nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
本当は十津川村へ行きたかったのだが諸般の事情が積み重なって出かけることができなかった。代替案として蓮根峠へ。
97年2月、初めて1-JISで野宿した行き止まり。見上げるような勾配の坂道の上に平らな広場があって、その広場で泊まった記憶がある。正面は岩崖。右手に水量豊富な沢。一部ヌタっているが脇に乾いたスペースがあった。
広場の左にさらに急勾配のブル道がついている。この道を登っていけば蓮根峠道に出られたのだが、97年には見落としたのだろうか、あまり記憶がない。本谷まで引き返したところで榊?を取りに来たおばあさんに出会い、本谷沿いに登っていくことを教えられたのだと思う。
あれから15年。峠も峠道も、以前とほとんど変わらぬ姿で迎えてくれた。あちこちに砂防ダムができ、本谷の短絡歩道はすっかり様変わりしていたが、目当ての明治荷車道はダムにかかることなくきれいに残されていたのだった。
兵庫県側は旧版1:25000の道を完全トレース。京都府側は樽水に出る最後の区間をロストした(帰りに辿ろうとしたが旧道すら逃した・・・)が、巻き道が現行地形図のうねうねに繋がり甘栗に降っていくことを確認した。そのほうが線形的には素直だし、あとで「あの分岐が地形図道だろうか?」と思った道はあまりに心許ない幅だった。あれならむしろ旧道を通って降りたほうがよい。
府県道の座を巡り、 榎峠と競い合って敗れてしまった蓮根峠は、結果として国道に昇格するチャンスも逃した。樽水で話を伺ってもこれという話題が出てこなかったのは、敗北の過去を黒歴史として葬り去りたいという思いが働いた結果かも知れぬ。「榎峠に二度負けた」という恨み節を、恨み節として認識し、口にしなかった結果なのかも知れぬ。
また一つ、面白い来歴の道に出会えた。いや、「再発見」か。ここまで来るのに15年もかかったのは、いくらなんでも悠長に過ぎると言わざるを得んな。有巣峠よりも長くかかっているんだから。
柏原駅のホーム柱には二種類のレールが使われている。足同士で溶接しているものは八幡製鉄所製の1925前後。頭同士で溶接しているのはCARNEGIEの1897だ。後者は阪鶴で使われていたものかしら。あと鉄道院製造の大正3年製造の柱が跨線橋に現役。この跨線橋、全体的に古めかしい感じが残っていて面白い。