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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-10-21 この日を編集

[陸幼日記]十月二十一日 火曜日 晴

歯痛の為訓断を受く、然し、レントゲンある為に行かず。レントゲンにて以〔意〕外二時間をとり術科なし。第三十三回論功行賞あり。特別行事とて何もなさず。今日の昼食はパンにて“バター”が始めてつき、実にうまし。然し残念にも腹に満たざりしは残念なり。

〔nagajis:最後の一文の捉え方に注〕


1942-10-21 この日を編集

[陸幼日記]十月二十一日 水 晴

午後は雲仙の校外訓育の予備養育として、島原の乱。橘中佐の事につき話ありたり。気力に欠くれば必ず眠くなることを今日現に感じぬ。気力内に充溢し一つも、もらさじと努むれば自から眠くなることなし。
今後諸行事に依り剣術大会まで日数は僅かなり。生徒監殿の■りて、運動会も終りたれば専心剣術に重きを置き随意運動を行わん。真面目に。
久方振りにて酒保に行く。近日急に、飯少き故か空腹を覚え、腹に気を奪われ真剣味が物事に欠くることゝなる故なり。然して一時なりと気を安んぜん為なり。今年の二・三月の事を思うべし。実に当時二杯も三杯も克く噛みて食いたればこそ一月二、三キロ以上も増えたるなり。あの戦法行うか。否か。
要するに食えヽ。人生きんが為食う、然り。


2005-10-21 すっかり間があいてしまった この日を編集

寄稿を誌面にすることよりも、5号掲載予定の編集部企画に手間取って、なかなか前に進めず。とはいえ今月は日曜日があと2回あるので何とかなると思われます。<安易だなあ

なお、

先月の編集後記でnagajisが言っていたメディアの件ですが、とある方から機材のご提供をいただき、解決する見込みとなりました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [>日曜日があと2回ある 裏山鹿・・・orz 今更一から書き直してます(死 やっぱり猛ダメポ(AA略]

_ TUKA [せっかくサイトがあるのに、 PDFファイルを落としたら、後は用無し。 月一訪問すれば足りる、ってのも寂しいもんですなー。 (´・ω・`)]

_ nagajis [なんしか,サイトの賑やかし的なものは作りたいのです... でも,正直時間がない(汗 いただいたアレでアレしましたので,とりあえずは・・・ #あんな感じのチェックで良かったですかね?]


2008-10-21 先行日記 この日を編集

[ORJ]22日より休みます

休みます。今度は全く休みです。早くて24日、次は25日まで。

[ORJ]部録"移転

廃道本のデータのやりとりに使っていたサーバ(旧the-orj.orgのレンタルサーバ)へ部録"を移転。the-orj.orgが落ちている時の連絡はこちらに書くことにする。

www.the-orj.orgからの転送は基本的にredirect permanentで飛ばしているだけなので迂闊するとここのアドレスが不明ということになる。「編集部録 謝罪文例」で検索されると吉。多分"は不要。

ああ...検索ができなくなるのか。またあれこれいじらなんか...頭痛いわ。 ついでに記法がwiki記法になっちまった。明日からは変わるんだろlか。

[独言]ビバークザック

OK、ビバークザック出てきた。残りは何だ、食料、ガス、電池...ロングソックスを買ったあの店はどこだっけか。

[独言]独言

元本のない信用はあり得ない。

元本割れすれば信用されない。

当然の帰結やね。


2011-10-21 この日を編集

[絵葉書] 初三郎伊勢大橋

画像の説明気晴らしに四天王寺さんに行ったらさらに初三郎絵葉書を発見。総量二倍になって帰ってきた。

一番の収穫は伊勢大橋。三重県の絵葉書では橋や新道のような近代的な風景をモチーフにしたものが多い。ちょっとうれしい。他にも七里御浜や湯の山温泉等もあり。湯の山温泉は雪の風景で、ちょっと北斎の蒲原を連想させるいい風景画。

以下おしながき。
雑_吉田初三郎_桑名七里の渡.jpg
雑_吉田初三郎_大杉谷.jpg
雑_吉田初三郎_矢ノ川峠.jpg
雑_吉田初三郎_鈴鹿峠.jpg
雑_吉田初三郎_七里御浜.jpg
雑_吉田初三郎_五ケ所浦.jpg
雑_吉田初三郎_奥瀞筏.jpg
雑_吉田初三郎_湯の山温泉.jpg
雑_吉田初三郎_鳥羽海女.jpg
雑_吉田初三郎_伊勢大橋.jpg

この他にも赤目四十八滝だったか香落谷だったかと、鍵屋の辻があるのを見たことがある。行き着けのお店には愛知シリーズもあった。名古屋城、大須、愛宕山公園とかなんとか。とりあえず縁のある三重県のもののみ確保。


