nagajisの日不定記。
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代数・国語の考査ありたり。午後雨中にて教練を行う。然汗出でたり。温度C二十二なりき。授業中は振うが如き寒さなりき。
〔nagajis:「温度C二十二」は縦書き二十二の右肩にC〕
十三時半より部長殿の巡視あり。其際各自の姓名を言わしめて其の気魄を見んとせられたり。予は稍〃物の言い方早すぎる如し、落着く可し。教練は大講堂に於て据銃・照準・撃発を行う。愈〃今日より射撃に入る今が最も大切なる時なり。充分務むべし。一千六百を走り後は鉄棒をなす。町田生徒監殿は週番の故共に走られたり。中期こそ鍛錬の時なり。然も今は二年生なり。常に努めよ。酒保に行かざるは大なる精神修養なり。寝取となる。
〔nagajis:「撃」は略字、車+山のような字〕
〇六・三〇起床、〇七・一〇体重測定。一三〇〇瓦も四日間に減じたり。〇八・〇〇食事。一一・〇〇より携行品の検査あり。午後は午睡九〇分以後休養なり。二〇・三〇消灯。要するに今日は整理休養の日にして十分に目的を達せり。特に今日感じたる事は検査は大切なりということなり〔一文に朱傍線、欄外朱「然り」〕。何となれば時間を定めて準備せしめ、其の依って悪き所を完全ならしめて身辺を清くす心を一新するのみならず、新たな覚悟を生じ検査にて一段と人物が出来るからなり。此の点重要なりと思う。
九月八日以来ムッソリーニは北伊にありて、後独乙に述われ米英の野望を空しゅうし、昨日伊太利に入りファッシストよりなる政権の下、三国同盟を厳守し枢軸として米英に対するを約す。又、ビルマ国にシヤン地方を編入せしめたり。外交手腕といわんか。
このへんで切り上げる。最後にもいっかい目を通して提出。構成がうまくないけれど...ペーパーでそこまでしきらんけん。
なんとか29日中に終えた。あとは・・・自分のが問題なのよ。
東熊野街道(五社峠,伯母峰峠,上谷上道,その他,北山郷)沿線.懲りないひとですね.
音水林鉄網.これも複数ページ規格.
鳴川山林鉄.
野又.
船津街道.水越線はそれだけでは薄いかなあ.
こっそり戸倉入れようかと思っている.明治国道として
志戸坂.
有巣峠.nagajisのぐだぐだを抜いたら面白いと思うのよ.廃道の奥の廃道.
摺子(無理).
三浦隧道を頂点とする熊野街道煉瓦隧道群<コレは可能性低いな.
千原.
徳川道.
六甲ドライブウェイ旧道(道の意外性として).
由良洞,鹿瀬洞.
予定地.
六甲越.住吉周辺と有馬のアレ.
相坂の西側確認の事.ふつーに破線道でした…
明治山陰道.
明智峠.四十曲峠.地味だなあ.
伊勢本街道と受取新道.要再訪.
背景がわかるなら志賀越入れてもいいんじゃまいか.
すげえ奈良県に偏ってる.遷都1300年だしいいか(よくない).鈴鹿隧道はむしろ後半ネタ?
このほかにこんなネタがあるよ〜という情報お待ちしてます>関西.必死です.
つーかね.通行止め標識どーん,とか2車線アスファルトどーん,みたいなののほうがわかりやすいと思うんだ.明治荷車道って写真にするといまいち状況が伝わらない・・・.
