nagajisの日不定記。
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昨日より勝れる快晴なり。其の下に部長殿査閲あり。必死になりて行いたるために、汗は顔を流れたり。講評は良好にありたり。以後は自習なりき。夏の際の如く冬休暇延期されたる旨、教育総監部より命令ありたれど、一度経験も経たれば兵器の平座なり。兄上より文来る。直に返事を出したり。戦果=海軍発票=敵艦十五隻沈す。内戦艦五隻撃沈。飛行機四〇四機撃墜撃破。商船約四〇〇。我が国の損害軍艦一隻、飛行機四七機(陸海軍共全部帰還せぬもの)のみ。
今日も亦むし暑し。午後は体操。土嚢運搬継走(各人二百米)をなす。流石に足下動揺し終頃には馬力なくなりふらヽしたり。二百米何のそのとなりたきもなり。五十米とは趣を全く異にするものなり。随意運動時に小倉造兵廠より来られた児井少佐殿(東幼二九期)の話あり。所謂科学につき技術は結局は自然に基づいて之に近づき、いよヽ進歩して原始化する等々特に日本人の国民性を活かすことを強調せられたり。愉快にやさしく極一般的より要点を云われし故に何時になく理解し科学に対する好奇心を僅かながら得たり。又戦場に非ずかゝる内地にて科学戦の備に研究する方々にその労苦を思う。頗る良好。
体調がまだ本調子でないようなので,作業せずに寝ることにする.せめて部録"だけでもと思うが,どうも何か書こうとすると後悔とか韜晦とかばかりが出てくるのでイカン.そんなシンケ臭いのを書いて誰が喜ぶ?>nagajis
作業せずに寝ようという時,ネタ探しもかねて土木学会図書館のpdfを読むことが多い.自分は土木の専門家でないのでサッパリな内容も多いが,その頃の雰囲気が伝わってくるのが好きだ.一種のミーハーか.
工事にこんな苦労をした,最先端の技術がこうだ,といった話題の合間に,時おりこんなのも混じっている.土木建築工事画報の第1巻第1号にある「趣味の建築」.何だろうと思いつつずっと見ていなかったのだけど,
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/01-01/01-01-0015.pdf
とある著名な建築家の住宅建築素描を紹介するものらしい(シリーズはこの後も何回か続いている).なかなか洒落た家で,こんな家に住みたいなあと素朴に思う.
榎本俊二風に言えば曲解一直線という題をつけたくなる回である。ポンチ絵つきでお楽しみいただきたい。
「山寺の和尚さん」という童謡がある。個人的にはダークダックスの歌声で記憶している曲である。ゾウさんのバスで「ボンボンボンボン」とやられると居ても立ってもいられなくなる。ともすると独りでボンボンボンと呟いてしまうことさえある。しかし小生、歌詞を間違えて覚えていた。
山寺の 和尚さんが 鞠は蹴りたし 鞠はなし 猫をかん袋に押し込んで ポンと蹴りゃ ニャンと鳴く ニャンがニャンと鳴く ヨーイヨイ
上が正しい歌詞である。こちらのほうがより酷い動物虐待なのだが今回は触れない。本題は間違えて覚えていたほうの歌詞である。
山寺の 和尚さんが 鞠はつきたし 鞠はなし 猫をかん袋に押し込んで ポンとつきゃ ニャンと鳴く ニャンがニャンと鳴く ヨーイヨイ
鞠というからにはやっぱりつくものだろうという短絡思考によるものであった。一見するとあり得そうなシーン描写なだけに問題の根が深い。
この間違いに気づいてよくよく反芻してみると、その歌詞の背景には元歌以上の広がりがあるように思えてならなくなった。
山寺の 和尚さんが
鞠はつきたし 鞠ははし
猫をかん袋に押し込んで
ポンとつきゃ
ニャンとな…
ヨーイヨイ
猫が入った紙袋は跳ねない。そのことを知り哀しみに暮れる和尚。再び勤行へと戻る後ろ姿が夕闇に溶けてゆく。弾性係数という概念が生まれ猫入り紙袋のそれがゼロであるという表現がなされるようになるまでにはあと数百年待たねばならない。
などというつまらん考察ばかりして暮らしているわけではない。発行号にいくつか変更修正をした。
20号修正
サイト関係
忘れられたコンテンツだと思っていたけれど、みなさん結構使って下さっているようで、データ修正された隧道が1000を超えた。経緯度情報が補完された隧道ももう少しで1000を超える。export.phpは全然りようされていないんだけどね。そのほうが良いかも知れない。
宝塚線の明治鉄橋進展。表記の場所には無かったが・・・。紆余曲折を経て収穫あり。さらには某所にまだあるらしい・・・!
