nagajisの日不定記。
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の寸法を計りに行った。今更感たっぷりな訪問である。そうなんだよなー、彰栄館とか大阪にもないM10年代の煉瓦建築なんだわ。そして丁度そのへんの煉瓦の寸法を知りたがっている。
同志社女子大のほうまで行ってしまい、もうちょっとで女子中学校に踏み込みそうになった頃に正門の人に止められた。建物の見学をと申し出たらちゃんと臨時通行証をくれた。門前払いでないのはありがたいことである。
致遠館が絶賛取り壊し中で、角にある大正4年竣工の基礎石の辺りをはつっていた。奥の方には煉瓦の山。突貫して見せてもらいたい気もしたが、機械成形のようであったし部外者だしでやめておいた。きっと内部ですでに調査をしてはるのだろう。
たかだか数個の平均値だが彰栄館の煉瓦は7.4×3.6×1.8で微妙に並形ではない感じ。といっても小口幅が1分違うというだけだから並形であるかも知れず、少なくともその源流を見ている可能性は否定できない。ただ長手八枚が185.5cmあって並形設計を生かせていない。もともとインチで設計されている建物だから仕方ないのかも知れんが。
新島遺品庫は2601年(昭和16)竣工で煉瓦を使っているのは拘りだと思った。機械成形のJES規格サイズ類似が使われている(長手がちと短く小口も1分ほど小)。どこの製品だろうな。
例えば京都市営地下鉄の車内の静寂、例えばJR山手線車内の静寂と、阪急の車内の静寂とでは何しか違う感じがする。あまり利用しない電車の車内の静寂はやはりどこか慣れない感じがする。緊張感というか警戒心というか、何やら透明な棘々が飛び交っている気がして落ち着かない。阪急の車内にはそれがない。むろんみな疲れていたりスマホに黙々と向かっていたりする状況は微塵も変わらないはずなので、単に慣れている電車かどうかの違い、要するに自分の受け止め方の違いなんだろうとは思う。それでも静寂に違うものを感じるのは我ながら不思議だと思った。
疲れて眠りこけている人々を、仲間とまではいかないにしても、似た境遇の人として若干のシンパシーを感じたりしさえする。それは東京の通勤電車を足にしている場合にもやはり感じられるだろうか。通勤通学の電車でも一緒か。皮肉とかやっかみとか一切なしに聞いてみたい気がする。