nagajisの日不定記。
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1ヶ月ほど前から部屋の片隅に掛けて眺めている掛軸。国学者・近藤芳樹の書らしいことはすぐにわかったのだけれども、何て書いてあるのかさっぱりわからない。575の俳句のように思われるけど国学者なら短歌じゃないのかとも思う。仮に短歌の上の句だとしても。 7の最後が「や」、5の最後が「酌む」らしいと思うばかりで、残りはちっとも徹らない。句意などなおさらわからぬ。眺めているうちにいつか判る日が来るかもと思いつつ、かれこれ1ヶ月近く眺め続けて、何も変わらぬまま今に至っている。
それだけでも充分申し訳ないのに、さっきも少し検索してみて、近藤芳樹と自分とが全く無縁の隔世人ではなかったことに今更のように気づいたのだった。近藤芳樹は明治天皇の東北北陸大巡幸に随伴して「くぬかちの記」を書いた人。雨の刀根越を越えて憂き思いをした人だ。私もその跡を辿るようにして刀根越を越えている。彼が見たのと寸分違わぬに違いない湖国の空を見た。
すっかり忘れてた。あの記事を書いた時にずいぶんお世話になった。変体仮名を多用して書かれた「くぬかちの記」を頑張って辿々しく読みさえしているってえのに、それなのにすっかり忘れておるとは。何と罰当たりなことだろう。
著名人のサイン本とか「実物を見た・見ない」とか握手会とか、そういったことには一向に無関心で、むしろ無意味な追従だとしか思っていなかった私だけれど、歴史の向こう側の人だと思っていた人がこれを手づから書いたのだと思うと、そしてその人が歩いた道を私も歩いたのだと気がつくと、今までまるで感じたことのない、親近感に稍々似た敬虔の気持ちが湧いてくる。サインを求めるファンの気持ちの根っこにあるものには共感できるような気がし始めている。なんとも現金なものである。
これが真筆かどうかは不識。頭首印は「自然」、朱文印はまんま「芳樹」で白文印はなし。読める方、こっそり教えていただけたらうれしい。
なんだかんだとがんばってみる。
「百姓の さ□那(な)る月や □□酌む」
頭二文字は百姓だと思われる。大和言葉でいうところの「天皇が慈しむべき天下の大いなる宝である万民」か。
2/2。下の5の1文字目は「老」。