」という工場も知らない。だのになぜこんな刻印が出てくるのか。しかも大型印だからはみ出すだろうことを見た瞬間に悟っている(この場合「見た」というべきかどうかわからないが)。そのうえ横書き→縦書きの変遷を直観している。自分の業の深さに恐れ慄かずにはいられない。

[][煉瓦工場] 青山商店分工場〔大阪朝日M22.3.3.6面〕

結局決められないまま目が覚めたのが10時半。中途半端な時間に目覚めてしまって当惑し、どうするか思案した末、結局また図書館へ行って古新聞を読むことにした。今日は日曜日だから中之島は開いていない。府立中央くんだりまで行かねばならない。

前回の青山商会広告には続きがあった。

画像の説明

煉化石職工雇入広告

今般大阪鉄道会社より大和国線路使用の煉化石製造を請負同国広瀬郡大輪田村に於て一大製造の分工場を設置候に付熟練の職工数名雇入候間望の者は左の所へ至急申込あるべし
和泉国堺区少林寺町西四町
堺煉化石製造所 青山商会
大和国広瀬郡大輪田村
青山商会分工場
(強調筆者)

昨日の予想が正解だったわけで、これは絶対現地を歩かねばならんとぞ思う。大輪田村っていったらあそこだ、王寺駅を過ぎたところで見える沈下橋のたもとだ。

ここに分工場があったとすると、「山」どころかアルファベット系のあの刻印もここに寄せられる可能性が高い。分布が和泉国境付近に集中しているうえに短期間しか存続しなかったらしいわけだからまさしく大阪鉄道の工事用の臨時工場のと見得るのだ。しかし「R」が桜ノ宮で見つかっていたり「M」が大阪城で見つかっていたりするのだから油断はできぬ。そこまで存続していたとは思われないし、青山商会自身M22を最後に現れなくなるのだ。(この記事の数日前に芝山だったか亀の背だったかの工事着手が報じられている。完成は確かM23。大和国内も広告の頃には未着工という記事ありてコピってある)。

[独言] 誤植訂正

この時期の古新聞を見ていると前の日に掲載した記事の訂正記事にかなりの頻度で出くわす。誤字脱字は当然のこととして、すでに組合が存在するのに「今後組合を結成する予定」と書いてみたり、情報源が事実無根であったので該記事を抹殺するとか(本当に抹殺すると書いてあったのだ)、とにかくまあユルユルなもんである。新聞ですらそうなのだからORJだってゲフンゲフン、とか謂れ無き開き直りをしてみたりしている。

画像の説明極めつけだったのがこの謝罪記事。明治22年3月9日掲載。

画像の説明●お詫 昨日はツイ粗慥で鬼薊の書と振わけ髪の絵と組違いましたが実にそそッかしいにも程があッたものだとお叱りなく何卒大目にお見ゆるしを願ます

「鬼薊」と「振わけ髪」はどちらもこの頃連載されていた小説。2つの小説の挿絵を入れ子に掲載してしまったらしい。上の紙面に載っているのが「振わけ髪」のほうである。

そんなデカい間違いをするもんだろうか?と思い、該当日の記事をめくり直してみたのだが、

画像の説明

うん、全然違和感ない(笑)。本文はじめの方に「近頃村中に見慣れぬ男の多く徘徊し、人の門戸に佇みて何事か間探る様子に」とかあったりするし、門前のこの絵が組まれていても間違いとは思わない気がする。お詫びを載せなかったら誰も気づかなかったんじゃなかろうか。藪蛇なお詫びである。

大阪毎日はM21までは1日4Pが基本で、連載小説も1編だけだった。それがいつのまにか小説2編に勅令告示の類とか偉人伝記事とかまで載り1日6P構成になる。たぶん正月号辺りからだと思う。ページが増えるので目を通すのが大変だけれども、必要なのは結局2面以降の雑報と最終面あたりの広告くらいなので、慣れればぺしぺし飛ばすことができる。あとネットのレスポンスはやはり府立中央のほうが早い。