2014-10-21 この日を編集

[独言] やけどした

ビーチコーミングの成果がおはよー牛乳だと看破したあとで晩飯を作ろうとしたら左手小指をやけどした。熱していた油がべちゃっと撥ねてかかったのだ。ひさしぶりにこんなにやけどした。風邪がようやく抜けかけたと思ったらこれだ。ついてねえむいてねえ。

オロナインH軟膏なんてない、グリスでも塗っておこうかと思ったがモリブデン中毒になるのもいやなので止めた。そのうちジンジンしはじめて泣きそうになったけれども、気がつけば我が家には冷蔵庫があったのだった。氷水で冷やしてみると確かに効果があった。ありがとう文明の利器。ありがとうnさん。

翌日、すりおろしたジャガイモで湿布するとよいとYさんに教わった。塗ってラップで巻いとくのだそうだ。アロエよりも効果があるということだったので次回やけどした時には試してみようと思う。いまなら諸般の事情によりジャガイモが大量にある。

件のやけどは水ぶくれに発展した。直後に冷やしたおかげかそんなに広範囲にはなっていない。

[独言] そうだったのか

以前から念頭にあって気にかけていたつもりでいたものが、別件を書いているうちに不意をついて連綿してきた。そうかあの廃道が五條への搬出を可能にしたのか。主塔よりもそちらが重要だ。

路線バスの開通:風屋まで昭和7、山崎まで昭和12(ちな折立橋昭和9)。ちょうどその頃に滝川森林土工協同組合の設立と山五隆興とIさんの証言が直交する。川下に向かう主塔はさほど働いていない。そっちは管・筏流。製板された材はトラックで五條へ。おそらく阪本から大和索道で。だから二見にトオモッキョウの倉庫があったのである・・・!!!

[独言] そうか

そういう発見があるから面白いんだ。自分で見つけた課題があって、その答えを自分の力で見つけ出すのが楽しいんだ。与えられた物語をただ消費してゲラゲラ笑ったり賢くなったつもりになったり人間本性の深淵に触れたつもりになったりするよりもはるかに面白い。虚構や匿名を盾に好き放題書き散らすよりもはるかに生産的。惹きつけて止まない魅力がある。敢えて愉しみとは書かぬ。ちいと捻った気になって何百年も使われてきた言い回しを使って悦に入るような愚はしたくないからな。

そこに焦点があるから別に廃道でなくたっていい訳である。煉瓦とか隧道の建設方法とか土木史とか産業考古学とか。ただ道のほうが物理的構造的に連綿していて意外なところで相関しやすく発見がネットワーク化しやすいので対象にすると面白く広がりも出る。身近な道ばかり興味があるのもそれが今の生活と大きな係数αで結びついているような気がするからだ。なある。

ついでにいうと、発見なんていうてみたけれども、数年前数十年前の現実でしかなくて、探せば簡単に答えが出てくるものだ。その努力をオシムか吝まないかというだけの違いしかない。しつこく追いかけてるかどうかの違いしかない。ちなみに廃道趣味を「わからないしわかろうとも思わない」とか宣った単細胞な即物主義ライターがいたことを忘れていない。あっちはそんな愚な発言をしたことなど忘れて同じような物言いをしていることだろうが。プゲラ!

[独言] というふうに

今まで何度もしたはずのつまらない気付きにエウレカを重ねてみたり無性に怒りが湧いてきたり忙しい今は要するに冴えた頭を疲れさしてはよ寝たいと思うゆえの自暴自棄である。これもまあ代わり映えしないっちゃあ代わり映えしない暮らしで、まあ好ましい。好きなことが好き放題にでき、誰にも影響しないということはいいことだ。


2019-10-21 この日を編集

[煉瓦][] 素地と製品のサイズの関係

建築学講義録 巻1」に型枠サイズと焼成品サイズの具体例が書かれている。大変ありがたいのだが、一寸理解に苦しむところがある。

素地の煉瓦石を焼けば長さ十二分の一より十分の一縮むものゆえ煉瓦石の型を造る時には右の割合にて型を大きくなし置くべきものとし譬えば東京形の煉瓦石を造る時素地の寸法は
長七寸五分
幅三寸六分
厚二寸
}は縮み方を十分一とすれば{ 凡八寸三分
凡四寸
凡二寸二分

なり諸君のうちに或は七寸五分の一割増しは八寸二分五厘にして八寸三分にあらずと云われる方もあるべけれども八寸二分五厘が一割減れば七寸四分二厘五毛になる故矢張り八寸三分にする方が正しきものとす其仕方は八分の一引けば九割残る勘定なれば之にて望みの寸法を割りて素地の寸法を知るものなり

