トップ «前の日記(2024-12-24) 最新 次の日記(2024-12-31)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2025|01|02|03|04|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2024-12-28 [長年日記]

[煉瓦刻印] ”□+漢字”が広島にあるという。

https://note.com/yanotatsuya/n/n44ce6069fbc7

うーん。。。型採って比較したい。

いやなんだよねえ。井上勝彦が土木請負業をしていた時代の関わってた地域に”□+漢字”があるんだぜ。岐阜名古屋間とか(ここは厳密には違うし土工だけだったはずだが)、金ケ崎港の浚渫とか(ランプ小屋は金ケ崎港駅にある)、直江津線の坂下新田トンネルとか。呉鎮守府もやってなかったっけか。いや、だったらあれか、中京から煉瓦引っ張ってってることになるのな。堺煉化石会社はM20.9.だからそれらができた後のことか。よかったこれで安心して寝れる。

[煉瓦刻印] 亀甲の浮上

画像の説明

なんとはなしに王寺町カルケットに行って、北の一線が古いと見て、ほいと天辺を覗いたらこれがあって参った。ちょうと届かない高さなので近くからコンクリートブロック瓦礫を引っ張ってきて小一時間。以前に王寺で採取しておいたやつがすごく意味のあるものになってしまった。ついでにそれが呉鎮守府庁舎から出胎していて、そこに煉瓦を納入したのが宮崎商会とか堺煉化石とか原口工場とかなんよね(~M22.3)。

大阪鉄道の遺構というと芝山か亀の瀬辺りしか刻印を見つけられていなくて、それが全てだと思いこんでいたけれども、そうじゃないんだ、亀の瀬辺りの着工M22とそれ以前とでは堺の煉瓦業勢力図が一変しているんだ。区間開業はM24だがそれ以前には着手していてあれこれ騒動あったことはORJ第136号(2017.9.15発行)にも書いている。M20.9.堺煉化石。M22.2.堺煉化石製造業組合。M22.3.青山工場の大輪田分工場計画。いつ?共同販売開始。堺煉化石や組合仲間が納入した煉瓦に”亀甲+カナ(漢数字)”があってもいいわけなのである。んでM23には軒並み姿をけしやがる。M22会計法の影響と思う。

大阪にはM10年代末から20年代初頭にかけての煉瓦の残存がほとんどない。全く無いわけじゃないけど刻印が見られない。雁多尾畑暗渠も露出ないし…遺棄煉瓦も無刻印だったし。


トップ «前の日記(2024-12-24) 最新 次の日記(2024-12-31)» 編集