2019-09-16 この日を編集

[独言] 先斗町歌舞練場

先斗町の歌舞練場。画像の説明

画像の説明壁面にスクラッチタイルが使用されている。竣工は意外と古く?昭和2年だという。もうちょっと新しい、戦後のものだとばかり思っていた。

画像の説明

腰壁にはこんなタイルも使われている。斜め格子は海鼠壁をイメージしたものだろうか。

これらタイルは大阪窯業製なんだろうと想像する。関西地方でスクラッチタイルを作っていたのは大阪窯業の向日町工場くらしかなかったんじゃなかろうか。ただ綿業会館のスクラッチタイルとは違い横方向に引っ掻いてある。貝塚工場跡のスクラッチはどっち向きだったっけ。

[][煉瓦] だから言わんこっちゃない(M31)

●煉化製造 諸工業の勃興に伴うて煉化の需用一時に増加し随て其価格も騰貴せしかば之が製造者も続々興起し其頂上には当府許りにても摂、河、泉三ヶ国に於て竃数三百余の多きに達したり、然るに一時此く迄盛大なりし需要も昨年来頓に減少を来して遂に供給過多の弊を生じ自然其価格も低廉に傾き(昨年秋頃は千枚に付十三円以上なりしも頃日は八円内外なり)たるを以て製造者等は兎角不引合の逆境に陥り漸次営業を中止するに至り現今尚営業しつつあるは実に僅々たる有様なり而して営業を引続け居る此等の竃は重に西洋風の回り竃と唱え石炭を以て焼立つるものにして此の製造法によれば千枚代八円位にても引合えども日本風の竃にて松薪を用ゆるものは殆ど不引合を免れざるに付斯くは中止せしものなりと(大阪毎日新聞M31.2.12 3面)

二見鏡三郎『土木工学. 鉄道編』(明22.3)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846813/152

煉瓦の内敷は底面に於て通例其厚さニ煉瓦乃至三煉瓦(一煉瓦の大さは通常幅四吋厚さ二吋長八吋四分の一なり)

2020-09-16 この日を編集

[独言] 休めない

今日は一日ゆっくりしよう……と思っていたらいらんこと近代化遺産公開のニュースを見つけてしまい追記するはめになった。誰も求めていない記事だからこそ自分が構ってあげなければならないという歪んだ使命感のもと追記する。まったくもって無駄なことである。そんなこんなでアレコレ用が出来て結局10時半である。

いいかげん煉瓦の件まとめたいな……と思う。ぼやぼやしているとどんどん置いていかれる気がする。しかし此れをまとめ切ったら後には何も残らないようにも思う。することがなくなってしまうのではないか、心血を注いで頑張れることが無くなってしまうのではないかと思う。煉瓦芸人枠なんて存在しないのである。

というわけで花を買ってきて嗜む代わりに岸和田煉瓦カテゴリーを固め始めた。追記しなければならないことが多すぎる。そういえば自動切断機と自動横切切断機の違いも明らかにはなっていないのだった。捏土機×3だったら切断機も×3でないとおかしい。切り方を変えるとかそういうことか。

