nagajisの日不定記。
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清水煉瓦跡で遭遇した煉瓦橋梁。たまげた。すげえ造形。これで形を保っているのが驚きだ。
到着時に一度渡っていたにも関わらずそれが煉瓦製だと見抜けなかった。東觜崎をぐるぐる巡って、バスに乗るつもりで県道に出て、日曜運休と知らされて呆れたあと、商店のおっちゃんに教えられて再確認しに行ったらこれだった。nagajisの目は節穴である。
現物を見て思い出した。これはずいぶん昔にM先生が写真を見せてくれたやつだ。Fさんも撮っていたのではなかったか。すっかり忘れていた。なんという体たらくだ。
脇に降りたり水路に降りたりしてあらゆる方面から検証した結果、銘板まで発見する始末。橋の名前もわかった。体を表す名のはずである。そして遊離した煉瓦をやっと一つ発見し無刻印だと確認できた。Fさんがこの橋を見つけたことを知らせてくれたのを、自分が勘違いしていた可能性が高い。菱Sの出所は一旦リセットする必要がある。
この銘板には従業員の名前に「煉瓦師」と冠してある。なんと、ほんとうに存在する言葉だったのだ。これはいけない、今日から私は煉瓦師を目指す。
お久しぶりです。揖保郡の清水煉瓦を調べていたら、またこちらが大変参考になりました。さすがに素晴らしい調査です。 <br> <br>この会社の広告が掲載された地方紙「西播新聞」(林田村の大火)"30日午後2時の素麺製造常木新太郎(38)方の乾燥機から出火"について検索していますが、ほぼ実物閲覧できません。 <br> <br>大正6年操業とあり、この「西播新聞」掲載が何年何月なのか、分野外ですが、ご存じないでしょうか。 <br> <br>宜しくお願いします。
うーん、地方紙はきちんと収蔵されていることが少ないので難しいですよね。ざっと調べたところ <br>龍野市史 第6巻 p.17 <br>https://dl.ndl.go.jp/pid/9575177/1/15 <br>に西播魁新聞の画像がコラージュ的に使われていて、そこに清水煉瓦の広告がちらっと載ってますね。 <br>(以下URL制限により細切れで)
西播魁新聞は龍野新聞の後継紙(改題)、大5.11.3より <br>http://www.meitan.j.u-tokyo.ac.jp/detail/1255 <br>東大の明治新聞雑誌文庫にも大正9年以降しか収蔵されていないとか。 <br>ダメ元で龍野市の教育委員会にお尋ねしてみてはいかがでしょう。市史に使用しているくらいですから参考資料として幾分かは確保しているかも知れません。 <br> <br>
清水煉瓦の会社諸元は『帝国銀行会社要録第六版』にあるのが最も詳しいと思います。 <br> <br>http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974398/482 <br>清水煉瓦合資会社 <br>揖保郡神岡村ノ内東觜崎村689 <br>●設立 大正5年12月 <br> 満期20ヶ年 <br>●資本金 10,000 <br>●出資社員(代表、無) <br> 清水覚治(4,000) <br> 清水修治(3,000) <br> 清水ことゑ(1,500) <br> 清水まさ(500) <br> 広瀬慶治(1,000) <br> <br>
清水煉瓦となる前に個人事業として煉瓦製造をしていた形跡もあります。 <br>『兵庫県統計書. 大正5年 第1編』 <br> <br>https://dl.ndl.go.jp/pid/972547/1/863 <br>揖保郡 <br>清水覚治煉瓦工場 <br>神岡村 <br>T5.8 <br>赤レンガ <br>130日/11h <br>6/2 <br>50銭/30銭 <br>人夫3/-