nagajisの日不定記。
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阿蘇山がすっきりと地上に浮び、金峯山に雲の無き晴天なり。外出する者は五分の四なり。吾校に留まる。午前中はいろヽとする。午後は集会所にて読書す。一日を無効に終る。
やゝ風あり。新暦は今日より十五日まで盆なり。気持等すっかり考査前にもどりたり。然〔併〕し体は午前中だるく、僅か四十分の午睡にも熟睡す。柔道には近日より興味を覚えたり。夕食後は台上にて座談的に航空士官学校生徒の話を聴く。空軍を希望する者亦増したならん。
随意運動にて大振りが極めて軽快に上り愉快。近日不振の鉄棒に安〔案〕外興味を覚えて為せば成るとの信念湧きたり。真に近日は三十秒風呂なり。唯友を容れ愉快に元気に過す事が予の希望なり〔一文に朱傍線、欄外朱「明るく大らかなれ」〕。良好。
「兵庫」「宍粟市」を変換確定しようとするとフリーズするとゆう謎事態に陥りながらも無事up。自動学習辞書あたりがおかしくなっていたようだ(初期設定削除で終了)。結局連絡がないままなのでやや歯切れの悪い展開となっている。御容赦いただきたく候。
オマケの緊急企画再校と今月の煉瓦もup。北摂線描は有巣とかぶるような感じなので今回は(今回も)パスするかも知れない。秋口以降の、どこにも行けなくなった頃の企画にしてしまおうか・・・と弱気になったりもする。客観的に見れば普遍的な価値は薄いからなぁ・・・。
選びはじめるとあれもこれもと追加してしまう。思い切ってバッサリ切り捨てないとだめだ。それもいちばんメインのものに絞るような感じで。でないと写真にメリハリが出ない。ムー。光の戦死。
終わると寂しい。何も残ってないように思えてしまう。
毎度のことながらもっとスムーズにならないかなと思う。特に考察。わかったことを書き漏らすのが嫌で何やらかんやら詰め込み過ぎた気もする。削岩機のせいで未成になったのではないという結論に至るまでが、北山未成トンネルの導坑のごとくに右往左往している気がする。船坂第二の掘削速度の下りは要らんかもしれん。
ここ、船坂第二の掘削スピードで掘った場合に666日かかるという流れで書こうとしたけれど−−−高性能の削岩機でこんだけだからそれ以前のではもっと遅い云々−−−それって尺寸をインチで測ろうとするようなまだるっこさがあって明確な答えにならないと気付き、だったら大畠トンネルのスピードで計算すればと考え直してそうしたが、結局薬局大冒険、岩質の違いとか圧縮空気圧とかで厳密に同じなわけがなく、うーむ、になるわけである。ただ削岩機による掘削がどんな感じなのかのイメージを掴んでほしくて残した。自分自身それが足りてなかったし。
相当長々と書いたつもりだったのに、出来上がってみると「なんだかなあ」という感じがするのは、毎度のことながら落ち込む。長く保持しすぎたのかも知れない。
後悔するくらいなら最初からそうならんように書けば宜しかろう。それはわかっている。わかって書いて落胆して、また努力して、落胆してを何年も繰り返している。悔しいから投げ出しもせずやり続けているのだろう。その姿勢は褒めてやりたいが進歩が見られないのはちょっとどころではない不信感。
1日に1.5mも進まないような速度で1kmのトンネルを掘るなんて、導坑掘削だけで666日もかかるのだから、完成まで2年3年はかかって当たり前。この時間と手間を本当の意味で理解することはできないだろうと思う。完成してしまえばものの数分で通り抜けられてしまうものになり、心を留める暇もない。北山未成トンネルだってあれだけ掘るのに何ヶ月かかったことか。その間に投じられた労力はいかばかりか。間違っても弄ぶ対象にはできないなと改めて思う。そういう手間と時間がかかるから竪坑掘って数カ所で掘削なんてやってもペイしたんだろう。前山もじつはシャフトを設けてたんじゃないかと思ってみたり。今でもぽつんとJR所有地があったり境界石が残っていたりしたら面白いのになあと妄想したりもしているが、妄想に過ぎないので記事には入れてない。