もし興味を持たれた方があったらミニオフ会にしてもよいかも知れない。といってもただ橋を巡って明治桁だウッホー!って喜ぶだけなんだけど。何にしても脚立が必要。
_ やの [宝塚線の明治鉄橋なかなか楽しいそうですね。阪急といえば、架線柱に書かれていた建設年の表記を近年消してしまったのは実にけしからん! 柱を見るたびに、昭和2年、これは京都線開業当時からあるのかとか、昭..]
ちょっといまいちなのである。余計な加工せず&踊らせないほうがよいかも知れない。
予約受付12/24開始。全世界に戦線布告するやうな日付けがよい。なお何に対して決起するのか、ナントカ準備集合罪に問われるのではないか等のツッコミは野暮というものである。
興味の尽きない本だが後半は(自分の興味の範囲外において)専門的に過ぎるのでなかなか頭に入らない。古代、開墾のために同族が一所に集まって働いた>定住>同族結婚の弊害を避けるために異姓が入ってくる>村の成立という説になるほどと思う。制度上の集団、例えば郷とか保とか、と村が違うものだったということなど。
せいぜい2,30年生くらいだろうと思える杉の林.幹は細いがその植え方が密なせいで「鬱蒼」という言葉が当てはまる.そんなしづやかな雰囲気の中に一ノ段はあって廃村である.聞けば一世代前まで在所があったという.民家ばかりか水田すらあり,他所と変わらぬ暮らしが営まれていたとも.私が見た石垣の連なりは人家の区画割ではなく段々畑のそれであったらしい.
集落の最も下手には墓地があった.小さな石垣で設えられた区画に,降ろされることのなかった墓石が5つ,まるで雛壇の五人囃子の如くに並んでいた.三人官女の位置には舟形にはっきり読めぬ文字を従えた石地蔵.百日紅の古木を背にし,墓石とは異なるほうを向いて佇んでいる.無理やり読むと江戸年間らしい年号と「○○女人講中」らしき文字が読めた.
ここでもか,と思う脳裏の反対側で,心はむしろ百日紅の古木のほうを思っている.生気が感じられないのは季節が冬なせいではなく,枯れてしまったからであるようだ.周りは杉枯葉で覆い尽くされていて百日紅の葉が見当たらない.幹の根元に苔が走っているのも枯れてからの時間経過を示している.
この木を伐り残して置いたのは,跡地を利用しようとした人々の最小限の譲歩であっただろうけれども,昔風の思いやりとまでは言い難い.植林されて数年,十数年のうちは,年に一度花を散らして供養にもなっただろうが,やがて日が当たらなくなり此様に枯れてしまうだろうことに気づくべきであった.年に一度の弔いの花すら失った墓標群は,ただに寂しい廃村の墓という以上に寂しく,かといってそんな境遇をかこつことなく笑み続けている石地蔵がまた,「人が生きて暮らすこと」の業深さを思わせて切なかった.
