nagajisの日不定記。
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S7 まで。無闇に入力した各種データがカタチになっていくこの瞬間が、いちばん幸せな時期なのかも知れない。これをIllustlatorでアウトプットするのが苦行なのだ。
今回のスパンでもいくつかの継承関係を確認できたが、むしろできなかったところのほうが多くて気がかりである。静岡煉瓦とか。あと東京煉瓦の千葉工場買収とかは知っていないとわからない。突如宮城にワープするだけだもん。あと例によって創業年はメタメタ、大阪とか兵庫とかはかなり素直だったんだけどなあ、この辺は通覧より統計書と羊羹を頼りにするしかない。小工場は追えなくても仕方ない。
北海道は鈴木さん久保さん館脇さんがあっちこっちに分工場を興した直後に野幌煉瓦とかマル二北海煉瓦とかが出てくるので継承関係を正しく追えるか心配だ。sしかしこれを上手く追えたら結構面白いものになりそうな気がする。
するする話ができたらなあ、とおもう。いろいろ思い違いをしていることも多数。自分の取り柄がヌルヌルで取り落としてしまったようなもの。
会社のHDD入替えに触発されたのと、そろそろバックアップを取っておかなければまずい気がしてきたので、入替えてみる。価格もそれなりにこなれてきたし。
やっぱはええなあ。起動スプラッシュのインジケータが2周する前にユーザー選択画面に遷移しクリックしたら3秒でデスクトップが出てくる。出てきたあとに次の操作を待たされることもない。これであと何年か戦えるな。
次の危機は、たぶんChromeが使えなくなるとか、Googleへのログインが弾かれるとかなった時。Macはウォッちずが見れなくなってindex2.htmlが効かなくなった時に見限った。
鶴橋の路傍で。いかにも用途のなさそうな機械屑に「不用品」のレッテルが貼られて放置されていたというただそれだけのことで、画的には何でもないのだけれども、妙に奇妙なポテンシャルを感じてしまった。ダッシュボードとかストーブとか茶碗とかに「不用品」と貼られていたのであれば「ああ不用品なんだな」で済む案件。しかしここまで使い用がないだろうというような物体に、わざわざ折をつけてやらなくても不用品だとわかるというものだし、死人が足蹴にされているような哀れも感じる。さらに鶴橋という土地柄が、モノが見做された不用の度合い、不用レッテルの強力粘着力をいや増す。誰からも見放された徹頭徹尾不用の品が、ぼくは不用品ですという名札を下げさせられている。哀れというほかない。
しばし眺めて、不用と判断される以前の彼の姿を想像してみたが、これっぽっちもわからなかった。モーターファン+ツマミ抵抗orツマミスイッチという組み合わせはありがちでありそうだけれども、それ故にかえって何か一つに寄せていくことができない。
得体の知れない使えないもの、誰も必要としていないもの、という点においては、かの機械も私も同じ。そんなことを考え、共感というか同情というか、あるいは「同病相憐れむ」みたような視線をなげかけてみたりもした。しかし彼はきっと機能する機械の一部分として活躍した時期があったはずで、輝いた瞬間など一度たりともなかったnagajisに比べれば、はるかに偉い物体と言えそうである。nagajisこそ「不用品」の名札を下げて歩くべきである。
それにしても「不要品」「不用品」どっちが本来なのだろう。必要としない品と用いない品では微妙にニュアンスが違う気がする。