nagajisの日不定記。
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https://note.com/yanotatsuya/n/n44ce6069fbc7
うーん。。。型採って比較したい。
いやなんだよねえ。井上勝彦が土木請負業をしていた時代の関わってた地域に”□+漢字”があるんだぜ。岐阜名古屋間とか(ここは厳密には違うし土工だけだったはずだが)、金ケ崎港の浚渫とか(ランプ小屋は金ケ崎港駅にある)、直江津線の坂下新田トンネルとか。呉鎮守府もやってなかったっけか。いや、だったらあれか、中京から煉瓦引っ張ってってることになるのな。堺煉化石会社はM20.9.だからそれらができた後のことか。よかったこれで安心して寝れる。
なんとはなしに王寺町カルケットに行って、北の一線が古いと見て、ほいと天辺を覗いたらこれがあって参った。ちょうと届かない高さなので近くからコンクリートブロック瓦礫を引っ張ってきて小一時間。以前に王寺で採取しておいたやつがすごく意味のあるものになってしまった。ついでにそれが呉鎮守府庁舎から出胎していて、そこに煉瓦を納入したのが宮崎商会とか堺煉化石とか原口工場とかなんよね(~M22.3)。
大阪鉄道の遺構というと芝山か亀の瀬辺りしか刻印を見つけられていなくて、それが全てだと思いこんでいたけれども、そうじゃないんだ、亀の瀬辺りの着工M22とそれ以前とでは堺の煉瓦業勢力図が一変しているんだ。区間開業はM24だがそれ以前には着手していてあれこれ騒動あったことはORJ第136号(2017.9.15発行)にも書いている。M20.9.堺煉化石。M22.2.堺煉化石製造業組合。M22.3.青山工場の大輪田分工場計画。いつ?共同販売開始。堺煉化石や組合仲間が納入した煉瓦に”亀甲+カナ(漢数字)”があってもいいわけなのである。んでM23には軒並み姿をけしやがる。M22会計法の影響と思う。
大阪にはM10年代末から20年代初頭にかけての煉瓦の残存がほとんどない。全く無いわけじゃないけど刻印が見られない。雁多尾畑暗渠も露出ないし…遺棄煉瓦も無刻印だったし。