トップ «前の日記(2023-11-17) 最新 次の日記(2023-11-22)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2023-11-20 [長年日記]

[煉瓦刻印] 杉本煉瓦製造所@新道暗渠

画像の説明

やはり何度も訪れてみるべきだな……17年経って初めて真理に気づくことができた。はじめ四日市煉瓦の刻印かと思って焦ったが(ついこの間、初期には隅立て井筒印を使っていたと仮定し直したところなのに)、鮮明なものを探し出して清掃して杉本煉瓦のだとわかった。三行目がはっきりしなかったけれども国分暗渠へ向かう頃には葛木だと気づく。仮に17年前にこれに気づいていたとしても意味がわからなかったかも知れない。甲賀郡葛木に杉本煉瓦製造所があったと知っていたからこそ理解できる。そうしてその工場のことは明治30年版の滋賀県統計全書にしか載っていないというのがおそろしい。そこで創業M21.1.となっているからには関西鉄道草津線の建設に関わる創業だったはずで、しかしその想像を物的証拠で裏付けることはできていなかった。この刻印の検出によって全部が繋がったことになるわけである。めでたいことである。

刻印は三雲方のスプリングラインの上に露出しているのが最も鮮明。他にも三角形印がみられる煉瓦は多い。国分暗渠も平の露出は多いがわかりやすいところにはない。西側ポータルまで廻っている蛇腹の腹に1個ある。国分では焼過煉瓦の平の露出が多いがそこには確認することができない。おそらく製造系統を異にしていて、普通焼き煉瓦も全数打刻ではなかっただろう。全数だったら葛木ですでに検出しているはず。

国分・新道、杣川橋梁の橋脚はいずれも60mm厚を採用。同じ頃省線東海道線西半分では2-1//4インチや3インチがデファクトになっていた。関西で60mm=2-3/8インチを採用し始めたのが関西鉄道であったようである。

スパン12ft以下なので一応暗渠と読んでおく。国分橋梁・新道橋梁として知った身なので違和感がぬぐえないが、なあにそのうち慣れるだろうし、そのうちまた元に戻るかも知れないし。そんなところに拘っても意味がないし、しかし叙述する時に命名ルールをもっておかないとかえって面倒くさくもある。主に後者の理由で暗渠と呼ぶことにする。拱渠と書くのはなんか半角斎。

[滋賀県道元標] 県道貴生川停車場線

画像の説明画像の説明ついでにこれも新発見した。以前来た時に貴生川駅のそばに起点元標が転がっているのを見つけていたけれども、それと対になる終点元標もちゃんとあって、そちらは今も路傍に立っているのだった。建っているのは県道122号との分岐点、まさしく今の121号を示して立っている。

県道分岐点のほうが終点なのがちょっと面白い。あくまで駅側が始点、交通運輸体系でみれば鉄道を幹線としてそこから末端に向かうような形で設定されているわけなのだろう。

始点元標のほうは相変わらず駐輪場西角に転がされていた。巾20cm。


トップ «前の日記(2023-11-17) 最新 次の日記(2023-11-22)» 編集