トップ «前の日記(2017-06-20) 最新 次の日記(2017-06-23)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2017-06-21 [長年日記]

[奇妙なポテンシャル] 裏にする心理・あるいは真理の裏を読む

画像の説明今日出会った不思議な本。ものは橋本治著「桃尻語訳 枕草子 中」単行本である。

画像の説明カバーの裏表紙に見たことのないシミ汚れがあって、そのシミ汚れを隠すように修正液が塗られていた(写真はその修正液を除去したあとの姿)。いくらアルコールで拭っても取れない汚れに「?」と思ったのだが、カバーの裏から滲みている汚れだと気付き、裏返してみたところ…。

画像の説明

こうなっていた。

何とも言えぬ滋味がある。背後にある物語を想像させる---正確に言えば正しく想像し得ないで困っているのであるが、ともかく何かの想像を換気扇、もとい喚起せんとする魅力を包蔵しているように思われてならない。名人のものした一幅の書にも比肩する魅力を感じてしまう。これこそ正道の奇妙なポテンシャルといったところである。

カバーには裏返して使用していた跡が確かにあり、「マンガ」面を表にして読まれていた、あるいは保管されていた期間があったのは間違いない筈なのだけれども、この本をマンガと偽らなければならなかった理由が想像がつかず、先ずそこで躓いてしまっている。逆はあり得ると思う。エロマンガのカバーを裏返して真っ白にした状態だとか、あたかも実用書のように見せることのできる印刷のされたカバーだとかを時折見る。「萌え単」などはそうではなかったか。個人的にはそういう逃げ腰を逆に羞恥の現れとしてしか観ることができず気に食わないのだけれども、それはまあ余事として措き、読んでいることが知れると不都合なものの代表格がマンガであって、それ以外の一般書籍をマンガに偽装せねばならないという状況は、なかなかないのではないか。そして元来この本はそこまで周知の羞恥を慮る必要のある本ではないはずなのだ(詳しくは「桃尻語」「橋本治」で検索されたし。自分は読んだことがないので迂闊が言えぬが多分「春はあげぽよ~」とか書いてあるに違いない---いやそれ上巻だから---)。崩した文体で書かれた枕草子しかも中を読んでいることよりもマンガを読んでいることのほうが知れ渡った折柄の都合が良いという環境が、想像がつかないのである。

無理矢理になら幾らでも思いつく。例えば言葉遣いの躾が厳しい上級階級の才媛子息が所有していたもの---名古典をばそれに似つかわしくない砕けた文調もて摂取していることが周囲に知れると不味いと判断し偽装した---と想像することは可能だが、どうだろう、そういう家庭ではマンガのほうが悪影響を与えるものとして排除されていそうではないか。それにこの字は才媛の手草には見えぬ。だいいち才媛であるならば油性ペンで書いたら滲みてしまうだろうことに書き始める前に気づいてほしい。塗り始めて「アッ」と思い剰え途中で辞めてしまうというのは随分なしくじりであるし而もそれを修正液で隠そうと試みていたのは尚更迂闊であるだろう。

逆かも知れぬ。マンガも買ってもらえぬ貧しい家庭で、親に当てつけるために表紙だけをマンガにしたこの本を、座右の書として置いていて。そして「検非違使の袴って卑しげよねー」とかいって笑うのである。・・・ってその最初の「枕草子中」はどこから持ってきたんだよっていう話か。

そもそも「マンガ」と書くことで漫画と見せかけようとしたと推測するのが間違っているのかも知れぬ。そう書かれた本が実際に目の前にあったとして、誰がその本をマンガと信じるだろうか。誰もが少しは疑ってかかるに違いないではないか。おでこに「額」と書いて出歩く者などいやしないのだし、「肉」と書けば即ちキン肉マンになれるかというと、そうではあるまい(あるまい?)。

桃尻語訳の枕草子中をマンガに偽装することを試み、途中で過失に気づいて修正液で隠さんとした、という一連の行為は過たず読み取ることができる。しかしその行動の本意はわからない。そのような本である。もう少しじっくり、製作者の心に寄り添って考えれば、わかりそうな気がするが、さりとてそれがわかったところで私の人生に於て何の足しにもならぬことは、正解を知る前からわかりきっているのであった。人はそれを「約束された未来」という。即ちこの本には未来が詰まっている。古本という過去に、今現在奇ポテを持て余している私を加えれば総ての時間軸がこの本の周りを取り巻いている。何とも壮大なことである。


トップ «前の日記(2017-06-20) 最新 次の日記(2017-06-23)» 編集