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2020-07-13 [長年日記]

[] 福知山線の未成トンネル

終わると寂しい。何も残ってないように思えてしまう。

毎度のことながらもっとスムーズにならないかなと思う。特に考察。わかったことを書き漏らすのが嫌で何やらかんやら詰め込み過ぎた気もする。削岩機のせいで未成になったのではないという結論に至るまでが、北山未成トンネルの導坑のごとくに右往左往している気がする。船坂第二の掘削速度の下りは要らんかもしれん。

ここ、船坂第二の掘削スピードで掘った場合に666日かかるという流れで書こうとしたけれど−−−高性能の削岩機でこんだけだからそれ以前のではもっと遅い云々−−−それって尺寸をインチで測ろうとするようなまだるっこさがあって明確な答えにならないと気付き、だったら大畠トンネルのスピードで計算すればと考え直してそうしたが、結局薬局大冒険、岩質の違いとか圧縮空気圧とかで厳密に同じなわけがなく、うーむ、になるわけである。ただ削岩機による掘削がどんな感じなのかのイメージを掴んでほしくて残した。自分自身それが足りてなかったし。

相当長々と書いたつもりだったのに、出来上がってみると「なんだかなあ」という感じがするのは、毎度のことながら落ち込む。長く保持しすぎたのかも知れない。

後悔するくらいなら最初からそうならんように書けば宜しかろう。それはわかっている。わかって書いて落胆して、また努力して、落胆してを何年も繰り返している。悔しいから投げ出しもせずやり続けているのだろう。その姿勢は褒めてやりたいが進歩が見られないのはちょっとどころではない不信感。

1日に1.5mも進まないような速度で1kmのトンネルを掘るなんて、導坑掘削だけで666日もかかるのだから、完成まで2年3年はかかって当たり前。この時間と手間を本当の意味で理解することはできないだろうと思う。完成してしまえばものの数分で通り抜けられてしまうものになり、心を留める暇もない。北山未成トンネルだってあれだけ掘るのに何ヶ月かかったことか。その間に投じられた労力はいかばかりか。間違っても弄ぶ対象にはできないなと改めて思う。そういう手間と時間がかかるから竪坑掘って数カ所で掘削なんてやってもペイしたんだろう。前山もじつはシャフトを設けてたんじゃないかと思ってみたり。今でもぽつんとJR所有地があったり境界石が残っていたりしたら面白いのになあと妄想したりもしているが、妄想に過ぎないので記事には入れてない。

すべて手掘りの加太トンネルは掘削速度三尺/日。あそこはシャフト採用で確か2年くらいで終わらせている。第一船坂なんてシャフト3本だからな、すごいな。


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