まあた溜め込んでいた分を発送する。いつもすみません>皆様
部屋を片付けろ。3カ月分の資料とゴミが溜まってる。「とりあえずダンボールにいれときゃ何とかなるやろ」作戦で誤魔化してきたが埒があかなくなった。そのダンボールを移動させないと隣の部屋にも移動できないという滑稽。
散々原典当たって疲れたところでテキストGooglableな資料ハッケン。てか前に散々見てるだろ>nagajis
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/Q_A/detail.asp?record=161
原典で見つけたのは三重県令達全書の明治9年の所に三条実美の例の国県里道等級廃すの達書に続いて載ってた調書の書き方指南の中に。ここに特別扱いする街道一覧が出てて、和歌山街道も出てて、しかも「高見峠まで」とあるのじゃー。これがすぐさま仮定県道になったわけではないようだが上のハナシと合ってるのじゃー。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788789/195
しかしながら三重県統計書の数値と合わない。M9 舟戸経由高見峠→M16 舟戸経由?2.18.26.06→M19 舟戸経由!1.31.06.06→M26 太良木経由!1.18.34。仮にこの時改修があったとしても同じ路線で24町も減るかー。だいいちM17のこの図じゃ1.31.06.06じゃー。
http://www.pref.mie.jp/haku/hp/osusume/map-mie2.htm#ritei1
三重県統計書はM25まで府境とか抜かしてるのであれじゃー。M13-M16のどっかに何かある? また探すのしんどいな・・・ むしろ統計書より前のん探さな。
東吉野村郷土史には明治16年って書いてあるけど出典不明。明治25年測図の2万図には木津隧道は載ってないのじゃー。M26年度通常会議事録(M25実施)にもつぎのよーにかかれてるのじゃー。
番外2(岡本)
木津より高見に至る迄の間に凡そ二里程の平坦部ありて此間に四十ヶ村程散在せり而して此村々に於て木津峠の改修を[北+異:き]望し其前後両端は里道の名称を以て開削したるも独り木津峠に至ては到底地方民力の及ぶ所に非ずとて地方税の補助を願出を以て伊勢街道の全通を計らんとしたる次第なり尤も改修工事落成後に於ける修繕費は一切地方に於て負担し更に地方税の補助を仰がざるとのことなれば左様了承ありたし
七番(山崎)
此木津峠を開削すれば伊勢街道は完通するに至るべきか
番外二(岡本)
此の峠を切下げ而して鷲家より峠に至る迄の間は地方人民に於て改修するとのことなり
木津隧道古い説は奈良県政七十年史にもある。曰く「女寄峠、桜峠(n注:佐倉峠:M16)の開通、木津隧道の開さくは大阪府時代からしだいに進められたもので」云々。あれ、ここにはM16とは書いてないな。府時代に伊勢街道の改修が建議可決されてるのは確かな事実だがJKとしては宇野嶺なんじゃないか(あれは郡事業か)。奈良県政七十年史=1962年発行、東吉野村郷土誌=1972。扁額を拾六と見誤る+府時代=M16とかだったらヤーヨ
史誌の類いににイチャモンつけるよーになったらビョーキ末期です。きをつけましょう。
ぎゃあM36説浮上の助。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779785/96
うむ確定。議会史要約+(位階+原長)+拾六年=M36やわ。しかし第4の確証を得るにはやはり奈良県議会へry
ちゅーか角川日本地名大辞典奈良県木津の項目に「明治36年木津トンネルが作られる」ってあるじゃんかばーかばーか>nagajis
これも私にとっては激レアな絵葉書。大正6年に滋賀県で行なわれた陸軍秋期大演習の記念絵葉書。
これに[隧]タグ打ってる意味がわかる人は一握りもいないはず。この他にも記念スタンプだけ押されたハガキもあったがやけに高かったので見送った。
文房具箱の底で腐っていたのを発掘した記念に修復してみる。芯先の長さ、および1ノックの出芯量を調節できるメカメカしいシャーペン。1500えんもした。グリップの太さと重さが心地いい。「これが使いこなせるか!」という煽り文句に負けて買ったこと、および使いこなせなかったことはあらかじめ自白しておく。
