nagajisの日不定記。
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何もなかった日曜日から中部工場のEXCEL化を始め今しがたやっと全部放り込み終えたところなのだが名古屋県だけで200軒以上あるという状況を再認識させられ悪寒を覚えている現今である。ここから旧市町村の合併情報を手繰って現在の市町村にあてはめた上で北↓東←に並べ替えねばならぬ。土地勘のない地域故にその作業の煩雑なことは筆舌に尽し難く苦行の第二クォーターとでもいうべきシーケンスである。先に始めた岐阜県の多治見市だけでもう既に凹んでいる。然しながらお陰で名古屋県隣接地域谷間いに工場が集中していることがわかり(但し耐火煉瓦工場ばかりだ)一寸面白かった。ここなら中央本線で愛知にも長野経由で関東にも出せる。海上輸送ではなく陸上輸送の便があってこの場所が工場地帯になったのであろう。きっと。無論耐火煉瓦に適した土がふんだんに手に入る立地であったことも大きいだろう。してそれが戦後になって隆々興々したものだということを自らの手で読み解いた愉悦。与えられた史実としてではなく自己の目自己の指自己の脳によって知ったということは大きいと思われる。年々の工場通覧を追いかけてゆくことは年々の変化を追体験することでありある意味リアルタイムな経験として認識を形成してくれる。この認識はずいぶん硬い。
愛知県と三重県は県統計書を真面目に作ってくれているので明治期特に前半期の工場消長を追うことができて有り難い。どちらの県にも明治10年代から煉瓦工場が存在し四日市煉瓦などはその頃から戦後まで赤煉瓦を作り続けていた。しかし最後は美濃窯業の四日市工場と伊賀窯業だけになってしまう@三重県。三阿耐火煉瓦も昭和50年に入って消滅するんでなかったっけか(現時点ではS51までしか放り込んでない;それ以降はほんとに耐火煉瓦しかなくなるので)。岐阜県と愛知県の耐火煉瓦製造は相変わらず盛況で現業の会社も多い。美濃窯業やYMT山増耐火煉瓦がそうだし他の工場も他会社の分工場となって名を変えて存続し続けている。
深い意味はないが先日の書き込みを書き直した。本当はウエブの果てのほうを書き直したかったのだが疲労蓄積により断念。特に目新しい発想でも特異な展開でもない。
第一章「S・カルマ氏の犯罪」を読み終わる。S・カルマ氏は高校時代に使っていた国語便覧のあらすじ書きそのままに名前に逃げられ壁になってしまって終わってしまった。奇妙なイメージの連続で少々くたびれた、というのが率直な感想。嫌いではないのだがここまで畳み掛けられると疲れる。どういう寓意が込められているのだろう、何を意味しているのだろうと考えながら読んでしまい、多分それは間違った鑑賞方法だ。映画を観るようにシーンを胸に描きながら読まねばならなかったに違いない。あっちこっちする意思と基本なすがままにされるばかりのカルマ氏、そういう人間を文章で描いてみせた作品を芥川賞として迎えた昭和44年という時代に思いを馳せつつ読むのがよい。