nagajisの日不定記。
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消えてしまったが負けないで書く。生後2ヶ月くらいの子猫を拾い、さらにもうちょっと成長した猫も拾ってホクホク顔になるイベントがあったはずだが本編と連続していたかどうかはよく覚えていない。確かな場面は古い木造校舎のある小学校の校庭にいるところからである。何故か家族と来ていることになっている。
校庭の校舎と反対側には耕作地。さらにその向こうには牧ノ戸峠から見上げた久住山のようなのっぺりと高い山並み。彼我の距離は約1km、視界の上半分をそれが占めているような大きな山である。塚脇小学校から伐株山を見たような感じではあるがもっと牧歌的で耕作地も広い。山麓まで遮るもののない平坦という風景である。
その山を何気なく見た時、なだからな斜面を火砕流が駆け下ってくるのが見えた。まずい、このままでは巻き込まれる、と思う。
とっさに逃げることを考えたが、さてどこへ逃げるべきか? 火砕流の速度は遠目にも凄く早く、幅もあることがわかる。校舎の2階に逃げる時間はなさそうだし、だいいち校舎全部が呑み込まれそうでもあった。校舎の裏に隠れるかとも考えたが果たして建物が保ってくれるかどうか。ええい、迷っている暇はない、とにかく裏手の方へ逃げるしかない。
校舎の脇を過ぎる時、扉が空いていて、土間に続いて木造の大きなロッカーがあるのが目に入った。高さ1.5mほど、幅30cmほどで、入って隠れることができそうな大きさだ。木造だがかなりしっかりした作りのようでもある。あの中に隠れるしかねえ! 材が厚いから多少は持ちこたえてくれるかもしれん! 蒸し焼きになったらその時だ。とそちらへ飛び込んでいく。
ロッカーの中に入り切り、扉を閉めようとする時、入ってきた入り口の前を火砕流がよぎるのが見えた。間一髪!と思いきや、火砕流はその入口のあたりで止まってしまう。ちょうどギリギリ届いて止まったという感じだ。自分の判断が正しかったのかどうか確かめられなかったことには若干の不満を感じたが、なんにせよ、助かったようだ……。
そういえば家族はどうしただろう、と思い、校庭に戻ってみると、なぜか被災から2、3日経過したようになっている。避難所が開設され、救護所もでき、被災者に心の安寧を与えるべくやってきた宗教の人さえいた。むじんくんみたいな緑色の顔をしていたけれど。まあいいか、しばらくここで世話になって、落ち着いてから連絡するなり探すなりしよう。
避難所の庭(というにはあまりに殺風景で薄暗かった。巨大なテントで覆われているせいだ)には小さな女の子が2人。親とはぐれたらしく、自分の名前を書いた紙を配っていた。私はここにいますということを伝えてもらおうとしているのだろう。その姿がいじらしく、また自分も同じ立場にいることを思って親近感が湧いてしまう。そこまではまあいいだろうが、何故か自分も名刺を渡しておこうと思い立ち、そうだカメラポーチの前のポケットに入っていたはずと思う。そうして名刺入れは確かにあったけれども(探しものがすぐに出てくるのは珍しい)、その中に入っていたのは他人の名刺だったり作りかけのものだったりして自分の名前住所が正しく書かれたものがなかなか見つからない(案の定である)。しばらく探してやっと出てきたので、それを2人に渡す。自分も彼女らの紙をもらう。よく見ると結構立派な印刷物の態をしていてまるでキャバクラのチラシだと思ったりもする(その昔電話ボックスにベタベタ貼ってあったやつみたいな)。
さて、これからどうするか……と校舎の中に入ってみると、被災者に対して仕事を提供し日銭を稼いでもらおうという事業がすでに始まっているようだった。室の一角に案内され、ビデオ映像で仕事内容の説明を受ける私。
映像は森に囲まれた古ぼけた牧場?農場?の建物からはじまる。車の通う道からさらに数十メートル森の小道を入り込んだ先にあるらしくて妙に薄暗い雰囲気の映像である。この牧場?農場?で働くのかと思いきや、建物の背後から直径数メートルもあるだろうという巨大な丸太が転がってきて建物を薙ぎ倒してしまう。上半分がすっぱりふっとばされた格好になり、その中にはアルミ製とおぼしき什器がぎっしりと詰まっている。その什器の片付けをせよということらしかった。なんてまどろっこしい説明映像なんだろうと思う。結局その仕事をすることになったはずだが実際に什器運びをする場面はなかった。校舎の中をうろついて別のミッションをこなしたり田んぼと水路の間を歩いたりしたはずである。
そんな夢を見たせいで、今日も又30分寝過ごした。遅刻はしなかったがいつものペースで進められない。
雲仙普賢岳の噴火をリアルタイムで経験している世代なので火砕流の怖さはよくわかっているつもりでいる。にしても夢の中でそのとおりの認識をし冷静に行動した自分がちょっと誇らしい。ハイここ笑うところですよと注記したくなるようなこっ恥ずかしい感じだが、そう書くのがいちばん近いように思う。夢の中に出てきた家族には死んだ父親も入っていて(夢に出てくる時はいつもそうだ)、そのくせ自分は今この瞬間の私自身、46にもなった中年男なのだった。時系列もクソもない。
昨日は昨日で関取の褒賞の夢で寝過ごした。過去に何か功績があり褒賞されてしかるべき関取であったのに、何かの手違いで見過ごされていて、このたび改めて授賞を果たしたという関取の話である。その再発見のきっかけとなった賞状のようなものを見ている。なんだか戦前の公文書のような古ぼけた賞状で、関取の名前も若干違っていた(鐘ヶ坂を金ヶ坂と書くような感じの)。なるほど古い賞状だから名前が違って書かれているのだな、だから当人と気が付かれずに長いこと放置されていたわけだ、と納得したのだが、バカヤロウそんなことに感心している場合じゃねえと気づいて目が覚めたのだった。←この順番が可笑しい。起きてから焦るならまだしも夢の中で夢なんか見ている場合じゃないと気づいて目が覚めたのだ。そうして時計を見てすでに到着していなければならない時間だということに気づき絶望したのだ。