次は岸和田煉瓦綿業。その前に組合加入、各地の分工場、中国煉瓦。(株)岸煉と(株)コナミスポーツ?と。線入り、カナ入り、漢数字。


2022-09-16 この日を編集

[煉瓦] 井上勝彦

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2518150

東海道線浜名湖付近を仕上げた後湖東線を一工区担当し、而して忽然とこの業界を去った。井上組の下請け人藤田夘吉がその後を継ぐ形に

現業社→副業として煉瓦製造(p.99)現業社南一郎平、橋梁小川・隧道南の南。

矢作川橋梁。堤防工事のみ鉄道局長井上勝の甥井上勝彦へ特命。このとき井上組と尾張屋の間に人夫争奪の悶着。 M23の国会開設に間に合わせるため←p.98

大府~天竜川間に井上組(これが浜名湖辺か)。ほとんどは日本土木会社。

関ヶ原~揖斐川まで佐藤組。「目で見る~」では岐阜~名古屋間井上勝彦になっている。

なるほど、中央線のところに書かれてあるわけか。

加納~名古屋間の中一、二工区は井上勝彦(井上局長の甥)の請負に附された。井上は曾て敦賀線の金ヶ崎埠頭工事を請負い藤田夘吉に下請せしめたが、爾来敦賀にて木材業を営み、暫く鉄道土木に遠ざかってゐたが、此所に至り藤田組に資金の後援を仰ぎ、鹿島組より一時星野鏡三郎を借り受け代人たらしめ返り新参として再登場したのである。(鉄道建設協会版『日本鉄道請負業史 明治篇』p.81)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2518150/52

その直前に大垣~加納間は吉田組の請負・浅田政之が代人として現場監督とある。浅田政之は浅田政三の関係者らしく「浅田は京阪線大津線時代煉瓦供給を請負い大に活躍したが、今や吉田組の一員として実際土木工事の経験を積み後年独立して浅田組を創立した」。

同書敦賀線の件。

金ヶ崎埠頭工事と井上武の施工
 疋田より敦賀に至る約五哩間の主要工事は絹掛川、木ノ芽川の橋梁工事、並に金ヶ崎埠頭工事であった。
 金ヶ崎埠頭は直営名義の下に井上武が特命された。是より先き、鉄道局は局用汽船金ヶ崎丸を神戸キルビー造船所に注文したが、明治十四年五月六日竣工し、敦賀線建築用諸材料を満載して敦賀に回漕して来たので、貨物陸揚後は之を金ヶ崎埠頭築造の用に使用し、工程頓に増進するに至った。(鉄道建設協会版『日本鉄道請負業史 明治篇』pp.37-38)
(次段に「井上配下に藤田卯吉と云う者があった」とある。井上武=井上勝彦とみられる。あとこのページに「本工事に使用した煉瓦は堺煉瓦工場の製品である」とある。この頃堺煉化石も堺煉瓦もなく、単に堺の煉瓦工場の製品という意味とみられる)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2518150/31

敦賀港駅は明治15年3月10日開業。突堤もこの頃にはできていたはず。そうして金ヶ崎港で木材を扱っていたが、M18.9.着工の加納~名古屋間工事(含む木曽川橋梁)に土木請負業者として参加。而して敦賀港駅ランプ小屋と揖斐川橋梁には同じ手になる煉瓦がつかわれている。その作り手を西尾士族生産所と考えていたが、ここへきて井上勝彦(井上組)も浮上してきたわけである。

大垣~加納M17.5.、加納~名古屋間M18.9.起工。揖斐・長良橋梁はM20.1.に、木曽川橋梁はM20.6.竣工。

宮崎商会はM18.11.創業となっていて、堺煉化石になる前は海軍省と取引があり「呉港鎮守府其他諸官衙の御用をも命ぜられ」ていた。堺煉化石会社=井上勝彦社長はM20.9.頃。

浅田が揖斐川橋梁の監督をした。もし材料持ちだったら桂川の時のようにアルファベットであったのではないか。中山道線も東海道線も基本的に素材は官給であったらしく読める。西尾士族生産所も鉄道庁納入用の煉瓦といっている(M19.3.時点)。

仮に井上(宮崎商会)が煉瓦を持っていってたとすれば関西でも□+漢数字が多く見つかってよいが、どうもそんな漢字ではない、もとい感じではない。あるのはM22、23頃の大型の□+漢字。M18~20頃に中山道線用に作った煉瓦の余りを金ヶ崎敦賀港駅へ回送してランプ小屋作ったとみたほうが楽なのよ。堺から木曽三川に運ぶ。鉄道でもいけるし金ヶ崎丸再利用してもいいが、現地近くに工場があるならそっちを使ったほうがはるかに早かろう。


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