すべて手掘りの加太トンネルは掘削速度三尺/日。あそこはシャフト採用で確か2年くらいで終わらせている。第一船坂なんてシャフト3本だからな、すごいな。
八年前に滝川クリステル氏の「O・Mo・Te・Na・Si」でオリンピック開催が決まった時、そのオリンピックを見ることはないだろうと、かなり本気で思っていた。2020年まで生きていられるとは思わなかったのだ。ましてやORJがそこまで続いている気もしなかった。
それでも生き続け、書き続けた。人間以外と簡単には死なないようである。もちろんその間には書くに忍びない浮沈がありジェットコースターのような揺動を経験した。実はこの間ほど必死に生きたという実感はなく、しかし前途は茫洋としたままで、軌道に乗ったと思ったことはない。道跡だと思って辿ってきただけだ---途中の橋が落ちていたり上から下から崩れるタイプの崖崩れで跡形もなくなっている場面に遭遇しその都度何とかクリアした。そうして今後も道跡が続いている保証はない。もっと酷いゲロ場面がきっと出てくるに違いない。そういう道を歩んできた。
そうしていつのまにかその2020年になった。内心ビクビクしていたが、驚いたことにオリンピックのほうが逃げてしまった。何ということだろう。そこまではさすがに予測できていなかった。そのせいでかえって気落ちしたというか、戦意を喪失したというか、そんな宙ぶらりんな気持ちになった。後半失速したのはそのせいである。
そうして今年。無事(では決してないけれど)オリンピックが開催されようとしている。それに対するアクションが休刊だった、と書いたら、誰か怒るだろうか。要するに自分の存在価値のないことを認めたわけである。矜持を保ち続ける意味を見失ったわけである。
そういう空白を経て今号。特に何という気負いもない。読まれようと読まれまいと、という気持ちで、余裕をもって発行できそうである。それよりか、これからしばらくの間が大変だ。かの探索のことを忘れずに居続けることができるだろうか。言葉にできるだろうか。まとめられるだろうか。その不安が強くある。まあ、書けなかったとしたらそれまでよ、と何の韜晦もなしに思っている今である。ちなみに次々号分の原稿はほぼ書き終えている。発行後にはその次のを書き始めなければならない。前倒しで原稿を書くというごくごく当たり前なことすらできずに10数年間やり続けてきたのはさすがに愚かだと思う。
正確には玄関の外が臭い。まるで扉の前でしかぶられたかのようである。あの独特の鼻を突く臭気を嗅ぐたびに子供の頃を思い出し懐かしくなると同時に現在の我が部屋がそんな臭気を放っていてそれが漏れ出しているのだろうかと思い慄然とする。しかし臭いの元は我が部屋ではないのは明らかだ。玄関を開けて一歩中に入ればその臭いは絶えてしまう。
玄関前にしかぶられた訳でもないらしい。臭いがする時とそうでない時があるからだ。この臭いはどうも、どこからか漂ってきて扉前に溜まるようになっているらしい。今住んでいる建物は真ん中にフロアがあってそこに4軒分の扉が向き合っている。フロアには窓がなく換気は全く効かない。どこかの扉が開いていればそこから漏れた空気が他所に流れていくようになっているらしく、その吸い寄せ口というか空気の吐口というかにうちの部屋がなっているらしい。全くもってとばっちりである。近寄れば1mも近づかないうちに逃げられるほど猫に嫌われている私なのに猫の小便臭気には好かれているらしいのは悔しい限りだ。もしかしたら猫の嫌がらせなのかも知れない。こっちは仲良くなりたくてなりたくて身悶えしているというのに。