nagajisの日不定記。
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昨年の秋だったか今年の冬だったかに電気代未納で電気を停められた経験があるせいで帰宅の瞬間が落ち着かない。帰宅してドアを開け真っ暗な部屋へ立ち入って照明のスイッチをまさぐった時「また電気つかなかったらどうしよう」と思う。ルーターの小さなランプもパソコンのファンも動いていない室内で呆然としたあの夕まぐれは二度と経験したくない類いのものである。
ようするに緑の催促用紙が来た時に払ってしまえばよいのだ。黄色の用紙が来てから慌てて払うから毎回催促されることになる。緑の時に払わないと引き落としコースに戻らないのだ。それがわかっていながら毎回スルーするのはそろそろ変更したほうがよい。
[入力したらカテゴリ補完しようとしたりしなかったりするこのクソ機能はどうにかならんもんかいな。邪魔だと思ってクリックすると書き込んだところを吹き飛ばしてカテゴリ入れやがる。つまらん内容だったら構わないが長文だと一気にやる気が失せる。
いや待て、最初からやる気なんて無かったんじゃないか。無かったと思えばすべて丸く収まるのである。
朝のミーティングで苛々するのは何故だろうと毎度のことながら思う。自分がこれだけ苦労してるんですというアピールでしかないと捉えているからだというのが第一案。それを考えているとここを読んでる人も相当イライラしているだろうなと思う。ざまないね。
共感を得ることを本願として持っているとああなるんだろうなと思う。それが生まれつきの性質なら仕方あるまいが、じゃあ周囲は未来永劫それに付き合わされ、我慢するしかないのであれば、どこで我々は救われるのだろうか。我慢していると考えるからいかんのだろうなあ。関わらないのが最善手なのだろう。
人は何で苦労話をしたくなるのだろうな。こういうことをしたから苦労した、同じことをすると苦労するから気をつけよ、という教訓であればまだ、聞き手の役に立つかも知れぬ(分かりきったことを、と笑われる可能性はあるにしても)。そこなのかもな。自分の身に翻って来ない、役に立たない愚痴を、延々と聞かされるのは誰にとっても苦痛であるだろう。
共感、共感かあ。共感ほど嫌なものはない。押し付けがましいものはない。せいぜい私は誰にも共感を求めずに行こう。