nagajisの日不定記。
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なんとはなしに和田岬に行って、なんとはなしに川崎重工のほうへ行ったらこれがあった。川崎重工兵庫工場の建物で使われていた煉瓦を再利用して作ったモニュメントとのこと。
このモニュメントの左上隅の煉瓦に小さな刻印があり、はじめはよくわからなかったのだけれど、これも思いつきで持ってきていたライトで透かしてみて……”□+斗”であることが判明した。
これと同じタイプの刻印が敦賀港駅ランプ小屋に使われている。実物は見ていないけど「ランプ小屋新聞」にあった「全刻印」のなかに”□+斗”があるのだ(木とか土とかは見たんだけどさ。あと向こうは小口に押されているはずで、このモニュメントのは平に押されている)。
敦賀港駅ランプ小屋の古さの根拠の3割くらいがこの刻印の存在に立脚している。あまり見られない小口印であること(瓦業者が煉瓦を焼いていた頃の製品にありがち)、恐らく製造者の名前か何かを一字で示したものであること(同上)、から敦賀近傍で現地生産された煉瓦ではないかとされていた。けれどもそれと同じものが神戸にもあるというのは、その推測の当確率を引きずり下ろすものになる。敦賀ほどの地方の煉瓦がここまで運ばれてくる可能性は低いだろうし、かつ沢山あった工場建物の何十万ちう煉瓦の中から選ばれた数十個にそれが含まれる可能性は尚更低い。それより何より、川崎重工兵庫工場は明治40年頃建設・稼働というじゃないか。
刻印は2分5厘四方。煉瓦自体は3.7分×7.8分×2.1分という器用な?サイズである。
モニュメント曰く、煉瓦は創業当時の事務所(戦後は組合事務所として使用)のもので、昭和59年3月に取り壊されたそうである。竣工当初の事務所…ということで馬鹿一覚の近デジに頼ってみれば、ほいよ、ヒエヒエの構内図あるね。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1228030/146
しかし字が小さすぎてよく見えねえな。南北を連絡している軌道の南方、軌道を跨ぐ格好で「総合事務所」がある。北部の製材工場の西手にも事務所かな? ちと小さいけど。
昭和54年の航空写真
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=962185&isDetail=true
と59年4月の
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=612176&isDetail=true
を見比べると、北側の門の右隣りにあった建物がなくなっている。近デジ資料の構内図でいえば「軽合金鋳物工場」。「総合事務所」はそれよりも早い段階になくなっておる。違う違う。北方正門右側は「飛行機工場」のエリア。そうして飛行機課は大正7年8月設置。近デジの資料はS11発行で、戦時中のためか詳しくは触れられていない。巻頭の俯瞰図でも省略されている。
そういえば……このモニュメント、以前KINIASで見学会をした時に見ているはずなんだ。川重の工場間軌道=以前は山陽線からの引込線を見て和田旋回橋を見てるので。
撮り損ねてこんな画になった。回転フィルタかけたみたい。いや逆か、こういう画を再現するためにフォトショの回転フィルタがあるのだ。