諸君のうちに云々のところはわかる。一割縮むからといって所望のサイズの一割増しにするとおかしなことになるって話。しかしボールドにしたところがよくわからぬ。どういう計算なんだろう。単純にx=(所望サイズ)/0.9ではいかんのか。

[煉瓦][] 参った

https://www.aij.or.jp/da1/zumenshasin/pdf/J6000648.pdf

「現存する明治洋風建築-近畿編-」(日本建築学会近畿支部建築史分科会 明治建築研究会)。1961年作成。これを見ると造幣局鍛工室(M18)に22.5×10.5×5.3cmの煉瓦が使われていたと記録されてる。鋳工室(M18)にも22.5×10.7×5.5、その前の倉庫に22.4~22.7×10.5×5.2~5.5。当時三菱の所有だったタングステン工場(造幣局曹達製造所)(M13)にも22.5×10.6×5.3。こいつらは並形なのだ。

しかし泉布観の煉瓦は23×12×6という。謎である。

日本建築学会図書館のデジタルアーカイブスは来年3月に有料化するらしいぞ。せちがれえよ。

否、逆に考えるんだ。並形サイズは過去に存在しなかった。鍛工室、曹達製造所あたりが後年の改築だったとすれば辻褄が合う。あくまで帳簿上の話だろ>着竣工年。


2020-10-21 この日を編集

[独言] キーボードを新調した

といってもまたApple pro keyboardなんだけど。

フリマサイトで安くで出ていたので購ったらキーが一部反応しないでやんの。そうして文句も言わずに分解清掃して接点復活剤とシリコンスプレー散布して使えるようにしたった。キーは入力できるようになったがCapsLockのLEDがつかんくなったのはnagajisの脇の甘さである。戒めのためにそのままにしておく。

ほとんど使われていなかったようでキーがこなれてない。うむ。新しいPro keyboardはキーボードはこんなタッチだったのか。くたくたになったやつにシリコンスプレーしたのじゃないと気に入らないらしいnagajis。

[bdb] 四国編第4版

菱Sを四国産業と推定したのは、自分自身の感覚では確度80%強なのだけれど、客観的な証拠があまりにも不足していることに、書いた後に気がついた。川窪の東で一個見つけただけだものな。数だけだったら近鉄大和田駅の辺だとかのほうが数が多い。ただGHQの受注を受けて生産量が飛躍的に増加したという話(これはおそらく陶管も含めての話と思う。陶管は農地改良に欠かせない土木材料だったし)を知るとここの製品がかなり広範囲に広がっていったことを想像せずにいられない。広島の諸工場、香川の讃岐煉瓦(松葉菱サ)、印南郡の工場群の製品が京阪神地区に大量に流入した中に高松の煉瓦があったとしても全然不思議でない。

見目はあきらかに播州煉瓦より上。すごく整っていてザ・工業製品という感じがする。

川窪には押切型の痕のある無刻印機械成形煉瓦が多かった。おそらく後半生には刻印を使用しなかったのだろう。ただしサイズは厳密に210×100×60でなく、その辺に古さを感じられる。同じものを府下でたくさん見た気がするのだがそれを証しすることができない。菱SはJIS工場以前の作のような気がする。

そういえば、菱S煉瓦の肌は手成形でも機械成形でもないような独特な肌をしている。平全面が梨地のような感じ。小口はどうだったろう。してそれが、井桁菱Kの肌に似ているように思われるのだ。

井桁菱Kは小口長手が機械成形だった。これは神在港のポンプ小屋を見ると明らか。他所で見たものも機械成形だった気がする。このへんは手持ちのを見れば早いが山の下の方にあるはずなので気軽に引っ張りだすことができない。

画像の説明画像の説明画像の説明

[納得がいかない] 奇跡の大安売

珍しいもの・ことに「奇跡の〜」という頭冠詞を付けて宣伝するのが余りに多い。「奇跡の〜」をつけることでかえって有難味を損ねていやしないかと思うのだが、一向に減らないところをみると、世の中一般にとっては未だ新鮮味がある言葉なのか、あるいは元から食傷していて不感症になっているのかも知れない。後者ならますます虚しい。

考えてみれば「奇跡」という文字面には尊さを含んでいないな。奇妙な跡、不思議な跡、というだけで、まあ多少稀なものであれば別に奇跡でいいのかも知れない。キリスト教の聖人の奇跡、みたいな畏れ多さを他の奇跡に感じなくてもいいのだろう。あ、納得がいってしまった。

要するに何か泊をつけようという魂胆で被せられた「奇跡」ばかりな現状が気に食わない。なぜ気に食わないのか考えてみるとなかなか奥深い問題のようで、またどんなものなら「奇跡」の冠に価するかということも考えてみる必要がある。気に食わないから嫌いだ、では袋小路に猫まっしぐらである。何も生み出すものがない。


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