nagajisの日不定記。
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今までの人生のどこかで出会った、さほど親しいわけでもない、廃道にもそれほど興味を持っていない人物とともに探索をしている。ターゲットはとある廃隧道。
なんやかやのイベントがあったあと、二人の前に巨大なトンネルが現れる。現代的なトンネルで、大きく開いた口の奥で土砂が崩落しているのが見えている。廃物件であることがあきらかだ。市街地のはずれという立地であることもあり、廃隧道というよりも廃墟的な何かを見ているよう心持ちがする。
相方氏はそれを見て「ずいぶん古そうだ」という。そして、探していた廃隧道がこれなのではないかという。しかし、全幅10mあるのではないかというような大きさや、半円形の口の開け方などを見るに、つい最近作られたトンネルのように私には思える。左右に歩道があるところなどはいかにも現代的な高規格道路的ゃないか。私たちが探しているのは明治時代の隧道だ。それがこれであることはないだろう。といったことを口にして私は反駁するが、相方はあまり納得してくれない。「そうかなあ……」とか何とか言って恨めしげにトンネルを見やるばかりだ。
その後短いイベントがあったあと場面が変わる。場末の街路をさまよっていった先(さきほどのトンネルの反対出口、もしくは坑道の横腹の辺りと認識している)に、コンクリートで塗り固められた法面工があり、そこに石組みが埋まっているのを発見する。「あれだ!」と思い、近寄ってみると、確かにそれは隧道ポータルだった。コンクリートで蓋をされ、上下左右もコンクリートの厚化粧だが、いかにもな扁額が露出していて元隧道だと主張している。隧道名が刻まれているその扁額より先に扁額右側に掲げられた工事記録銘板らしきものに目が行ってしまい、それを読んでしまったため、隧道名はわからずじまいに終わった。
工事銘板は縦書きだった。冒頭に「明治二十二年竣工」とか何とか書かれてある。それを目ざとく読み取った私は、相方に向かって誇らしげに宣言する。「ほら、明治竣工って書いてある。これが探してた隧道やで」。頭の中ではこの坑門構が先程の坑口と繋がっている。以前あった隧道の片側の口を取り壊し、拡幅して新しいトンネルを貫通させたのだ(じゃあさっきのが探していた隧道でいいんじゃんか、といまの私は思う)。
工事銘板には続けて文字が刻まれている。「加古川ヨリ○○二至ル街道」「隧道三ヶ所」云々と。このトンネルが作られた路線のことが書かれているようだ。やっぱりそうだ、現存している2隧道の他に、この隧道を加えて3箇所に隧道があったのだ、とさもパズルのピースが揃ったかのように合点する私。そんな情報は初期段階では出てこなかったはずなんだが。3隧道の1つを探していたというわけではなくて、無関係だと思っていた2隧道(と今回発見した隧道)が互いに脈絡のある存在だということが判明した気になっているのだ。
固有名詞や映像は出てこなかったが、小野尻隧道と鐘ヶ坂隧道にこれを加えて3つなのだと、夢の中の私はイメージしている。加古川から社に出て柏原に出て鐘ヶ坂を越えてというルートなのだ。そういう想像はこれまで一度もしたことがなかったにもかかわらず、夢の中の私はそれを直感的に看破して愉悦に浸っていた。空間と情報を整理する力ーーーちうより情報を隔てる理性的な壁が取っ払われた状態になっていて、素面なら「あり得ない」と即答してしまうことをたやすく真実にしてしまうらしい。夢は怖い。怖いは夢。
>今までの人生のどこかで出会った、さほど親しいわけでもない、廃道にもそれほど興味を持っていない人物~<br><br>呼ばれた気がした(・ω・)<br><br>まぁ、平時なら「有り得ない」と思ってるトコロに実は解答が用意されていたりするから現実は恐ろしく、そして面白い。なんてイミフな事を言ってみる。<br><br>とりあえず生存確認出来たのでおkw
んー、違うと思うな。メガネ男子だった記憶がある。