今までの人生のどこかで出会った、さほど親しいわけでもない、廃道にもそれほど興味を持っていない人物とともに探索をしている。ターゲットはとある廃隧道。
なんやかやのイベントがあったあと、二人の前に巨大なトンネルが現れる。現代的なトンネルで、大きく開いた口の奥で土砂が崩落しているのが見えている。廃物件であることがあきらかだ。市街地のはずれという立地であることもあり、廃隧道というよりも廃墟的な何かを見ているよう心持ちがする。
相方氏はそれを見て「ずいぶん古そうだ」という。そして、探していた廃隧道がこれなのではないかという。しかし、全幅10mあるのではないかというような大きさや、半円形の口の開け方などを見るに、つい最近作られたトンネルのように私には思える。左右に歩道があるところなどはいかにも現代的な高規格道路的ゃないか。私たちが探しているのは明治時代の隧道だ。それがこれであることはないだろう。といったことを口にして私は反駁するが、相方はあまり納得してくれない。「そうかなあ……」とか何とか言って恨めしげにトンネルを見やるばかりだ。
その後短いイベントがあったあと場面が変わる。場末の街路をさまよっていった先(さきほどのトンネルの反対出口、もしくは坑道の横腹の辺りと認識している)に、コンクリートで塗り固められた法面工があり、そこに石組みが埋まっているのを発見する。「あれだ!」と思い、近寄ってみると、確かにそれは隧道ポータルだった。コンクリートで蓋をされ、上下左右もコンクリートの厚化粧だが、いかにもな扁額が露出していて元隧道だと主張している。隧道名が刻まれているその扁額より先に扁額右側に掲げられた工事記録銘板らしきものに目が行ってしまい、それを読んでしまったため、隧道名はわからずじまいに終わった。
工事銘板は縦書きだった。冒頭に「明治二十二年竣工」とか何とか書かれてある。それを目ざとく読み取った私は、相方に向かって誇らしげに宣言する。「ほら、明治竣工って書いてある。これが探してた隧道やで」。頭の中ではこの坑門構が先程の坑口と繋がっている。以前あった隧道の片側の口を取り壊し、拡幅して新しいトンネルを貫通させたのだ(じゃあさっきのが探していた隧道でいいんじゃんか、といまの私は思う)。
工事銘板には続けて文字が刻まれている。「加古川ヨリ○○二至ル街道」「隧道三ヶ所」云々と。このトンネルが作られた路線のことが書かれているようだ。やっぱりそうだ、現存している2隧道の他に、この隧道を加えて3箇所に隧道があったのだ、とさもパズルのピースが揃ったかのように合点する私。そんな情報は初期段階では出てこなかったはずなんだが。3隧道の1つを探していたというわけではなくて、無関係だと思っていた2隧道(と今回発見した隧道)が互いに脈絡のある存在だということが判明した気になっているのだ。
固有名詞や映像は出てこなかったが、小野尻隧道と鐘ヶ坂隧道にこれを加えて3つなのだと、夢の中の私はイメージしている。加古川から社に出て柏原に出て鐘ヶ坂を越えてというルートなのだ。そういう想像はこれまで一度もしたことがなかったにもかかわらず、夢の中の私はそれを直感的に看破して愉悦に浸っていた。空間と情報を整理する力ーーーちうより情報を隔てる理性的な壁が取っ払われた状態になっていて、素面なら「あり得ない」と即答してしまうことをたやすく真実にしてしまうらしい。夢は怖い。怖いは夢。
北海道の不動産屋爆発。100数十本の消臭剤をガス抜きしたところへ給湯器の火が引火してああなったという。この事故を「常識が無いから起こった事故」とみるか、そうでないか。スプレー缶のガスが可燃性だということは比較的知られているとは思うけれども、一般常識かというと、疑問符をつける余地がありそうな気がする。そうと意識せずに生きている人は少なからずいると思う。あの爆発跡を観て最初からガス缶ガス抜きが原因と見抜けた人はいないんじゃないかしら。
若者のURL離れという話題。スマホでネットの情報?をやりとりする時、URLを送るのではなくスクリーンショットを送って伝えることが多いので、URLというものの存在を知らない若者が多いらしいという話。インターネットを利用している以上URIの概念は常識的だと思って已まなかったが単にサイトの表示内容を伝えるだけならスクショで済ませたほうが効率的かも知らぬと思い直してみたりする。URIを強要するのは制作側の都合と言えなくもない(だからChromeなどではアドレスバーなくそうかなんていう話もあると聞いた。それを聞いた当初は何と乱暴なと思ったものだが)。