芯先を収納できるのはいいが収納する前に落として曲げてしまった記憶がある。いま触ってみても微妙に曲がっている。芯先が長いほうが使いやすいがこうなると気になって仕方ない。特にペンをくるくる回して書くタイプだった私には致命的な瑕疵だった。
ノックするところを紛失して別の0.5mmシャーペンのを流用していた(正確に言えば療養しようとしていた。その頃にはあまり使ってなかったからな)のが稍長過ぎたので鑢で5mmほど削った。もうちょっと短くでもいいかも知れん。芯先も絶妙に修正。以前の書き心地に戻り5mm角の字を書く心地よさを思い出したが如何せん筆記用具の出番が減りつつある。いまは無性に書いてみたい。
ま、も、きの区別がつかない
_ ホルモン焼き [ハイ、センセ!「この大演習を大正天皇が見に来はるんで家棟隧道がでけたんですわ。違いまっか?」]
アメショーハラショー。近くの畳屋さんのお澄ましさんもこんな感じだったような気がする。
やべえ、今日中にいろいろ片付けなんか。。。
どこにも行けない暇な日曜日はbdbの整備でもするに限る。プラグインを漁ったらpostをtweetするというのがあったので入れてみる。うまくいってるのかどうかは知らぬ。TwitterはTUKAさんのしか見ないので。
カテゴリの説明は大阪窯業と岸和田煉瓦の二大巨頭を残してほぼ終了した。書いているうちに工場表の間違いなんかも見つかったのでそのうちerrataを発行する。予定。あれはほんと気が向いたらだからなあ。
(刻印表の記述は全般的に古うなっとる)
の寸法を計りに行った。今更感たっぷりな訪問である。そうなんだよなー、彰栄館とか大阪にもないM10年代の煉瓦建築なんだわ。そして丁度そのへんの煉瓦の寸法を知りたがっている。
同志社女子大のほうまで行ってしまい、もうちょっとで女子中学校に踏み込みそうになった頃に正門の人に止められた。建物の見学をと申し出たらちゃんと臨時通行証をくれた。門前払いでないのはありがたいことである。
致遠館が絶賛取り壊し中で、角にある大正4年竣工の基礎石の辺りをはつっていた。奥の方には煉瓦の山。突貫して見せてもらいたい気もしたが、機械成形のようであったし部外者だしでやめておいた。きっと内部ですでに調査をしてはるのだろう。
たかだか数個の平均値だが彰栄館の煉瓦は7.4×3.6×1.8で微妙に並形ではない感じ。といっても小口幅が1分違うというだけだから並形であるかも知れず、少なくともその源流を見ている可能性は否定できない。ただ長手八枚が185.5cmあって並形設計を生かせていない。もともとインチで設計されている建物だから仕方ないのかも知れんが。
新島遺品庫は2601年(昭和16)竣工で煉瓦を使っているのは拘りだと思った。機械成形のJES規格サイズ類似が使われている(長手がちと短く小口も1分ほど小)。どこの製品だろうな。
例えば京都市営地下鉄の車内の静寂、例えばJR山手線車内の静寂と、阪急の車内の静寂とでは何しか違う感じがする。あまり利用しない電車の車内の静寂はやはりどこか慣れない感じがする。緊張感というか警戒心というか、何やら透明な棘々が飛び交っている気がして落ち着かない。阪急の車内にはそれがない。むろんみな疲れていたりスマホに黙々と向かっていたりする状況は微塵も変わらないはずなので、単に慣れている電車かどうかの違い、要するに自分の受け止め方の違いなんだろうとは思う。それでも静寂に違うものを感じるのは我ながら不思議だと思った。
疲れて眠りこけている人々を、仲間とまではいかないにしても、似た境遇の人として若干のシンパシーを感じたりしさえする。それは東京の通勤電車を足にしている場合にもやはり感じられるだろうか。通勤通学の電車でも一緒か。皮肉とかやっかみとか一切なしに聞いてみたい気がする。
Before...
_ 渡辺(仮) [山陰方面お願いしておきます。]
_ せんすり [がんばってな]
_ nagajis [それは片づけを頑張ってなということですね?>せんすりさん(聞くまでもねぇ]