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2019-09-23 [長年日記] この日を編集

[][煉瓦] 「煉化石及モルタル試験報文」『分析試験報文 第1号』(M28)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/831418/12

農商務技師工学博士 高山甚太郎

農商務技手 関口寛一郎

寸法 凡そ煉化石の寸法一定ならざるときは其応用上不便なるのみならず縦横及び厚さの関係の如きも若干定限を超過するときはモルタルの使用上不適なるものとす今左に各国製造の煉化石の寸法を掲示して参考に供す
独国〔ドイツ〕(NormalFromat)25.0×12.0×6.5cm
英吉利〔イギリス〕、北部23.6×11.5×7.6cm
英吉利、南部25.4×12.4×7.6cm
英吉利、スタッフォルドシャイア22.9×10.9×6.5cm
墺地利〔オーストリア〕30.0×15.0×6.7cm
仏蘭西〔フランス〕22.0×10.6×5.4cm
白耳義〔白耳義〕17.6×8.5×4.5cm
西班牙〔スペイン〕28.0×14.0×5.0cm
25.0×12.0×6.5cm
荷蘭〔オランダ〕26.0×12.0×5.4cm
伊太利〔イタリア〕30.0×15.0×5.0
瑞典〔スウェーデン〕25.0×12.0×6.5cm
瑞西蘭〔スイス〕25.0×12.0×6.5cm
合衆国〔アメリカ〕20.0×10.0×5.0cm
墨其古〔メキシコ〕26.0×13.0×6.5cm
本邦製煉化石は通常長七寸五分 二二・七「センチメートル」 巾三寸六分 一〇・九「センチメートル」及び厚さ二寸 六・一「センチメートル」 にして凡そ英国スタッフォルド シャイア形に近似するものとす然るに第二表(注:日本煉瓦製造、金町煉瓦。隅山製瓦工場、小名木川煉瓦工場、千葉煉瓦製造所、和田荘十郎工場製品・いずれも東京製)中示す如く多少の差異あるは是れ主として焼成熱度の高低如何に縁由するものとす(略)長さ二二「センチメートル」に達せざるものは所謂焼過ぎ若くは火度の充分なるものに属するものとす即ち熱度の高低如何に因り煉化石収縮の程度に於て多少の差異あるものなるが故に若し煉化石製形の際其寸法に就き適宜に増減すれば毎に一定不変の形状を有する良品を得ること敢て難きに非るべし

スタッフォルド シャイアはStaffordshire(スタッフォードシャー)。イングランドの窯業都市。そしてウォートルスは・・・あれ、アイルランド出身じゃった・・・。

まあでも英吉利の中心部ではStaffordshire形が中心であったはずではある。

由良要塞の建設が大阪の煉瓦製造業に与えた影響はかなり大きかったんじゃないかと思う。松方デフレで不況/煉瓦製造業の衰微→そこからの復帰&製糸業紡績業の流行/煉瓦製造業復活のあとの不況期だった時に、特大の煉瓦需要をもたらした。それに乗っかることのできた工場が残っている気がする。岸和田煉瓦、堺煉瓦、日本煉瓦。大阪窯業も若干、ただしM30以降。若井煉瓦や漢数字・カナ刻印煉瓦も、例えば関西煉瓦とか堺附洲とかが供給せずに消えていったのに比べたらまだ長続きしとるんでないか。そうして生き残った工場がM20後半からM30代の煉瓦製造業の牽引役になっている。大阪窯業は若干乗り遅れたから東京形に傾斜したと考えられんくはない。

ともかく由良要塞の建設に使った規格が並形の基礎になったという仮説は考えたことがなかった。なので考えて検証してみなければならない。

[独言] 煉瓦の縮小

しつこく考えている。(1)8寸×4寸×2寸という型枠を使ったとして(2)煉瓦の焼き収縮が等方的で(3)約9割に縮んだとしたら、幅と厚さは大体一致するのだが長手が長くなり過ぎる。では逆に、幅や厚さと同じ程度に焼き締まったとして、それが七寸四分前後になるような型枠長さを計算すると、8寸4分5厘という感じになる。丸め上げたら8寸5分で、なかなかキリが良い値である。目地も4分くらい取れる。8寸5分×4寸×2寸の型枠で素地を作って焼くと並形煉瓦、と。

『旧大阪府庁舎跡』発掘調査報告書から阪府授産所煉瓦の全形を保ったもののサイズを抽出して(10個ちょっと)平均をとると23.5×11.5×5.55cmとなる。なのでこれが並形の源流ではあるまい。しかしこの長手・幅って確か鐘ヶ坂の厚煉瓦と似てなかったっけ。YES、236×113×68とメモにはある。インチ臭い。

作業局形はどこから出てきたか…阪神間の煉瓦サイズなのか、それとも、東京形と並形の中間点を意図したものか。全国に鉄道を作るのなら西でも東でも同じ規格であったほうがいいだろうけど、実際問題として東西煉瓦のサイズが違うから、わざわざそのサイズを作るのではなく、両者の中間点あたりを基準サイズにして誤差許容したほうが早い。というかそもそも作業局が作業局形を定めた形跡が見つけられん。規格があったのに見つけられていないのか、規格を定めるほど定式化したものでなかった(誤差許容でなんとかやってた)のか。どっちもありそう。でも鉄道納入の煉瓦は検査が喧しかったっていう話がどっかになかったっけか・・・。

http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20170829&

第4回内国勧業博覧会に洲本の中村重次郎が出品した煉瓦のサイズは21.8×10.6×5.3cmで、まさに仏蘭西〔フランス〕22.0×10.6×5.4cmじゃ。 http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20170828&

第3回(M22)に田中村煉瓦製造所=和歌山煉瓦石が出品したやつも

20×10.5×5.2cmで仏蘭西サイズに近い。してこいつは確かに生石山砲台に使われておる!って、あんま近くないか・・・


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