nagajisの日不定記。
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といってもまたApple pro keyboardなんだけど。
フリマサイトで安くで出ていたので購ったらキーが一部反応しないでやんの。そうして文句も言わずに分解清掃して接点復活剤とシリコンスプレー散布して使えるようにしたった。キーは入力できるようになったがCapsLockのLEDがつかんくなったのはnagajisの脇の甘さである。戒めのためにそのままにしておく。
ほとんど使われていなかったようでキーがこなれてない。うむ。新しいPro keyboardはキーボードはこんなタッチだったのか。くたくたになったやつにシリコンスプレーしたのじゃないと気に入らないらしいnagajis。
菱Sを四国産業と推定したのは、自分自身の感覚では確度80%強なのだけれど、客観的な証拠があまりにも不足していることに、書いた後に気がついた。川窪の東で一個見つけただけだものな。数だけだったら近鉄大和田駅の辺だとかのほうが数が多い。ただGHQの受注を受けて生産量が飛躍的に増加したという話(これはおそらく陶管も含めての話と思う。陶管は農地改良に欠かせない土木材料だったし)を知るとここの製品がかなり広範囲に広がっていったことを想像せずにいられない。広島の諸工場、香川の讃岐煉瓦(松葉菱サ)、印南郡の工場群の製品が京阪神地区に大量に流入した中に高松の煉瓦があったとしても全然不思議でない。
見目はあきらかに播州煉瓦より上。すごく整っていてザ・工業製品という感じがする。
川窪には押切型の痕のある無刻印機械成形煉瓦が多かった。おそらく後半生には刻印を使用しなかったのだろう。ただしサイズは厳密に210×100×60でなく、その辺に古さを感じられる。同じものを府下でたくさん見た気がするのだがそれを証しすることができない。菱SはJIS工場以前の作のような気がする。
そういえば、菱S煉瓦の肌は手成形でも機械成形でもないような独特な肌をしている。平全面が梨地のような感じ。小口はどうだったろう。してそれが、井桁菱Kの肌に似ているように思われるのだ。
井桁菱Kは小口長手が機械成形だった。これは神在港のポンプ小屋を見ると明らか。他所で見たものも機械成形だった気がする。このへんは手持ちのを見れば早いが山の下の方にあるはずなので気軽に引っ張りだすことができない。
珍しいもの・ことに「奇跡の〜」という頭冠詞を付けて宣伝するのが余りに多い。「奇跡の〜」をつけることでかえって有難味を損ねていやしないかと思うのだが、一向に減らないところをみると、世の中一般にとっては未だ新鮮味がある言葉なのか、あるいは元から食傷していて不感症になっているのかも知れない。後者ならますます虚しい。
考えてみれば「奇跡」という文字面には尊さを含んでいないな。奇妙な跡、不思議な跡、というだけで、まあ多少稀なものであれば別に奇跡でいいのかも知れない。キリスト教の聖人の奇跡、みたいな畏れ多さを他の奇跡に感じなくてもいいのだろう。あ、納得がいってしまった。
要するに何か泊をつけようという魂胆で被せられた「奇跡」ばかりな現状が気に食わない。なぜ気に食わないのか考えてみるとなかなか奥深い問題のようで、またどんなものなら「奇跡」の冠に価するかということも考えてみる必要がある。気に食わないから嫌いだ、では袋小路に猫まっしぐらである。何も生み出すものがない。