nagajisの日不定記。
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わずかに直撃を免れたお陰でビニールシートっが吹き飛ぶようなことはなかった。賭けに勝ったようだ。
それにしても、と思う。いまは衛生写真や天気図で台風の姿形を知ることができ、今どの辺りにいていつ頃通過するのかリアルタイムでわかる。そうした便利なものがなかった時代の台風ーーー野分とか何とか呼ばれていた頃の台風を、人々はどう理解していたんだろうかと思ったりする。
例えば二昨日まで天気がぐずついていて、曇りっぱなしの空から降ったり止んだりしていた。一昨日はそれが一変して馬鹿みたいに晴れ上がった。雲ひとつ無い青空だった。住み慣れた町の真ん中で迷子になりそうな晴れだった。そうして昨日は朝から淀んだ雲一面の空。雨も降っていた。夕方ころには多少風も強くなって、傘がひっくり返りそうになるほどだったのだけれども、まあ普通にあり得る程度の風だったし、夜にはもうその雨もあがって、外で蟋蟀が鳴いていたりする。以上の経緯の中に今日の台風直撃を予感させる要素はない。もし仮にニュースも天気図も見ていなければ台風が直撃するなんてことは想像もできないように思う。ただ夕方の雲の具合が不穏な雰囲気を醸していたことくらい。山の向こう海の果てまで曇に埋もれているような空。動きも早かった。それくらい。
そうして台風情報を知らなかった私(仮)は今日の大雨と強風に苛まれることになるわけだげれども、直撃を受けている間もニュースなしでは現在地を推し量ることもできなかった。例えば夜7時頃に雨の中歩いたのだけれどもこの時すでに横殴りの雨で暴風雨と呼んで差し支えないだろうというような天候だった。倉庫に詰めてからのほうが雨風は弱くなったような気がするし、和歌山に上陸したという9時頃にもそれほどの勢いを感じなかった。そうして10時過ぎくらいからまた強風を伴う雨を感じた気がする。これが吹き返しだったのだろう。そういう変化だけから台風の現在地を知ることはできなかった。ニュースが言っている「和歌山に上陸」という言葉から吹き返しなのだと理解しただけだ。
当たり前だが自分は1人しかいないから、台風が接近している時のある地点の風向だとか降り方だとかしか知れない。舞鶴と大阪と和歌山の現在のようすを同時に体験することはできない。各地の情報を突き合わせて初めて上陸地点なり通過ルートなりがわかるわけで、電話とか通信とか未整備の時代にはその突き合わせすら難しかったはず。台風が過ぎてからやっと進路が判明する、という時代が長く続いたことと思う。
台風のかたち、も地表からの観察で理解し得たものかどうか。直撃されて台風の目の中にいたらわかるかも知れないけど、そうそうある機会ではないだろう。渦巻状で左回りに風が吹くとかいうことも理解されていたんだろうか。そうではなく、なんかようわからんけどめっさ風が吹き雨が降る自然現象として理解されていたりしたかも知れない。野分のことを詳細に記した古文書なんて、探せばあるような気も、ないような気もする。どうなんだろう。岩波か中公あたりの新書で「台風と日本人」とかあったりしないかなあ。知ってどうするというわけじゃないけど。