エスカレーターの右側/左側を開けないで、2列並んで乗る方向に進むらしい。右を開けるか左を開けるかの議論はどうでもいいのだが、2列で乗るのは、なんだかなあという気がする。大阪はそこまで人多くないし、パーソナルゾーンを侵害された状態で10数秒って、我慢できるのかな。満員電車はそういうものだという諦めがあるから良さそうだけれども、エスカレーターまでギュウギュウってのはな。スリとか痴漢とか増えへんかな。耐荷重的にはどうだろ。むろん2人乗り満員で満載荷重を想定してるだろうけれど、古くなったやつだと逆走したりせんやろか。余計な心配か。しかし片側満員で登る人も満員だったら死荷重+活荷重もかかるから余計危ないか。でも登る人は毎段にはいないだろうしな、せめて一段置きかな。下りエスカレーターだと歩くことが多いなあ。
そんなこんなの、常識とか慣習とかを考えさせられるニュースが続いた。「そんなの当たり前だろ」と思ってしまうようなことは決して当たり前ではない。そもそも全人類的に100%の人間に通用することを常識と呼んでいるのではない、ある文化圏内のある程度の人間がだいたいわかってること、程度のことだと思わないと、世の中に腹が立って仕方ないか、周りの馬鹿さ加減に飽き飽きするか、悲して居た堪れなくなるか、いずれにせよロクなことがない。と書いたところで今回のTRDBの小見出しが「常識破りの」云々だったことに思い至ってあんれまあと思ったりした。あれだって丹那の工事にヒントを得た工法なんじゃないかと思う。丹那ではコンクリート注入で地盤を固めてから掘削した。丹那ではそれが常識と言い得る。
そうはいうけれど、じゃあどうやったら札幌の爆発事故を防げるだろう?「可燃物なので大量に使用しないで」とか何とか言う注意書きはすでに缶に書いているはずで、読まなかった者の不注意とされて終いかも知れぬが、PL法とか絡んでくるとそれじゃ済まなくなるんだろうか。もっとでかでかと書く・・・は多分効果がない。見ない人は見ないだろうし、それで済むなら整髪料と他のを取り違えちゃったという小ボケも絶えているだろう。燃えないガスに変えるか。適当な圧をかけたら凝縮して液体になってくれて、分解性があって、燃えないで、っていうような都合のいいガスを開発するのは大変そうだ。それで結局、こんにゃくゼリーの包装とか形状とかのように迷走しまくって世界はどんどんまぬけ仕様になっていくわけだ。死ぬか怪我する覚悟のない人はまぬけにならないほうがよい。
マイクロプラスチック対策で亀岡市がゴミ袋有料化というニュースもあったな。昨年一昨年頃にはマイクロプラスチックなんて耳にもしなかったがここ最近急にニュースを賑わすようになった気がするのも「常識」に囚われている証拠か。
この取り組みはマイクロ云々よりも前に河川に流れ込むゴミを減らす目的でやってほしい。洪水のあとで川沿いの木々に引っかかってひらひらビラビラしているビニールゴミはまこと見苦しい。大和川亀の瀬の辺りなんか阿鼻叫喚の巷だ。保津峡も同じようになるんじゃないかと思う。それを抑制するためにビニールゴミ減らす方向に進んでほしい。しかしそれでマイクロプラスチックが減るとは到底思えない。家庭で節電しても国内の電力総使用量にはほとんど影響しない、のと同じだ。
頭が痛かった過日に病院へ行ってきたのだが結局何一つ解決しなさそうなのでげんなりである。あ、慢性の蓄膿症だとわかったのは成果か。
耳鳴りも手足のしびれも歯の咬み合わせに起因する可能性があるとのこと。末梢の血管を大事にしたければ酒タバココーヒーのような刺激物的嗜好品は摂るな、甘いものもよくない、αグルテンも地味によくないと言われ、じゃあ何を食えば良いのだ選手権開催である。困ったことだ。まあもとから小麦も米もアレルギー反応を示す体らしいからなこいつ、霞を食って生きる他あるまいよ。
何とか発行することができた。あったはずの余裕は一体何処へ行ってしまったのか。
.psdから別名保存で.pdfを作ったあと、そのファイルを閉じようとして、間違えて保存してしまいレイヤー統合された.psdを作ってしまうというミスをよくやらかす。今日もそうやって表紙をだめにした。保存する直前にレイヤー表示が多段になっているのを確認して「これならpsdで保存しておk」と思ってしまうようである。作ったpdfに問題がなければいいのだが、その時点で誤字脱字を見つけてしまうとかなり情けないことになる。実は領地と領家をよく取り違える私である。
今回の廃句は我ながら正統派だと思っている。しかしずっと中村草田男だと勘違いしていたのはいただけない。何と取り違えていたのか。
現場では機械成形=大阪窯業と脊髄反射してしまったけれども、M28に複線化したのであれば大阪窯業ではあり得ないではないか。とすると関西煉瓦しかあり得ない。うむ、また行って肌を撮ってくる&隙間覗いてくる必要がある。
55+mmに60+mmの煉瓦を継いでいるので最も内側の巻きは目地が薄くなっている。苦労したことだろうと思う。
_ あきら@大阪 [独り反省会会場はここですか? なんてのは冗談にして、もうちょっと有効活用出来ないですかね。ココ(苦笑)]