nagajisの日不定記。
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さすが四国だけあって讃岐煉瓦がたくさん見つかる別子銅山。高橋氏の報文のとおりである。
醸造所近辺でよく見かけるのがこのタイプ。大型の松葉菱の中に左書きで「サヌキ」の文字と、右書き数字が刻まれる。醸造所自体はかなり昔から稼業していたようだけれども、かの有名な煉瓦煙突など残存している煉瓦遺構は明治30年以降の築造で(だって日本煉瓦が混じってたりするもん)、その辺りに使われていたこのパターンもM30代以降のものと思われる。高橋氏の報文によれば東平の索道場(M38頃?)にもこれが多いというから、M30年代の終わり頃にはこのパターンが使われていたことは間違いない。索道場には後述「分」も使われているので、あるいは分工場稼働を機にこのパターンを始めたのかも知れぬ。
ちょっと面白いのは、このパターンには添字を漢字にしたものもあること。これは左書きで「六号」とある。
数字が二桁になると「二十号」。これは左書きというより縦書きというべきかも知れない。考えてみれば社名「キヌサ」に英数字添字だと左書き右書きが混在してしまうことになってちょっと気持ち悪い。それを解決しようとするとこういうふうにならざるを得ない。しかしこれが英数字パターンより前のものとも断言できぬ。最初に掲げた刻印は「15」だし。
「キヌサ」パターンは刻印のエッジが明瞭なものが多い印象。おそらく煉瓦抜きした直後の全く乾いていない状態のオナマに抜き職人が打刻したものだろう。
左書き讃岐+「分」+英数字というパターンもある。これは讃岐煉瓦の観音寺分工場製を示す刻印であるに違いない(観音寺分工場はM39操業開始。戦後に本工場を畳んでそちらが主工場になる)。醸造所近辺では「分」を見なかったが、焼鋼窯群のあたりの路傍で転石を見た。東平索道場にも所在するという。しかしそうすると索道場の完成と分工場創業年がちょっとだけ一致しない。要検討だな。ともかく、このパターンでは[キヌサ+英数字」よりもさらに左書き右書き混在が酷くなってしまっている(「分」は右から読み英数字は左から読むことになる?)。英数字添字が二桁になってしまった場合はどげなるもんかしらん。
その他旧別子地区には松葉菱だけのものも多い。サイズは「キヌサ」ありのものと同じ。M33再建という住友病院の基礎にこれが多い印象がある。だとするとこちらが古いものなのかも知れないが、端出場発電所水路(M44頃)にもこのサイズの松葉菱オンリーはあったっけ。
端出場発電所の貯水池や送水路にも讃岐煉瓦はあったけれど「キヌサ」入りは見つからなかった。ここにあるのは英数字や「●●」が入っているもの、
「サレ」字入り。この「サレ」は個人的には初見。サヌキレンガの略のはず。似たようなものはいくつかあったが印影がはっきりしているのはこれだけだった。このサイズで「レ」がなければ下記「松葉菱+サ」になる。
以上は別子で検出しもの。関西(府下)では松葉菱(大)オンリーや松葉菱(大)に「○特」印を添えたもの(右写真)、松葉菱(小)+英数字、そして「松葉菱+サ」をみている。
量的には「松葉菱+サ」が一番多いと思う。JISサイズに押されたものもあるのでこのパターンが最も新しい讃岐刻印だろう。いずれも転石で検出しているので使用時期のピンに使えないのが残念だ。
遺構の正確な建造年がわかれば刻印使用時期を絞り込んでいくことが できそうな塩梅だが、醸造場のような例もあるので、そう簡単にはいかないかも知れない。